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50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

成瀬巳喜男監督特集。

2006-11-11 00:24:39 | 映画・演劇・文学
11月2日から、パリ日本文化会館で『成瀬巳喜男監督特集』が始まっています。


(フランスの映画専門誌『カイエ・デュ・シネマ』で紹介された成瀬特集です)

上映されるのは31作品。学生時代、岩波ホールや燃えてしまった京橋のフィルムセンターで溝口や黒澤はよく観たのですが、成瀬は『めし』・『浮き雲』・『山の音』くらいしか観ていません。今回は是非できるだけ多くの作品を、パリで観たいと思っています。

まず最初に観てきたのが、『夜ごとの夢』。成瀬初期の傑作といわれている1933年の作品です。


玄関受付に、ポスターや上映時間などの案内が出ています。

上映会場のある地下3階のホールには、かつてフランスで上映された日本映画のポスターがパネル展示されていました。

会場は、大ホール。上映が始まると、スクリーンの下に細長いサブ・スクリーンのようなものが現れました。この作品、無声映画なのですが、今回の上映用の素材は英語バージョン。日本語字幕の上に、英語訳が大きく出ているので、フランス語訳はサブスクリーンのほうに控えめに出すことになったようです。でも、きちんと読めます。実は一番読みにくいのが、日本語字幕! 細く読みにくい書体の上、黒バックに茶色ですから、見難い。しかもその下半分くらいが、白抜きのはっきりとした英語に覆われていますから、ついつい英語を読むことになってしまいます。でも、十分にストーリーは分かります、問題なしです。

観に来ていたのは9割方フランス人。若干年配の方が多かったですね。マンガやアニメを通して日本への関心をもっている若い人が多いのですが、昔の映画ともなると、興味をもつ層も世代が上になってしまうようです。でも、“やるせ泣き男”とも呼ばれ、庶民の心の機微を紡ぎだすのに秀でた成瀬監督。その作品に描かれた庶民の歴史があってこその今日の日本です。日本に関心のあるフランスの若い人たちにもぜひ観てほしいと思います。


これがプログラムです。12月2日まで、断続的に上映されます。14時、16時半、19時半の1日三回上映で、それぞれ異なった作品を上映しています。


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イヨネスコ劇50年―ユシェット座。

2006-11-09 01:35:13 | 映画・演劇・文学
パリ5区に一人の作家の劇、それも2作品を50年にわたって上演し続けている劇場があります。ユシェット座。

そのロングランぶりはギネスブックにも登録されており、パリの隠れた名所になっています。場所もセーヌ河畔の南側、サン・ミシェル河岸からすぐ1本目の道(rue de la Huchette)で、サン・ミシェルとノートルダム寺院の間です。

観光客相手のさまざまなレストラン、バー、カフェが立ち並ぶ狭い通りなのですが、その23番地で設立時から観客を迎え続けています。

作家の名は、イヨネスコ(Eugene Ionesco)。ルーマニア人の父とフランス人の母の間に1909年ルーマニアで生まれ、子供時代をパリで、学生時代はルーマニアで過ごし、そして1939年にパリへ。それ以降パリに住み、劇作を中心に作家生活を送りました。1970年にはアカデミー・フランセーズの会員に。1994年死去。

イヨネスコが最初に書いた劇が1950年の『禿の女歌手』(La Cantatrice chauve)。翌年に『授業』(La Lecon)、52年に『椅子』と次々と発表。古典的演劇手法を無視したこれらの不条理劇は、最初は理解されませんでしたが、50年代後半に一気に人気を博すようになり、イヨネスコはベケットらとともに「ヌーボーテアトル」の旗手といわれるようになりました。

イヨネスコの最初の2作を50年にわたって上演し続けているのが、このユシェット座というわけです。

イヨネスコの顔写真をデザイン化したポスターですが、その上に貼られているように、今年で上演50年、15,500回の上演回数になります。それぞれ初演時はほかの劇場で上演されたものの、『禿の女歌手』と『授業』の2作は1957年2月16日からず~っとユシェット座で上演されています。来年2月には丸50年になります。

