MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『卍(まんじ)』(1964年)

2016-08-14 00:48:44 | goo映画レビュー

原題:『卍』
監督:増村保造
脚本:新藤兼人
撮影:小林節雄
出演:若尾文子/岸田今日子/船越英二/川津祐介/山茶花究/三津田健
1964年/日本

克服できない「西洋コンプレックス」について

 夫の柿内孝太郎が大学の研究室を出て大阪にあるビルに弁護士事務所を開業したことから、実家を離れ桜橋の女子美術学院に通うようになった主人公の柿内園子は日本画を学んでいる。ある日、楊柳観音を描いていると校長先生がやって来て園子が描いている観音の顔がモデルに似ていないと指摘され、園子は「理想」の顔を描いているのだからモデルには似ていないと答えるのであるが、その顔は園子が親しくしている徳光光子の顔なのである。
 光子と園子は同性愛者だと噂されるようになるが、正確を期するならば光子はバイセクシャルである。光子が園子と同じ学校で西洋画を学んでいることから分かるように、本作は園子の「西洋コンプレックス」が描かれており、光子の婚約者として突然現れる綿貫栄次郎の存在や、夫の柿内孝太郎までもが光子に夢中になり、最後まで園子は光子を自分のものにできない。そしてそれは意外にも原作のテーマとは正反対なプラトニズムなのであり、脚本を担った新藤兼人が冴えを見せる。ラストのカットとヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)
の作品を比べてみよう。


(『真珠の耳飾りの少女(Girl with a Pearl Earring)』1665)

 園子は失敗したのだが監督の増村保造は「西洋コンプレックス」を克服できたのであろうか。いずれにしても日本画を学んでいる柿内園子を岸田今日子に演じさせ、西洋画を学んでいる徳光光子を若尾文子に演じさせるキャスティングは絶妙だと思う。


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