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50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

ル・ケ・ブランリー美術館。

2007-03-01 04:14:07 | 美術・音楽
ここは美術館というよりは、民俗学博物館です。ル・ケ・ブランリー美術館(Musee du quai Branly)。入り口脇のプレートには、名称の下にmusee des arts et civilisations d'Afrique, d'Asie, d'Oceanie et des Ameriques(アフリカ・アジア・オセアニアおよび南北アメリカの芸術・文明美術館)と説明があるように、展示されているのはピュア・アートではなく、各地の文明を紹介する品々が中心になっています。


昨年6月にオープンしたのですが、いつ行っても長蛇の列。1時間半待ち、2時間待ち・・・年があらたまってからようやく入場することができました。シラク大統領がパリ市長時代に提唱したプロジェクトで、オープニングでは大統領のご満悦な表情を見ることができました。


エッフェル塔からブランリー河岸をセーヌ川に沿って東へ500メートルほど、セーヌを挟んでパレ・ド・トーキョーの対岸です。設計は、以前ご紹介したアラブ世界研究所やカルティエ財団美術館などを手がけているジャン・ヌヴェル。斬新なデザインです。しかし建物の反対側、フォークロア的要素を取り入れたようなところは、なんとなく消化不良のように見える外観になっています。

さて、展示ですが、エリアごとにまとめてあり、オセアニア、アジア、アフリカ、南北アメリカ、それぞれの伝統工芸品や葬祭用の道具、日常品が美しく展示されています。しかし、歴史的なものは少なく、19~20世紀に作られたものが大多数です。もちろん、日用品といえどもいろいろな装飾が施されていて、その地域の美意識が見て取れます。こうした民俗学的資料とも言える品々を、アジアならギメ美術館、アフリカならダッペール美術館に所蔵されている美術品と併せて鑑賞すると、そのエリアの「美意識」がより鮮明に見えてくるかもしれません。


パプア・ニューギニアをはじめメラネシア、ポリネシアなど太平洋の島々からも多くの品が展示されています。例えば、このような大きな立像。


アジアからはさまざまな民族衣装も多く展示されています。日本からはアイヌの人たちの民族衣装が展示されています。


アフリカからはさまざまな仮面が展示されています。祈祷など宗教儀式で用いられたものが多いようです。


南米インディオもこのような羽飾りをしているんですね。北米インディアンと、さすが近いものがあります。

細長く広い展示会場をぐるっと一周するスロープを歩きながら気付いたことは、エリアが異なっていても同じような日常品、似たデザインが生まれているということです。日本にある木製の高枕と同じものがアフリカや太平洋の国々にあったり、アボリジニーのデザインそっくりのものがアフリカや中米にあったり。人類のいわゆる進化とともに文明は分化していってしまいましたが、昔を今にとどめる伝統工芸品などには、共通のものが多く見られます。かつて、アフリカの大地溝帯で1組のカップルから生まれて地球上に広がったといわれる人類。共通項が多くて当然です。それが今や、相争い、戦争をしている。悲しいことです。ぜひ、平和な世界に!

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日曜コンサート。

2007-02-28 03:33:15 | 美術・音楽
日曜日の昼下がり、ふたつの無料コンサートに行ってきました。

・最初は、午後3時半からのオルガンコンサート。会場は、サン・ジェルマン・デ・プレ教会(Eglise St-Germain-des-Pres)。

この教会、もともとは542年といいますから1,460年以上も前、クローヴィスの子でフランクの王、シルドベールにより建立されたそうです。当時は荒野の中。その4年後、パリの司教、ジェルマンが聖人としてここに葬られると、サン・ジェルマン・デ・プレ(原野の聖人ジェルマン)教会と呼ばれるようになったとか。その後ヴァイキングの襲撃による荒廃やフランス革命による一部消失などがあったものの、その後修復されて今日の姿になっているそうです。ロマネスク建築を代表する教会で、奥行き65m、幅21m、高さ19m。今では左岸の顔になっています。


この日のパイプオルガン演奏は、山上はるさん。エリザベト音楽大学でオルガンを学んだ後、81年に渡仏。オルセー音楽院、ブローニュ音楽院を卒業。現在、ナンテール市立音楽院で教鞭をとりながら、ヨーロッパを中心に演奏活動を行っていらっしゃる方です。

