MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

ヴェネツィア・ルネサンス

2016-08-11 00:02:45 | 美術

 国立新美術館で催されているのは『ルノワール展』だけではなく、『ヴェネツィア・ルネサンスの

巨匠たち(Venetian Renaissance Paintings)』も開かれているのだが、『ルノワール展』の混雑に

比べればゆっくりと観ることができたことが良いのか悪いのかはまた別の話ではある。確かに

『ルノワール展』の全体的なカラフル感と比較して『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』展の

全体的に茶色っぽく暗い感じは人を引き寄せない原因ではある。

 ヴェネツィア派(Venetian School)はヤーコポ・ベッリーニ(Jacopo Bellini)とジョヴァンニ・ベッリーニ

(Giovanni Bellini)の父子を中心とした美術の流派であるが、フィレンツェ派(Florentine School )の

レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)やミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo

Buonarroti)のようなデッサンの緻密さと比較するならば、敢えて荒く大胆な構図を特徴としており、

ルノワールが描く顔については既に書いた通りなのだが、ヴェネツィア派の画家たちが

描く人物の顔もそれほど上手い訳ではない。


(『聖母子(Madonna of the Red Cherubims)』 ジョヴァンニ・ベッリーニ 1485)

 例えば、上の作品は人物画の基本的な構図は変わらないものの、聖母子の上に描かれている

赤い頭の天使たちが「過剰」な描写の特徴を形成している。


(『動物の創造(The Creation of the Animals)』 ヤコポ・ティントレット 1550-53)

 あるいはヴェネツィア派の巨匠の一人とされているヤコポ・ティントレット(Jacopo Tintoretto)

の代表作である『動物の創造』のダイナミズムは、さしずめ「硬派」なマルク・シャガール

(Marc Chagall)と形容できるであろう。年代的には逆なのだけれど。


(『ワイングラスを掲げる二人の肖像(Double Portrait with a Glass of Wine)』1917-18
本作は現在東京都美術館で催されている『ポンピドゥー・センター傑作展』で観られる)


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ルノワールの「顔」について

2016-08-10 00:12:48 | 美術

 ピエール=オーギュスト・ルノワールは主に肖像画家として名を馳せているはずだが、例えば

現在、国立新美術館で催されている『ルノワール展』の一章と二章で並べられている肖像画は

決して上手い作品とは言えず、特に『陽光の中の裸婦(Étude Torso Lumière du Soleil Effet )』

(1976年頃)で描かれている女性の顔は酷い。

 しかしこの作品の正式タイトルは「エチュード、トルソ、太陽の光の効果」というもので、

実験色の濃いものである。

 そのようなことを考えながら観ていて気付いたことがある。それはルノワールが描いている

人物の顔が似ていることである。例えば、『ジュリー・マネー、あるいは猫を抱く子ども

(Portrait de Julie Manet)』(1887年)と『ピアノを弾く少女たち(Jeunes Filles au Piano)』

(1892年)の少女たちの顔を見比べてみるならば、その類似性に驚かされるだろう。

 このようにルノワールが描く少女たちの「カエル顔」が気になるのであるが、ルノワールが

描いたリヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)の肖像画(1882年)を見たワーグナーの

妻のコジマ(Cosima)が「とても奇妙な成果(very strange result)」と評した理由が

ここにあるようにも思える。いずれにしてもルノワールの肖像画は緻密な描写の上手さではなく、

全体的な構図の中で魅力が浮かび上がるということで正に印象派と呼ばれるのであり、風景画の

中に上手く人物の顔を溶け込ませた集大成が『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』であろう。


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『田舎のダンス』と『都会のダンス』

2016-08-09 00:16:36 | 美術

 約6年振りに国立新美術館で催されている『ルノワール展』において『ムーラン・ド・ラ・ギャレット

Bal du moulin de la Galette)』(1876年)と同等の呼び物となる作品は『田舎のダンス

(Danse à la campagne)』と『都会のダンス(Danse à la ville)』(共に1883年)だと思う。

 この2作品を見比べられる展示がいいのである。実物を見ないと細かな違いがよく分からない

のであるが、屋外で踊る『田舎のダンス』が見物人もおり、女性の表情が豊かで帽子や扇子など

小物も使われ温かな色使いであるのに対して、室内で踊る『都会のダンス』は2人きりで表情も

崩すことなくドレスも真っ白で余分な装飾品も無く全体的にクールな印象だった。


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ルーシェイとホックニー

2016-08-08 00:18:01 | 美術


(『Standard Station (Red)』 Ed Ruscha 1966)

 東京ステーションギャラリーで催されている「12 Rooms 12 Artists」で最高の収穫は

エド・ルーシェイ(Edward Ruscha)の存在を知ることができたことで、ルーシェイの作品は

アンディ・ウォ―ホル(Andy Warhol)やロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)の

作風のみならず、エドワード・ホッパー(Edward Hopper)の作品のような物悲しさも感じられて、

要するに20世紀のアメリカのモダン・アートの集大成のような作風なのである。

 アメリカ人のエド・ルーシェイとイギリス人のデイヴィッド・ホックニー(David Hockney)は

奇しくも同じ1937年生まれで、この2人が20世紀モダン・アートの最後の生き証人であろう。


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『ファクトリー』(2003年)

