Eugene Atget(ウジェーヌ・アジェ:1856-1927)。ボルドー近郊に生まれ、水夫や役者などを経験した後、1888年頃から写真を撮り始める。
しかし、彼が撮った写真は、当時の商業写真。つまり、画家たちが作品を描くに当たっての資料用写真を撮っては販売していたようです。従って、決して芸術論や写真論を語ることもなく、テクニックにしても新しいものを追求したわけではない。それでいて、彼の写真からは、純粋さ、ひたむきさが見る者の心に突き刺さってきます。強烈な印象を残すことになります。それゆえか、近代写真の父とも言われているようです。
彼の作品の回顧展“Atget, une retrospective”が、国立図書館・リシュリュー館で行なわれています。
彼が撮ったのは、19世紀末から20世紀初頭にかけての、パリの街並み、庶民の暮らし、住まい、公園などです。全く気取ったところのない、普段着のパリ。それは、彼のドキュメンタリー性と感受性が捉えた呼吸するパリです。街の息遣いが聞こえてきそうです。
サン・ルイ島(上)とポン・ヌフ(下)。
いろいろな商売。八百屋、魚屋、そして箒などの日用品を売る店。
当時の住まいの中。
パリの街を走った車。
すでに完成していたパッサージュ(アーケード街)。
左はベルトン通り(rue Berton)。先日、バルザックの家で紹介した「通り」ですが、なるほど、今も当時も同じ佇まいですね。こうして100年前と今を比較できるのも、写真の記録性のお陰かもしれません。そのことに早くから気付いていたからこそ、アジェは街の記録、庶民の暮らしの記録を多く残したのかもしれません。
アジェは芸術としての作品発表などを一切行なわなかったせいか、ほぼ無名で亡くなっていますが、彼の晩年にその写真に心酔したのが、マン・レイのもとで写真を学んでいたベレニス・アボットというアメリカ人の女性カメラマン。上のアジェのポートレートも彼女の作品ですが、彼女の働きで、アジェの多くの作品がニューヨーク近代美術館によって買い上げられました。その結果、散逸を免れ、一大コレクションになっているそうです。
美的価値よりも記録の集積としての写真の価値に重きを置いたアジェ。フランスよりはアメリカで評価されているのかも知れません。やはり商売よりは芸術論の国フランス・・・それでも、会場には多くの観客が来ており、ここはパパが子どもの頃住んでいたところよ、などと話しながら懐かしそうに見入っている老婦人など、回顧展にふさわしい雰囲気ではありました。
Bibliotheque Nationale, site Richelieu
58, rue de Richelieu
7月1日までの開催(月曜祝日休館)
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しかし、彼が撮った写真は、当時の商業写真。つまり、画家たちが作品を描くに当たっての資料用写真を撮っては販売していたようです。従って、決して芸術論や写真論を語ることもなく、テクニックにしても新しいものを追求したわけではない。それでいて、彼の写真からは、純粋さ、ひたむきさが見る者の心に突き刺さってきます。強烈な印象を残すことになります。それゆえか、近代写真の父とも言われているようです。
彼の作品の回顧展“Atget, une retrospective”が、国立図書館・リシュリュー館で行なわれています。
彼が撮ったのは、19世紀末から20世紀初頭にかけての、パリの街並み、庶民の暮らし、住まい、公園などです。全く気取ったところのない、普段着のパリ。それは、彼のドキュメンタリー性と感受性が捉えた呼吸するパリです。街の息遣いが聞こえてきそうです。
サン・ルイ島(上)とポン・ヌフ(下)。
いろいろな商売。八百屋、魚屋、そして箒などの日用品を売る店。
当時の住まいの中。
パリの街を走った車。
すでに完成していたパッサージュ(アーケード街)。
左はベルトン通り(rue Berton)。先日、バルザックの家で紹介した「通り」ですが、なるほど、今も当時も同じ佇まいですね。こうして100年前と今を比較できるのも、写真の記録性のお陰かもしれません。そのことに早くから気付いていたからこそ、アジェは街の記録、庶民の暮らしの記録を多く残したのかもしれません。
アジェは芸術としての作品発表などを一切行なわなかったせいか、ほぼ無名で亡くなっていますが、彼の晩年にその写真に心酔したのが、マン・レイのもとで写真を学んでいたベレニス・アボットというアメリカ人の女性カメラマン。上のアジェのポートレートも彼女の作品ですが、彼女の働きで、アジェの多くの作品がニューヨーク近代美術館によって買い上げられました。その結果、散逸を免れ、一大コレクションになっているそうです。
美的価値よりも記録の集積としての写真の価値に重きを置いたアジェ。フランスよりはアメリカで評価されているのかも知れません。やはり商売よりは芸術論の国フランス・・・それでも、会場には多くの観客が来ており、ここはパパが子どもの頃住んでいたところよ、などと話しながら懐かしそうに見入っている老婦人など、回顧展にふさわしい雰囲気ではありました。
Bibliotheque Nationale, site Richelieu
58, rue de Richelieu
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思わぬときに思わぬところで遭遇したり、実は近くにいたり、ということがありますね。言い古されてはいますが、世界は狭い!
ところで、写真の思い出に語りかける力、強いですね。アジェから義母さん、そして藤村、『初恋』、そのモデル・・・写真が思い出に語りかける、思い出が写真に寄り添う・・・思い出のアルバム。どこかで聞いたようなせりふになってしまいました。
カンパーニュ・プルミエール通りの情報、ありがとうございました。
ご転勤ご苦労様です。でも、ロンドンですから、パリにも時々は戻ってこられるのではないでしょうか。まさに「二都物語」ですね。これからは、ぜひ今のロンドンをご紹介ください。楽しみにしております。
弊ブログへのご訪問も、引き続きよろしくお願いします。
アジェの写真を見ながら、義母が子供の頃、藤村の「初恋」のモデルになった方にかわいがられているところの写真を思い出しました。時代と共に変わってゆく風景、新しくまた時代と共に生きる風景…また観光ではなかなか見られないパリの一こまをご紹介頂き、楽しく閲覧させていただきました!!
懐かしい名前ですね、同潤会アパート。昔、アート系の人にとってはここに住むのが憧れだったように記憶しています。そして、その地域をモノクロで!これは素晴らしい!!一度拝見させていただきたいものです。
ご存知かもしれませんが、“Le petit parisien 3 plans par arrondissement”という区ごとの地図帳は便利です。通りの名からの検索が出来ます。6.50ユーロで売っています。ご参考になれば幸いです。
アジェの写真、行ったこともない土地のものなのに、なぜか懐かしい感じがします。私の夫は写真を撮るのが趣味で、生まれ育った渋谷区代官山の同潤会アパートあたり(年がばれますネ)を撮ったモノクロ写真がたくさんあります。すでに同潤会アパートは高層マンション「アドレス」に生まれ変わって跡形もなく、時の流れを感じます。
パリへ行ったら絶対に行きます~。