曲目は、バッハのコラール変奏曲。天から啓示が下されるような、あるいは雷が落ちてくるような、激しく、それでいて厳かな演奏です。天井を見上げれば、まるで星空のようで、久遠の時を示しているようでもあり、左右のキリストの生涯を描いた壁絵からは、救いの手が魂へ差し伸べられているようであり、教会で聴くと、コンサートホールとは違った感動に包まれます。

演奏を目当てにやってきた人たちに観光客も加わり、ほぼ満席状態。1時間の演奏を満喫しました。


・ふたつ目は、5時からのソプラノとピアノによるコンサート。会場は、アメリカン・チャーチ(Eglise Americaine)。

海外最初のアメリカン・チャーチとして1857年に完成。その後1930年に今の場所(オルセー河岸、アンヴァリッドの近く)で新たに完成を見たそうです。ゴシック・フランボワイヤン様式。

外観はフランス風ですが、中に入ると、上の写真のように一部にアメリカ風の建物が混じっています。以前ご紹介したアメリカン・ホスピタルにも似た雰囲気です。やはり「アメリカ」にこだわるのでしょうね。

オルガンは、3,328本のパイプからなっているそうで、その前のシャンデリア、そして周囲のステンドグラスと絶妙にマッチしています。

ソプラノはロザリン・マルテル(Rosalyne Martel)、ピアノはドミニク・フルニエ(Dominique Fournier)とキャロリン・シュスター・フルニエ(Carolyne Shuster Fournier)。曲目は、モーツァルト、シューマン、シューベルト。心に染み入るような美しいソプラノでした。曲の内容とかよりも、とにかくその声の美しさや豊かさに大満足の1時間半でした。

“l'officiel des spectacles”(ロフィシエル・デ・スペクタクル)とか“pariscope”(パリスコープ)といった情報誌を見ていると、よく無料のコンサートが紹介されています。とくに教会で行われるものに多いのですが、決していい加減なものではなく、プロのしっかりした演奏になっています。感動すれば、出口で若干の寄付をすればいいだけで、誰でも聴きに行くことができます(といっても、実際はほぼ全員白人)。

教会で聴くクラシック音楽。心が洗われるようなひと時でした。

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工芸・技術博物館。

2007-02-24 04:25:20 | 美術・音楽
フランス語では“musee des arts et metiers”、さまざまな工芸品、工業製品が3,000点以上も展示され、それぞれの歴史・変遷が手に取るように分かる展示になっています。


外観はいたって平凡なのですが、中にすごいものがずら~ッと揃っています。

この博物館を有名にしているのは、何といっても、フーコーの振り子。ウンベルト・エーコの同名小説でご存知の方も多いと思います。地球が自転していることを証明するためにレオン・フーコーが行った振り子の実験。地球の自転により振り子の回転方向が少しずつずれていくというもので、一般公開実験は1851年1月8日にパンテオンで行われました。見学コースの最後で、その実験を再現してくれています。

確かに振り子が一定の間隔で盤上の短い棒を倒していくことで、自転により振り子の方向がずれていっている事が分かります。もちろん今実験に使っているのは複製で、本物のフーコーの振り子は、ガラスケースに入って展示されています。

小説の舞台になり、また実験に使われた「フーコーの振り子」の実物が展示されているのがこの博物館というわけです。なお、この実験、日本のいくつかの施設(科学館など)でも行っているそうです。

この博物館のもうひとつの目玉は、人類初の動力機付き飛行機。人類で初めて飛行に成功したのはライト兄弟、と言われていますが、フランスでは別の人物になっていることもあります。その人の名は、クレマン・アーデル。ライト兄弟より6年早く、1897年10月14日、動力機付きの飛行機で数センチ浮上し、300m先に着地。

これがその「飛行機」。しかし、彼を資金面も含め支援していたフランス陸軍省自身が、これは跳躍であり、飛行ではないと結論付けたため、失意のうちに、改良を諦めてしまったそうです。残念。形状のモデルをコウモリにしてしまったあたりが失敗の大きな原因とも言われています。なお、彼の飛行機の名前は、アヴィオン号。フランス語でavion、そうです、飛行機を意味するフランス語の語源になっています。

フランス人は、どうも昔から空を飛ぶことに大いなる憧れを抱いていたようです。熱気球をはじめて飛ばしたのもフランス人のモンゴルフィエ兄弟。1782年で、翌年には初の有人飛行。ロジェとダルラントという二人の勇敢な若者による25分間の冒険だったそうです。アヴィオン号の後も、ライト兄弟に先を越されたとは言うものの、ヨーロッパ初の飛行、初の英仏海峡横断飛行、世界ではじめて二人乗りの飛行など、すべてフランス人の偉業(国籍が外国の人も含まれますが、フランスに住んで偉業を達成すれば国籍に関係なくフランス人の偉業と言い切ってしまうのがフランス流です)。なお、二人を乗せて飛んだアンリ・フォルマン号は、1910年に徳川大尉という人が日本ではじめて飛行に成功した際に使った機体だそうです。