2016-08-07 00:38:29 | 美術

 東京ステーションギャラリーで催されている「12 Rooms 12 Artists」では台湾出身の

アーティストである陳界仁(チェン・ジエレン Chen Chieh-jen)の2003年のヴィデオ作品

『ファクトリー(Factory)』(30分50秒)を観ることができる。

 このサイレント作品は実際に7年前まで稼働していた織物工場を使って撮影されている。椅子や

机などが乱雑に残されたままになっている工場内をかつて働いていた女性たち(?)が整理整頓

している様子や、昼の休憩時間にそれぞれの作業台にうつ伏せで眠る状況を再現しながら、

冒頭ではかつて活況を呈していた頃のモノクロの記録映像と、ラストにおいては椅子が整然と

並べられた人影の無い場所で大型の株価ボードの数字だけが動いている様子が映し出され、

その狭間で翻弄させられた女性従業員たちの戸惑いがあぶり出されるのである。


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『ダーク・プレイス』

2016-08-06 00:23:03 | goo映画レビュー

原題:『Dark Places』
監督:ジル・パケ=ブレネール
脚本:ジル・パケ=ブレネール
撮影:バリー・アクロイド
出演:シャーリーズ・セロン/ニコラス・ホルト/クロエ=グレース・モレッツ
2015年/フランス・イギリス・アメリカ

 誰もが持つ「心の闇」について

 とりあえず予測不可能なミステリーとして十分楽しめるものにはなっている。その上で、改めて思い返してみるならば、主人公のリビー・デイが終身刑で収監されている兄のベン・デイに面会した際に、何故ベンはリビーに自分が無実であると告白したのか疑問が生じる。ベンが罪を被った理由は、当時恋人だったディオンドラと娘のクリスタルを守るためだったはずで、告白することでリビーが真相を追求してバレてしまうことは、リビーの性格を知っているベンには分かっていたはずだからである。
 それでもベンがリビーに自分が無実であると告白した理由を勘案するならば、娘のクリスタルが自分の本当の子供ではないという疑念が心のどこかに引っかかっていたのかもしれず、はっきりしたことは明かされないものの、それが原題の「ダーク・プレイシス」という複数形の所以なのかもしれない。


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『シークレット・アイズ』

2016-08-05 00:19:49 | goo映画レビュー

原題:『Secret in Their Eyes』
監督:ビリー・レイ
脚本:ビリー・レイ
撮影:ダニー・モダー
出演:キウェテル・イジョフォー/ジュリア・ロバーツ/ニコール・キッドマン/ディーン・ノリス
2015年/アメリカ

ポスターが示す「伏線」について

 本作の元となっているアルゼンチン映画『瞳の奥の秘密』(フアン・ホセ・カンパネラ監督 2009年)が傑作だっただけに、それを超えることはなかなか困難で、「ジュリア・ロバーツとニコール・キッドマンの無駄遣い」という作品評は納得するしかない。
 主人公の元FBI捜査官であるレイ・カステンとかつてFBIで同僚だったジェス・コッブと地方検事補のクレア・スローンの「三角関係」が特別どうこうする訳でもなく、作品の性格上詳細に言及することは避けるが、一番気になった点はジェスが犯人を見つけるために座っていたカフェの壁に掛かっているポスターに1958年のロサンゼルス・ドジャースの「Obey The Rules(ルールに従え)」と書かれていたことなのだが、それがラストで明らかになるジェスが抱えていた「意志」の暗示だったのかたまたまだったのかはよく分からないのではあるが、『ブルックリン』(ジョン・クローリー監督 2015年)では創設から1957年まで拠点としていたニューヨークのドジャースについて語られており、「obey」とは本来そういう意味なのである。


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『ブルックリン』

2016-08-04 00:03:47 | goo映画レビュー

原題:『Brooklyn』
監督:ジョン・クロウリィ
脚本:ニック・ホーンビィ
撮影:イヴ・ベランジェ
出演:シアーシャ・ローナン/エモリー・コーエン/ドーナル・グリーソン/ジム・ブロードベント
2015年/アイルランド・イギリス・カナダ・アメリカ

