MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ペット』

2016-08-21 00:52:34 | goo映画レビュー

原題:『The Secret Life of Pets』
監督:クリス・ルノー/ヤーロー・チーニー
脚本:ブライアン・リンチ/シンコ・ポール/ケン・ドーリオ
出演:ルイ・C・K/エリック・ストーンストリート/ケヴィン・ハート/エリー・ケンパー
2016年/アメリカ

「おもちゃ」と「ペット」の「密かな日常」の違いについて

 正直何が面白いのか分からなかった。原題は「ペットたちの密かな日常」というものだが、それは例えば、『トイ・ストーリー』(ジョン・ラセター監督 1995年)において子供たちがいない間、おもちゃたちは何をしているのかという話と変わらないと思うからである。『トイ・ストーリー』を制作したピクサー・アニメーション・スタジオのアイデアを「おもちゃ」を「動物」に代えてユニバーサル・スタジオ傘下のイルミネーション・エンターテインメントが制作したようにしか見えないのであるが、だからと言ってストーリーにさらなる工夫が施されている訳でもなく、その無難な物語の流れに、子供は騙せても大人は騙せないように思うのだが、世界的に大ヒットしている理由はマックスやデュークなどのキャラクターそのものは悪くないからであろう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ファインディング・ドリー』

2016-08-20 00:19:47 | goo映画レビュー

原題:『Finding Dory』
監督:アンドリュー・スタントン/アンガス・マクレーン
脚本:アンドリュー・スタントン/ヴィクトリア・ストラウス
撮影:ジェレミー・ラスキー
出演:エレン・デジェネレス/アルバート・ブルックス/ヘイデン・ローレンス
2016年/アメリカ

冒険の「さじ加減」について

 主人公のナンヨウハギのドリーが両親を探すために猪突猛進できる理由は健忘症という病を抱えているからだと思うが、それは本作の前に上映される短編アニメーション『ひな鳥の冒険(Piper)』(アラン・バリラーロ監督 2016年)の主人公のシギのひな鳥が自分自身で餌を取るために海の水を少しずつ克服していく姿と対照性を成す。
 そうなるとエンドクレジット後に現われる観賞魚のギルが率いる「タンク・ギャング」たちはどのような意味を持つのか勘案するならば、歯科診療所の水槽から脱出するものの、その後約1年間入れられていた袋から出られないまま海をさまよい、ようやくカリフォルニアのモロ・ベイにたどり着いた矢先に人間に捕えられてしまう有様を見た時、私たちはやはり「袋」の中で楽に冒険するよりも、ドリーはやりすぎの感はあるものの成長するためには多少は危ない目に遭うべきだというメッセージを受け取るのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュリア・マーガレット・キャメロンとD・W・グリフィス

2016-08-19 00:08:19 | 美術

 東京都丸の内にある三菱一号館美術館では写真家の『ジュリア・マーガレット・キャメロン』の

展覧会が催されている。ジュリア・マーガレット・キャメロン(Julia Margaret Cameron)は

1815年インドのカルカッタ生まれのイギリス人であるが、写真家としてのキャリアは1863年、

彼女が48歳の時からで活動期間は約12年である。

 彼女の写真を見ていると、アメリカの映画監督のD・W・グリフィス(D. W. Griffith)の

カットを想起させる。例えば、下の脈絡のない写真を並べて見てみる。


(『十字架の影(The Shadow of the Cross)』1865)


(『献身(Devotion)』1865)

 まるでD・W・グリフィスが撮った『イントレランス(Intolerance)』(1916年)で使用された

モンタージュを思わせるのである。


(『イントレランス』のメエ・マーシュ(Mae Marsh)

 あるいは群衆の写真なども、初期のサイレント映画のカットを彷彿とさせるのであるが、

グリフィスなどがジュリア・マーガレット・キャメロンから影響を受けたという証拠は

今のところないようである。


(『五月祭(May Day)』1866)