ユシェット座は1948年に設立され、2代目の経営者の死後(1975年)、一時存続の危機に立たされましたが、俳優や裏方など上演に関係する人たちが自らの運営組織を作り、危機を乗り越えました。1950年代にカルチェ・ラタンに多くあった劇場がひとつ消え、ふたつ消えする中で、ユシェット座だけが5区唯一の劇場として生き残っています。

今回見てきたのは、夜7時からの『禿の女歌手』。演出は、なんと1950年の初演と同じニコラ・バタイユ氏。初演時に20歳だったといいますから、いまや76歳。しかし今でも現役の演出家です。このニコラ・バタイユ氏、ご存知ですか。60年代から70年代にかけては日本にも住み、NHKのフランス語TV講座に出演したり、寺山修二と組んだり、宝塚はじめ多くの劇団で演出を手がけ、1969年には「紀伊国屋演劇賞」も受賞しています。私は、大学時代、NHKのTV講座で名前を覚えました、顔はすっかり忘れてしまいましたが。


ユシェット座は、補助席を入れても80席程度。ご覧のように非常に小さい劇場ですが、「アンチテアトル」とか「フランスのアングラ劇」とも言われたイヨネスコの作品を演じるのにいかにもふさわしい劇場です。この日はドイツからの学生グループを含め、8割程度の入りでした。金曜・土曜は予約で一杯だそうです(日によっては9時から3作目の上演があります)。フランス国内、そして外国からも一度イヨネスコの芝居をユシェット座で、と見に来る人たちが後を絶たないそうです。

言葉にこだわり、言葉の意味を微妙にずらすことによって滑稽な不条理を描き出し、しかもその中に人間存在の孤独・危うさを描き出しているイヨネスコの芝居。ユシェット座の関係者にはぜひとも、50年で途切れることなく、100年連続上演を目指して欲しいと思います。入場料19ユーロ、同じ日に2作見る場合は29ユーロ、パンフレットは4ユーロ。今でも劇団員たちの自主運営になっているユシェット座です。不条理劇の歴史を守るためにも、微力な支援ですが、時々足を運ぼうと思います。


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映画の話~『indigenes』

2006-11-07 00:24:52 | 映画・演劇・文学
先日、映画を見てきました。話題作の『indigenes』(アンディジェーヌ:植民地の現地人、といった意味)。第二次大戦中、「祖国」フランスのためにと参戦した当時の植民地(北アフリカを中心に、サハラ以南も含む)の人たちを描いた作品です。


しかし、どうも実態をきちんと理解したうえでの入隊ではなかったようです。彼らが送り込まれたのは、最前線。ドイツ軍の攻撃に晒され続けます。次々と倒れていく仲間たち。それでも前進を続けるうちに、北アフリカからシシリー、イタリア、プロバンス地方、そしてアルザス地方へと進軍していきます。その間に配給に対する差別などの問題も発生。しかしなんといっても酷いのは、彼等の多くの犠牲の上にアルザスを解放したにもかかわらず、ニュースで伝えられたのは、フランス人(白人)軍人と地元の人々が解放を喜びあう姿。フランス軍がアルザスを解放した、というコメントがその上にのります。植民地出身者は蚊帳の外。軍の中で昇進するのも白人のみ。最も危険な任務は植民地の人間にやらせ、おいしいところだけ自分達で取ってしまう・・・。しかも、白人の中にも差別がある。Les pieds-noirs(ピエ・ノワール:黒い足)と呼ばれる、北アフリカの植民地へ移住した白人たち。彼らは現地人のとりまとめをしながら最前線で戦うものの、軍曹どまり。将校にはなれません。若い経験のない白人が、いきなり少尉とか大尉とかになってしまいます。

