TAOコンサル『市民派・リベラルアーツ』

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司馬遼太郎と藤沢周平に見る人間観[4]・・ロータリークラブでの卓話より 

2011年08月29日 | 司馬遼太郎と藤沢周平
 これに対し、司馬遼太郎が描くのは時代の最先端を走った人物たちであり、その歴史観は一種の英雄史観と言っていいであろう。英雄史観とは、歴史における個人の役割を肥大化させたものであるが、いずれの視点が正しいのかは難しいところだ。 

 評論家の佐高信が、「江戸城は誰が作ったかという問いに、太田道灌と答えると正解で、大工と左官が作ったというと笑われるが、藤沢は笑わないだろう。大工と左官の立場に身を置いて書かれたのが藤沢周平の小説であった。」と書いているが、実に面白い。

 私も社会の第一線にいた若い頃は、司馬遼太郎作品の主人公たちに憧れて生きて来たようなところがある。しかし会社人生をリタイアした今、むしろ藤沢周平の描く世界に心惹かれるのは何故だろう。40年にわたり働いて来て今改めて思うのは、日本経済の高度経済成長を成し遂げたのは一握りのエリートではなく、結局のところ、黙々と働き続けたサラリーマンであり、国民一人一人の勤勉さではなかったかということである。

 以上、司馬遼太郎と藤沢周平の人間観について考えてみたが、それぞれの視点にはそれなりの意味があり、どちらに軍配が上がるというものでもない。ただ、人生をここまで生きてきて、今、改めて、“無名のまま生きること”に誇りを持ちたいと思うのである。

 最後になるが、藤沢周平が『三屋清左衛残日録』の中で主人公に語らせている言葉が心に沁みる。これは藤沢の死生観であろう。
・・『人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死が訪れるその時は、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて終わればいい。しかし、いよいよ死ぬるその時までは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして行き抜かねばならぬ』 (山下) 

司馬遼太郎と藤沢周平に見る人間観[3]・・ロータリークラブでの卓話より

2011年08月28日 | 司馬遼太郎と藤沢周平
 藤沢周平の作品はどれもいいが、『蝉しぐれ』は色んな要素が詰まった完成度が高い長編時代小説である。主人公は東北の小藩海坂藩の普請組の下級武士、牧野助左衛門の養子文四郎である。藩の派閥抗争に巻き込まれた養父が、反逆罪の汚名を着せられ切腹させられた後の、罪人の子としての過酷で波乱に満ちた人生を逞しく生きる姿を描いている。切腹させられた養父の無残な遺骸を大八車で運ぶ文四郎を、幼馴染のお福が助けようとするシーンは泣かせる。そして、藩主の側女として江戸にのぼるお福のことを生涯思い続けながらも口にしない恋のかたちが心に沁みる。お福役の木村佳乃も、綺麗でよかった。

 “日残りて暮るるに未だ遠し”で始まる『三屋清左衛門残日録』も私の好きな作品の一つである。かつて、NHKがかつてドラマ化したが、仲代達也の渋い演技がよかった。先代藩主の用人であった三屋清左衛門は家督を長男又四朗に譲り隠居生活に入るが、役を退いた安堵の気持と第一線を退いた一抹の寂寥感に襲われる。そんな空白感を埋めるように書き始めるのが残日録であるが、江戸時代の老いと隠居生活、気の置けない友人達との交流や年老いて行く男の無常感が漂う、味わい深い小説である。
 さて、司馬遼太郎と藤沢周平は共に人気時代小説作家ではあるが、扱っている主人公たちの人物像に違いがある。司馬遼太郎が描くのは実在人物、それも歴史の表舞台で活躍し、名を成した男たち、藤沢周平が描くのは無位無冠の男たち、つまり無名の人たちである。

