TAOコンサル『市民派・リベラルアーツ』

「エッセイ夏炉冬扇独り言」
「歴史に学ぶ人間学」
「僕流ニュースの見方」
「我が愛する映画たち」

ジャズベースの王者ロン・カーター率いるノネット(9重奏団)の演奏に痺れる

2016年11月30日 | 宗教音楽など心に響く音楽
息子夫婦の招待で、ブルーノートに出かけて来た。演奏は巨匠ロンカーターだよ、嬉しいねー。
そもそも、息子にモダンジャズを教えたのは僕だ。確か高校生の頃、「親父、たまにはロックでも聞いてみろよ」と言う息子に、「ロックもいいが、若い頃はモダンジャズをよく聞いたもんだよ」とか言いながら、バド・パウエルやマイルス・ディビスを聞かせたら、親父のこと一目置くようになった(笑)。それ以来ミルト・ジャクソン来日時には僕と妻を招待してくれたり、NYのブルーノートにも何回か一緒に行っている。
 

ロン・カーターと言えば、ジャズベースの王者。50年代から活動を始め、63年にマイルス・デイビスのバンドに参加して名声を確立。もう79歳になるというのに、演奏活動を続けている。


特に今回は、ノネット(9重奏団)を率いての来日であった。演奏は4人のチェロ奏者と、ピアノとベース、ドラムス、パーカッションのリズムセクションというユニークなもの。しかもロンが弾くのは70年代から演奏を始めたピッコロ・ベースだ。4人のチェロ奏者は高齢の女性たちであったが、ジーンと来るような演奏に魅了されてしまった。ピアノも、ベースも、パーカッションの激しく時に緩やかな演奏も素晴らしい。勿論、ロン・カーターの気品あふれるベース演奏は凄い。ウイスキーのオンザロックも旨く、楽しい夜であった。





映画・・雨降りなり、小栗康平の「泥の河」を見る、何度観てもいい

2016年11月11日 | 我が愛する映画たち
今日は雨降りだ、植木の剪定も草取りもできない。こんな日は我が草庵での読書か映画に限る。
先日、恵比寿の写真美術館へ行ったら、イベント企画に小栗康平の名があり、気になっていた。そうだ、今日は「泥の河」を見よう。
小説「泥の河」は宮本輝の太宰治賞を受賞した作品であるが、1981年に小栗康平が映画化した。監督デビュー作品である。しかも自主制作映画というのに、この年のキネマ旬報ベストテンの第1位に選ばれ、日本アカデミー賞の優秀作品賞や監督賞なども受賞した。

水汲みをする少年喜一
舞台は日本が高度成長時代を迎えようとしている昭和31年頃の大阪。安治川の河口近くに住む少年と対岸に繋がれた小舟で暮らす姉弟との出会いと別れ、社会の底辺で生きる人々の姿をきめ細かく描いている。悲しい物語だ。しかし、子役たちの演技が素晴らしい。

 信雄と姉弟

安治川の河口付近で安食堂を営む板倉晋平(田村高廣)と妻(藤田弓子)の小学3年生の息子信雄はある日、対岸に繋がれたみすぼらしい小舟の姉弟と知り合い友達になる。母(加賀まりこ)はこの舟で売春しながらひっそり暮らしている。いわゆる廓舟だ。暫らくして11才の姉銀子と信雄と同い年の弟喜一は食堂に遊びにやって来る。喜一は用意された夕食をこんな旨いもの食べたことないと喜び、笑うことの無かった銀子は風呂に入らせて貰ってはじめて笑顔を見せる。喜一がお礼に歌う軍歌「ここはお国の何百里・・」を晋平はしみじみ聞いている。彼はシベリアからの引揚者だったのだ。