しかも生き残った人たちへの軍人恩給にも大きな差をつけていた。ひどい例ではフランス人(白人)の十分の一という例もありました。この映画を観たシラク大統領の奥さんが、「ジャック、余りにひどいわ、何とかしてあげて」と言ったとか、言わないとか。でも、この映画が封切られてすぐ、政府は年金の改善を発表しました。しかし、戦後61年。どれだけの人たちがその恩恵に浴することができますやら。

ただ、立派だと思うのは、こうしたフランスの恥部ともいえる歴史を描く映画であるにもかかわらず、いくつもの自治体やテレビ局をはじめ多くの企業が協力・支援していることです。歴史は歴史、あくまで事実を直視し、その中から教訓をしっかり汲み取ろうという気概といったものが感じられます。決して臭いものに蓋をしたり、過去を水に流してしまったりせずに、過ちであれば反面教師として同じ過ちを繰り返さない術を考える。こうしたことの繰り返しから知恵も生まれてくるのではないでしょうか。歴史を教訓として生かしている点は立派だと思います。

なお、ポスターに登場している男優たちがグループでカンヌ映画祭の主演男優賞を受賞しています。

こちらで観た映画のご紹介は初めてだったかと思いますので、映画館のご紹介を。

観たのは、UGC Cine-Cite Les Halle(レ・アールにあるシネコンプレックス)。全部で20の上映ホールがあり、それぞれ異なった映画を上映しています(横一列の小さなパネルは、各ホールで上映している映画と上映時間の紹介)。こうしたシネコンプレックスがパリ市内にいくつもできています。

ロビーは、こんな感じで、宇宙船みたいなインテリアですね。上映ホールはそれほど大きくなく、90席ほど。ただ、きれいで、階段の角度もついているので、前の人の頭が邪魔になるようなことはありません。

料金は、普通9.8ユーロなのですが、朝一番(9時過ぎから)の上映は5.5ユーロ。割安料金になっています。格安料金をうまく利用すれば、たくさんの映画が観れそうです。

さすが、映画発祥の国。多くの劇場で、多くの映画が毎日上映されています。利用のし甲斐があります。


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「平田オリザ」を、パリで観る。

2006-10-18 00:57:43 | 映画・演劇・文学
劇団青年団のパリ公演『S高原から』を、先日ご紹介しましたパリ日本文化会館で観てきました。


フランス語のポスターが用意されていますが(芝居名は『S高原からの便り』)、何しろ日本語公演(フランス語字幕表示)ですので、限られた場所に配布したのでしょう、殆ど目に付きませんでした。

さて、10月14日、7日間の公演の最終日、こちらの一般的な上演時間に合わせて夜8時開演。地下3階のロビーには劇団青年団のいろいろな上演時の写真が展示され、観客が見入っていました。


劇場(大ホール)内は撮影禁止でしたので、舞台の様子は青年団のホームページから接写させてもらいました。

パリ公演の舞台もほぼ同じです。ただフランス語字幕を表示する関係で、レースのカーテンを取り払い、その代わりに森の写真パネルを3枚増やし、その間に1枚文字表示用のスクリーンを挟み込んでいました。それ以外はご覧の写真のままです。

入場すると、すでに長い椅子の上に2人の役者が寝そべっています。観客が増えるに従い、喫茶係りの役者や院長役の役者が出たり入ったりをし始めました。こうした演出はきっと日本での上演時と同じなのでしょう。こちらの伝統的演劇では杖で舞台を3度たたいて開演を知らせ、カーテンが上がるようになっていますが、それとは全く異なり、いつの間にか始まった、といった感じです。この辺、「現代口語演劇理論」の青年団らしい始まり方ですね。

日常の静かな時間を舞台に乗せる。サナトリウムに半年入院しているうちに恋人が別の男性と結婚することになってしまった男性患者や、4年の入院期間中最初に見舞いに来ただけの両親が突然見舞いに来ることになった、体調のすぐれない男性患者、女性患者に付き添う兄の異常なまでの妹思いなど、劇的要素はたくさんあるのに、それらが淡々と、静かに語られ、進行していく。私たちの人生も、きっとこうなんでしょうね。誰もがヒーローやヒロインになれるわけではなく、本人は大変だと思っていても、時は静かに過ぎ去っていく・・・静かに静かに体内に残り続けるようなメッセージです。

