映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「木野塚佐平の挑戦だ」 樋口有介

2008年07月12日 | 本(ミステリ)

「木野塚佐平の挑戦だ」 樋口有介 創元推理文庫


前作「木野塚探偵事務所だ」が、妙に気に入ってしまったので、続編のこの本も読んでみました。
前作は短編集だったのですが、こちらはれっきとした長編。
前作ラストでケニアへ行ってしまった助手の桃世が帰国するところから話は始まります。
やはり、彼女がいないと、あまりにも地味すぎて、ストーリーにならない・・・。
木野塚氏は相変わらずです。
あこがれの美人ニュースキャスターとの不倫を夢想する、
思い込みの激しい自称ハードボイルドのおじさん探偵。
その、妄想癖を除けば、いたって善良でまっとうで、お人よしに過ぎるくらい。
癒し系ハードボイルド。うん、そういう感じです。

しかし、前回では金魚の行方捜索がいいところだったのですが、
なんと今回は突然政治の中枢人物と係るという大立ち回り。
侮れないおじさんだ・・・。

国民からは絶大な人気がある現職の総理大臣、村本啓太郎が急死。
そこへ、ささやかれる暗殺説。
『天下り完全禁止法』の行方は・・・。
何しろ完全にいかれた感じのオタク男や、ホームレスの総元締めみたいな人とも、普通に会話できちゃう。
本心は、ぎょっとしつつ、つい、人の良さで、まともに受け入れてしまうという、この辺も、やはり性格なのですよね・・。
これら全く別々の事件、登場人物が次第につながりを見せてゆく。
そして、ミステリの醍醐味、最後の代どんでん返し!
うーん、でも、これは、奇想天外に過ぎるかも・・・。
木野塚氏だからま、いいか。天下の名探偵ですもんね。
それにしても、今回の桃世さんのやり方はちょっと汚い。
激怒しなかったのはやはり木野塚氏のお人柄というべきか。

満足度★★★★


「春のオルガン」 湯本香樹実

2008年07月10日 | 本(その他)

「春のオルガン」 湯本香樹実 新潮文庫

小学校を卒業した春休み、少女トモミの物語。
小学校の卒業後、中学の入学前、という微妙な時期がポイントなのですね。
子供と大人の合間、思春期のほんの入り口。
このような時期をうまく捕らえています。

この春休み、トモミはほとんど弟のテツと行動を共にします。
のらねこをさがしたり、ガラクタ置き場のバスに寝泊りしたり・・・。
こういうことは、実際、コドモがすることなのですが、その「子供」体験をなぞりながら、そのことに訣別していくのかも知れないと思いました。
両親の不和、祖母の亡くなったときの記憶、隣家とのトラブル・・・
決して、愉快なことばかりではない身の回りとどのように折り合っていくのか。
答えを見つけながら、子供から大人へ、脱皮していく、そんなさまが描かれています。

この中で、好きだったのは、猫おばさんでして・・・。
毎日、野良猫たちのために、食べるものを運んでいたのですね。
まあ、普通の人から見れば変人と映るかも知れない。
けれど、トモミとテツは、おばさんの人柄に触れ、えさやりを手伝うことによって何かの救いを見出していく。
一人暮らしのおばさんのこれまでの人生とは・・・?
とても知りたい気がしますが、この本ではそれは語られません。
両親の不和のこととか、隣の家のおじいさんのこととか・・・、
結果がないままに本は終わってしまうのですが、決して悪い方にはいっていない。
そのように予感されるなんだかステキなストーリーでした。

・・・やっぱり私は誰が書いたにせよ、少年少女の出てくる話は基本的に好きですね・・・。
まだ固まりきらない、瑞々しい感覚がそこにあるので・・・。
こればっかりは、もう自分では取り返しがつかないし、
せめてストーリーの中だけででも、味わいたい・・・と思ったりします。


満足度★★★★


ぐるりのこと

2008年07月09日 | 映画(か行)

