原題:『X-Men: Apocalypse』
監督:ブライアン・シンガー
脚本:サイモン・キンバーグ
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
出演:ジェームズ・マカヴォイ/マイケル・ファスベンダー/ジェニファー・ローレンス
2016年/アメリカ
理想主義に隠れた「コンプレックス」について
紀元前3600年頃の古代エジプトがアポカリプスという名のミュータントによって支配されていたというストーリー設定は『ウルトラセブン』の第42話の「ノンマルトの使者」を思い出させるが、クーデターには遭ってもさすがにミュータントが地球人に滅ぼされるというような話にはならない。
そのアポカリプスが1983年に目覚め、冷飯を食わされているミュータントを集めて再び世界を征服しようと企てるのであるが、オロロ・モンロー(ストーム)、エンジェル、サイロックと共にエリック・レーンシャー(マグニートー)が加わってしまう原因は妻のマグダと娘のニーナが殺されてしまうからである。チャールズ・エグゼビア(プロフェッサーX)がアポカリプスが示す「理想郷(ユートピア)」に一瞬だとしても心を奪われてしまう理由は、そのような格差や事件や事故がこの世から無くなるからなのだが、それは危険な理想主義なのである。
適度な前衛感を醸しつつ最後まで飽きさせない演出は、さすがブライアン・シンガー監督といったところだが、時代設定を1983年にした理由は、ただ単純にメタリカ(Metallica)の「ザ・フォー・ホースメン(The Four Horsemen)」とユーリズミックス(Eurythmics)の「スイート・ドリームス(Sweet Dreams (Are Made of This))」がリリースされた年だからだと思う。