さて、こうした演劇手法がフランスで受け入れられるのか。何しろ、照明が落ちたものの、なんとなく終わったような終わっていないような感じで、暫く間があってからようやく拍手が始まったくらいですから。しかも、240人ほど収容できる会場が、約半数の入り。ただし、8割はフランス人で、日本人は2割ほど。毎日同じようだったとすると、700人ほどのフランス人がこの芝居を見たことになります。

でも、どうも心配は要らないようです。今回が青年団の初めてのフランス公演ではなく、過去に何度も来ていますし、『S高原から』は2003年と04年にフランスの劇団により上演されているそうです。また、『ソウル市民』と『S高原から』はフランス語訳され出版されているので、外国の演劇に興味のあるフランス人の間では注目されているようですね。何しろ、劇団青年団のホームページにはフランス語版もあるくらいですから。

青年団や劇作家・演出家の平田オリザ氏については今までにこちらの新聞でも紹介されたことがあるようで、その切抜きがロビーに掲示されていました。

(2003年5月20日のル・モンド紙です。『東京ノート』を紹介しています。)

(2006年7月24日のル・モンド紙です。アヴィニョン演劇祭に参加した『ソウル市民』を紹介しています。)

終演し、10時過ぎに外に出ると、目の前にエッフェル塔。ちょうど点滅を始めたところでした。

久々の日本語での観劇。よかったですね。またぜひ観たいと思います。劇団青年団の再演をエッフェル塔も待っているようです(ちょっと、こじつけ過ぎ?!)。

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風の谷のナウシカ。

2006-08-18 01:02:37 | 映画・演劇・文学
8月23日の劇場公開が待ちきれないかのように、今パリの街に、『風の谷のナウシカ』の広告があふれています。


タイトルはフランス語で、“NAUSICAA de la vallee du vent”と直訳されています。宮崎駿監督の傑作、8月23日ついに劇場公開! 左下には日本語のコピーがあります。
木々を愛で、
虫と語り、
風をまねく鳥の人・・・


メトロの通路にはこのように連続で掲出されていますし、

屋外でも、バス停に掲出されています。

さらに、バスの車体にまで貼られています。

若い人を中心に人気のある日本のマンガとアニメ。その中でも宮崎監督の知名度は群を抜いているようです。

しかも、日本のマンガ・アニメの愛好者の輪がいっそう広がってきているようです。老若男女・・・日本の経団連が2009年に「アニメ・ロボット博覧会」を計画しているようですが、アニメは確かに今日の日本の武器であり、日本を象徴しているのかもしれません。

モリエール。

2006-06-27 03:58:21 | 映画・演劇・文学
25日(日)、コメディ・フランセーズにモリエールの芝居を見に行ってきました。

ルーブル美術館のすぐそば、パレ・ロワイヤルの脇にあります。

17世紀の喜劇作家、モリエールのために作られた劇場で、メゾン・ド・モリエール(モリエールの家)とも言われました。今では喜劇だけでなく悲劇も上演されていますが、名前は、コメディ・フランセーズ(フランス喜劇)のままです。写真は、劇場の外壁にあるモリエールのレリーフです。

この日の演目は、"L'Amour medecin"(恋は医者)と"Le Sicilien ou L'Amour peintre"(シシリー人あるいは恋は画家)の2作(タイトルの日本語訳、違ってたら、ゴメンナサイ)。笑劇(farces)で、わからずやの父親や金持ちをうまくだまして恋する若者同士が結ばれるというよくあるお話で、音楽やバレーを取り入れた見ていて楽しい2作でした。2階の舞台に最も近い場所で12ユーロ。演目にもよりますが、高くても30~40ユーロ程度です。

