
一昨日は黄砂で山並みがぼんやり。洗濯物は室内に吊るす。なんとなく焦げ臭いにおいもする。その臭いはどうやら韓国の山火事のせいらしい。自然界の壮大な迫力に感心する。季節の移り変わりの変遷に体がついていかない。しかし、木の花たちはこのわずかな変幻をしっかり補足しているから、自然界のディティールもなかなかのものだ。
遅かった「河津桜」も急速に花を開ききった。東京のソメイヨシノの開花宣言と同じ日だった。この2本の河津桜は、シカの食害に5~6回も会い瀕死の重傷を越えての成熟だった。桜の皮にはよほどの旨味があるのだろう。若い枝はポキポキ折られてきた。残念ながら、近くに植えた八重桜の挿し木「松月」の2本がシカの食害で枯れてしまった。ガードはしていたものの体当たりでの破壊工作だった。
満開の河津桜はまもなく葉桜になってしまう。車で20分ほど行ったところはとっくに葉桜になっていて花の残骸さえ見つけられない。そう言えば、30年前だろうか、伊豆の河津町にこの河津桜を見に行ったことがある。ところが、混みあっていて駐車する場所がなくて結局ゆっくり見ることができなくて退散した記憶がある。それ以来、人があんまり集まる所へは行かないで、わが中山間地のようなひとけがない穴場を探すべきだということになった。実際、満開の桜並木のある土手には地もとの人の姿はないといっていいほどの穴場なのだ。
さらに、わが家の入り口には「ボケ」が開花してきた。ボケの見事な色といい、長く咲いてくれるサービスといい、別に植えてある挿し木一年生でも開花する生命力といい、気に入っている樹種でもある。ただし、シカも好きで20本近く植えてまもない苗木も全部食害されてしまった。
と言っても、こうした花木の春爛漫は、幕末に来日した外国人には驚異の田園国家に見えたという。都市でも田舎でもちょっとしたスペースや庭には必ず花があった。現在では、この豊かさの多くはいつのまにかコンクリートジャングルに制覇されてしまった。それとともに、犯罪も人々の精神的荒廃も侵攻していっている。中学生の自殺も過去最高という。生活の中にゆとりという余白を失った日本人の行方は、すでに空き家や耕作放棄地にも近未来の症状が出ているではないか。裏庭には、「寒緋桜」がのびのび太陽の恵みを浴びていた。