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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「まやく卵」を進呈する

2024-05-13 21:47:40 | 出会い・近隣

 鶏を飼っている近所から和宮様にたくさんの卵が献上された。数えてみると40個もあった。こんなに大きな卵ケースは見たこともないし、その数も半端ではない。今までときどきいただいていた卵は和宮様じきじきのご手製の「まやく卵」が作られた。今回は卵の数が多かったが、謝意を込めてすべてを「まやく卵」にして近所や関係者に進呈した。

   

「まやく卵」は、刻んだ香味野菜にしょうゆなどの調味料に半熟ゆで卵を漬けたもの。 食べだすと次々に食べてしまうという病みつきの一品。SNSで話題となり爆発的に広まった韓国版味付け卵だ。

  

 半熟卵を漬けるタレがポイントだが、最近では、「麻薬卵のタレ」というのも販売されるというほどの人気だ。たしかに、このタレをご飯にかけるだけでもおかずはいらないくらいだ。また、ちょっとした時間におやつもどきの舌鼓・お茶の友としても味わえる。近所のご厚意が続く春。その春たけなわとともにひたすら深謝するばかりの日々だった。 

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貧乏だったけど昔のほうが楽しかったなー

2024-03-13 21:47:39 | 出会い・近隣

 定例の寄り合いが終わってから、70歳前後となった元「青年たち」に思春期から青春時代の話を聞いてみた。おおまかにまとめると。

 まず第一は、お酒の話。

「酒にすべてを注ぎ込んだような青春だったよ。ひとり1升飲むのはふつうで、近所の家を軒並み訪問してはそこで飲んだものよ。当時はどこの家に行っても同級生がいたからね。みんなで1斗や2斗はぐいぐい飲んだかもね。」

  

 第二は、学校でのこと。

「中学・高校になると寮生活があって、物理的に親子の接触がなかなかなくなってしまってさみしい思いが残った。そのぶん、いまでは孫たちも含めときどき賑わいある関係がとりもどせている。」

「<部活>も一年に休みが4日くらいしかないくらい猛練習を積んだのに、県大会ではいつも連敗続き。でもそれが今の仕事の頑張りに生きている。」

「国道がまだ舗装されていなくて、買ってもらった自転車で通学していた。山からガタゴト降りてきて帰りは暗くてしかも急坂を登るのがとても大変だった。雨の日はぬかるんでさらに最悪だった。」

   

 第三は趣味のバイク。

 「時代がバブルでオートレースブームがあったせいか、バイクに収入の大半をつぎ込んでしまった。その経験から自分は機械いじりが好きだったんだと今にしてわかった。現在の仕事もその影響が強烈だからだと思う。 スポーツは嫌いではなかったが、今思うに先輩に言われたとおりのレールを走っていただけからなんだな。」

 「親父に内緒でバイクの後ろに女の子を乗せて坂の上まで往復でガタガタ道を走ったな。ドキドキしながらスリルを楽しんだもんよ。だけど、坂から転倒してバイクを壊してしまい、親からえらく叱られたことがあった。」

    

   第四は、青年団活動 。 

  「町内に9つの青年団が次々結成されていって、若者がおよそ200人くらいいたかね。だから、そこからいろんな経験や人間関係を学べたね。また、それをきっかけに夫婦になったカップルも少なくなかったよ。婚活をやらないでも済んだってことだね。」

 「祭りの目玉として山の小学校の校庭に舞台を作ってそこで青年団オリジナルの芝居を上演したんだよ。また、子ども会やそのリーダーズクラブを結成して、宿泊研修会をお寺で開催したり、クリスマス会・ダンス会・キャンプファイヤーなどのイベントもやったし結構忙しかった。」

「青年団対抗駅伝大会もあってうちの地区では3チームもできて優勝候補だった。毎晩練習していたから体力だけは自信があったということだね。」

  

  第五は、街での修業。

 「家を離れて街なかで職人の修行をやっていた。当時は弟子の数も多く、技術も習得できていった。だけど、現在は技術がなくても機械がやってくれるから素人でもできちゃう。」

