3月14日名古屋フィルハーモニー交響楽団第532回定期演奏会を聴きに行った。
指揮はウェイン マーシャルさん。
前半は
ガーシュウィン[グローフェ編]:ラプソディ・イン・ブルー
ガーシュウィン:セカンド・ラプソディの二曲が演奏された。
演奏会から日数が経過してどの曲の演奏がどうという記憶が薄れてしまったので二曲通して思ったことを書くことにする。
最初指揮者が出てきたとき アフリカンな感じの方だったのでかっこいいやん。なんか楽しみと思った。
演奏も最初のうちは おお ビッグバンドかオーケストラか 両方の要素を兼ね備えている。なんか素敵なことが起きそうと思っていた。
でも そんな思いも2,3分演奏を聴いているうちに薄くなってしまった。
それから、なんとなく演奏は一本調子で曲想に応じた演奏の切り替えがちょっと中途半端に終わってしまっているように感じた。
例えばリズムを聴かせるところと柔かい和声を聴かせるところの演奏の雰囲気切り替えがなんとなく中途半端に思えた。
たぶんコントラバスとチェロだと思うけれど、弦楽器の低音を中心とした柔らかい和声が弛緩した曲想を醸し出すような場面で特にそれを思った。
また、例えば、曲の途中で、「あれ、ここなんとなくラヴェルに似てるぞ」とか思うような場面が出てきてもそこを特に聴かせてくれるわけではなく、ちょっとだけそれが顔をのぞかせるか、のぞかせないうちに演奏は次のシーンに行ってしまうという感じだ。
音の出し方も 一つ一つの音に引っ掛かりがなく ひとつひとつの音を聴き手が味わう間もなく次の音が出ているという感じに僕には思えた。
たぶん 必ずしもクラシック専門と言うわけでもなさそうな方が 慣れないうえに ピアノと指揮の両方をするというのはちょっと負担が大きすぎるのではないかと思えた。(演奏会プログラムのプロフィールにはジャズの専門家とは書いてないけど、演奏を聴いているとクラシックの専門家でもないように思える)
ピアノもコンサートホールでうまく響くように演奏しているのか ライブハウスでうまく響くように演奏しているのかよくわからないと思える場面が何度かあった。
広いコンサートホールは結構残響もあると思うので、一つ一つの音がある程度はクリアに聴こえるように出していただかないと音が綿菓子のようにモゴモゴっとまとまってしまう可能性があると思った。
20分の休憩をはさんで後半は
バーンスタイン:ミュージカル『オン・ザ・タウン』より3つのダンス・エピソード
ガーシュウィン[R.R.ベネット編]:交響的絵画『ポーギーとベス』
が演奏された。
後半は打って変わってスッとした印象になった。
やはり指揮一本に集中すると違うんだと思った。
指揮者の気もスッと行っているように思えたし、オーケストラのプレイヤーの方々も自発的に指揮者を盛り立てているように思えた。
バーンスタインの曲は良かったけれど、演奏中に「やっぱり バーンスタインは指揮よりも作曲やな。指揮は感情優先でちょっと大雑把なとこもたまにあるし」とか「タイトルに1944年ってあるけど日本では太平洋戦争の終戦前でボロボロになっている年なのにえらい明るい音楽やん。日米戦争と言ってもアメリカはこんなに余裕があったんか」とか他ごとを考えているうちに演奏が終わってしまった。
※でもバーンスタインの演奏するラプソディインブルーは一時期CDでよく聴いていたけれど大雑把どころか素晴らしい演奏だったと今にして思う。大阪の駅前ビルのような場所でかごに入ったよりどりみどり1000円という盤を買ったので音質はいまいちやなあと思ってたけど、、、。※
さて、ポーギーとベスでは指揮もよかったけど個々の演奏家の方々が指揮者を盛り立てて自発的に演奏しておられるように思えた。
サマータイムのメロディが出てきたときには何度も聴くメロディだけどポーギーとベスの中でこれを聴くのはきっと初めてと思い感動した。
その他にもバンジョーが中心になってアメリカのカントリー風の民謡と思われる旋律が出てきて聴いていて楽しかった。
ベートーヴェンの第九交響曲のフィナーレでフーガのコーラスが出る手前でオーケストラの弦が活発に動くところがある。あるいは、ホルストの惑星の中の木星で弦楽器が活発にかっこよく動くところがある。そんな感じで、弦楽器が一斉に速く勢いよく動くところがあったけれど見ていて壮観だった。
名古屋フィルって僕の年齢からみると割と若くてかっこいい人が多いのでこういうところは聴く楽しみと見る楽しみと両方だなと思う。
最後は怒涛の盛り上がりで演奏が終わった。
よかった。
帰りに尾張地方に本社があるカレーショップに行ったらバンジョーやギターと同様に指ではじく系の弦楽器が「二人でお茶を」のメロディを奏でた音源がBGMで流れていた。
ジャズでよく聴かれる旋律なのでコンサートの続きのような気分でカレーを食べることができてよかった。
それはともかく一日いちにち無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。