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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

戦国の要衝「天竜二俣」を往く

2016-10-30 21:19:40 | 旅行・散策
 いつもの森林散策会は今回、天竜の要衝「二俣城・鳥羽山城」を中心の史跡散策となった。
 最初に足を運んだのは信長の諫言で自刃した家康の長男「信康」の清瀧寺の墓だった。
 扉には徳川の紋がむなしく刻まれている。

                        
 寺の境内の中には、「ナギ」の立派な大木があった。
 熊野系の神社ではご神木にしていることが多いという。
 その名から「凪」にちなんで船乗りに信仰されたり、葉をお守り袋に入れたりしていた。
 また、葉の葉脈が竹のように真っすぐなので夫婦円満・縁結びのお守りに使われているという。

            
 隣には鬱蒼とした孟宗竹が乱雑に生えている径がある。
 これでは竹を伐っても竹が倒れるスペースがないくらいだ。
 街中にあるからなんとかボランティアの力で管理できないものかと直線的に思う。

 その後、武田と徳川が争奪しあった「二俣城」と「鳥羽山城」を見たが、以前来たこともあったせいか、上っ面を見ただけに終わる。
 城巡りは一人で歩くか、山城にかなり詳しい人と歩くのがいい。

           
 次に、この界隈の名主で筏問屋の旧家「田代家」に行く。
 天竜川に下ってくる木材の受け継ぎ問屋、天竜川を上下する船・筏の貨物への課税請負、なども兼務していた名家である。
 ちなみに、『ビルマの竪琴』の作者・竹山道雄の母の実家でもあるという。

                            
 主屋(シュオク)は1859年(安政6)の再建。
 室内で目立つのはいくつかの欄間や大黒柱の見事さ。
 建築の知識があればもっと発見があったと思える。

 コースの景観が次々変わっていくのが楽しい散策となった。    

           
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