 「修業の合間に大都会に行ったりしていろいろな人や文化から学ぶことができたけど、田舎にもどってきて、あらためて田舎の良さをしみじみ再認識できた。」

  

  第六は、地域の生き物とのつきあい。

  「地蜂の穴を見つけて、夕方それを掘り出しに行くのが楽しかったね。
 アナグマやイノシシの捕獲は思い通りにはいかなかくて苦労したね。シカ・サル・カモシカは山奥にいたので、あまり見かけなかった。また、当時は害獣を捕獲しても報奨金は出なかったんだ。」               「朝と夕方はいつも川で釣りをしていた青春だった。県内のほとんどの川は制覇したよ。その延長に今の自分の仕事につながっているね。」                 

                                                  
   第七は遊び・娯楽。

 「中学のとき同級生たちと棒高跳びに熱中して暗くなるまで遊んだ。棒はもちろん近くの竹林の竹を使ったよ。東京オリンピックの影響があったかもしれない。」                                                         

 「テレビのある家が数軒しかなくてみんなでプロレスなどを見に行ったっけ。当時の映りはガーガーしていてよく見えなかったけど。」

 「寄合が早く終わるのを待って、すぐに麻雀・花札等の賭け事を始めたという時期もあったっけな。」

  そして、最後に。
 「各家庭に子どもが4人いるのが地元の標準でした。だから、4人を目標に懸命に子育てしたものですよ。」

 「貧乏だったけど昔の方が楽しかったなー。<昔は仕事に追われたが、今は金に追われている>というが、本当だね。」

 「都会の拡張は、目先だけの刹那的なものに追われ、なんでも商品化にしてしまうが、<自然>豊かな地方は、都会が失ったものがまだ残っているのが救い。だから、その価値を再発見して磨いていく、というのが地域の宿題だと思うよ。」

 

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水源地を掃除に行く

2024-03-11 21:26:58 | 出会い・近隣

 二か所の水源地を集落の5人で掃除に行く。ここ数年の大雨や台風の影響で取水しているわが集落の上流の状態を確認がてら掃除をしていく。取水地に行く林道も軽トラでないとパンクや脱輪の恐れがあり、途中からは徒歩となってしまう。水道組合の集落12軒を最近当番制にしている。三カ月に1回まわってくるからけっこう回転が早い。というのも、最近の自然災害がじわじわと酷くなってきたためでもある。気候変動対策が地球的に問われているが、なかなか便利と営利にはかなわない人類への祟りである。

  

 川の上流に設置された取水タンクの中に溜まった泥や砂をかき出す。この山奥の水が麓の水道施設のタンクに集められ、業者の水質検査及び残留塩素の測定などが行われる。十数年前は住民管理だったので塩素処理もなかったから、地元産のお茶がとても旨かったのは事実だ。今はときどきカルキの臭いが気になるときもある。

 

 

 集落の高齢化が進行するなか、この作業がいつまでもつかはわからないが、個人の当番制からグループによる当番制にしたのはまずは集落の知恵でもある。大都会に住んでいたオラにはこうしたライフラインの保守は人ごとだった。まさに、住民自治を声高に言わなくても粛々と実行している過疎地があること、人間がいることを忘れてはならない。

 

 次に、第二の川の水源地へ向かう。ここも途中からは徒歩だ。道路は行政から生コンの現物支給による作業で住民が作った立派なコンクリート林道だ。ここの取水タンクはより急峻な上流にある。パイプ支柱で作った階段を手すりをつかみながらゆっくり登っていく。

  

 ここの水源地では網の目を清掃する。冬は川の水が冷たいし、春や夏はヤマビルがしっかり出現する。川の水量が無くなってくると水道施設のタンク水量も減り、水道水制限の連絡をまわさなければならない。そんな手間はかかるが、月額の水道料は1500円という格安だ。しかも今のところ、タンクに水さえあれば水道水はつかい放題だ。

  

 だから、水源地へ行く手造りの道路も石ころや杉葉を除去していく。さいわい、集落の中に建設業に携わる住民もいるので道具やユンボは無償で提供される。都会では考えられない住民パワーと生きる力と知恵が凝縮されている。地域を支える原点がこの過疎の地には生きている。

 

 

 

 

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水源地が危ない!!