「ぐるりのこと」。
実は、私が気になっていたのは、この題名なのです。
私の好きな梨木香歩さんのエッセイ集に、「ぐるりのこと」というのがありまして、
私はこの本に深く感銘を受けました。
本では、自己と他者の「境界」のことについての話が描かれています。
さてしかし、この映画は、残念ですがその本とは別物。

ところがこちらもなかなか侮れない。
ここでは、ある夫婦を取り巻くさまざまな人たち、さまざまな社会の状況、という「ぐるりのこと」が描かれています。
妻翔子は出版社に勤めていて、何でもきちんとしていなければ気がすまない頑張り屋。
夫カナオは靴屋のバイト。些細なことにこだわらない。
・・・といえば聞こえはいいけど、だらしなくて、頼りにならない、とも言う。
初めの方にあるこの2人の会話というか言葉の応酬がすごくおかしいのです。
翔子は夫と「やる日」まで決めていて、カレンダーにしるしがついており、何が何でもその通りにしなければ気がすまない。
そういうもんじゃないだろうと反抗する夫は、せめて口紅くらい付けてくれ、という。
ぽんぽんと飛び交う会話。
「ばっかじゃないの!」が翔子の口癖で、
それに対して「ばかって言うな!」が、いつものカナオの受け答え。
そんな会話が、カナオが靴下を脱ぎながらだったりするので、日常感たっぷり。
でも結局好き同士なのだなあ・・・ということが感じられ、すごく好きなシーンでした。
このふたり、翔子の妊娠でやむなく籍を入れたのですが、
双方仕方なく、というフリをしながら、実は生まれてくる子供を楽しみにしている。
そんな風です。

ところが、まもなく状況は一転。
修羅場は描かれていません。
生まれてまもなく亡くなったのであろうと思わせる位牌が映されるのみ。
そこからは、あんなに明るかった翔子の表情がありません。
初めての子供を失ったことで、精神の均衡を崩してしまった・・・。

その頃カナオは法廷画家の仕事をしています。
裁判所で、いろいろな事件の被告人の顔や様子を絵に描く仕事。
TVのニュースなどでそのような絵を目にすることがありますが、
時々私は、絶対この人に似顔絵を描かれたくない!と思うことがあります。
結構美人でも、相当なアクの強さでブスに描かれていることがありますよね・・・。
まあ、法廷の被告人席に立たなければいいというだけのことですけど・・・。

さて、この2人を取り巻く「ぐるりのこと」は二重構造になっています。
まずは内側に翔子の母や兄夫婦などの家族、それから2人の職場の同僚たち。
またその外側に一般の人々。いろいろな世の中の出来事。
この外側のことは、カナオが見聞きする裁判で、象徴的に表されています。

2人の亡くなった子供、癌で余命わずかという父、さまざまな事件に巻き込まれ遺された家族・・・。
「生」について考えながら、生きることって本当にたいへんだけど、
でもやっぱり生きていればいい日もくるんじゃないかな・・・と、ちょっぴりそんな気持ちにさせられます。

翔子は何でもきちんとやろうと、がんばりすぎるのですね。
子供を亡くしたことはもちろん悲しいのですが、きちんと育てることができなかった、
そのことで自分を責め続けていたのではないでしょうか。

こんな妻を救ったのは、夫カナオです。
「きちんとやらなくちゃと思うのに、できない!」と、
あるときついに堰を切ったように泣きじゃくる翔子を、
カナオは実に当たり前のようにそっと受け止める。
なかなか、実際にはこういう風にできないのじゃないかな、と私などは思います。
たとえば風邪をひいた相手に、おかゆを作ってあげる、それくらいのさりげなさで、
心を病んだ相手を、叱るのでも励ますのでもなく、いたわる。
このような雰囲気を出すのに、リリー・フランキーはまさにぴったりでした。
ここに二枚目俳優を当てると、どうしてももっとうそ臭くなるような気がします。
(あ、失礼。>リリー・フランキーさま)

翔子の暗い表情の時期が結構長くて、観ているのもつらいのですが、
それだけに、少しずつ彼女が力を取り戻していくシーンがうれしくもあり、
いつの間にか、この夫婦に癒されている・・・、そんな作品です。

