NHKが2006年1月から放映した「仕事の流儀」シリーズは、各界のプロフェッショナルが仕事に対する挑戦と生き方の姿を報じた見ごたえある番組だった。そんな影響だろうか、2011年以降伊集院静が刊行した『大人の流儀』シリーズも累計140万部の大ベストセラーとなった。そんななか、注目していた『伊集院静の流儀』(文春文庫、2013.3)を読む。
内容は、「日本人・家族・悩み・人生・恋愛・作家・青年の流儀」から構成されている。そこに、短編の物語に略年譜にと、著者の『大人の流儀』シリーズのダイジェストのようなものとなっている。「青年の流儀」は、2010年以降サントリーの新聞広告に毎年のように掲載され、新入社員や青年向けに贈ってきたメッセージをまとめたもの。また、ダンディーな著者の写真もふんだんに散りばめているのも見どころだ。
また、「日本人の流儀」のタイトルは、象徴的な「いつかその日はおとずれる」だった。東北大震災により仙台に居住していた著者の家は崩落の危険を体験した。その後累々たる震災死体や原発の被災も知ることとなる。「それでも、生き続けるということが私たちの使命であり、哀しみをかかえることは仕方ないにしても、哀しみにあまんじてはいけない」と断じる。そして、「哀しみにはいつか終わりがやってくる」という名言を宣告する。絶望的な経験を持つ彼が語ると説得力がある。
「青年の流儀」では、働く意味や生きる意味を青年自身が考えることを呼びかける。「日本の大人たちがなすすべての醜さはそれ(人間は誰かの、何かのために懸命に、生き抜くこと)ができないから」と断罪し、その生は、いかにも哀しみにあふれているが、それを平然と受けとめられる心身を鍛えていくことを青年たちに提言する。
その提言等は読みようによってはやや安っぽくも思える面もあるが、それは流行作家の限界ともとれる。とはいえ、著者の言わんとする本旨は的を外していない。そこを受けとめる感性が求められるのかもしれない。それは青年向けというより大人たちにも向けられた告発でもある。
生きることとは、喜びも哀しみも呉越同舟する中にあることをつきあうことだと思う。その中から、少しでも希望を手繰り寄せるかどうかが肝心だ。それも、大きな希望もあるし、ささいな希望もある。少なくとも、空を見て庭を見て畑を見て、そこから何かを発見する好奇心が必要だ。
そうして、そこに人間が登場して、そこに小さな潤いを感じられればさいわいだ。そんなさりげない暮らしを良しとする人生に乾杯する、それが今のオラの心境にあっている。
NHKはプロフェッショナルをとおして生きる流儀を世に投げかける。伊集院静は市井の大人へ向けてダイレクトに大人の流儀のありかたを投げかける。前者が直球勝負とすれば、後者は変化球を得意とする。
総じて、戦争が頻発拡大しジェノサイドが横行してやまない現世の世界、幼児化した犯罪に金権に汚毒された政治経済が支配した日本、人類が気候変動をさせてしまった地球のきしみ等々、ひとりの力は無力な現状のなか、まさに大人の流儀のあり方が問われているのは間違いない。さて、……。さて。