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50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

シャルトルへ・・・②

2006-08-21 00:43:42 | フランス
大聖堂のすぐ隣には、現代の作品を中心に収蔵したシャルトル美術館があります。


そこから、大聖堂の裏庭へ回りこむと、きれいに手入れされた小さなフランス式庭園の先にシャルトル市内が一望できます。


大聖堂だけの街かと思っていたのですが、この人口4万人ほどの街、いい味を出しています。

石畳の狭い道が、登ったり下ったり、右へ左へうねるように続いています。両サイドには同じような高さの建物が続いています。


コロンバージュと呼んでもいいのでしょうか、木骨造りの建物も目立ちます。

坂道を下った先には、ウール川という小さな川が流れており、街の表情に潤いを与えています。

白鳥まで優雅な姿を見せており、橋の上では釣り糸をたれる地元のおじさんたちがいました。


この日は、市(le marche)のたつ日だったようで、常設の屋根がある野菜市場を中心に肉やチーズなどを売るテントが周囲に並び、大勢の市民で賑わっていました。


街の中心は、広い通りがオープンエアのレストラン・カフェになっており、

また、シャルトル出身の軍人をたたえる記念碑のある広場の周りにもカフェが並び、小粋な街の雰囲気をかもし出しています。


それほど広い街ではありませんが、歩き回っているうちに、その魅力がいっそう味わいぶかくなってくる、そんな街です。

シャルトルへ・・・①

2006-08-20 02:21:37 | フランス
シャルトルといえば、大聖堂ですね。La Cathedrale Notre-Dame de Chartres(シャルトル・ノートルダム大聖堂)。


特徴は、見てすぐ分かるとおり、2本の尖塔の様式が違うこと。向かって右が1194年の大火災の被害を免れたロマネスク式(103m)、そして左が16世紀初頭に再建されたゴシック様式(115m)。この大聖堂、歴史はガリア・ローマ時代の4世紀まで遡れるそうなのですが、その後、戦争やヴァイキングの襲撃、火災などにより、破壊されたり焼失したりし、そのたびに修復・再建されてきました。従って、いろいろな時代のさまざまな様式が共存しているそうです。

そうした歴史はともかく、この大聖堂の美しさは、なんといってもそのステンドグラス。


南北の鐘楼にあるバラ窓です。


正面入り口の上にあるバラ窓です。

もちろん、今でも基本は教会ですから、祈りを捧げている人たちもいます。

信者を支えてくれているNotre-Dame(Our Lady:聖母マリア)の像です。

ろうそくに火を灯し、祈りを捧げる観光客も多くいます。

また、随所に施された彫刻も見逃せません。

入り口脇にある「諸王の彫刻」です。


内陣にある、キリストの一生を描いた一連の彫刻です。

ご覧のようなシャルトル大聖堂は、当然、ユネスコの「世界遺産」に登録されています(1979年)。すぐ脇にある美術館の庭から大聖堂の裏庭に入るところの門に、世界遺産登録のパネルがあります。


パリ・モンパルナス駅から1時間ちょっと。簡単に行けて、じっくり鑑賞できる「世界遺産」です。

北フランス紀行④

2006-08-11 02:11:01 | フランス
ランス(Reims)に、日本と関係のある施設があります。Chapell Foujita(藤田礼拝堂)です。

1913年以来パリに住んでいた画家の藤田嗣治は、シャンパンメーカー・G.H.Mumm社を経営するルネ・ラル(Rene Lalou)の影響もあり洗礼を受ける。その啓示への感謝の気持ちを礼拝堂の設計・デザインで表そうとしてつくったのが、このチャペルだそうです。ロマネスク様式の小さな建物ですが、中には80歳にして初めて挑戦したフレスコ画をはじめ、藤田の世界が展開されています。なお、彼は今、ここに眠っています。

人口約20万人のランス、その中心街です。今やどこにもあるマクドがしっかり交差点の角にあり、若者たちの集まる場所になっているようです。石畳の道が多く、落ち着いた、雰囲気のある街です。

パッサージュ(passage)も多く、おしゃれな商店街になっています。また、ラファイエットなどの有名デパートも進出しており、さすがシャンパーニュ地方の中心都市ですね。

パリのバスティーユにあるのと同じ勝利の女神の像が広場に建っています。後ろから失礼、の写真ですが、確かに同じ女神像です。

郊外は、ご覧の通り、一面のブドウ畑。さすが、シャンパンの街です。時間の関係で残念ながら行けませんでしたが、シャンパンセラーへの訪問は次回のお楽しみに!