2024-02-26 22:11:21 | 出会い・近隣

  昨年の台風の影響で、水源地への道に亀裂が走った。オラたちの水源は二つの川からだった。その川には小さなタンクがあり、定期的にタンクに詰まった砂利や枯葉を排除することになっている。したがって、その川の水源に行くには車では行けなくなり、徒歩で数十分かけて歩くしかないという状況になった。

       

 山から流れ出た雨水は林道の一部を崩落させた。集落の人らが作ったコンクリート道路の一部が壊れ始め、亀裂が100mほどできてしまった。その亀裂の中に雨水が浸入すると道そのものが崩落してしまうので、とりあえずブルーシートで蔽いをしてできるだけ雨の侵入を防ぐ。

   

 そんななか、その道路がどれだけ沈下しているかを住民が自前で調査している。よくわからないが、レーザーの測定器のようなものを持ち込んでいる。画像首の下の緑の線で調整している。その結果、これらの数値を書き込みながら累計を行政に届けて、ゆくゆくは地盤沈下防止工事をお願いしたいというわけだ。

  

 調整は1㎜単位で行われている。結果は、大きな数値の変化はみられなかったようでまずは安心ということらしい。ブルーシート・砂袋効果が効いているわけだ。これらの資材は地元の防災倉庫からのもので、砂袋は自治会の力を得ながらそれこそ住民が総力を挙げてやり遂げた代物だ。

 というわけで、地域のライフラインは住民自身がやれることをやっている。住民自治の原点を見た思いだ。能登の地震災害の爪痕もなまなましいが、中山間地では地震以上に土砂崩れがいちばんの恐怖でもある。この崖下には、茶畑や鶏舎があるので地元の生活に影響が出てくる。

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新年に恵贈された恵みは…

2024-01-10 22:37:53 | 出会い・近隣

 新年早々、近隣から断続的に贈り物が届いた。元旦には、手作りの「芋汁」をいただく。このあたりの地域では、ヤマノイモのとろろ汁を「芋汁」という。地元ではこの自然薯栽培が活発だ。贈答品としても高価な食材にもなっている。それを大晦日から寝ない?でなんどもすり鉢で擦って、持ってきてくれただけにまろやかなとろろ汁だった。わが家は玄米食なので麦飯もどきと言っていい健康食でもある。

 新年の食事を持ってきていただくというありがたい芋汁でスタートすることとなった。これは幸先良い年になる気配を感じる。

       

 さらにまもなく、山の猟師から獲りたての「シカ肉」が届いた。近年急速に増加しているシカを年末から新年にかけて集中的に撃っているという。シカにやられ放題だっただけにそれはそれは有難い。さいわい、和宮様が最近とんかつを食べていないとおっしゃり、シカ肉のジビエ「カツレツ」を自ら作ってくださるという。

 トンカツの肉はもちろん「豚肉」だが、カツレツは肉の種類は問わないという。「カツレツ」はもともとフランスの「コートレット」が英語では「カットレット(cutlet)」という。それが訛っていき「カツレツ」になったという。ちなみに、「フライ」は魚や野菜を揚げたもの。意外に知らないことが多い。

 シカ肉カツレツはサクサクでウマカーだったのはいうまでもない。獲りたてのシカ肉だったせいか和宮様の料理上手のせいか、じつに柔らかいものだった。歯がぐらぐらのオラにはぴったしだった。新年早々、近隣からの恵贈品に頭が下がる。

      

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朝から夕方まで焚き火三昧

2023-11-13 22:10:24 | 出会い・近隣

 胸の高さくらいまで積んだ「コセンダングサ」などの雑草を燃やしていく。焚き火をやる日は雨が降った後にやることにしている。もちろん、火事・延焼の防止を配慮しているつもりだ。