2008年/日本/140分
監督:橋口亮輔
出演:木村多江、リリー・フランキー、倍賞美津子

「ぐるりのこと」公式サイト


インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国

2008年07月08日 | 映画(あ行)

さて、お久しぶりです! ぴょこぴょこコンビで登場。
呼ばれて飛び出てジャジャジャ・ジャ~ンって、ノリですね。
インディのなんと19年ぶりの4作目ということなんですね。
映画が19年ぶりなら、インディ世界も前作「最後の聖戦」から19年経っているとい  う設定なんですね。
はい、だから実際インディはあれから19歳年を取っている・・・。正直、もう引退の年でしょう、いくらなんでもアクションは・・・。
と、思うものの、まだまだ健在ではありましたよ。
もともと学者なわけで、いろいろな謎を解く頭脳のきれがメインなんですから。
あれ、そうだったっけ?
人並み外れてタフなのは間違いないですね。
今回は、なんと核実験に巻き込まれても無事だったし・・・、あのような滝を3度も落ちても、平気。
いくらなんでも核を甘く見すぎだよなあ・・・。
放射能は、あのブラシでごしごし洗っただけで、終りなんですか・・・。
インディだけならまだわかるけど、一緒に滝を落ちた人たちも全員無事。
普通死にますよ・・・。
アンブレイカブルな人たちだなあ。
まあまあ、そういうお約束の映画なんだから・・・。
ともかくハリソン・フォードの老化を補う意味で、シャイア・ラブーフがアクションをがんばっていました。
そうだね、あの密林のカーチェイスはなかなかすごかった・・・。
高所恐怖症のワタシは、あの崖っぷちを疾走する二台の車のシーンはぞっとしました。さらに、その車の間をひらりひらりと飛び交って闘うマット。
・・・牛若丸って、感じ?
ちょっと、そのたとえはいくらなんでも苦笑されるよ・・・。
ジャングルのつたを使って飛び渡ったのだから、せめてターザンくらい言って。
シャイア・ラブーフって、あのトランスフォーマーに出ていたんですよね。
はい。このように時代は移り変わっていく・・・ということなんだなあ。19年もたつとね・・・。新旧交代の予感・・・。
さてしかし、それを受けて立つケイト・ブランシェットもすごかった。
よく、こんな役ひきうけましたよね。天下の大女優が。
彼女自身、ファンだったんじゃないでしょうかねえ・・・インディの。
ちょうどこれが米ソの冷戦時代が背景となっていまして。
その頃のアメリカから見たロシア・・・、あ違った、ソ連観そのものなんですね。
すごくにくにくしげに描かれている。
妙に共産主義も弾圧されていまして、ちょっぴりそのような風刺もありました。
さて、ラストはお約束のように、古代の迷宮へ入り込んでいく。
ほんっとに、彼らは物好きですよね。
ここから、生きて出られる可能性はかなり低いと思うのだけれど、いつも性懲りもなく、踏み込んでいく。
学習能力ないなあ・・・。相変わらず、ヘビは苦手だし。
虎穴にいらずんば、虎子を得ず、ってヤツですよ。
そこがインディのインディらしいところでしょ。常にチャレンジ!
ここに、世界中の超古代の秘宝がどっさりとありましたよね。しかし、すべて崩れさってしまう。
わー、もったいない。
なんていうとあの誰かさんみたいに、黄金を持ち出そうと欲張ったために、はかない最後を迎えるんですよ。
イヤ、黄金のことじゃなく、古代の文化遺産。貴重な資料という意味ですよ。その損失がもったいない。
結局古代の「呪い」も、「宇宙人」も同列なんだなあ・・・。結構時代背景を意識しているあたりは、もうご愛嬌ですかね・・・。
とにかく、面白い、ワクワクする、それがメインのお話なので、いいんじゃないですか?
まあ、そう思うことにします。
ラストで、マットがインディの帽子を拾いかけましたよね。
でも、やっぱりインディにとられちゃう。
まだまだ、現役引退のつもりはなし、ということです。
ハリソン・フォードの存在感。
やはり、これはバトンタッチなんかできませんよね。
どうあっても、インディ中心じゃなきゃこの作品は成り立たない。
仮にジュニアが主役になることがあったら、それは多分、別の題名じゃなければならないでしょう。
父親が未開の地へでかけたまま行方不明になり、それをさがしに行くマット・・・なんてところから話が始まる・・・。
これこれ、勝手に話をつくるなって。
ところで、浮気するみたいなんだけど、劇場でハムナプトラ新作の予告編も入っていまして。
こっちも面白そうですね。中国が舞台、というのは目新しいですよ。
兵馬俑の軍隊がそのまま動き出したりしている。
この刺激は一体どこまで行けば満足するのか?と思わなくもないですが、がんばっていただきたいものです・・・。

