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50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

ヴァカンスでも、自転車。

2006-07-19 02:52:43 | フランス
パリは、燃えています。そう、熱波の襲来です。17日が34度、18日が35度、そして19日の予想は36度。フランス語では、la caniculeとかla chaleur caniculaireとか言いますが、要は酷暑、熱波で、お年寄りや身体の弱い人たちに、水分を充分に摂るようにとか、いろいろなアドヴァイスをニュースなどを通して伝えています。まさに夏本番。

夏といえば、この国では、ヴァカンス。7,8月を中心に各職場で交代でヴァカンスを取っているようです。先日モデム等のチェックに来たプロバイダーの技術者も、職場で休みを取っている人が多いので、残された人間は忙しくて大変だと言っていました。

ところで、ヴァカンスで思い出すのが、先日エトルタへ行った際に見かけたクルマです。往復は、高速道路を利用しました。パリとルーアン、そしてその先を結ぶA13号線。そこでよく目にしたのが次のようなクルマです。


自転車を積んだクルマ。この日は7月1日でした。ヴァカンスシーズンの初日。早速自転車まで積んで、ヴァカンスへ出かけたのでしょう。

それにしても、フランス人、ヴァカンス先でも自転車なのですね。本当に好きなんですね。こんなクルマ、何台も目にしました。

それと、キャンピングカーや小型ボートを牽引したクルマもありました。

7月。ヴァカンス・シーズンが始まっています。そのせいで、16日から休みになったポンピドー・センターの図書館を始め、多くの施設が休みになったり、サービスが遅れたりします。暑いシーズンなので、ゆっくり、ゆっくり、ということなのでしょう。合わせるしかないですね。

フランスの「美しい村」。

2006-07-05 05:02:24 | フランス
エトルタの帰り、La Roche-Guyon(ラ・ロッシュ・ギヨン)という小さな村に立ち寄りました。

パリの西北西およそ80kmに位置し、セーヌ川に面しています。高速道路(A13)からあまり遠くなく、クルマなら簡単に行けます。人口600人の小さな村。でも、どうしてこの村に立ち寄ったのか。

実はこの村、Les Plus Beaux Villages de France(フランスで最も美しい村々)という協会認定の村の一つなのです。「フランスで最も美しい村々のガイドブック」まで出版されており、こちらではよく認知されている村々のようです。

認定されるには、人口2,000人未満、史跡建造物の認定を受けた建物があるか風致地区と認められた地域であること、村全体に美化に対する努力がなされていること、などいくつもの条件をパスすることが必要。

そうした村々の中でパリから最も近く、しかもセーヌに面しているので、セーヌの表情がパリとどう違うのか見てみようと立ち寄ったわけです。

この村の観光の目玉はお城。急な斜面を背後に、主塔と城がそびえています。特に主塔から眺める景色はすばらしく、急で長い階段を上った疲れもいっぺんに吹き飛んでしまうほどです。セーヌ、フランス庭園、小さな村、小麦畑、深い森・・・すばらしい風景です。セーヌは、周囲の自然と一体化し、パリ市内とは異なり非常に穏やかなゆったりした表情をしています。

夕方着いたのですが、ほかにも若い観光客が10人ほど、同じように階段を上っていました。

このお城、第二次大戦中は、あの砂漠の狐・ロンメル将軍の司令部として使われたそうで、爆撃もかなりされたようです。いくつかの資料が展示されています。

なお、この「フランスで最も美しい村々」に関しては、『フランスの「美しい村」を訪ねて』という本が、角川oneテーマ21の1冊として出版されています。

エトルタ紀行ー②

2006-07-04 03:55:29 | フランス

崖から見たエトルタの街は、こんな感じです。夏でこそ、観光客も多いのでしょうが、冬は英仏海峡を吹きぬけてくる雪交じりの風で厳しい気候だと思います。最寄の鉄道駅からバスで40分かかるそうですが、そのバスも毎日運転されるのは7・8月だけ。それ以外は週末だけとか。

それでも、そこに住む人たちには日常生活があり、役場もあります。役場前の広場では、アート作品の展示イベントが行われており、魔法使いや中世の騎士に扮した人も現れ、集客を図っていました。

