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我が愛する東洋古典・・・「酔って吟じた陶淵明・帰去来の辞」

2007年02月03日 | イェーツと陶淵明

2004年8月・・(20歳代に書いた文章の一部修正版)                

私の書棚の隅に古ぼけた濃い緑色の背表紙の本が一冊ある。中国歴代の名詩文を収めた東京明治書院の星川清孝著「古文真宝選」なる本で、神田の古本屋のシールが貼ってあり定価は三百八拾円となっている。当時のアルバイト料が一日八百円位だったことからすると決して安くはないので、友人から借りたままになったのかもしれないが、四十年近く前のことなので記憶はさだかではない。この頃、私には体育会系心情右翼の友人がいて大層親しく、よく家に泊めさせてもらった。政治論議に口角泡を飛ばしたり、バド・パウエルやMJQなどのジャズに聞き惚れたりの青春の時間がそこにはあったが、酔うと二人して窓を開け放ち漢詩を朗読したものである。李白や杜甫もよかったが、とりわけ陶淵明が好きで「帰りなんいざ、田園将に蕪れなんとす」と『帰去来の辞』を、或いは『飲酒』などの詩を声をあげて吟じた。
星川清孝著「古文新宝選」

陶淵明は中国東晋時代の詩人で役人生活を送ったのち、四十一歳の時突如として官職を辞し故郷に帰ることを決意する。その時賦したのが『帰去来の辞』である。同じ時期の詩『田園の居に帰る』の中で、「少きより俗に適う韻無く、性、もと邱山を愛す」と自らについて語っているように、その超俗的気風は生来のものであったようである。しかも、政治的不安定なこの時代に知識人たちが心酔した老荘思想の影響を受け、無為自然の世界に強く惹かれたものと思われる。続いて「誤って塵網のなかに落ち、一たび去って三十年」とあるが、宮仕えなどというものはゴミにまみれた網に落ち込んだようなもので、生活のためとはいえこういう人生は間違いであったと反省しているのである。ここに至るまでの仕官と隠遁とのいずれを選ぶかという逡巡は並大抵ではなかったであろうが、単なる世捨てとは違うこういう中国的隠遁思想には、なかなか興味深いものがある。

京都で見つけた陶淵明「飲酒」の一部

小生、何故若い頃から陶淵明などと問われれば、漢詩を吟じた時の韻が心地よかったからと答えるに違いない。ただ本音を言うなら私自身組織が好きでなく自由なる境遇への憧れを抱き続けて生きてきたようなところがあり、生来どこか超俗的気質を持っていたのではないかと思っている。その後、東洋の歴史や文化に関心を持つようになって久しいが、今、そういう年になったということなのか、或いは、ごく最近長く療養中の妻が別の病で死の淵を彷徨うのを目の当たりにしたという事情もあって、このところ人生の無常を感じ、あらためて陶淵明の魅力にひき込まれている。

帰去来の辞についても、若い頃は読みとばしていた後半の部分に、陶淵明の言わんとしたいことがあることがわかってきたりして嬉しい限りである。特に最後の「聊か化に乗じて以って尽くるに帰し、夫の天命を楽しんで復たなんぞ疑わん」にみえるのは生死への諦観であり、人生の無常をあるがまま受けいれ自然に身を委ねて天命を待つという、おおらかな明るさに溢れた陶淵明の世界である。