2008年/アメリカ/122分
監督:スティーブン・スピルバーグ
出演:ハリソン・フォード、シャイア・ラブーフ、ケイト・ブランシェット、カレン・アレン

「インディ・ジョーンズ/クリスタルスカルの王国」公式サイト


ダンス・ウィズ・ウルブズ

2008年07月06日 | 映画(た行)
(DVD)
これは1990年作品。
劇場公開後、しばらくして、テレビ放映を見た記憶があります。
これがまた、結構印象深く残っていたのですね。
ぜひとももう一度見たいと思いまして、このたびの鑑賞となりました。

舞台は南北戦争時、意図せずに「英雄」とされてしまったジョン・ダンバー中尉は、
自らの希望で西部の最前線の砦に向かいます。
砦とは名ばかりのあばら家には、しかし誰もいない。
彼はこれも任務として、そこに一人でとどまることにします。
とてつもなく広い大地にたった一人。
友は、愛馬のシスコと、なぜか時々やってくるはぐれ狼のツーソックス。

しばらくして、近くに村を構える、ネイティブ・アメリカンのスー族と出会います。
この出会いは双方及び腰。
これまでも、会えばお互い殺しあってきたネイティブ・アメリカンと白人です。
しかし、ある日ジョンが、怪我をした村の女性を助けたことから、交流が始まります。
まずは、言葉が全く通じないのですが、
実はこの女性、子供の頃に家族を他の部族に殺されさまよっていたところをこのスー族に拾われ、村の一員として生活していた。
ほとんど忘れかけていた英語を徐々に思い出し、通訳を務めたことから、双方の意思疎通がかなりスムーズになるのです。
孤独で話し相手もいない生活の中で、スー族との交流は彼に希望を灯します。
村に行き語り合い、時には共にバファローの群れを追い、
また時には、敵の部族と争いもする・・・、
このスー族との交流がかなり丁寧に描かれています。
そのため、この作品はほぼ3時間たっぷりの長さ。
実は更には4時間の拡大バージョンもあるとのこと。

ネイティブ・アメリカンの名前の付け方は、その人物の描写から来るのです。
「蹴る鳥」、「風になびく髪」、「拳を握って立つ女」・・・、
そして、ジョンに付けられた名前が「ダンス・ウィズ・ウルブズ」。
つまり、「狼と踊る男」です。
あるとき彼が、おなじみの狼「ツー・ソックス」と追いかけっこ(?)をしていたところを見られていたので・・・。
でも、いい名前ですね。
彼も、気に入ったようです。
そういえば、この狼の名前、前足の先のほうが白くて靴下を履いているように見えることから、ジョンが付けた名前なのですが、
ネイティブ・アメリカン流。
狼は普通群れで行動するのものだと思うのですが、ここでは一匹だけのはぐれ狼。
こんな人里はなれた荒野のど真ん中に、
たった一人で住んでいる、ジョンの身の上と重なるところがあります。