故郷を愛せない理由について

 1950年代のアイルランドの小さな町に住む主人公のエイリシュ・レイシーには仕事が無く、日曜日だけミス・ケリーが営む雑貨屋を手伝っていたのだが、ケリー夫人の性格の悪さに辟易していた。その上、決して容姿端麗とは言えないエイリシュは友人のナンシーのようにモテる訳でもなく、姉のローズ・レイシーの勧めもあってついにアメリカのニューヨークへ移住することを決める。
 高級デパートで売り子として働き始めるものの、ホームシックにかかってしまうのであるが、フラッド神父に勧められてブルックリン大学の夜間の会計士コースで勉強することにする。イタリア系移民のアンソニー・フィオレロと1952年4月公開の『雨に唄えば』(ジーン・ケリー/スタンリー・ドーネン監督)を一緒に観に行くなどして交際するようになり、生活が安定してきた矢先に姉のローズが1952年7月1日に突然亡くなってしまう(2人の父親はその5年前に亡くなっている)。ローズは自身の病気を知っていてエイリシュを旅立たせたのだった。
 約一カ月過ぎてようやくエイリシュは地元に戻ってこれたのであるが、久しぶりに帰郷してみると成長したエイリシュに対して周囲の人々はとても優しかった。会計士の資格を取っていたエイリシュはすぐに仕事があてがわれて、再会したジム・ファレルと親密になりかけた時、ケリー夫人に呼び出され、エイリシュが既婚者であることをバラすと仄めかされる。その時、エイリシュは目が覚めるのである。所詮ここでは自分はローズの代わりでしかなく、皮肉にもケリー夫人の性格の悪さがエイリシュに、自分自身の人生を歩むためにはブルックリンに戻らなければならないことに気づかされるのである。
 『ヤング≒アダルト(Young Adult)』(ジェイソン・ライトマン監督 2011年)同様に、本作においても故郷が良く描かれない理由は、もしも居心地の良い故郷であるならば、そもそも故郷を捨てるはずがないからである。


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『ロスト・バケーション』

2016-08-03 00:58:59 | goo映画レビュー

原題:『The Shallows』
監督:ジャウム・コレット=セラ
脚本:アンソニー・ジャスウィンスキー
撮影:フラビオ・ラビアーノ
出演:ブレイク・ライヴリー/オスカル・ハエナダ/アンジェロ・ロザーノ・コルソ
2016年/アメリカ

確実に拡大している女性の活躍の度合について

 主人公でインターンのナンシー・アダムスは2016年4月に学校を休んでアメリカのテキサス州から友人とサーフィンをしにメキシコの秘境を訪れていたが、二日酔いの友人を残して一人でサーフィンに出かけた。たまたま秘境のそばに住んでいるカルロスの車に乗せてもらって行ってみると既に2人のサーファーが波乗りをしていた。
 そろそろ夕刻になり2人のサーファーが先に岸に上がり、ナンシーも最後の波に乗って帰ろうとした時、サメが現われる。車に乗って帰ろうとしていた2人に合図を送って助けを求めたが、2人は気がつかずに帰ってしまい、ナンシーは一人でサメと格闘するはめになる。
 例えば、『ジョーズ』(スティーヴン・スピルバーグ監督 1975年)ならばサメに襲われる恐怖が描かれているが、医師の卵が主人公の本作はサメのみならず、岩や珊瑚や鉄棒などで身体へのダメージによる「痛み」も丁寧に描かれている。実はナンシーは亡くなった母親に対してコンプレックスを持ち、医師の限界を感じており、メキシコへは感傷旅行として来ていたのであるが、自身が戦って生き残ることでマザコンを克服するのである。
 本作は決して『ジョーズ』の続編ではないが、ヒーローからヒロインに変化している点は、間もなく日本で公開される『ゴーストバスターズ』(ポール・フェイグ監督 2016年)の4人の主人公が全員女性に変わっているところと同じで、ヒロインの活躍はますます拡大しつつある。


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女性蔑視に対する「批判票」

2016-08-02 00:06:39 | Weblog

小池百合子氏、石原慎太郎氏の“暴言”に余裕…「大年増の厚化粧」に「慣れてる」
小池氏、慎太郎氏に怒りの反論「親バカ」 公私混同疑惑に切り込む
【東京都知事選】鳥越俊太郎氏あいさつ詳報「終わってちょっとほっと」「私の力不足」と敗戦の弁 女性スキャンダル報道には悔しげ
【2016大乱闘 都知事選】鳥越氏“場外戦”で四苦八苦 「淫行疑惑」報道女性側との接触は認める

 今回の都知事選挙は小池百合子が圧勝するであろうことは投票率の高さから結果が出る前に予想

できるものだった。投票率が高いということは無党派層が投票に行っているという意味だからである

のだが、男性の投票率の58.19%と比較して女性の投票率の61.22%という高さは

言うまでもなく、顔の傷を隠すために医療用の化粧品を用いている小池百合子に対する、増田寛也

の決起集会での石原慎太郎の「大年増で厚化粧の女に、任せるわけにはいかないよ」という発言と、

鳥越俊太郎の「女子大生淫行疑惑」に対する反感によるものだと思う。そもそも前任者の

舛添要一も「下半身」のだらしなさには「定評」があった訳で、気持ち悪い女性観を持った

男に大仕事を託すことに女性たちが「ノー」を突き付けたように見える。何も女性首長は東京だけ

ではなく、マドリード市(マヌエラ・カルメーナ・カストリージョ 72歳)やパリ市(アンヌ・イダルゴ 

57歳)やローマ市(ヴィルジニア・エレーナ・ラッジ 38歳)でも次々と誕生しており、

その世界的な潮流の根底には男たちの女性蔑視に対する反発があるように思えてならない。


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