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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

明治・大正・昭和を貫く杉山家三代の軌跡

2025-04-11 00:25:10 | 読書

 世に知られていない「杉山家三代」の歴史は大河ドラマそのままのスケールだった。その詳細をまとめた労作・多田茂治『夢野一族 / 杉山家三代の軌跡』(三一書房、1997.5)をやっと読み終える。杉山茂丸・杉山泰道(夢野久作)・杉山龍丸三代の歩みはそのまま明治・大正・昭和の近・現代史をたどる軌跡になる。

 茂丸の父・三郎平は儒学者で「民ヲ親ニス」(民を親と思って社会に尽くせ)という家訓を残し、それを社会に具現化し貢献したのが杉山家三代の逸材だった。

   その家訓を真に受けた20歳の「茂丸」は、民の貧しさは国の中枢にいる総理・伊藤博文にあるとして暗殺を企てるが失敗し、逆に説諭される。そして、中国が外国に植民地化されている実態を見て、日本が植民地にならないよう尽力する人生を邁進する。それで、インドのビハリ・ボースや中国の孫文などアジアの革命家を支援 したり、日露戦争では、山形有朋・児玉源太郎ら関係者を影で支えた。

 また、産業を興すために日本興業銀行の設立や台湾銀行の創設に関わったり、博多湾築港や福岡空港、関門鉄道トンネルなど、地元九州の発展にも尽力した。 さらには、日本相撲協会設立・刀剣・浄瑠璃など日本の伝統文化の保護・支援にも大きな力を発揮した。

  政財界に隠然たるフィクさーぶりを発揮した「茂丸」は、玄洋社の頭山満とは生涯盟友関係を保持した。筑豊の鉱区権獲得を頭山満に進言し、それで玄洋社の資金源として確立させる。二人に対する評価は、戦後のGHQから右翼的な国粋主義者との烙印が押されたままでいまだ払拭されてはいない。彼らは、西洋列強から日本を護るために、アジアとの連帯を推進していたのであり、アジア人同士戦うことを危惧していたところがある。「夢野久作と杉山三代研究会」はそういう立場が鮮明だが、著者はそれでも戦争に結果的に迎合していたことは否定していないところに温度差がある。

 なお、頭山満の人間的な広さとピュアな直情はそこに多様な人間が集まったことで知られる。ちなみに、頭山家と松任谷家とは姻戚関係にあり、つまり歌手のユーミンはそのつながりの中にある。

 

 茂丸の長男の杉山泰道(夢野久作、1889~1936) は、近衛歩兵少尉、僧侶、郵便局長、新聞記者、農園主などを経験するが、異端にいた作家・夢野久作が注目されたのは、鶴見俊輔が『思想の科学』に紹介してからだった。

 また、関東大震災を取材した「久作」は、「数字とお金とで動かせる死んだ魂の市場ーそれが東京である。智識と才能と人格の切り売りどころーそれが東京である」と東京の腐敗堕落をレポートしている。一方、久作は「これからはアジアの時代。アジアの国々が独立した後に必要となる」として、アジア各国の農業指導者を養成する4万6千坪の杉山農園を開園する 。

  (画像は「書肆心水」社から)

 近代インドには二人の偉大な父親がいたと言われる。一人は英国からの「独立の父」・ガンジー。もう一人は、インドの緑地化のために奔走した「緑の父」(Green Father)・杉山龍丸(1919-1987)である。古代文明の砂漠化は森林伐採にあると喝破した「龍丸」は、植林の場所は、ヒマラヤ山脈に降った雨が地下に溜まる国際道路470km間とした。つまり、国際道路はヒマラヤ山脈と並行しているので、木の根が地下に壁を作り保水できるようになるという考えから、ユーカリを植林していく。

   1963年、ユーカリ植樹事業に乗り出すも、インドは大飢饉に陥る。龍丸はインド全域に及ぶ餓死者の続出はやはり森林伐採が原因と判断。龍丸は、「祖父と父が残した4万坪の杉山農園を切り売り」して資金を作り出した。植林帯周辺約2kmの地帯では生長が早い台湾の「蓬莱米」の栽培に成功。蓬莱米の種の入手は、「龍丸」がかつて孫文を支援した「茂丸」の孫ということで実現した。

 著者は、「硬骨の黒田武士の血脈をひく杉山家三代は破格の人物ぞろいで、志に生きた夢の一族と言えよう」とし、とくに、茂丸は、その「奔放不羈のその生涯には単純なレッテルを貼りがたいものがある。茂丸は政界の黒幕となっても、今時の政治屋とは違って、私利私欲を排し、生涯、無位無冠に終わった」と結んでいる。

 著者は、「久作」について「自然の恵みを受ける農業こそ人間の生活・文化の基本とし、西欧的近代化がもたらした功利的物質主義を厳しく批判」していたことに注目したい。それにオラが最も共感した「龍丸」はインドで砂漠緑化を私財をあげて実現していった姿は、アフガンの緑化途中で凶弾に倒れた中村哲医師と重なる。杉山家三代の軌跡には現代日本が忘れてしまった魂のよりどころがまだ埋まったままである気がしてならない。

 

 

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