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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

天正期の二俣城をめぐる講演会

2011-12-06 17:49:06 | 歴史・文化財
 先日、浜松の二俣城をめぐる講演会に参加した。
 小雨の中、150人以上の参加者が会場を埋め尽くした。
 
 二俣城は交通の要所にあり、信玄と家康との攻防があり、徳川軍の勝利。 
 その後、家康の長男「信康」が悲劇の切腹をし、遺骸が近くの寺に埋葬されている。
 次の城主が大久保彦左衛門の兄である「忠世」が支配。
 そのころをめぐる講演会である。

         

 いつも思うのは、歴史好きな人はこういう武将の登場に饒舌だ。
 したがって、大河ドラマも無視できない視聴者でもある。

 大切なのは、歴史から何を学ぶか、それが現代に何を問うているか、
 さらに、自らは歴史とどのように対峙しているかということだ。

               
 
 長い日本の歴史のなかでも、血まなぐさい歴史は意外に近い。
 都合の悪いことには目をそむけ、自分とは関係ない覇者については詳しい。
 本当のことを教えていない日本の歴史教育のツケがそこにはある。
 

 同じNHKでも、「タイムスクープハンター」という歴史番組がある。
 これは史実をできるだけ庶民の立場からリアルに掘り起こしている珠玉の番組だ。
 残念ながら、ヒーローが登場していないところがミソだ。

                    

 川の流れのように進行する歴史に、自分は何ができるか。
 鍬を休めてときどき思案する。
 土を耕すことそのものの奥行きが、いま時代とともにあるように思う。
 

 
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江戸・近代にワープ 森町

2011-11-28 20:45:27 | 歴史・文化財
 ぶらり森町の昼食は、酒屋の二階だった。
 どういうわけか、味はいまひとつの手打ち蕎麦だった。
 そのうえ、炭の二酸化炭素が充満していて息苦しかった。
 
          

          

 しかし、ここの調度品はいかにも時代劇に出てくるような洗練された骨董だった。
 石松が突然出てきてもおかしくはないたたずまいだ。
 街並みだけではない室内での宝物の発見である。

               

 街並みの場末のコーナーでは、高校生からサトウキビの砂糖を抽出している体験をやらせてもらった。
 さらにその場所は、氷砂糖製造の発祥の地だった。

                        

 そこには近代産業革命に貢献した発明王、鈴木藤三郎の生家と工場が残されていた。
 それはまるで長屋のような、粗末な茶室のような鄙びた狭い家だった。
 生活環境は小さくても志・夢はでっかい典型を見たような気がした。
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鳥居にも種類があるんだ!

2011-10-19 21:09:27 | 歴史・文化財
 先日、掛川市のねむの木村の近くを通ったとき発見した素朴な鳥居。
 上の横木に「反り」がある。
 しかもよく見ると、2枚に重なっている。
 上のほうを「笠木」といい、下の方を「島木」という。

 二番目の横木を「貫(ヌキ)」という。
 左右の縦の「柱」を貫いているのが特徴だ。
 しかも、その先端が斜めに切られているのが珍しい。
 小さいがなかなか味があり、同じ形のものが見当たらない。
 かっこいい。

      

 次は春野町犬居城の麓にある赤い鳥居。
 上の横木は「笠木」だけの丸太。
 下の横木の「貫」はなんと「角材」。
 2本とも先端の断面は斜めに切られている。

                  

 3番目の鳥居はわが集落の鳥居。
 すべて丸太で構成し、下の横木の「貫」は柱を貫いていない。
さらに、額を飾る「額束」がない。

 同じ鳥居でもこんなに微妙であることを初めて知った次第。
 「笠木」に「反り」があるものは、「明神鳥居」系。
 「笠木」に反りがないものは、「神明鳥居」系、というそうだ。
 
 だからどうというわけではないが、こうして鳥居を見る目が違ってくる。

 
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毎週つづく山里の祭礼

2011-10-18 20:42:44 | 歴史・文化財
 今月は毎週のように各集落の祭礼が続いている。
 先日は隣町の祭だ。
 林業の中心として栄えたこの町もこのあたりでは店舗がいちばん多い。
 なにしろ、コンビニが唯一1軒だけあるもんね。

         

