8月19日 京都市交響楽団第681回定期演奏会に行く。
指揮は原田慶太桜さん
最初に演奏されたのが
ヴェルディ 歌劇アイーダから凱旋行進曲とバレエ音楽。
いきなり ステージとはちょっと違う位置から金管(近眼でよく見えなかったけれどたぶんトランペット)の音が聴こえてきたので 見ると パイプオルガンの側方にトランペット(たぶん)が陣取っていてそこからの音だった。
冒頭部分は この金管と 弦楽合奏の掛け合いで音楽が成り立っているのだけれど その部分の弦楽合奏の音に とても柔らかみがあって それなりの深みがあったことが印象的だった。
もうコンサートから 5日経過してしまったので その部分の記憶がとても鮮烈で ほかの記憶は かなり 飛んでしまっている。
あと 合唱の声を聴いた時に 本当に マスクをしていない 合唱の声を聴くのは 何年ぶりだろうと思ってそのことにも感激してしまった。
次に演奏されたのがストラビンスキーの歌劇 「道化物のなりゆき」 から 「トムからはなんの便りもない」 だった。
森麻季さんがソプラノ独唱をなさった。
冒頭の オーボエやファゴットを中心とした木管の掛け合いを聴いて うーん 何となく「春の祭典」の冒頭の木管の掛け合いに少なくとも雰囲気が似ている と思った。
あと 森麻季さんの歌われる姿勢を見ていて 僕は きっと身体のセンターラインというのはかなり意識しておられるのだろうなとなんとなく思った。
指揮者の原田さんの話によると8月19日は森麻季さんの誕生日とのことだった。
次にボロディンの歌劇イーゴリー公 から「ダッタン人の踊り」が演奏された。
ピッコロの音が コロコロ転がっていたこと 小太鼓が重く感じられることがなく とてもシャープに聴こえてきたこと などがコンサートから5日経過した今でも記憶に残っている。
20分の休憩をはさんで ラターのレクイエムが演奏された。
冒頭付近の旋律を聴いていて 確かに敬虔なのだけれど 新しい時代の音楽によくあるように どこか映画音楽のよう とも 思った。
ある先生が ラヴェルの音楽を聴いて 映画音楽のよう と言った子に対して 映画音楽よりもラヴェルの方が時代が先ですから 映画音楽がラヴェルのようと言った方がいいかもしれません とおっしゃったことを妙に覚えているけれど とにかく いろんなジャンルの音楽が相互に影響を与え合っていることに変わりはないと思う。
この映画音楽のような旋律は レクイエムの終曲でも 回想されて 曲が終わる形になっていた。
最後の方は その 美しい旋律に思わず眠気がこみあげてきて 目を閉じて聴いていたら 音楽が静かに終わった。
ああ 終わったのか と思って 目を開けたら 弦楽器の人が まだ 弓を下におろさずに 曲が終わった時の状態で ストップモーションのように静止した姿勢をとっていた。
弓を早くおろすと 拍手も早く来てしまうから あらかじめ オーケストラのみんなで打ち合わせてそうしたかもしれない と思った。
演奏会が引けた後 北山の駅で地下鉄に乗るときも まだ その メインのメロディが心に残っていて 心の中でリフレインしていたら 松任谷由実さんの「雨のステイション」という歌の 「雨のステイション 会える気がして いくつ 人影見送っただろう♪」というくだりのメロディが心に浮かんできて 「いくつ人影♪」の部分に相当する旋律と ラター レクイエムのその旋律がほとんどというか きっと まったく 同じであることに気づいた。
偶然の一致とは思うけれど そういうのも 松任谷由実さんの旋律の美しさの ひとつの 証(あかし)かも と思った。
原田慶太桜さんを聴くのは二度目だけれど 長身の体の動きが 楽しい 感じで コンサートを楽しくまとめる ということに関して とても 才能のある方だなと思った。
もちろん プログラムが そういう プログラムだったということもあるけれど、、、。
いい コンサートでよかった。
それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。