4回に亙ってご紹介した北フランスへの旅。この国の歴史と自然の豊かさを改めて実感した旅でした。

北フランス紀行③

2006-08-10 01:03:18 | フランス
Laon(ラン)、Pierrefonds(ピエールフォン)に続き、3回目はReims(ランス)のご紹介です。

ランスといえば、大聖堂。Cathedrale Notre-Dame(ノートルダム大聖堂)です。

1991年に世界遺産に指定されたこの大聖堂、着工されたのは13世紀初頭。左右対称の2本の塔を持つゴシック様式カテドラルの傑作です。

正面はもちろん、裏に回っても、名前が同じということもあり、パリのノートルダム大聖堂とそっくりですね。

中に入ると、天へ向かってまっすぐに伸びる柱と、ステンドグラス、そして天井から吊り下げられたシャンデリア・・・荘厳な雰囲気です。

正面入り口上のバラ窓です。実にきれいです。

そして、ここのステンドグラスといえば、シャガールのものを忘れるわけにはいきません。20世紀初頭の修復の際に、シャガールが寄進したものだそうですが、いかにもシャガールといったモチーフと色(特にシャガール・ブルー)。一見の価値ありです。

外壁にも目を見張るものがあります。いたるところに施されている彫刻。中でもこの微笑む天使などゴチック期の傑作といわれるものが多くあります。

さすが、かつてはここで戴冠式を挙げないとフランス国王ではないといわれただけのことはある、素晴らしい建物です。

このノートルダム大聖堂の隣に、同じく世界遺産に指定されているトー宮殿(Palais du Tau)があります。

建物はかつて司祭の館だったもので、特徴のあるものではないのですが、大聖堂の修復前の一部や、王の戴冠式用の装飾品などが展示されています。

かつての大聖堂の一部なのでしょうね。何気なく展示されています。

展示で面白かったのが、これ。Triangle Secret(秘密のトライアングル)というマンガです。原作者はDidier Convard(ディディエ・コンヴァール)で、古い建物などの修復の話からキリスト教の教義に関するところまで進む内容だそうですが、そうした内容を描くのにもマンガの形式が採用さている。しかもこうした施設で展示されている。いろいろな場所、いろいろな形で、マンガは受容されているのですね。

明日は、北フランス紀行の最終回、ランスの街の様子をご紹介します。

北フランス紀行②

2006-08-09 05:43:01 | フランス
昨日のLaon(ラン)に続いて、今日はPierrefonds(ピエールフォン)のご紹介です。

ランからはパリへ戻るかたちで約40km。クルマがないとなかなか行き難い所ですが、ミシェルに連れて行ってもらいました。

ピエールフォン、この人口2,000人ほどの町に多くの観光客が来るのは、ひとえに立派な城というか、堅固な要塞が建っているからです。因みに紹介パンフレットは、仏・英・独・西に日本語、中国語のものまで用意されています。

14世紀末、国王シャルル5世の息子の一人、ルイ・オルレアン(Louis d'Orleans)が城砦形式で建てた居城がこの建物の始まりです。その後、宗教戦争など内戦を経て廃墟となっていましたが、19世紀初頭、かのナポレオンの目に留まり、ナポレオン3世によって再建されたそうです。

門をくぐり、中に入ると円形の空間があり、それを取り囲むように8つの塔が立っています。19世紀後半に再建されたこの巨大な建物、外観は14世紀末に完成された当時のままになっていますが、内部は19世紀後半の人がイメージする中世の美しさに改められているとか。

確かに、種々雑多といったほうが良いほどの、いろいろな装飾、展示品があります。

またナポレオンにちなんだNB(Napoleon Bonaparte)の頭文字をデザイン化した装飾や、ナポレオンのシンボルが生かされたデザインなどが随所に見られます。

ところで、これは建物の中で見つけた装飾ですが、何が書かれていると思いますか?

今のスペルでは、“Qui veut peut.”願うものが叶えられる。念ずれば通ず、とか、叩けよ、さらば開かれん、とかいった意味のようです。時や場所を越えて、同じようなことを思っている人が多いようですね。


周囲は小高い丘と鬱蒼とした森に囲まれており、木々の間からはほかにも小さい城のようなものがいくつか見えます。田園風景の中に突如として現れた中世、そんな感じのするピエールフォンです。

明日は、いよいよ、ランスのご紹介です。

北フランス紀行①

2006-08-08 04:47:10 | フランス
フランス語と日本語の交換授業をしているミシェルの家に遊びに行ってきました。パリから北東へ約120kmのラン(Laon)という街。パリ北駅から直通の急行で1時間半の距離です。