(『夏の日(Summer days)』1866)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『居酒屋ゆうれい』

2016-08-18 00:56:12 | goo映画レビュー

原題:『居酒屋ゆうれい』
監督:渡邊孝好
脚本:田中陽造
撮影:藤澤順一
出演:萩原健一/室井滋/尾藤イサオ/山口智子/八名信夫/三宅裕司/西島秀俊/橋爪功
1994年/日本

 「ゆうれい」だけにはこだわる演出について

 本作の見どころがどこにあるのかと思案するならば、主人公の壮太郎の妻のしず子が亡くなった後になって嫉妬から幽霊となって壮太郎の前に現われたことと、円山応挙の作と言われる幽霊画の掛け軸だけではなく、壮太郎の兄の豊造が弟のお見合い相手として紹介しようとしていた里子がお見合い前から壮太郎の前に幽霊のように現れたり、壮太郎が営む居酒屋「かづさ屋」の客の一人である佐久間の娘の理恵や、常連の寺岡辰夫が連れてきた元女房のカスミの唐突な出現など、本作に登場する女性の誰もが多少なりとも「幽霊性」伴っているくらいで、ストーリーそのものはテレビドラマの域を超えていない。壮太郎が寺岡が関わっている野球賭博の賭け元の連絡先をどのように知ったのだろうか?
 本作の脚本は『夏の庭 The Friends』(相米慎二監督 1994年)と同様に田中陽造が担っており、シリアスなドラマはともかくこのようなコメディー作品は不得手ではないのかと感じた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『夏の庭 The Friends』

2016-08-17 00:05:48 | goo映画レビュー

原題:『夏の庭 The Friends』
監督:相米慎二
脚本:田中陽造
撮影:篠田昇
出演:三國連太郎/坂田直樹/王泰貴/牧野憲一/戸田菜穂/根本りつ子/淡島千景
1994年/日本

「武勇伝」にならない戦争体験について

 主人公の傳法(でんぽう)喜八の心情は理解できる。無垢な子供たちに自身の戦争体験を語る時、それがまだ「武勇伝」であるならば体裁をとりつくろうことも出来るが、フィリピンのジャングルで敵に居場所を告げ口されないように老人や女性や子供を殺し、さらにその女性が妊娠していたとするならば、もはや戦争体験ではなくただの殺人でしかない体験を子供たちにどのように語ればいいのか誰にも分からないだろう。
 それは語れないだけではなく、喜八の人生そのものを左右してしまう。身重の女性を殺しておきながら自身は身重の妻と幸せに暮らす訳にはいかないはずで、喜八は過去に囚われたまま、妻だった古香弥生は過去を忘れて生きていくことになる。弥生の孫の近藤静香に自分が祖父だと告白することを喜八がためらうのも、それを認めれば人殺しの孫になってしまうからであろう。
 本作を観る限り、相米慎二監督は女の子の扱いは上手いが男の子の扱いには慣れていないように感じた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『クリーピー 偽りの隣人』

2016-08-16 00:13:14 | goo映画レビュー

原題:『クリーピー 偽りの隣人』
監督:黒沢清
脚本:黒沢清/池田千尋
撮影:芦澤明子
出演:西島秀俊/竹内結子/川口春奈/東出昌大/藤野涼子/香川照之
2016年/日本