 わが集落から見れば昼間からこれだけの子どもたちがいるのは、往時はすごかったに違いない。
 山車の彫り物も七福神や神話の人物が見事に彫られている。
 都会の山車と比較しても遜色ない作品だ。

                     

 わが集落の祭ははいよいよ今週開催となる。
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里山・長蔵寺の諏訪神社

2011-10-15 18:39:49 | 歴史・文化財
 こじんまりした山里・長蔵寺に立派な神社があった。
 全国に6000社近くもあり、農業の守護神という「諏訪神社」だった。
 小さな山里のわりには立派な建物で、村人の心意気が伝わってくる。

             

 鳥居が銅で覆われているのも素晴らしい。
注連縄は作って間もないもののようだ。
 縄のかたちは、向かって右が太くて、左が細くなる標準的な「左末右本」型。
 源頼朝の守護を受けて以来、「武運長久」の軍神として御家人が全国に広めたらしい。

 近くの「塩沢遺跡」からは、石斧・縄文土器とともに青磁・天目茶碗も出土したということから、武士の支持も得ていたのだと思われる。

                   

 建物の軒下の懸魚(ゲギョ)が江戸時代以降はやった鶴と亀の彫刻を発見した。
 神紋の「柏」マークの瓦も見られた。
 こうした彫り物も凝っていたし、納めてあった御輿も立派だった。
 きっと、林業が盛んだった頃の造作に違いない。
 
 神社の老朽化をよく目にする中で、いまだに品位を保っている集落の結束が伝わってくる。

 一般的に神社の精神的停滞と退廃がはなはだしいことを痛感している。
 最近は、権力に寄り添う藤原系の「中臣神道」とは違う、闇のネットワークでありアウトローの「修験道」に関心をもちつつある。
 
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不老不死の霊薬を求めて徐福は?!

2011-09-02 13:45:23 | 歴史・文化財
 卑弥呼から大和政権へ至る歴史的空白が面白い。
 それらの政権が成立する以前の底流に影響を与えたであろう「徐福」の存在に興味をもった。
 紀元前、秦の始皇帝を欺き、公的資金で堂々と数千人規模で日本に「亡命」した徐福集団の痕跡が佐賀・紀州などにある。

 考古学的な物的証拠はまだ未知だが、徐福らが日本に向かったのは間違いない(実証的な歴史書、司馬遷『史記』に明記)。また、「徐福伝説」が日本各地にある。
 近年では吉野ケ里遺跡との関係も注目されている。

 「羽田・秦(ハタ)」という苗字は徐福の子孫だという。
 徐福らの高度な文明・技術は、縄文を弥生へと変えたに違いない。
 大切なことは、日本はこうした大陸の文化を謙虚に学びながら今日に至っていることだ。

 紀元前で活躍した「孔子」「孟子」「孫子」「老子」「墨士」などの「諸子百家」の思想・理論を江戸・明治くらいまで日本人は学習していること、
 それほどに、紀元前の春秋・戦国時代の高度な文化が大陸にすでにあったということ、
 それにしても、その水準の高さの割には人間はいまだに成長していないということ、等をあらためて感じ入るばかりだ。
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南方熊楠を見直す!

2011-07-12 20:00:28 | 歴史・文化財
 前々から気になっていた明治の怪人文士、南方熊楠(ミナカタクマグス)の伝記を読み終えた。 当時の粘菌研究では世界ではトップレベルだが、国内ではあまり注目されず、むしろ世俗的なしがらみに振り回された波乱万丈の一生でもあった。
 著者の神坂(コウサカ)次郎は、読み難い熊楠の手記や足跡を訪ね、丹念に事実を積み上げていき彼の活力にせまっていった。
 水木しげるはマンガをとおして熊楠の庶民的な人間性に肉薄している。

 熊楠は、神社合祀に反対し、その神社林を保護する運動の先頭に立った。今日で言えば、自然保護運動の魁だ。
 粘菌をとおして世界のあり方を見抜いた環境哲学の開拓者だった。
 孫文との交流・友情はその一端だ。
 博物的な知識の広さといい、十数カ国語を駆使するスケールといい、学者然としないピュアな反骨精神といい、どれもがドラマチックだ。
NHKに勇気があれば大河ドラマの主人公になるべき人物だ。連ドラで岡本太郎をとりあげるくらいなら、熊楠はもっとドラマチックだ。

 原発を契機とした今日の日本が、あらためて新しいライフスタイルを構築すべきときに、熊楠の生き方は現代に新鮮に飛翔していると思う。
 
 
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明善の足跡がありそうだ!