また、その街を足場に、ピエールフォン(Pierrefonds)とランス(Reims)へも行ってきましたので、4回に分けてご紹介します。

まずは、ラン。小高い丘の上に、教会を中心に誕生した街です。

ご覧のように、今でも丘を囲むように城壁(rempart)が残っています(写真手前の黒い部分です)。黒い石を積み上げています。

また、その教会は、片側の尖塔が修復中ですが、想いのほか立派な教会です。

バラ窓もきれいですし、立派なパイプオルガンもあり、秋からのシーズンではいくつものコンサートが予定されています。


しかし、この街の美しさは、なんといっても周辺の田園風景。

茶色い部分は刈り取られた後の麦畑、そして、高く緑の葉を伸ばしているトウモロコシ畑、低く緑の葉を這わせているビート(甘菜)の畑が丘とともにうねりながら続いています。フランスの豊かさを実感する、実に広々とした風景です。

また、このような、印象派の絵に出てきそうな、麦を刈り取った後の田園風景にも遭遇できます。

豊かで、美しい田園風景に囲まれた街、Laon。街の発展とともに、城壁の外へ、外へと市街地が広がっていますが、ぜひ美しい田園風景は残してほしいものです。

ジヴェルニー③

2006-08-01 01:17:38 | フランス
ジヴェルニーの最終回です。

今回は、ジヴェルニーの街を中心にご紹介します。

ジヴェルニーの街の雰囲気はこんな感じです。すぐ気付くのは、モネの家の周りにアトリエがいくつもあること。モネに憧れて同じ街にアトリエを構えたのか、観光客を見込んでここにアトリエを持ったのかは定かではありませんが、中には道路に作品を広げて売っている画家もいました。

ジヴェルニーの街(というか集落)を歩いていると、庭にたわわに実ったブドウを見ることができます。食べるだけなのでしょうか、それても自家製ワインを造るのでしょうか・・・。

ジヴェルニーの遠景です。本当にのんびりしたところで、モネの家がなければ観光客などまず来ないようなところでしょう。左奥にあるのが教会の尖塔で、そのすぐ下にあるのがモネのお墓です。

教会敷地に入ってすぐ右にこのお墓はあり、親類、子孫などと一緒に眠っているようです。

お墓の後にウェディングというのも奇妙な取り合わせですが、モネの家の前にあるベンチに腰掛けていた30分ほどの間に2組の新郎・新婦がクルマで乗り付け、モネの家に入っていきました。運転手兼カメラマンが同行していましたので、中で記念写真を撮って来たのでしょう。人気の撮影スポットになっているのかもしれませんね。

ジヴェルニーでアトリエと同じくらい多かったのが、chambre d'hote(民宿)です。写真のような農家を改造した民宿なら、風情もあり、泊まってみたい気もします。

パリからジヴェルニーへ行く際の鉄道の玄関口になるのがヴェルノン。その駅前のカフェでレンタ・サイクルを借りることができます。1日12ユーロ。ヴェルノンからジヴェルニーまでは片道5kmです。パリからの列車が着くとそれに合わせてジヴェルニー行きのバスが出るのですが(往復で3ユーロ)、帰りが不便。バスと列車の時間がうまくかみ合っていません。好きな時間にパリへ戻りたい場合はレンタ・サイクルを借りるのも一つの手かもしれません。もちろん、タクシーを利用することも可能です。

いつもモネとともにある街、ジヴェルニーのご紹介でした。

ジヴェルニー②

2006-07-31 00:34:57 | フランス
モネの家にはきれいな庭があります。その庭を抜けてその先に睡蓮の池があるのですが、庭にもきれいな花々が咲き誇っていました。


こんな感じで、通路はできていますが、いかにもフランス庭園といったふうには造られていません。睡蓮の池が人工的に造られたものとはいえ、自然に近い風情を持っていますので、庭もそれに合わせているのかもしれません。中央右寄りにある木には、きれいなピンクの小鳥の羽のような形の花が咲いています。

草花もご覧の通りに、暑さに負けずにきれいに咲いています。

夏といえば、ひまわり。初秋のイメージのコスモスをバックにしっかり咲いています。

通路脇にはラヴェンダーが咲いていましたが、写真中央・右よりの白いのはモンシロチョウです。日本のとまったく同じカタチで、ラヴェンダーの花から花へ、蜜を求めて飛んでいました。