フィルム・ノワールのあり方について

 かつて刑事だった主人公の高倉が今では犯罪心理学を大学で講義するようになった理由は、目を離した隙に取り調べ中の犯人を逃亡させてしまい署内で殺人事件が起こった責任を取ったためであろう。確かにそのようなことが全く無いことは無いととりあえず納得はできるものの、高倉が妻の康子と共に新居に引っ越してきたあたりから様子がおかしくなってくる。
 そのおかしくなる「様子」というのは必ずしも高倉家の隣に住む西野のことではない。西野の様子がおかしいことは予告編の段階から既に観客には承知のはずで、ここで言う「様子」とはストーリーそのものである。例えば、西野が通報してやって来た警官が高倉は連れて行くのに、通報した西野を参考人として連れて行こうとしないのは不自然であろうし、既にドラッグ中毒だった康子が背後から夫の高倉の手に注射を打つのであるが、何故か高倉は自分の手に注射が打たれていることを自分の目で確かめるまで気がつかない鈍感さなのである。
 あるいはラストで高倉家で飼われていたラブラドゥードル犬のマックスを射殺するように西野が高倉に拳銃を渡すのであるが、何事にもあれほど用心深い男だった西野にしては余りにも軽率すぎる行動をどのように理解すればいいのだろうか。
 しかしこれらの「様子」のおかしさはあるシーンを境に腑に落ちるのである。それは高倉と康子と澪を伴って西野が車に乗って引っ越し先を探すところである。ブルーバックスクリーンを用いたこの色あせたシーンを挟むことで観客はあることに気がつく。例えば、IVC(アイヴィシー)などからリリースされているフリッツ・ラングやマービン・ルロイ監督作品の昔のモノクロのB級フィルム・ノワールなどを観てみれば、ストーリーの設定の緩さが本作と同じようなレベルであることに気がつくであろう。つまり本作はフィルム・ノワールというジャンルの「批評」として機能しているのである。傑作といっていいと思うが、前作『岸辺の旅』(2015年)に引き続き130分という2時間を超えた上映時間を映画批評家の蓮實重彦は絶対に許さないと思う、というよりも2時間を超える上映時間の作品をはっきりと否定した以上、教え子だからという理由だけで許しては本人のためにならないし、実際になっていないと思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』

2016-08-15 00:06:17 | goo映画レビュー

原題:『Trumbo』
監督:ジェイ・ローチ
脚本:ジョン・マクナマラ
撮影:ジム・デノールト
出演:ブライアン・クランストン/ダイアン・レイン/ヘレン・ミレン/ルイ・C・K
2015年/アメリカ

70年後のアメリカの「コミュニスト」について

 主人公で脚本家のダルトン・トランボが下院非米活動委員会による第1回聴聞会の裁判費用として俳優のエドワード・G・ロビンソンから資金を調達する際に、絵画コレクターのロビンソンはフィンセント・ファン・ゴッホの『タンギー爺さん(Portrait of Père Tanguy)』を売るのであるが、ゴッホが印象派の画家仲間から浮いていたように、印象派作品のコレクションの中からゴッホの作品が売り払われてしまうという行為自体が、その後のトランボの運命を暗示しているようである。
 結局、トランボの再起に手を貸したのが「理屈」ではなく、当時43歳の売れっ子俳優のカーク・ダグラスと一年年下のアメリカ大統領のジョン・F・ケネディの「若さ」とオットー・プレミンジャーという「外国人」だったところは興味深い。
 ヘッダ・ホッパーがどうしてあそこまで影響力を持てたのかいまひとつピンとこないのであるが、現在、2016年アメリカ合衆国大統領選挙の共和党大統領候補がロシアのプーチン大統領と相思相愛でなおかつ自身と名前が似ている(Trumbo≒Trump)ことをトランボはどのように思うのであろうか?
 『ローマの休日』の原題である「Roman Holiday」には深い意味があるのだが、以下の指摘を記しておきたい。「バイロン(George Gordon Byron)の詩(『チャイルド・ハロルドの巡礼(Childe Harold's Pilgrimage)』)からとられた『他人の犠牲のうえで楽しむ娯楽』や『虚飾』という意味の慣用句 Roman Holiday をタイトルにした、ハリウッドのレッド・パージされた左翼系脚本家の教養をうかがわせる皮肉なタイトルの『ローマの休日』である。」(『新・目白雑録もっと、小さいこと』金井美恵子著 平凡社 2016.4.15 p.210)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『卍(まんじ)』(1964年)