司馬遼太郎は、歴史上の人物たちをビルの屋上のような高いところから俯瞰してみるのが好きだと語っているが、評論家の佐高信がいみじくも、これは上からの視点、藤沢周平のそれは下からの視点と書いている。二人の人間に対する視点の違いである。
藤沢周平の描く武家物の主人公たちは、武家社会では主流とはいえない貧しい下級武士や、嫡子ではない次男や三男、時には浪人などである。或いは、市井の無名の人たち、日の当らない処でひたむきに生きている人達と言っていいであろう。つまり、スポットの当っている処だけが人生ではないことを感じさせてくれる。

そういう意味では、日の当らない処で生きる人々を描いた山本周五郎と共通するところがある。名作『樅の木は残った』は仙台藩のお家騒動に際し、お家存続のため、敢えて悪人として死んで行こうとする家老原田甲斐の物語であるが、組織の中で耐える人間や表舞台ではないところで生きる人たちへの優しい視線が滲んでいる。この山本周五郎と同じ視線が藤沢周平の人間描写には感じられるのである。(山下)

司馬遼太郎と藤沢周平に見る人間観[2]・・ロータリークラブでの卓話より

2011年08月27日 | 司馬遼太郎と藤沢周平
 さて、山田洋次というと、寅さんシリーズなどの国民的映画や『幸せの黄色いハンカチ』、『家族』、『息子』などの映画監督として知られているが、2002年に世に放った本格時代劇『たそがれ清兵衛』は、日本アカデミー賞の作品・監督賞に輝いた。

 この作品の原作は藤沢周平である。時代は江戸幕末期、舞台は海坂藩なる架空の藩、主人公は妻を亡くし、痴呆が進む母親と幼い二人の娘を養うお蔵役50石の貧しい下級武士の清兵衛、城での勤務が終わると同僚と付き合うことも無く、家路を急ぐ。そんな清兵衛、同僚からはたそがれ殿と呼ばれている。無精ひげに継ぎはぎだらけの身なりの極貧生活だが、どこか凛としている。こんな清兵衛の生活に明るさと彩りを添えるのが、友人の妹で幼馴染の朋江の存在である。物語の後半、清兵衛は、藩命により、お家騒動に絡んだ上意討ちに出かけることになるが、その清兵衛の髪を結い、そして闘いでぼろぼろになって家にたどり着く清兵衛を出迎えるシーンは、感動的である。朋江を演じる宮沢リエの楚々とした姿が美しく、清兵衛を演じる真田広之の寡黙な演技もよかった。とりわけ舞踏家田中民が演じる一刀流の使い手との壮絶な斬り合いは、黒沢映画の三船敏郎と仲代達也の決闘シーンを彷彿とさせるリアリティーある演出であった。

 この映画は藤沢周平の三つの短編小説を原作にしているが、描かれているのは、目立つことなく無名の儘生きる日常と、不本意ながら藩命に従い、凛々しく闘いに挑む武士の非日常である。つまり、我々の人生というものはごく平凡なものであるけれど、そんな一生の内に誰にでも一度や二度、きらきらするような誇らしい出来事があるのであり、そんな運命に従い生きて行く無名の男の美学が描かれている。(山下)


司馬遼太郎と藤沢周平に見る人間観[1]・・ロータリークラブでの卓話より 

2011年08月26日 | 司馬遼太郎と藤沢周平
 一昨年来、NHKは司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』をテレビ放送している。これは、日露戦争の開戦にあたり、勝利は不可能と言われたロシアのバルチック艦隊を壊滅する作戦をたてて実行した海軍参謀秋山真之と、その兄で騎兵隊を育成し史上最強と言われたコサック騎兵隊を打ち破った陸軍の秋山好古、そして俳句中興の祖と言われる正岡子規の三人の四国伊予松山出身の男たちを主人公にした物語である。いずれも、明治の時代、極東の小さな国の開花期に、日本の為に生きた男たちのドラマである。当時の記録画像を随所に取り入れた演出といい、秋山真之の本木雅弘と正岡子規の香川照之の演技が見応えある。

