本ブログは、大学の同級生のご両親の読者が多いとか(笑)。こりゃあ問題のある記事は書けないなと思いつつ、何故かかる読者が多いのかをしばし考えてみた。おそらく、大学生活の状況を知りたいがためであろう。きっと息子さんたちは親のメールに返事を返していない。息子や娘が今頃どんな生活を送っているのかわからない。ともなれば、このブログでも読んでみるしかないと考えるのはごく自然な道理である。
と、偉そうなことを考えてみれば、自分も親のメールをしばしば放置していました(笑)。医大生・たきいです。
いよいよ暑くなってきた今日この頃、「オーブンのよう」とも称される栃木の夏の到来を恐れるばかりである。高校生でおさらばなものかと誤解していた所謂宿題の類も多く、汗を掻いては止まらない。華のキャンパスライフとかいう風に妄想を膨らませていた浪人生時代はなんだったのか。休む暇がない。ましてや遊ぶ暇がない。この心の余裕のなさはなんなのか。きっと、大学の講義の難解さに翻弄されているからではないか。一見内容が分からなくとも、複数回反芻することでなんとか手に負えた高等学校の学問とは相違い、敵の牙城に寄ることさえ拒む大学の学問。自分がこの世界で如何にちっぽけな存在なのかとつくづく思い知らされる。自分には素養も何もない。
ところで、来週までの一週間で提出せよと命ぜられた課題は、脳死についてであるという。筆者は浪人時代に結局入試で使わなかった現代文を一番勉強した気さえする、点数がとれてなんぼの近代合理主義に逆行したような生活を送っていた気もする怪しげな人物であった。小さな哲学者ばりに、前出の話題にしばし一人で思索を巡らせた記憶もあったが、たかが浪人生であった自分にはあまりにも難解で、恥ずかしながら考えることをやめてしまった記憶がある。
課題にはカントだの功利主義だのの膨大な文章が添付されていた。まさか医学部に来てまで、今流行の現代文入試問題の長・鷲田清一氏の随筆調の文章を読まされるとは思ってもみなかった。
確かに忙しい毎日ではあるが、なんとか時間を作って、大学生になった今、もう一度丁寧に取り組んでみたいものだ。と、たまには“医大生”らしいことも発言してみる自分である。
…、とまぁこのような健全な内容を書いていたのも何の気まぐれだったのか、新たに特筆すべき事項が出てきたなら書かねばならない。ここまでは日も明るいころに書き終わっていたのである。前述のようにきわめて健全な精神を持ち合わせて叙述していたのも、筋トレで心地よい汗を流していたからだというもの。健全な精神は健全な肉体に宿るのである。そういえば、ラグビー部に勧誘されてた時に言われたこの文句が自然と口から出てくるようになったもんだから自分でもびっくりである。
筋トレから帰れば、腹が減るのも当たり前。大学そばのすき家にて牛丼特盛を食らひ、友人がジャンプを買うというのでそれについていく。自分はジャンプの横に売っていた猥雑な書物とともにアズキバーをきれいなお姉さんの務めるレジに持っていき、夜でも過ごしやすい絶妙な温かさの夜闇の中、街頭に照らされつつアイスを口に頬張った。大学に戻りながら左手を見れば、昨日行きたいと言っていたのに行けず仕舞いだった回転寿司。この時間はまだやっているのだなと思いながら、おもむろに出入り口を覗き込む。なんとそこには見覚えのある顔の女性が立っていた。
いつもそうである。今年の3月くらいには、筆者に付き合っていることを何故か隠そうとしていた一組の男女がいた。しかしいくら彼らが秘密にしようと努力しても、筆者は仲良く手をつなぎながら仙台駅を歩いているところに出くわしてしまうのである。無意味な画策をしたその男は、筆者にまでイタリアンをおごる羽目になったことは記憶に新しい(笑)。秘め事を不意に暴いてしまう習性が自分にはあるようだ。読者諸賢には是非注意されたい。
さて、出口からさらにニヤニヤした顔の男が出てきた。いくら笑っていても、相変わらず目が怖い奴だ。それに続いてさらにもう一人女の子が後ろから続いて出てきた。男1人に女2人となれば、その男がニヤニヤするのも致し方ないが、その3人全員が筆者の知人である。お前ら何故わたくしを誘わなかったのか。なにこっそり寿司を食べていたのだ。俺も呼べ。俺も誘え。みそかに何をしておられる。
このように不満は募りに募ったが、ただただ「何してんだお前」と繰り返すことしかできなかった。ずいぶんと弱い非難である。冷静に考えて。しかしながらそれもそのはず。何故なら、自転車のカゴには猥雑な書物が入っていたので、不必要に彼らに近づけなかったのである。笑
(今日コンタクトを作ってきたラウンジの友達に「コンタクト一発で入った」と言われて激しくムカついた人(笑))
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をラテン語にして頭文字取るとasicsになるんやで(^^)
勉強になりました\(^o^)/