手品でせいいっぱい歓迎する晋平 

悲しい話がいくつか挿入されている。銀子は晋平の妻が用意してくれたワンピースが似合って嬉しそうにするが、受け取るのを断って帰っていく。自分は幸せになってはいけないと言い聞かせているのであろうか。はかなげな少女が悲しい。天神祭りの日、喜一と信雄は小遣いを貰って出かけるのだが、喜一のズボンのポケットに穴が空いていて落としてしまう。・・以下、物語は省略するが、・・ある日、突然の別れがやって来る。別れの言葉もなく、姉弟の乗った舟が急に岸を離れ、動き出す。信雄は慌てて舟を追いかけ、川岸や橋の上を走り続けるのだが、姉弟は最後まで姿を見せることはない。信雄が涙を流しながら「きっちゃん、きっちゃん」と呟くように喜一を呼ぶ声には、人生で初めて出会った悲しみ・切なさが滲んでいる。しみじみいい映画だ。
 去って行く小舟と見送る信雄

映画「ハドソン川の奇跡」・・イーストウッド監督の映画作りと機長の勇気に感服

2016年11月02日 | 我が愛する映画たち
クリント・イーストウッド監督作品のファンなのに、なかなか時間がとれず、この映画、やっと観てきた。さすがである。
映画評論家の芝山幹郎が「短い。無駄がなく、力強くて優雅だ」と評していたが、まったく同感である。
イーストウッドが今回新作に選んだ題材は、全世界が奇跡と称賛したハドソン川に不時着した航空機事故だ。映画タイトルは機長サレンバーガーの愛称「サリー」、機長を演じるのはトム・ハンクスである。副操縦士を演じるアーロン・アッカートの演技も、とてもいい。



2009年1月15日、厳寒のニューヨーク。ラガーディア空港を旅だったUSエアウェイズ1549便は離陸2分後に鳥の群れと衝突、左右のエンジンが停止状態に陥り、この儘では墜落するしかない。こんな時、如何なる判断を下すべきなのか。機長は管制塔も驚くハドソン川への緊急着陸を試みる。しかも、無事な不時着、乗客・乗員155人全員の救出に成功させたのであった。

この航空機事故のニュースはその日のうちに世界中を駆け巡り、機長は英雄として称賛された。私も翌日の新聞を読んで、機長の冷静な対応やこういうことに遭遇した時のアメリカ人のタフネスに感動、早速ブログに感想を記したものだ。


機長を演じるトム・ハンクスと副操縦士を演じるアーロン・エッカート

しかし、この映画は機長の英雄物語ではない。その裏に隠された真実を描いている。映画は国家運輸安全委員会(NTSB)の調査官による追及シーンから始まる。まるで、法廷劇のようだ。我々は知らなかったが、155人を救ったはずの英雄は容疑者とされていたのである。本当に両エンジンとも推力を失っていたのか、何故ニュージャージーの空港に向かわなかったのかなど18カ月に及ぶ調査が続いていたらしい。そして映画では、繰り返し行ったシミレーションからすると、この飛行には問題があると調査官は機長を追い詰める。コンッピュータデータをもとに、飛行機は近距離にある空港に着陸可能だったと主張する調査官と機長・副操縦士の闘いが繰り広げられる。こういう視点からの映画作りがイーストウッド監督の凄いところだ。その他、この航空機不時着を知った民間の船舶が数隻が脱出した乗客救出に向かったというのも素晴らしい話で、これら勇敢な船長たちを映画に出演させていた。心憎い演出である。

クリント・イーストウッドの作品のテーマは常に人間である。「許されざる者」は引退して久しい賞金稼ぎが再び立ち上がる物語、「グラントリノ」は朝鮮戦争で心に傷を負った偏屈で孤独な老人の人生最後の賭け、「ミリオンダラーベイビー」は実の娘と疎遠になったトレーナーが貧しい女性ボクサーを育てながら心を通わせる話だ。さらっとした映画作りなのに、どれも見る者に考えさせる。

 中央がサレンバーガー機長

この作品、来年のアカデミー賞の候補にノミネートされるに違いない。楽しみだ。