これに対し、司馬遼太郎が描くのは時代の最先端を走った人物たちであり、その歴史観は一種の英雄史観と言っていいであろう。英雄史観とは、歴史における個人の役割を肥大化させたものであるが、いずれの視点が正しいのかは難しいところだ。
評論家の佐高信が、「江戸城は誰が作ったかという問いに、太田道灌と答えると正解で、大工と左官が作ったというと笑われるが、藤沢は笑わないだろう。大工と左官の立場に身を置いて書かれたのが藤沢周平の小説であった。」と書いているが、実に面白い。
私も社会の第一線にいた若い頃は、司馬遼太郎作品の主人公たちに憧れて生きて来たようなところがある。しかし会社人生をリタイアした今、むしろ藤沢周平の描く世界に心惹かれるのは何故だろう。40年にわたり働いて来て今改めて思うのは、日本経済の高度経済成長を成し遂げたのは一握りのエリートではなく、結局のところ、黙々と働き続けたサラリーマンであり、国民一人一人の勤勉さではなかったかということである。
以上、司馬遼太郎と藤沢周平の人間観について考えてみたが、それぞれの視点にはそれなりの意味があり、どちらに軍配が上がるというものでもない。ただ、人生をここまで生きてきて、今、改めて、“無名のまま生きること”に誇りを持ちたいと思うのである。
最後になるが、藤沢周平が『三屋清左衛残日録』の中で主人公に語らせている言葉が心に沁みる。これは藤沢の死生観であろう。
・・『人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死が訪れるその時は、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて終わればいい。しかし、いよいよ死ぬるその時までは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして行き抜かねばならぬ』 (山下)
評論家の佐高信が、「江戸城は誰が作ったかという問いに、太田道灌と答えると正解で、大工と左官が作ったというと笑われるが、藤沢は笑わないだろう。大工と左官の立場に身を置いて書かれたのが藤沢周平の小説であった。」と書いているが、実に面白い。
私も社会の第一線にいた若い頃は、司馬遼太郎作品の主人公たちに憧れて生きて来たようなところがある。しかし会社人生をリタイアした今、むしろ藤沢周平の描く世界に心惹かれるのは何故だろう。40年にわたり働いて来て今改めて思うのは、日本経済の高度経済成長を成し遂げたのは一握りのエリートではなく、結局のところ、黙々と働き続けたサラリーマンであり、国民一人一人の勤勉さではなかったかということである。
以上、司馬遼太郎と藤沢周平の人間観について考えてみたが、それぞれの視点にはそれなりの意味があり、どちらに軍配が上がるというものでもない。ただ、人生をここまで生きてきて、今、改めて、“無名のまま生きること”に誇りを持ちたいと思うのである。
最後になるが、藤沢周平が『三屋清左衛残日録』の中で主人公に語らせている言葉が心に沁みる。これは藤沢の死生観であろう。
・・『人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死が訪れるその時は、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて終わればいい。しかし、いよいよ死ぬるその時までは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして行き抜かねばならぬ』 (山下)