2011-05-12 20:13:48 | 歴史・文化財
 まーちゃんから渡された宿題、『金原明善の一生』(三戸岡道夫、栄光出版社、H19.9発行)を読み終えた。384ページの読み応えある大作だ。
 林業家金原明善の記録を積み上げた淡々とした伝記だ。
 「木を植える男」はすでに明治に存在した。しかも、暴れ天竜川を治水するために全財産を投入して植林に生涯をかけた。金融業の利益の多くを治山治水にかけ、いまでいう社会貢献を貫いた。それは二宮金次郎と並ぶ農山村復興の報徳精神そのものだ。

 それはまた、前近代的な山林地主と小作人関係を近代的な賃金労働者を導入することで山村での雇用を確立した先駆者でもある。そして、植林・伐採・運搬・製材・販売の流れを一貫する企業経営者でもあった。
 つまり、日本の林業を経営と緑化事業とを無私の精神で両立させた開拓者だ。

 しかしながら、金原林の中心だった瀬尻村周辺は、明善に関係する苔むした石碑がひっそりあるだけで、きわめてさびしいかぎりだ。
 また、春野町の気田の旅館「対秋楼」や元熊切村長松下義十宅などに宿泊したり、長蔵寺・越木平にも足を運んでいる。明善の足音が身近にあったということだ。
 
 明善の精神に学び、それを生かしたまちおこしができないものだろうか。
 目先の便利さや利益にまみれている現代だからこそ、人間の可能性を実現した明善のロマンをもっと抉り取るときがきているのではないかとつくづく思うのだ。 
  
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古代史はミステリーロマン!!

2011-04-27 16:54:04 | 歴史・文化財
 冬の寒さに耐えながらもぐいぐいと読み込んだのが、関裕二さんの古代史シリーズの著作(『天孫降臨の謎』『出雲抹殺の謎』『なぜ日本書紀は古代史を偽装したのか』『古代史の秘密を握る人たち』『おとぎ話に隠された古代史の謎』『蘇我氏の正体』)だった。

 歴史って、つい年表の表面だけを追って事足りとして、いつのまにか自分も歴史の表層に巻き込まれている現実がある。

 邪馬台国からヤマト朝廷成立までの歴史的空白を埋め、『日本書紀』が著わす歴史の改ざんを暴こうとするのが作者の意図である。

 私が注目している哲学者の梅原猛さんが歴史界に提起した「祟り」の思想、伝承の捉え返しなどは、関さんと共通するものがあるのが発見だった。

 「出雲」を抜きに古代史・ヤマトは語れない。
 博多で勢力のあった「安曇族」が長野に逃れたのも、ヤマト成立、出雲抹殺と関係しているのかもしれない、という発見もあった。

 古代史ミステリーの探求は、現代史への問いでもある。
 バーチャルな世界に魂を奪われた現代にこそ、なにが本当のことなのか、物知りの歴史ではなく、自らの生き方・世界観を問う歴史との向かい合いが求められている。 
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生きている庚申講

2011-03-05 21:47:59 | 歴史・文化財

 集落の庚申講の当番が回ってきた。 60日毎にいつもは公民館でやられている。 庚申真言を唱和してから、つまみ・お茶・酒をやりながら雑談に花を咲かせて終わりなので、いままでは参加者は少ない。 そこで、わが家の庭で焚火を囲みながらやろうとわがままをやらせてもらった。

                 

 青面金剛像を見ると、左手には、法輪・弓・罪を犯した女性(髪の毛を持っている)。右手には、三叉槍・矢・宝剣。頭上には、ドクロ。

                

 絵の下のほうには三猿、ニワトリが配されている。 この絵の像が庚申の基本的なパターンだ。 この掛け軸に向かって拝むのだ。 江戸時代に興隆していた民間信仰がこの中山間地でいまだに続いている。 

 集落の人は12人ほど来てくれた。 ほんとうはみんな、天気のいい日だったので、農作業や仕事があったにちがいないのだが、なんとか工面してくれたのがうれしい。 焚火を囲んでイノシシの焼肉、アマゴのみそ煮、猪・豚汁、ダッチオーブンの焼き芋などが並び、みんな満腹になったのは言うまでもない。

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