さて、このようにじっくり丁寧にジョンがスー族の生活になじんでいく過程を描いているには、実は理由があるのですね。
まもなく、砦に軍隊が戻ってくる。
彼らはスー族を狙ってくるに違いありません。
このとき、すでにジョンはスー族とともに生活しようと決心しているのですが、
砦に、彼の日誌を置いてきてしまった。
これを読まれたら、近辺にスー族がいることがばれてしまいます。
ところが日誌を取りに戻ったときにはすでに遅く、軍隊が駐留しており、
彼は反逆者として捕らえられてしまった。

このあたりから、観客は自分の心の中の変化に気付くはずです。
通常の西部劇なら、悪役はインディアン。
軍隊こそ正義の見方。
しかし、この映画のこの場面では、白人たちがとんでもない野蛮人に思える。
もう、私たちは、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」としてのジョンの心にすっかり同化しているのです。
このために必要な、「長さ」だったんですね・・・。

ずっと、彼の孤独を支えてきたシスコとツーソックスの運命も残酷です。
彼らとともに、白人としての「ジョン」も消滅したのではないでしょうか。

実際、考えてみれば先住民族を虐殺し、アフリカ大陸から無数の黒人を拉致し、大地を埋め尽くしていたバファローでさえ、絶滅寸前に追いやる。
・・・なんと野蛮な人種なのでしょうね。白人は。
まあ、日本人もえらそうなことは言えませんが。

自然と共に生き、家族、仲間を大事にする。
雄大な自然のなかで、その営みを続けてきた彼らに対して、取り返しのつかないことをしてしまった。
そのような自省をこめて作られた作品。
ますます、印象深く私の中に残ることになりそうです。

1990年/アメリカ/181分
監督:ケヴィン・コスナー
出演:ケヴィン・コスナー、メアリー・マクドネル、グレアム・グリーン

「小説以外」 恩田陸 

2008年07月05日 | 本(エッセイ)

「小説以外」 恩田陸 新潮文庫

先日「恐怖の報酬」というやはり恩田陸のエッセイを読み、
すっかり気に入ってしまった私は、当然、この本も手にしました。
彼女の書いた、まさに、小説以外、これまでに発表した全エッセイを集めたものです。
エッセイというよりは、本などの評論なども多いですね。
他の方の文庫本の解説とか。

そんな中で、改めて納得してしまったことが、多々あります。
初めの方にこんな文章がありました。

「決して楽ではない割にかわりばえのしない人生の、
私の最大の逃げ場は常に読書だった。
・・・・疲れた身体を目覚めさせ、現実から力ずくでひき離して別世界に引きずり込んでくれる、
それくらい面白い本だけが私の読書。」

ああ。私の読書観と同じ・・・。
私は常々自分の読書は現実逃避だと認識しておりますので・・・。
しかし、彼女の読書量は私など、全く足元にも及びません。
比べるだけヤボ。
特に、翻訳ものにおいては彼女はすごいですねえ。
それについても彼女は、
翻訳ものは、その物語世界に入り込むまでには、結構エネルギーを要する、
といっています。
まさしく、私が翻訳ものを苦手とするのはそこなんですね。
そこに入り込む前に、めげてしまうことも時々ある。
その、常より大きいエネルギーを要しながらも、あのすごい読書量は、尊敬に値します。

それから彼女の好きないろいろな作家が、結構私と重なることが確認できたのもうれしい。
彼女の作品のうち、
「根っこの部分で萩尾望都作品を下敷きにしているものがたくさんある」、
と告白しておりますが、
いえいえ、これは言われなくても、わかっていました・・・。
絶対そうだという確信がありました。

彼女はしばらくOLを続けながら小説を書いていた時期があったそうで、
このときは、職場では、小説を書いていることは内緒。
それで時々編集者から原稿の催促電話があったりすると、
ひたすら「はい、申し訳ありません。明日までに必ず・・・」などと、ひたすら謝る。
こんなことが何度もあって、
周りからは借金の催促を受けていると思われていたようだ
・・・などという、こんなエピソードも、楽しい。

この本を読んで、今までよりいっそう恩田氏に対しての理解共感期待が高まったと思います。
まだ、未読のものも多いのですが、早く文庫化していただければ・・・。

満足度★★★★★


奇跡のシンフォニー

2008年07月03日 | 映画(か行)

