TAOコンサル『市民派・リベラルアーツ』

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「歴史に学ぶ人間学」
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津軽三味線と馬頭琴の弦の響きが心に沁みる

2013年05月30日 | 宗教音楽など心に響く音楽
 三味線・小唄を嗜む先輩の太田信之氏からお誘いがあり、師匠山本大氏の教室ライブに出かけた。演奏会のことは『極める人生二毛作』に記事が掲載してあるが、ふと津軽三味線と馬頭琴のことを思い出した。

 演奏会は、津軽三味線の若き達人山本大氏とモンゴルのアヨーン・バトルネブ氏の馬頭琴のコラボ演奏であった。弦楽器の発祥の地は中東とのこと、そんな東洋の二つの国、モンゴルと日本の若き演奏家が奏でる弦の響きが心に沁みた。

 弦楽器はインドを経由して中国に渡り三弦として根付いたものらしい。日本には江戸時代に渡来し独特の三味線として発展、北の果てで津軽三味線が生れた。この日の演奏を聴いて、改めて津軽三味線が即興演奏の楽器であることを知った。津軽じょんがら節など聴くとメロディーがはっきりしているので勘違いしていたが、津軽三味線は元々盲目芸であり楽譜などあるはずもない。
 

 一方、馬頭琴はモンゴルの民族楽器。モリンホール『馬の毛』と呼ばれる遊牧民の間に伝わる二弦楽器は、馬の尻尾の毛を束ねた弦を馬の毛を張った弓で弾いて演奏する。音色は柔らかく奥行きがあり、その弦で擦る微かなノイズがとても美しい。


 数年前、私は北津軽の金木を旅した。津軽三味線の始祖仁太坊はこの金木の生れ。母は産後すぐ他界、8歳の時失明15歳の時父も亡くして天涯孤独、生きるために門付けをしながら三味線を弾き歩くが、そんな中から生れたのが津軽三味線であった。撥を叩き付けるような津軽三味線の演奏は津軽の凍てつく風や地吹雪を想像させる。
 馬頭琴はゴビの砂漠で、遊牧民がゲルの外で何か音がするので出てみると、馬の尻尾が風に吹かれて擦れあう音であったのだそうだ。これをきっかけに生れた楽器、音色はゆったり流れる悠久の歴史を想像させる。

 ゴビの砂漠で生れた馬頭琴と北の地の果てに生れた津軽三味線。この二つはどこか繋がるものがあり、心に沁みる。(山下)

『代々木果迢会』の能舞台にて“西行桜”を観る

2013年05月24日 | 東西の詩人詠みくらべ
 ご縁があって『代々木果迢会』の能舞台にご招待いただいた。
この能舞台は私の書斎からすぐのところにあり、住宅街に溶け込むような雰囲気が気になっていたが、建物の中に入ってみてその美しさに感動。それと言うのも、舞台が屋外に建っているのである。しかも、国立能楽堂や観世能楽堂のような劇場風建物と違い、古風でいかにも本物の舞台そのものといった佇まいである。頂戴した説明書にも『大正・昭和初期、都内に数ヶ所存在していた屋敷内舞台の現今では数少ない遺構の一つ』とある。

 オープニングは代々木果迢会を主宰する浅見真高氏の小謡であったが、ご高齢にもかかわらない凛とした立ち姿や声に感心してしまった。いかにも長い年月修行を積んで来たその道の達人といった風情。 

 この日の演目は世阿弥の『西行桜』。私も西行が好きで一昨年は西行庵と西行桜を訪ねる旅に出たが、能の“西行桜”を観るのは初めてである。
物語は、西行の庵室の前に名木の桜があり、この桜目当てに大勢の花見客が訪れる。西行は世捨て人になっても俗世と離れられない煩わしさを嘆き「花見にと群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜の科にはありける」と詠んでまどろんでしまう。その夢の中に桜の老木の精が現れ、それは桜の責任ではないと説き、京の桜の美しさを語って舞って消えてしまう。西行がふと目覚めるとそこには老木の桜がひそやかに立っているのであった。・・といった内容である。桜を愛し桜が咲く地に庵を構えた西行に相応しい物語だ。
 久しぶりの能であったが、こんな贅沢な雰囲気の中で味わうことができ、感謝に堪えない。(山下)