 事前に、抜根した乾いた茶樹を投入したものの雨で濡れた雑草はなかなか燃えてくれない。しかも、途中から雨もしとしとやってくる。やめようかと思っていたが、お昼ごろ青空がちょっぴり見えてきたので決行と決める。急に決めた平日の焚き火だったが、友人二人がやってきてくれた。今回は雑草で草木灰を作ることに忙しくて写真を撮る余裕がなかった。

           

 上の画像は約ひと月前の画像だが、ほぼ同じようなやり方で焼き芋と珈琲を用意する。また、友人が持ってきてくれた自然薯汁をいただきながら、干物のホッケを七輪で焼いて遅い昼食とする。そして、ボンジリを七輪で焼いていく。そこへ、和宮様が畑で間引いたルッコラなどのサラダを差し入れしてくださった。メインをフライパンのピザづくりを予定したが、自然薯の迫力には勝てなかった。

 今季いちばんの寒さが気になり暗くもなってきたので解散となったが、久しぶりの会食と歓談に花咲く焚き火会となった。おかげで、どーんと積んであった雑草も一掃され草木灰として畑に戻されることになる。すべてが循環している時空と人とのつながりが快い。

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アーたんテルくんの援農

2023-10-28 21:55:02 | 出会い・近隣

 先週、アーたんとテルくんがオラの雑草農園にやってきた。たまたま刈り取った雑草の山が積んであったので、それを燃やしながらダッチオーブンで焼き芋をつくりを始める。しかし、焚き木をくべているとき、ダッチオーブンの蓋をずらしてしまったようでねっとりした焼き芋はできず失敗となる。

           

 夕方には、生のカキを熾火で焼いてみる。テルくんが黙々とカキを焼いてくれて貝柱も切ってくれたのでおいしくいただいた。このカキは、中国政府の原発処理水問題に対する日本の水産物ボイコットに対し、東北の漁業者が打撃を受けたことへの支援策として購入したものだ。また、エビや焼き鳥のボンジリも焼いて炭焼きコーヒーを飲みながらお互いの再会を祝福したのだった。

   

 二人は一泊二日の強行軍で援農に来てくれたのだが、昨年の9月末にバタフライガーデンの三分の一くらいの防獣柵を設置してくれた。今年は手際よくその残りをやってくれて、あと10mほどで終わるところだったが、自前のネットの在庫がなくなってしまって終了となった。それでも、シカの侵入はしばらくないと確信し胸を撫でおろす。なにしろ、カボチャの若い苗が全滅、桜・アジサイの若芽や枝が折られるなどの被害が続いていたからね。

 

 バタフライガーデンもやっと通路が雑草から回復されて間もないころだった。やることが多すぎてなかなか手が回らない。ほんに、スローライフは忙しい。喜寿を迎えたオラとしても思うように体が動かない。暇を持て余す高齢者をいっぱい目撃してきたオラにとっては心が複雑になる。それ以上に、目標を持てない若者がハロウィンで盛り上がるのはいいとしても、仮装をしながらでも援農ができたら渋谷に行くことは必要ないし、百姓も地方もとっても助かるのに。日本の劣化がはなはだしい。

      

  アーたんとテルくんの精力的な働きで抜根した茶樹の焚き木も次々集められた。それでも、一日中焚き火をしているとあっというまに足らなくなる。ここでできた灰はこんどは畑に還元され、野菜となってオラたちの食料として還元される。さらにいえば、オラたちが消化した食べ物は「し尿」として再び畑にもどされ肥料となる。こんな循環に手ごたえを得ている日々でもある。

 そうしたとき、アーたんとテルくんらの若い思いと汗が田舎とつながったとき、日本も捨てたものではないと感動のオーケストラを奏でてくれたのだった。「そうだ、渋谷を捨てて田舎に行こう」、がこれからの日本と日本人を豊かにするのではないか??

