一昨日の水曜日、“もうひとつの仕事"が終わった後、池袋に向かいました。
大好きなYAMATO String Quartetサンの"無料"ライブへ☆
池袋駅西口にあるグローバルリングでは、いつもいろんな音楽の催しがあり、素敵なステージなのでいつかあの場所に立ちたいなぁ…と思っているのですが!クラシックのみ?
鉄楽アンサンブルでいかがでしょうか?😁
いつも感謝のMKさんと。
整理券?だったかな?予約がすぐに埋まってしまったらしく、当日空席があれば座れます!というのに賭けてみました。
2人で別々の席になってしまったけれど、MKさんにお譲りいただき、前から5列目の好席で。
前の人の頭とか、座っている角度的に、石田さんしか見えません?みたいな席でした!笑。
来年30周年を迎えるYAMATO String Quartetサン。
初の野外コンサートだったみたいです☆
良き音楽に浸って来ました😊
大好きなご夫妻にもお会いできました🎶
では、本日の!
5月12日。
スティールパンで童謡唱歌(132)
『みかんの花咲く丘』
作詞:加藤省吾
作曲:海沼實
みかんの花咲く丘(みかんのはなさくおか)は、第2次世界大戦の終戦直後に生まれた、日本を代表する童謡の名作の1つです。
1946年のNHKラジオ番組『空の劇場』で発表されたそうです。
◎制作秘話!?曲は前日にできた!?!?!?(°_°)
当時、上記『空の劇場』の番組内で、東京・内幸町の本局と静岡県伊東市立西国民学校を結ぶラジオの「二元放送」が行われることになったそうで、放送には当時12歳で人気絶頂の童謡歌手であった川田正子サンが出演することになっていたそうな。
作曲家の海沼實サンが川田サンが歌う曲の作曲を任されていたんですって。
前日の24日になっても作品は仕上がっておらず、そこへ音楽の月刊雑誌「ミュージック・ライフ」編集長の加藤省吾サンが、川田サンの取材のため、海沼サンが滞在していた川田サン宅を訪ねた…と。
海沼サンは加藤サンに事情を説明し、必要な歌詞の大まかな流れを加藤サンに説明した上で、その場で作詞するよう加藤サンに求めたそうです。
加藤サンは、まず主題から検討して、放送の行われる静岡からイメージしたのは、みかんだったそう。
当時、『リンゴの唄』(サトウハチローサン作)が大ヒットしていたので、みかんの実を扱えば"二番煎じ"と嫌味を言われる恐れがあり、みかんの"花"にしたんですって。
海沼サンが指示した流れに、みかんの花が咲く情景を盛り込む形で、1番と2番にあたる部分を完成させ、3番も作るよう求められた加藤サンは、自らの体験を元に3番を書き足し、海沼サンの依頼から約30分で歌詞を完成させたとのこと。
原稿を受け取ると海沼サンはGHQで詞の検閲を受け、検印を受けるとすぐに伊東行きの列車に乗り、列車の中で作曲を始めた!…と。
車窓にみかん畑が現れる国府津駅付近でやっと前奏が浮かび、伊東線の宇佐美駅付近でようやく曲が完成したそうです!
宿に着くと海沼サンは、川田サンとともに入浴し、作ったばかりの旋律を口移しで川田サンに教えたそうな。
翌日の放送では川田サンはまだ歌詞を覚えておらず、海沼サンが名刺の裏に書いた歌詞を見ながら歌う、という慌ただしさであったそうですが、歌は日本全国に大反響を呼び、『みかんの花咲く丘』は、日本を代表する童謡作品となった!ということです。
へぇー、知らなかった!!!笑
◎私の最初のCD『Ja-Pan Melody』にも収録してあるこの曲。
以前にも書いたかもしれませんが、この曲こそが「つたないピアノ伴奏でいいぞ!!!w」と言われた曲です!笑。
CD『Ja-Pan Melody』に収録した『冬景色』以外のピアノ伴奏は、全部私がしまして…。何年か?何十年か?ぶりのピアノ演奏に指が動かず、リズムも均等ではなく…!
レコーディング中にお団子(お菓子?)を持って応援に来てくださった"ジェリー藤尾"サンが、ちょっと聞かせてごらん…と!
その時に聞いていただいたのが『みかんの花咲く丘』。
ブンチャッチャ、ブンチャッチャ、、、のリズムがつたなくて、味があっていいぞ!と笑いながら言われたことを今でも覚えていますし、自分のCDを聞くたびに思い出します。
当時CD制作にご協力くださったNGSW会長はじめ、エンジニアサン、スタジオを貸してくださった稲毛の施設の皆々様、演奏サポートしてくださったミュージシャンサンに、楽器を貸してくださったFKHRサンに…
泊まり込みで母も応援してくれたり。
たくさんの方々のおかげでできたCD☆
今も大好評発売中です!…って宣伝するつもりじゃなかったけど、そんな流れになってしまった!!!ガハハ!笑。