東経大正門前 まんぷく処竹茂食堂親父の小言

母校東経大正門前で学生さん相手の食堂を営んでおります。お店の事、感じたことなどを書いていきます。

2022/02/18

2022-02-18 22:01:00 | Weblog
大好きな先生とお別れしてきました。
私の在学中から東経大で教鞭をとられていた先生。数年前、体調を崩されリタイヤ。まだまだ、お会いする機会はあるだろうとたかを括っていたら、突然の訃報。寂しいです。
凄く人間味が溢れていて、飾らない、威張らない、ちょっと照れたような笑顔が凄く可愛いかった先生。
阪神淡路大震災の時も東日本大地震の時も現地入りし活動されていた先生。東日本大地震から数年経った頃、「先生、夏休みに科研費とか使ってどこか海外に調査旅行とか行くんですか?」と聞くと「馬鹿ぁ、何が科研費だ、海外だ?行くのは東北だなぁ、いや、まだまだ大変なんだよ。東北」っておっしゃられ多分、折につけ東北入りされていた先生。でも、そんな事をひけらかしたりしない先生。
凄く人間臭く、ドジな所もあったけど本音で話ができるし、素敵だったなぁ。
平成や令和の尺度、世間一般の物差しでは決して測ることができない森反章夫先生。素敵な思い出をありがとうございました。先生に遠い世界から「お前、いい加減にしろよ」なんて笑顔で怒られないようこれから頑張ります。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2022-02-21 20:36:18
ヒゲおやじさんのブログにコメントをすることになるとは,誠に断腸の思いである。童顔でいつも笑顔を絶やさない森反さんとは,同僚や学内派閥の関係を超えて,強い信頼関係で結ばれていた。それが,見知らぬ土地にきた自分にとって,どれほど心強いことであったかは,言葉にしきれない。今はなくなってしまった居酒屋「かや乃」をはじめ,よく出歩き,語り,笑い,また激論も交わした。酒席は好きでも酒が飲めない私は,しばしば彼を車で家まで送り届けることもあった。 仮住まいにしているマンションにも,彼の実家にも何度となく行ったし,時には大きく寄り道して深夜のドライブとなることもあった。少年の笑顔と確固たる思想性,そして,周到な,フォールドワーカーとしての技量と経験を備えていた森反さんと共にする時間は,いつも幸福なものだった。
 2009年に,森反さんが最初に体調を崩したとき,私は国内研究で北海道におり,何の力にもなれなかった。その後,二人とも生活のスタイルが大きく変わり,私自身が私的な生活で問題を抱えたこともあって,以前のように頻々と飲み歩くようなことはなくなったが,森反さんとの信頼関係は変わらなかった。しかし,彼が再び体調を崩して以降,最後の1年以上の間,遂に会う機会をもたないまま訃報に接することになったことは,返す返すも残念の極みである。
 森反さんは透徹した唯物論者だったし,私は不信心者である。それでも彼の冥界の旅路が,学者としての彼にとって豊かな驚きに満ちたものであることを祈らずにはいられない。私の記憶の中の彼は,いつまでもかのやにいて,笑顔を崩さないまま立て板に水のような語り口で森羅万象を語り続けている。
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