   

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地域防災隊出動💪

2023-08-16 23:43:12 | 出会い・近隣

台風7号が来る前にということで、急遽、地元衆が先週11日午前8時に集合する。すでにそこには、スコップや砂や土嚢袋が用意されていた。自治会役員や組長・消防団などの事前の準備が万端であることがわかる。さっそく、土嚢袋に砂を入れる作業が開始される。全部で150袋以上は作っただろうか。汗が流れるのがわかる。

              

 軽トラックに分乗して土嚢とともに現場に急行する。林道もかなり荒れていてトラックの振動も半端ではない。この林道は水道の水源へ行く道でときにライフラインの要ともなる。現場の林道には20mほどの亀裂があった。ここに雨水が沁みていけば土砂崩れとなるのは時間の問題でもある。民有地でもあるので行政はすぐには動いてくれない。

             

 まずはブルーシートを広げ雨水が浸透しないようにシートを敷いていく。そこに、風や雨でシートが飛ばないよう、また雨水の進路を考慮して土嚢を置いていく。100袋でも足らず、もう50袋以上を追加して軽トラックでピストン輸送する。その間に落ちた枝葉や石などを除去し林道の清掃をする。集落の水道は沢の水から取水しているので、ときどき当番が水源に点検しに行く。

   

 集落の主要な顔ぶれが集まったためか、2時間強くらいで作業は終了する。中山間地で生きる人々の作業効率の素早さに、よそ者のオラはただ指をなめるだけだった。作業は仮設だが、本格的には自治会を中心に公的な支援をすでに要請している。

 台風7号は鳥取や富士山周辺では猛威をふるっているようだが、最近の被災状況は今までにない事態が始まっている。オラの経験則からしても国道の土砂崩れは頻繁になってきたのは間違いない。従来だと数か所だった災害がここ数年では10か所以上にもなっていて、規模も大きい。地球温暖化や人類の環境破壊を阻止する活動ができるかどうか、SDGsのささやかな行動に対して自分では何ができるかが問われている。その意味で、江戸の暮らしの先進事例にも学ばなければならない。進歩することが絶対ではない。自然とともに牛歩に生きる、そんな時代が来ているのでは。

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心配!!炎天下での出荷作業

2023-08-02 22:50:31 | 出会い・近隣

  きょうは「ホオズキ」の出荷日だ。近隣ではこれの収穫が夏の風物詩ともなっている。7・8年前だろうか、オラもお手伝いに出かけたが、一発で熱中症もどきとなってダウンした。当時より、現在の方が灼熱地獄は進化しているから、従事している人が心配となる。米を作っている田んぼではその一角をホオズキが占めている。

  

 3月に苗を定植するから、ほぼ半年以上をかけて栽培することとなる。しかも、ナス科なので連作障害がある。毎年、植える場所を変えるから、大地主でないと取り組めない。さらに、作業も支柱建て・牽引・消毒・肥料など、細かい作業も少なくない。60万人も訪れるという台東区浅草寺の「ほおずき市」に出されるホオズキのかなりは浜松産だという。

         

 高さ1m以上、実は11玉以上、上部だけ葉を残すという最高品質を目指している。そのため、害虫駆除や色づけのための農薬や薬品を大量に使う。むかしはホオズキを口に含んできゅっきゅっと鳴らす光景はいまや見られなくなった。市場の見たくれの華やかさという基準が疑問でしょうがない。

         

 そういえば、オラの畑にホオズキがときどき出てくる。ほとんどは雑草扱いで抜いてしまう運命だったが、庭の雑草のなかなら心配ない。実の大きさはプロにはかなわないが、色は遜色ないように思える。無農薬のホオズキが基準にできないものだろうか。先祖がお盆に還ってくるその目印の提灯である「ホオズキ」が農薬漬けでは先祖も興覚めではないだろうか。消費者はそんな事情は考慮していないだろうけど。農協よ、地球を思いやるポリシーを持ってくれよなー。

  

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♪「青空に残された 私の心は夏模様」♫

2023-02-27 22:42:47 | 出会い・近隣

 先日、集落の新年会が行われた。そこでは、ヤマノイモの芋汁が準備された。オイラも午後からすり鉢を押さえたり、すりこ木を回すお手伝いをさせてもらった。また、買ってきたばかりのタコ焼き器でのたこ焼き初披露もあり、いずれも、新年会を事前から準備するという画期的な?集いとなった。