劇場内は、馬蹄形をしており、4階までありますが、収容人員はあまり多くなく、400人程度ではないでしょうか。天井画やシャンデリアなどに歴史の重みを感じます。

写真は、幕間の休憩時に軽く一杯やったりできるフォワイエです。やはり天井画やシャンデリアが立派です。日曜のマチネだったせいか、服装もカジュアルな人が多く(ジーパンもOK)、気軽に楽しめました。

パリを振りかえる、映画で、写真で。

2006-04-19 02:12:53 | 映画・演劇・文学
今、パリ市役所が、“パリ”を映像で回顧する企画展を行っています。市役所(Hotel de Ville)で開催中の、“Paris au cinema”と“Willy Ronis展”。さすが、パリ市、入場無料です。だからという訳ではないでしょうが、すごい人気です。入口に行列ができています。


まずは、“Paris au cinema”(映画に描かれたパリ)。パリを舞台にした映画を一挙に紹介しています。

パリの屋根の下、北ホテル、天井桟敷の人々、ペペルモコ、ヌーベルバーグの名画の数々、オードリー・ヘプバーン主演作品(パリの恋人、シャレード、パリで一緒に)、そして最近の名作・・・文字通り、枚挙に暇がないほどの充実ぶりです。展示されているのは、セットの原画、俳優が着た衣装、そして何より名場面の数々。そこにもここにも、パリが息づいています。セットで撮影された名画、ロケで撮影された名作・・・さすが絵になる街です。改めて実感しました。

なお、この企画の協賛に一社日本企業(NEC)が名を連ねています。もちろんパリ市へ向けたマーケティング活動の一環なのでしょうが、日仏の文化交流にとってもいいことですね。6月末までの開催です。


もう一つが“Willy Ronis展”。20世紀の30年代から80年代にかけて、パリを舞台に人と街をモノクロ写真で捉えてきたカメラマンの作品です。

モノクロならではの光と影。舞台は、パリの何気ない街角。しかし、どのショットにも、人間がいます。さまざまな表情のパリジャン、パリジェンヌたち・・・。街と人が見事にシンクロナイズしています。どちらも主役。アングルも申し分なく、実にいい写真です。この写真作家、知らなかったのですが、すばらしい! 勝手に、私の先生にしてしまいましょう。

この作品展は去年の10月から今年2月までの開催予定でしたが、人気がすごいので、5月まで延長されています。

パリのシェイクスピア。

2006-01-11 02:58:50 | 映画・演劇・文学
ドーバー海峡を跨げばすぐのイギリスとフランス。しかし、文化の受容には、意外と時間がかかる(かかった)ようです。

シェイクスピアの作品は、18世紀にかの偉大なヴォルテールらにより紹介され始めたのですが、すぐには受け入れられず、本格的に受容されるようになったのは、19世紀のロマンチスムの時代になってからとか(偉そうに書いてますが、ソルボンヌの講義の受け売りです)。

そんなシェイクスピアの名を店名に使った書店がパリにあります。ノートルダムを左岸に渡ってすぐ、プチポンの脇です。SHAKESPEARE AND COMPANY。Whitmanさんという人が1951年から続けている英語の本の店です。

建物の3フロアを使っているのですが、Whitmanさん、実は最上階も購入して、建物全体を自分の店にしたかったそうです。それが、うまく最上階が売りに出た際、公証人がもたもたしていて、別の人に買われてしまった。しかも、その買った人は、Whiteman氏が88歳という高齢なのを知っていて、そのうち相続税対策で売りに出るだろうから、そしたら逆に3フロアを買って建物全体を南米の金持ちに転売しようとしているのだそうです。日本でもありそうな話ですね。

そんな内容を実名で記したパンフレットまでつくり、店頭に置いています。悔しくて、悔しくて、このままでは死んでも死に切れない、といった執念が伝わってきます。

そう言えば、人間、執念だ、と言った元経団連会長もいますし、執念でこのブログ、毎日続けるよう、頑張りましょう。