 私が社会に出た昭和41年(1966年)は、日本は池田隼人首相が掲げる所得倍増計画の旗印のもと高度経済成長の道を突き進もうとしていた時期であったが、まさに司馬遼太郎の長編時代小説『竜馬が行く』が文芸春秋社から単行本全5巻として刊行された年でもあり、私は、坂本竜馬と勝海舟との出会い、薩長同盟のための奔走する姿、後藤象二郎と瀬戸内海を上る船の中で考案した船中八策のことなどに心を揺り動かされつつ、一気に読んだものである。
幕末維新期には、多くの志士が国の行く末を憂えて奔走、その多くは若くして死んで行った。竜馬が京都近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺されたのは33歳、松下村塾の吉田松陰は29歳、長州の高杉晋作は28歳の若さであった。しかし、それらの死は無駄死にではなく、多くの志士たちに受け継がれて維新回天のエネルギーとなっていった。司馬遼太郎は、明治の時代以降日本には人物がいない、日本人は駄目になったと書いているが、確かに、『坂の上の雲』に登場する日露戦争当時の男たちを見ると秋山兄弟に限らず、東郷平八郎にせよ児玉源太郎、乃木希典にせよ、その誰もが、現代人に比べると、志し高く優秀であった。

 日本の高度経済成長は昭和35年頃から神武・岩戸・いざなぎと約25年続く訳であるが、その中核を担った経営者やホワイトカラーたちから絶大な支持を集めたのが司馬遼太郎であった。司馬遼太郎の『竜馬が行く』から、『国盗り物語』を経て『坂の上の雲』に至る作品群は60年代の初めからオイルショックに至る時代、まさに日本の高度経済成長の黄金期に出版されているのである。司馬遼太郎は、この時期の経営者・サラリーマン層から圧倒的な支持を受けたが、彼らからすると、日本の戦後経済が上昇過程に入って行く道筋と、明治国家が幕末維新から日露戦争へと急速に上昇して行く過程がオーバーラップして見えたのかも知れない。私も例外ではない。(山下)



司馬遼太郎記念館にて、暫し思索の時を

2010年04月09日 | 司馬遼太郎と藤沢周平
 司馬遼太郎の記念館は近鉄奈良線の河内界隈にある。生前愛用していた書斎は雑木林に囲まれ、周囲は自然の佇まいそのものといった雰囲気であるが、隣の記念館は安藤忠雄設計によるモダンな建築である。地下に大きな書架があり、何万冊なのか、凄い量の蔵書である。一つの作品を書くたびに、関連する書籍・資料を何十冊も読みこなし、足で歩いて現地取材をしたのであろう。さすが大きなことを成す人は凡人とは違うものだと、あらためて感服してしまった。

 私も若い頃、『竜馬が行く』や『坂の上の雲』を読み、感動したものである。しかし、サラリーマン生活を終えた今、個人的には、市井の人々の人生を描く藤沢周平に惹かれる。歴史を作って来たのは、時代の先端を走った一部の英雄たちではなく、無名の男たちなのだということを、この年になって悟ったということかも知れない。しかし、司馬遼太郎が現代の日本人に、明治という時代を生きた男たちの国を思う心とその生きざまを語った意味はとてつもなく大きく、その業績は歴史に残るであろう。

 記念館の自由メモ帳を拾い読みした。我々世代がそうであったように、現代の若者たちがここで何かを感じ、明日へのエネルギーにしようとする様子は嬉しいものだ。・・・・下記文章はその一つ。司馬遼太郎への尊敬の念と自らの人生への夢を感じさせ、“ああ、こういう若者が大勢いるのなら日本も捨てたものではない”と感じ入った次第である。

 ・・・「司馬先生、僕は神戸の大学に通っており、4月に社会に出ます。司馬先生が見て、また、坂本龍馬をはじめとする日本を築いてきた英雄たちに対して恥ずかしくない“日本人”になりたいと思い、行動して行きます。自分に厳しく、この腐った国を変えます。」2010、2,7 S.M  
(山下)


雑木林に囲まれる司馬遼太郎の書斎


司馬遼太郎記念館エントランス