このように、初めから「お涙ちょうだい」狙いなのは、やや警戒してしまうのです。
泣かせればいいってモノじゃないでしょう・・・、という気がしまして。
しかし、飛んで火に入る夏の虫、とでも言いましょうか、
つい引き寄せられてしまうのですねえ・・・。

いまや、子役NO.1のフレディ・ハイモアが、孤児エヴァン役。
彼は、たった一晩の出会いで結ばれた、ロック・ミュージシャンのルイスと
チェリスト、ライラの間の子供なのです。
しかし、2人はその日互いの素性もわからないままに別れ別れになり、
おまけに、彼が生まれたときには、ライラには死産と告げられ、
ひそかに養護施設に預けられて成長したのです。
ただ、彼は両親の血を受け継いで、類まれな音楽の才能を身に付けていました。

麦畑を渡る風、かすかな風鈴の音、街の喧騒・・・、
彼にとってはすべてが音楽。
いつかきっと音楽が彼の両親を呼び寄せる。
そう信じているのです。

ある夜、彼は養護施設を脱走。
ニューヨークで、ストリートミュージシャンの子供たちを率いるウィザードという人物に拾われます。
・・・このあたり、「オリバー・ツイスト」を意識してませんかね。
オリバーがフェイギンに拾われるあたりとそっくり。
ウィザードとフェイギンがまた、そっくりなんですよね・・・。

とにかく、エヴァンはどこへ行ってもその才能を発揮し目立ちまくるので、
とうとう音楽院に見込まれ、そこで学び、
彼自身の作曲による狂想曲の指揮をとることになった。
運命に引き寄せられるように、シカゴにいたライラ、
サンフランシスコにいたルイスが同時にニューヨークに来ることになり、
いよいよその夜、エヴァンの野外コンサートで起こる奇跡!!

う~む、あらすじで書くと陳腐ですよね。
しかし、こんな都合のいい話なんかあるわけない、と言ってはいけないのです。
これは音楽が起こした奇跡のファンタジーなのです。
ここでいちゃもんを付けるのは、ハリー・ポッターに魔法なんていんちきだ、というのと同じ。
時には、こんな奇跡もあったらいいなあ・・・と、夢みるためのストーリー。
感動を呼ぶことも、映画の役割だと思うのですよね。
その意味ではピカイチの映画でした。

写真のシーンは、エヴァンとルイスが
双方親子だとは知らずに、ギターのセッションをするシーンです。
ここも、涙なくしては見られません。
それから当然ながら、音楽がまたすばらしいのです。
ロックがあって、クラシックがあって、ゴスペルなどもあって
・・・そして、さまざまな生活の音、自然の音。
ルイスとライラがそれぞれ別の場所で歌を歌い、チェロを弾くシーンがあるのですが、
それが、ぴったり重なって一つの音楽になっている、
そんなところはなかなか見所&聞き所。
そして、やっぱり、フレディ・ハイモアは只者じゃないです。
つい、彼の表情を追ってしまって、見とれている。
音楽に触れている時の彼は至上の笑み。
あの無邪気な笑顔がたまらないなあ・・・。
感動のラストはもう、涙涙・・・。
すっかり、術中にハマりました。
降参です。

これ、原題は、オーガスト・ラッシュなんですね。
エヴァンの芸名。
でも、これは、「奇跡のシンフォニー」の邦題が正解ですね。
オーガスト・ラッシュ(8月の興奮)では、情緒も何もあったものではない。

2007年/アメリカ/114分
監督:カーステン・シェリダン
出演:フレディ・ハイモア、ケリー・ラッセル、ジョナサン・リース=マイヤーズ、ロビン・ウィリアムズ、テレンス・ハワード

「奇跡のシンフォニー」公式サイト


「エデンの命題」 島田荘司 

2008年07月02日 | 本(ミステリ)

