木々の葉が赤くなり、落ち葉が多い季節です。
落ち葉を見て何を思うのかは人それぞれです。
詩的なことを思ったり、懐かしい時を思い出したりするのかもしれません。
が、私の場合はごく理系的なことしか思わなかったりします。
「緑の葉っぱが赤くなってきたな~」
(思うこと)
学生の時に、葉緑素の中の鉄イオンが緑色なので、葉っぱは緑に見える。
そして、それが錆びて(酸化して)赤くなる。
葉っぱが赤くなるのも鉄が錆びて赤くなるのも同じだよな~。
「この季節は落ち葉が多いな~」
(思うこと)
葉っぱを維持するのにもエネルギーが必要で、葉っぱを冬の間維持するエネルギーと、春になって葉っぱを再生するエネルギーを比べて、再生するエネルギーの方が小さかったら葉っぱを落とすんだよな~。
冬の間も日射量がある程度あったら、葉っぱで作れるエネルギーも多くなるから、葉っぱを落とさなくなる日射量の境界がどこかにあるはずだよな~。
など、詩的なこととは程遠いことを考えてしまいます。
これが理系人間なのでしょうか?
落ち葉を見て何を思うのかは人それぞれです。
詩的なことを思ったり、懐かしい時を思い出したりするのかもしれません。
が、私の場合はごく理系的なことしか思わなかったりします。
「緑の葉っぱが赤くなってきたな~」
(思うこと)
学生の時に、葉緑素の中の鉄イオンが緑色なので、葉っぱは緑に見える。
そして、それが錆びて(酸化して)赤くなる。
葉っぱが赤くなるのも鉄が錆びて赤くなるのも同じだよな~。
「この季節は落ち葉が多いな~」
(思うこと)
葉っぱを維持するのにもエネルギーが必要で、葉っぱを冬の間維持するエネルギーと、春になって葉っぱを再生するエネルギーを比べて、再生するエネルギーの方が小さかったら葉っぱを落とすんだよな~。
冬の間も日射量がある程度あったら、葉っぱで作れるエネルギーも多くなるから、葉っぱを落とさなくなる日射量の境界がどこかにあるはずだよな~。
など、詩的なこととは程遠いことを考えてしまいます。
これが理系人間なのでしょうか?