2016-08-14 00:48:44 | goo映画レビュー

原題:『卍』
監督:増村保造
脚本:新藤兼人
撮影:小林節雄
出演:若尾文子/岸田今日子/船越英二/川津祐介/山茶花究/三津田健
1964年/日本

克服できない「西洋コンプレックス」について

 夫の柿内孝太郎が大学の研究室を出て大阪にあるビルに弁護士事務所を開業したことから、実家を離れ桜橋の女子美術学院に通うようになった主人公の柿内園子は日本画を学んでいる。ある日、楊柳観音を描いていると校長先生がやって来て園子が描いている観音の顔がモデルに似ていないと指摘され、園子は「理想」の顔を描いているのだからモデルには似ていないと答えるのであるが、その顔は園子が親しくしている徳光光子の顔なのである。
 光子と園子は同性愛者だと噂されるようになるが、正確を期するならば光子はバイセクシャルである。光子が園子と同じ学校で西洋画を学んでいることから分かるように、本作は園子の「西洋コンプレックス」が描かれており、光子の婚約者として突然現れる綿貫栄次郎の存在や、夫の柿内孝太郎までもが光子に夢中になり、最後まで園子は光子を自分のものにできない。そしてそれは意外にも原作のテーマとは正反対なプラトニズムなのであり、脚本を担った新藤兼人が冴えを見せる。ラストのカットとヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)
の作品を比べてみよう。


(『真珠の耳飾りの少女(Girl with a Pearl Earring)』1665)

 園子は失敗したのだが監督の増村保造は「西洋コンプレックス」を克服できたのであろうか。いずれにしても日本画を学んでいる柿内園子を岸田今日子に演じさせ、西洋画を学んでいる徳光光子を若尾文子に演じさせるキャスティングは絶妙だと思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内村航平の記者会見

2016-08-13 00:09:09 | Weblog

内村2連覇 垣間見えた頂点を争った2人の友情 ベルニャエフ「無駄な質問だ」
ベルニャエフ2位にウクライナでは不満爆発 採点に不服

 メダリスト会見で内村航平は次のように訊かれたようである。「最後のあなたのパフォーマンスは

とても感動的なものだったが、あなたは0.1ポイント差で勝った。この差が大きすぎると思いま

せんでしたか? 審判員たちから「同情」されたと感じませんでしたか?(Your performance in

the last event was very impressive, but you won by one tenth of a point. Don’t you have

any doubt that this difference is too much? Don’t you feel you have sympathy from referees?)」

 これは質問をまとった「告発」で、審判員たちは内村を、彼の名声やこれまでの実績により甘めの

採点をつけて選んだのではないかというものである。この質問に対して内村航平は「僕が審判に

気に入られてるってことですよね?(Have I been shown favor?”)」と捉えて質問に答えている。

内村の解釈は正確ではないのだが、通訳は正確に訳しており、そもそもこの質問は内村では

なく審判団に対して向けられなければならないのだからこれ以上は何とも言えない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョルジュ・ブラックの作風

2016-08-12 00:08:16 | 美術

 現在、東京都美術館で催されている『ポンピドゥー・センター傑作展』ではキュビスムの礎を

築いたジョルジュ・ブラック(Georges Braque)の初期のフォーヴィスム的な作風の

『レック湾(Le Golfe des Lecques)』(1907年)を観ることができる。

 一作品で判断する訳にはいかないではあろうが、この作品にはフォーヴィスムと同時に

ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)的な筆致も彷彿とさせる。つまりジョルジュ・ブラックは

フォーヴィスムとセザンヌの作風の組み合わせに、さらにパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の

筆致を「注入」したことでソリッドな独自の作風を築き上げたと言えると思うのだが、

初期の作品に見られた艶やかな色合いが無くなってしまったことは惜しまれる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする