◇外国による独裁政権打倒は罪
イラクのフセイン大統領(当時、06年12月死去)やその息子たちは、自分の身を守るために影武者を置いていた。その一人、大統領の長男、ウダイ氏(03年7月死去)の影武者だったラティフ・ヤヒヤさん(47)に話を聞く機会があった。イラク戦争が終わった今、「もう一人のウダイ」が語るのは、かつて仕えたウダイ氏の狂気と、外国が武力で独裁政権を倒すことの「罪」だった。
◇独房、整形、亡命 暴君に父殺され
ヤヒヤさんは、自分の経験を基に製作された映画「デビルズ・ダブル-ある影武者の物語-」の日本公開(1月13日封切り)を前に来日した。私はウダイ氏本人に会ったことはないが、東京都内のホテルでヤヒヤさんと話したとき、イラク戦争開戦(03年3月)前のバグダッドで見た写真や映像のウダイ氏とよく似ていると思った。ヤヒヤさんの方が太ってみえるが、これは年を重ねたせいもあるだろう。
バグダッドの裕福な家庭に生まれたヤヒヤさんは高校でウダイ氏と同級になり、周りから、「似ている」と驚かれた。大学を卒業しイラン・イラク戦争の従軍から帰った直後の87年、突然、ウダイ氏に呼び出され、影武者になるよう命じられた。
断ったヤヒヤさんには独房(1メートル四方)が待っていた。高い天井に赤いランプがともっていたのを覚えている。そして1週間後、ウダイ氏から通告される。「(影武者を)拒否するなら、妹をここに呼ぶ」。妹がウダイ氏にもてあそばれると思い、影武者として生きることを決意したヤヒヤさんは、顔の細部を整形された。背丈は靴で調整した。当時、ウダイ氏の影武者はヤヒヤさんだけ。大統領には4人、次男のクサイ氏(03年7月死去)にも1人の影武者がいたという。
影武者になって間近でみるウダイ氏の言動は狂気の沙汰だった。その様子は映画にも描かれているが、夜ごと宮殿に美女を招いてパーティーを開き、下校途中の女子高生を誘拐しては自宅に連れ帰った。気に入らないと銃を乱射。88年には大統領の側近までをも殺害している。
「サダム(フセイン大統領)やクサイにも会ったが、彼らは自分のために働く人間には敬意を払い、あいさつも丁寧だった。だが、ウダイは気分屋で機嫌が悪いと周りを罰した。酒を楽しんでいると思えば、次の瞬間には、周りの者を拷問にかけた」
もちろんウダイ氏に国民の不満は募った。このため影武者のヤヒヤさんも何度も命を狙われた。結局、ヤヒヤさんは、「暴君」との付き合いに疲れ、自分の人生を取り戻そうと91年、欧州に亡命。これに怒ったウダイ氏がヤヒヤさんの父を殺害したのは95年7月4日だった。
◇民衆の権利奪い まるで乗っ取り
父をも奪われたヤヒヤさんがフセイン政権に憎しみを持つのは理解できる。だから、その政権を倒して「イラク人を解放」し、ウダイ氏を殺害した米国に感謝しているのかと言えば、欧米が思うほどことは単純ではない。「米国はイラク戦争(03~11年)で多数の市民を殺害し、難民を生み、アブグレイブ刑務所で蛮行(収容者虐待)を行った。その結果、(反米感情からテロが続発するなど)ウダイのような狂気の者を何百人も生んだ」。イラクに残る家族・親族の誰も、現在の生活が以前より幸福だとは実感できないという。
ヤヒヤさんの言葉を通して見えるのは、独裁政権はその国民の手で倒されるべきだ、という考えである。たとえ国民を苦しめる独裁者であっても、外国が武力でそれを排除する場合、そこには外国の思惑が見え隠れし、それがひずみになって国民融和や新政権作りの障害となる。昨年、中東では「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が起こり、民衆が独裁政権を倒した。「イラク人がチュニジアやエジプトの民衆よりも、弱くて劣っているとは思わない」。ヤヒヤさんは、イラク人が独裁政権を倒す権利を米国が奪ったと感じている。
亡命後、ヤヒヤさんはアイルランド、ベルギーと移り住んだ。しかし今なお、国籍を取得できず、イラクのパスポートも持たない。日本には特別書類でやって来た。国籍のない不自由は常だが、イラクへ戻るつもりはない。
「愛する祖国はすでにない。現在のイラクは(隣国イランが極端な影響力を行使するなど)『外国マフィア』に奪われてしまった」。最後まで、人生を狂わされた悲哀と、国を外国に「乗っ取られた」悔しさを語るかつての影武者。その言葉に、私は改めて、イラク戦争が誤りだったと確信した。