原題:『L'Avenir』 英題:『Things to Come』
監督:ミア・ハンセン=ラヴ
脚本:ミア・ハンセン=ラヴ
撮影:ドニ・ルノアール
出演:イザベル・ユペール/アンドレ・マルコン/エディット・スコブ/ロマン・コリンカ
2016年/フランス・ドイツ
好みの哲学と「行動原理」について
時代設定は二コラ・サルコジがフランスの大統領時代だから2007年から2012年頃である。おそらく主人公のナタリー・シャゾウ―が通勤途中で読んでいるハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー(Hans Magnus Enzensberger)の『過激な敗者(Le Perdant Radical)』が2006年に出版されているから2007年頃だと推測できる。ナタリーは高校で哲学を教える教師であるが、その高校は学生運動でバリケードが張られている状態で、彼女の教え子でさえなかなか中に入れてもらえない。
ナタリーが学生に教えているものはフランスの哲学者のジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)の『社会契約論(Du Contrat Social ou Principes du Droit Politique)』で、ドイツの哲学者であるテオドール・アドルノ(Theodor Adorno)の入門書にも携わっているのであるが、売れ行きが悪いため新版の話はなくなってしまう。その他にはエマニュエル・レヴィナスの『困難な自由(Difficile liberté)』やウラジーミル・ジャンケレヴィッチ(Vladimir Jankélévitch)の『死(La Mort)』などを読んでおり、比較的オーソドックスなものであろう。それに対して同じ哲学教師で夫のハインツはアルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)の『意志と表象としての世界(Die Welt als Wille und Vorstellung)』やフリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)の『曙光(The Dawn)』などを読んでいるところから実存主義であり、その延長上の浮気なのであろう。一方で、ナタリーの教え子でグルノーブル大学で哲学を教えているファビアンもレイモン・アロン(Raymond Aron)やスラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek)を愛読し、ナタリーにギュンター・アンダース(Günther Anders)の『時代おくれの人間(The Outdatedness of Human Beings)』を貸したりしており、実存主義系であるためにナタリーが「保守的」に見えるのであろう。
しかしそもそも数年前にナタリーが夫と幼い2人の子供たちと共に訪れたサン・マロ沖(Saint-Malo)のグラン・ベ島(Grand Bé)に埋葬された作家のシャトブリアン(Chateaubriand)はロマン主義文学の先駆者であり、どうもここには哲学が「ロマン」でブレたという皮肉が込められているように感じる。アドルノの入門書は絶版になったのにアドルノと『啓蒙の弁証法(Dialektik der Aufklärung)』という共著を出しているマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の入門書は継続して出版されるところからもそう捉える次第ではあるのだが、そんなナタリーでさえ精神疾患を患った母親のイヴェット・ラヴァストゥルを無視するわけにはいかず、必然的に介護という「実存」の問題に関わらざるを得ないのである。