また、今回は行きませんでしたが、怪盗アルセーヌ・ルパンの生みの親モーリス・ルブランの家があり、アルセーヌ・ルパンの家として公開されています。


二つの崖に挟まれた1.5kmほどの海岸ではすでに日光浴をする人たちがいました。しかし海水が冷たいので、海に入る人は少なく、入っている少年も肩をすぼめてほんとに寒そうでした。海岸は砂ではなく、小石。そのせいか、静かな海なのに、波の打ち寄せる大きな音がしていました。

写真は、崖から続く農作地。手前の緑がとうもろこし、その先の収穫を待っている茶色が小麦。

こうした牧畜や農業、そして観光・・・エトルタの街に住む人たちの日々の暮らしが過ぎてゆきます。

エトルタ紀行-①

2006-07-03 03:43:08 | フランス
滞仏10年という大先輩の車に便乗させていただき、フランスの海を見に行ってきました。

向かった先は、ノルマンディ地方のエトルタ。英仏海峡に面し、映画『男と女』の舞台になったドーヴィルにも近いところです。そして何よりも、あの白い崖で有名です。

パリからクルマでおよそ2時間半。町の中心の通りを海岸方向へ向かうと、突然視界が開け、群青の海と左右の真っ白な崖が目に飛び込んできます。

*写真は、Falaise d’Aval(アヴァル断崖)

*写真は、Falaise d’Amon(アモン断崖)
海に向かって左がFalaise d’Aval(アヴァル断崖)、右側がFalaise d’Amon(アモン断崖)。写真やモネ、クールベらの絵でおなじみのあの風景です。どちらの崖も上まで登って行けます。上からの眺めは、これまた絶景。北の海らしく濃紺の海と青い空、白い崖に飛び交うかもめたち。時々、ウィンドサーフィンやボートが白い航跡を残して通り過ぎていきます。

アモン断崖の上には、小さな教会と、牛の放牧地があり、のんびりとピクニックを楽しむにはもってこいのロケーションです。

おにぎりと卵焼き、麦茶があれば申し分なかったのですが・・・残念。なんとか用意してもう一度行きたいと思います。

退職後もかつての職場へ。悲しい性。

2006-04-26 04:36:50 | フランス
フランス語の会話力を少しでも上げたいとフランス語と日本語の交換授業を始めた事は、2月に紹介させてもらいました。その相手、ミシェル(中学のフランス語教師を定年まで勤めた57歳の男性・写真の後姿)が、たまたま私が日本に戻っていた際、なんと5回目の滞在で日本にいたので、一緒に馬籠・妻籠へ行ってきました。

お互いのあやしいフランス語・日本語を補うべく英語も活用しての珍道中でしたが、そのなかで面白かったのは、フランス人の退職後の過ごし方です。

ミシェルは、定年退職(55歳)前から、住んでいる街で日本文化協会の会長として、いろいろな日本文化の紹介にあたっており、しかも、毎年日本に数週間滞在して日本の文化や新しいトレンドを生で体感しているわけですが、フランス人といえども、皆が皆そうした退職後を送っているのではないそうです。

同じく中学教師だったかつての同僚たち。なんと、毎週木曜日の午前10時に、かつての勤務先である中学校に集まり、コーヒーを飲みながら昔話に花を咲かせているそうです。毎週、毎週、同じ時間に、同じ場所で、同じメンバーと。ほかにやることはないのか?と聞きたくなってしまいます。

どんなに煙たがれようが、かつての職場へ足が向いてしまう。洋の東西を問わず、同じ心境なのでしょうか。聞き漏らしてしまいましたが、フランスでは、先輩を喜んで迎えているのでしょうか。そんな筈ないような気がしますが・・・。

個人主義のフランス人ですら、老後はかつての仲間を頼りに、皆で集まる。まして、集団主義の日本においておや。退職後もかつての同僚たちと集まっては、かつての肩書きで呼び合う。今までの生活を、過去の時間を大切にしていく。そういう過ごし方が多いのでしょうね。反対に、もう宮仕えは終わったのだから、無理に群れず、自分を大切に生きていく。そんな生き方は、いい悪い、好き嫌いは別にして、どこでも少数派なのでしょうか。

ミシェルとの交換授業が、とりあえずうまく進んでいるのは、少数派同士だからかもしれません。