日本と同じといえば、ご覧の花。朝顔(昼顔?)ですか。紫色のものもありました。

日本の極めつけは、この木です。何の葉だと思いますか。柿の葉なんです。木の下にあるパネルによると、クロード・モネ財団と愛知県豊橋市の総合動植物園との交流記念として、ツツジと次郎柿が記念植樹されたそうです。それが1998年5月、8年以上経ち、ツツジはこの暑さにちょっと元気がなかったですが、次郎柿のほうはご覧のとおり青々とした葉を茂らせていました。

思わぬところに「日本」が顔を出しています。広い意味での文化交流は、かなり行われているようですね。

ジヴェルニー①

2006-07-30 02:14:45 | フランス
ジヴェルニー(Giverny)へ行ってきました。

ジヴェルニーといえば、モネ。画家のモネが1883年から亡くなる1926年まで、人生のちょうど半分にあたる43年間を過ごしたところで、その家とあの大作『睡蓮』を製作したアトリエ、そしてモデルともいうべき睡蓮の池が、クロード・モネ財団によって保存公開されています。



このような睡蓮の池があるのですが、第一印象は、あれっ、それほど大きくはないんだ、というものでした。オランジュリー美術館にある作品があまりに大きいだけに、さぞや広大な池が広がっているのだろうと勝手に思っていたのですが、実際はそれほどでもありませんでした。もともとあった自然のままの池ではなく、モネが掘らせた池だそうですので、それを考えれば、立派な池だとは思います。


晴天に恵まれ、朝の光の中で、ピンクと白の睡蓮の花がたくさん咲いていました。このモネの家と庭園、花が咲いている季節だけのオープンで、SNCF(フランス国鉄)の出しているパンフレットにも4月1日から10月31日までの時刻表だけが出ています。

これが、家の外観。ツタに覆われていますが、壁はピンクで、窓枠がモスグリーンというかわいらしい配色です。寝室やダイニングルームが当時のままで公開されています。

家に入ると、いきなり、多くの浮世絵が目に飛び込んできます。撮影禁止なんだそうですが、その表示が二番目の部屋からでしたので、おもわず最初の部屋で撮ってしまいました。歌麿や広重などの浮世絵が壁を埋め尽くすように展示されていて、いかに日本美術を愛したか、その影響を受けたかが分かるようになっています。

『睡蓮』を製作したアトリエは、今ではスーヴェニア・ショップになっています。絵の複製や記念グッズがたくさん揃っています。

明日は、庭の花々をご紹介します。

サン・ジェルマン・アン・レー

2006-07-25 03:15:49 | フランス
パリから西へ、RER(郊外鉄道)で20分ちょっとのところにあるサン・ジェルマン・アン・レー(St.-Germain-en-Laye)へ行ってきました。

駅からエスカレーターで地上に出ると、すぐ目の前にお城が建っています。

今あるお城は、最初にフランソワ1世が建てた姿そのままに復元されたもので、中は国立古美術博物館(Musee des Antiquites Nationales)になっています。先史時代からのさまざまな出土品が展示されていますが、石器や土器などは素人目には日本のものとあまり変わりないように見えます。

一方、大きく違うものもあります。金細工が昔から豊富にあったのにビックリ。鉄が使われるようになると、立派な甲冑など戦用のものがすぐできたようで、戦いの歴史を物語っているようです。また、1世紀のガラスが展示されており、ガラス製品の長い歴史を実感させます。さらに、女性用装身具の多さにもビックリ。おしゃれの歴史は長いのですね。そして、鍵。ガリア時代からの実に多くの鍵が展示されています。はるか昔から鍵が必需品だった社会と、戦後暫くまで鍵なしで暮らせた社会。こんなところにも、「個」の確立の歴史的違いがあるような気がします。

城のちょっと先には、パヴィヨン・アンリ・キャットル(Pavillion Henri Ⅳ)というホテル・レストランがあります。

ホテルの先に広がる森への出入り口には、アーチに次のような表記がなされています。

ICI NAQUIT LOUIS ⅩⅣ・・・ルイ14世、ここに生まれる。本当にこの館で生まれたそうです。また、作家のデュマが『三銃士』や『モンテクリスト伯』を書いたのも、ここに滞在している折だったそうです。

この由緒あるホテルの先には、セーヌの流れに沿って広大な森が広がっています。

グランド・テラスと呼ばれる見晴台から眺めると、このような景色が目の前に見えます。

手前がブドウ畑、セーヌを跨ぐ橋を列車が通っていきます。


また、遠くにデファンス地区の高層ビル群が見えます。まるで、緑の海の上に出現したマンハッタン島のような感じですね。

こんな近くにも、自然と歴史が凝縮された場所があるんですね。フランスの豊かさの一端なのでしょう。