「エデンの命題」 島田荘司 カッパノベルス

先日この本を書店で見つけて、愕然としたのです。
これ、2005年の1月に出た本なんです。
自称島田荘司ファンとしては、新刊が出て、買わないわけがないのですが、
どうもこれは見落としていたみたいなのです。
・・・最低でも週に一度は本屋に行くのに・・・。
こんなこともあるんですねえ・・・、ちょっとショック。
まあ、それでも、今回偶然見つけて、ちょっと得をした気分ではあります。

さて、この本は最近島田氏が手がけている「21世紀本格」に属するといっていいでしょう。
最先端のテクノロジーをとりいれたミステリ。
2話収録されていまして、後半の「ヘルター・スケルター」は、まさに、
同じカッパ・ノベルスの「21世紀本格」に収録されていたもの。
こちらは読んでいます。

で、初めてお目にかかるのがこの「エデンの命題」。
クローン技術がテーマとなっています。
旧約聖書にて、神はアダムの肋骨からイブを作ったとされていますが、
クローン技術を用いたとして、それは可能か・・・?
そんな話が載っています。
主人公のザッカリ・カハネは、実はある人物のクローンで、
しかし、そのクローンとしてのコピーの段階で、狂いが生じ、
アスペルガー症候群となってしまった・・・という想定。
ちょっと怖いですね。
元の人物の、病気の時のための身体ストックとしてのクローン、
という設定は、「アイランド」という映画の中にもありました。
クローンといっても、きちんとした人格のある一人の人間ですから・・・。
そこが最大のネックなのですね。
まあ、今はまだそこまでの技術はない・・・、
いえ、本当にないのでしょうか。
実は、現実のものになっていて・・・なんていう話がありそうでいやだな・・・。
ところがこれは、ミステリ作品だけあって、実はちょっとしたダマシがあるのです。
眉にツバを付けて読むべし。

アスペルガー症候群の方は、「モーツァルトとクジラ」という映画の中にくわしい。
これは障害というよりは、極端な個性、というべきもののようなのですが、
この映画を見ると、結構理解が進みます。
どうも、島田氏の作品でいろいろ学習してしまう私です。

満足度★★★★


クレールの刺繍

2008年07月01日 | 映画(あ行)

(DVD)
先日見た「JUNO」に関連して、見たものです。
同じく10代の望まない妊娠というテーマ。
こちらは、とても地味ですが、深い映像でじっくりと描かれています。

クレールはスーパーで働く17歳の少女。
妊娠5ヶ月。
病院で勧められて、「匿名出産」をすることにします。
匿名出産とは、「マドモアゼルXの出産」ともいわれるもので、フランスにある制度。母親の身元を伏せたまま、産後すぐに子供を里子に出すという仕組みなんですね。
クレールは妊娠を職場仲間にも親にも告げることができない。
彼女は刺繍が好きで、本当はその道に進みたいと思っていた。
それで、刺繍職人のメリキアン婦人のアトリエを訪ね、そこで働くことになる。
メリキアン婦人の方は、愛する一人息子を事故で亡くしたばかり。
生を授かった女性と、失った女性。
・・・とはいえ、この2人に多くの会話はありません。
何しろセリフの少ない映画です。
2人をつなぐものは、刺繍作品。
向かい合い、一針一針糸を刺し、またはスパンコールを縫い込んでいく。
そんな穏やかな時が過ぎる中で、クレールの中の何かが変わっていく。
つまり、初めは妊娠という事実にただ戸惑うだけで、受け入れられなかったのでしょう。
おなかの中で、少しずつ子供が育っていることを実感しながら、
クレールの中で、生きることや愛の大切さの実感もまた、一緒に大きくなっていく。
なんというこの渋さ。
この作品に出てくる刺繍は、さすがフランス。
決してケバケバしくなく、緻密で繊細で、ゴージャスを漂わせながらもシック。
たとえて言えばいぶし銀。
まさに、この映画の印象ですね。

それを言うなら、JUNOはさしずめ、12色のクレパス。
同じ題材でも、こうも違う。
だから映画って面白い。

2004年/フランス/88分
監督:エレオノール・フォーシエ
出演:ローラ・ネマルク、マリアンヌ・アスカリッド