TAOコンサル『市民派・リベラルアーツ』

「エッセイ夏炉冬扇独り言」
「歴史に学ぶ人間学」
「僕流ニュースの見方」
「我が愛する映画たち」

復活祭(イースター)は、キリスト教における最も重要な祭典である

2016年03月27日 | エッセイ・夏炉冬扇独り言
本日は復活祭・イースターである。小生、年に数えるほどしか行かないのだが、この日は朝早く起きて、亡き両親が通っていたM教会の礼拝に出かける。
パイプオルガンによる前奏が美しい。曲はG・Aホミリウスの曲「主は死につながれ(讃Ⅱ-100)」。


この日の聖書はマタイによる福音書28章16~20、「復活の主が共にいます」と題したK牧師の説教がとてもよかった。復活したイエスから「ガリラヤに行きなさい・・」と言われて、11人の弟子は出かける聖書のシーンであるが、ここに「信じられないものがいた」の言葉がある。私など、キリストの復活を信じるかと問われたら、なんと答えるであろうか。情けない話であるが、信じますと即答できるであろうか。そういうふとどき者をも含め我々を救うために、キリストは復活したことを忘れてはならないということであろう。

お誘いいただき、礼拝の後の祝賀会にも出席、皆さんと一緒に食事をいただき楽しいひときを持った。感謝である。
 祝賀会風景

ところで、イースターと言えば、まず色鮮やかなゆで卵を思い浮かべるのだが・・これは四旬節の間の節制が終わることを祝う為のものであり、その起源はいろいろあるようだ。
 教会の少女が作ったイースターエッグ

実はイースターエッグの原点はイースターを祝う時、赤く染めた卵を友人に送るとことによる。これはマグダラのマリアが、キリスト昇天の後、ローマ皇帝の元に赴き、赤い卵を贈ってイエスが天に昇られたことを示したことに由来するのだそうだ。
 イースターエッグの原点、赤色の卵(画像はwebより)

夏炉冬扇、お茶の流儀は無手勝流、好きな茶碗は利休好みorへうげもの??

2015年12月23日 | エッセイ・夏炉冬扇独り言
友人のTaさんからお誘いがあり、池上本門寺の梅園のお茶室へ。久しぶりのお茶会である。
お茶と言えば仕事のない休日に、今は亡き妻のお点前を楽しんでいたことなど懐かしく思い出す。そもそも、お茶会に招かれることなど偶にしかない。だから、お茶会はいつも新鮮、初心者気分だ。






だが、茶碗の好みはうるさいよ。と言うのも、小生、若い頃から美濃その他の窯場を訪ね歩いた陶磁器好き、しかも志野・織部焼の作陶にのめり込んだ時期もあるからね。

そう言えばこのところ、千利休の弟子であった古田織部を描いた山田芳裕の漫画「へうげもの」が人気化しているようだ。お茶と言えば千利休だが、利休亡き後、茶の湯の第一人者となった戦国の武将古田織部の人生は面白い。❝へうげもの❞とはひょうげものと読み、現代風に言えばひょうきんなとかおどけたという意味になろうか。
抹茶茶碗はと言えば、利休好みの装飾をそぎ落とした黒茶碗など最高にいいが、織部焼の形と緑にも魅かれる。特に自由闊達な形が楽しく魅力的である。そう、まさにへうげもの、遊び心がいい。そこには桃山時代の自由と闊達な精神があって、現代に通じるものがある。



静かなお茶室でお茶をいただきながら、ふとそんなことを考えた。久しぶりにいい気分であった。


福島復興支援の旅 忘れられないこと、忘れてはならないこと!

2014年02月20日 | エッセイ・夏炉冬扇独り言
福島復興支援の旅の二日目、我々は小名浜に向かった。ここも7~8mの津波に襲われた地域だ。観光物産センター「いわき・らら・ミュー」には魚の直売所が並んでいる。2階では震災の記録や写真など展示中であったが、ふと、白い大きなおにぎりと少女の手記に目がとまった。



『女子中学生の手記』 
 
「3月11日・・あの日、津波で家をなくし、母も亡くした。
連絡のとれない母を探して、避難所の中学校で掲示板に母の名前を書き、校内放送で何度も母の名前を呼んでもらう。
いつの間にか二日が過ぎていた。
その日の夜、おにぎりを配っていた。「ひとつもらえますか」
制服を着た中学生が渡してくれたのはラップに包まれた真っ白な塩むすび。頬張ったら急に涙がこみあげてきた。
初めての・・涙..。おいしくて、悲しくて泣いた。あの塩むすびの味を、忘れない。」

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 私はこの手記に感動、もらい泣きしてしまった。どんな少女なのだろう、家族はいるのだろうか。幸せに暮らしているのだろうか。
私はこの女子中学生の手記のことが心に残り、帰宅後、問い合わせしてみたが消息不明であった。

 いわき市の被害は余り報道されなかったが、こういった不幸は沢山あるのだろう。小学生が描いた「がんばっぺ・子ども宣言」のポスターもよかった。


福島復興支援の旅 、えっ、オジサンたち、フラダンス楽しんでボランティア?

2014年02月19日 | エッセイ・夏炉冬扇独り言
我が出身会社は昭和30年代に業界に先駆けて自動車保険に参入し成長を遂げた損保会社であるが、その草創期に活躍した上司・先輩などによる集まりがある。先日、東日本大震災の被災地福島の復興支援の旅という企画があり出かけてきた。復興支援といいながら、行く先は常磐ハワイアンセンターとはこれ如何に!後期高齢者のオジサンたち、肉体労働など、ボランティアは無理だよ・・。

オジサン達、たくさんお金使ってね

 さて、如何なる復興支援かと言うと・・ハワイアンセンターの温泉に浸かり、旨い酒を飲み、美味しい料理を食べ、フラダンスを見て、僅かばかりではあるが現地にお金を落として来ようという趣旨。了解である。そんな旅ではあったが学ぶこともあり、有意義な2日間であった。

 笑顔を絶やさない東北の踊り子たち
 
 常磐ハワイアンセンターは、戦前の日本経済を支えてきた常磐炭鉱が斜陽化する中で生まれた観光施設であるが、想像した以上に盛況であった。震災に会った東北・福島の人々にとって、ここは辛い思いを忘れることができる憩いの場なのであろう、皆楽しそうだ。ダンサーたちが笑顔を絶やすことなく演技している姿も印象的であった。多分、福島や東北の若い女性たちにとってダンサーの仕事は単なる収入源であるだけでなく、将来の夢につながる貴重なものなのであろう。激しいフラダンスの動きを見ながら、そんなことを考えた。

 復興途上の港