 それ以上に画期的なことは、ドリンクは自前で持参するということにしたことだ。というのは、昔は全員が酒が飲めるのが前提で、酒とつまみだけだった。しかし、オイラのような下戸がいたり、大酒飲みもいたり、酒の種類にこだわる人もいたり、飲む量が違うのに会費が同じだった。これでは女性も参加できない仕組みでもあった。今回も男だけの出席は従来通りという限界もあるが、飲まない人をも考慮するという歴史的な新年会となった。これは次のステージを展望した第一歩にもなる。

          

 新年会の後半に、オイラの提案で「少年時代の遊び」をテーマに話をしてもらった。「Sケン」はみんな経験があったが、「Sケン」とは言わず、「エスデコ」と称したらしい。石の上に足を置けばケンケンしないで休める場所だったという。(イラストは「ミックスじゅーちゅ」webから)

 

      (イラストは「みんなの教育技術」webから)

 定番は「三角ベース」。ボールはまだ手製で、バットはショイゴの「ニンボウ」という休む時に使う杖を利用したという。当時高学年中心だったメンバーは、今では60歳代後半から70歳代の顔ぶれだ。それは日本の高度経済成長を担ってきた団塊の世代とその後継者でもあるが、その余波は中山間地の子どもにはまだ届いていない。

        (画像は「久保浩の昭和ダイアリー」webから)

 「長馬」は60歳代以上はやったことがなかったようだが、40歳代は学校で遊んだ経験がある。しかし、人数が少なかったので忙しかったという。馬側の負けは馬が崩れたとき。乗る側の負けは落馬したとき。勝負がつかないときはじゃんけんで決める。ただし、腰椎の怪我もあったようで、全国的に禁じられた遊びになっていく。オイラはちびだったので一番最後に飛び乗った記憶がある。

       (イラストは「いらすとや」webから)

 「缶けり」は人気の遊び。学校の校庭でダイナミックに遊んだ時もあるが、山本さんち周辺で遊んだのが忘れられないという。缶は玄関前近くに置き、隠れる側は竹林と家との狭い路地を利用したりして蹴っていった。また、近くに下水管がありそこを通って隠れたが、さすがに親に怒られた。隠れる場所が多く狭くても複雑な環境が魅力だった。

   イラストは「syanaiunndouk(ai .com」から) 

 自転車のリムを竹の棒で転がして遊んだ「わっぱまわし」もよく遊んだ。カーブは棒の当て方を少し変えないと失敗する。また、「ネコ玉鉄砲」は近くにあったジャノヒゲの紫の実を玉にして、しの竹で鉄砲を作った。「水雷艦長」の遊びは、艦長を捕獲した組が勝ち。ただし、艦長を捕まえられるのは水雷だけ。水雷を捕らえられるのは駆逐艦、駆逐艦を捕らえられるのは艦長。「けいどろ」は、警察と泥棒の鬼ごっこ。     

              (イラストは「shutter stock」webから)

 「くびっちょ」という、鳥わなで野鳥を獲ったのも大きな想い出のひとつ。今は法律で禁止されているが、当時の中山間地では焼鳥にして貴重なたんぱく源、おやつにもなった。獲った野鳥は、ヒヨドリ・ジョウビタキ・カケスなど。通学前に仕掛けをいくつか作り下校途中に獲物を見つけ、鳥をポケットに入れて持ち帰るのがうれしかったという。イラストのわなは参考例。

                   

 青年になると、消防団の仲間とゴルフボールを打ち飛ばして危険を楽しんだり、お盆には4地区対抗の野球大会をやったりしたのが楽しみだった。また、むかしは中折れ式の「空気銃」が自由に使えたので銀玉で猫を撃つようないたずらもあったとか話は尽きない。話は盛り上がりすぎてそれぞれの話が交錯して聞き取り不能。

 難解な歌詞の「少年時代」のメロディが、短い少年時代の変幻を井上陽水が謳う。

 ♫…「夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう

    青空に残された 私の心は 夏模様 」 ♪

 

 

   

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