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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

食べ放題の餃子が主食

2016-07-06 20:40:09 | 食彩・山菜・きのこ
 先日いただいたのが、和宮様お手製の餃子。
 ひき肉と皮は買ったものだが、ニラ・キャベツ・ニンニク・玉ねぎ・長ネギなどの野菜はわが畑から調達。
 主食が餃子で食べ放題。

                         
 餃子だけで満腹となる。
 追加の餃子は小麦粉をといた羽つき餃子。
 ため息を出して「ごちそうさまでした」。
 暑さにめげず、いい汗流そう。

       
EU離脱を決したイギリスでは、それを推進した政治家の辞任もあり、本意ではなかったという世論が盛り上がってきた。
 ひるがえってわが日本では、いくども選挙をやっても社会はなかなか変わらない。
「 自分たちの投票行動は間違っていたかもしれない」という問いがイギリスにはあるが、日本にはそういう声はなかなか出会わない。
 ある意味では、イギリスのほうが健全なのかもしれない。

 政治をチェンジすることに期待しない「空気」が日本を支配している。
 社会科から政治を排除してきた学校教育の「成果」が見事現実化されている。
 学校で政治を語ることが事実上ダブーとなっていることは周知の事実だ。

                          
 先人たちが血を流しながらいのちがけで獲得してきた「選挙権」を風化・形骸化に成功した。
 毎回の投票率向上運動は、政治の中身を吟味することを回避するシナリオどおりとなった。
 議会は形式民主主義の極致となり、異論を排除する機関となった。

 政治とは残念ながら「数」である。
 その「数」を支える哲学が処世術だったり、「空気」だったり、同質を強要する「セルフコントロール」だったりする。
 その根っ子は戦前と同じでなのではないか。
 選挙前にしてイギリスの二の舞をしてはならない、と餃子を食いながら思うのだった。

 
 

                             
コメント
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