これが英仏海峡を横断飛行したブレリオ号。ルイ・ブレリオによって、1909年7月25日に達成されたそうです。

これら以外にも、あっ、懐かし~、というものや、昔の記録映画や本で見た事がある!というものがいっぱい。世代によって感慨も違うでしょうが、面白いモノが目白押しです。






上の写真はいずれも初期のものばかりですが、実際には、それぞれの技術を発明時から現代まで、その進化が分かるよう多くの製品で丁寧に展示しています。科学用具に始まり、材料、建設機器、コミュニケーション・ツール、エネルギー関連、工作機械、オートメーション化、交通・・・どんなに駆け足で急いでも3時間。できれば丸一日かけてじっくりと見たいものです。


最寄の駅は、メトロ11号線・3号線の「Arts et Metiers」(アール・エ・メティエ駅)。駅からして、工芸技術のプラットフォームになっています。

www.arts-et-metiers.net

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ブールデル美術館。

2007-02-22 04:22:27 | 美術・音楽
モンパルナス駅のすぐそば、しかし、ちょっとわき道に入っただけで駅周辺の喧騒がうそのように静まり返っている小路の奥にブールデル美術館(musee Bourdelle)があります。道路からも見える庭には大きな彫刻が展示されています。


エミール・アントワーヌ・ブールデル。1861-1929。ロダンの弟子としても、またアカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエール(l’Academie de la Grande Chaumiere)での教え子にジャコメッティらがいることでも知られる彫刻家です。日本のガイドブックにはよくベートーベンの胸像がメインで紹介されています。

彼が、1884年から息を引き取る1929年まで住み続けた住居兼アトリエが作品ともどもパリ市に寄贈され、美術館になっています。

中庭は狭いながらも雰囲気があり、ブールデルは創作に疲れると、よくここを散歩していたそうです。


さて、ブールデルの作品ですが、彼の数多くの彫刻を見ていて思い出したのは、大好きな画家・有元利夫の作品でした。フレスコ画と仏画の影響を受け、古典や様式のもつ力強さに惹かれていた有元利夫の作品とどこか共通するものがあるような気がします。

この石膏の作品などはとくに有元作品に近いような気がします。ブールデルも古代ギリシャやローマの美から刺激やインスピレーションを受けていたといいます。ロマネスク彫刻やギリシャ彫刻の素朴さと力強さに惹かれ、シンプルで明瞭な面と量感による彫刻秩序を作り出しているといわれるブールデル作品。どうも、有元作品が脳裏に浮かんで仕方がありません。


ブールデルのアトリエです。ここで意外なものを見つけました。

日本の鎧兜です。東洋美術にも関心が高かったのでしょうか。

別の部屋では、こんなコレクションが展示されています。

能面ですね、たぶん。それに小さな仏像。仏画に影響を受けていた有元にますます似ているような気がしてしまいます。

素朴さ、力強さ、バランス(秩序)・・・洋の東西を問わず古のすぐれた美に学びつつ、そこから得られる霊感を現実の形に創りあげていく。そのようにして提示されたブールデルの彫刻と有元の絵画。どうしてもその共通性に惹かれてしまいます。ユーラシアの西と東、地理的には遠く離れた場所で暮らし、美を追求した二人ですが、好み、あるいは霊感の発するところが似ていると作品も似てきてしまうのかもしれません。有元利夫の作品に近いという理由で、ブールデルの作品も好きになってしまいました。単純ですね。

ブールデルの作品、他にはこのようなものが展示されています。

彫刻のポートレート作家とも言われているように、多くの胸像を残しています。しかし、死せる兵士や戦場で苦悩する兵士などを描いた作品が多く、

こうした救いを求める手まであり、テーマは霊的なもの、苦悩などにあるようです。

これは、作家、アナトール・フランスの胸像です。こうした友人、知人をモデルにした作品ももちろん残しています。

なお、訪れた日には、サルキス(Sarkis、トルコ生まれのアルメニア人、1964年からパリ在住の芸術家)によるアートの展示も行われていました。オレンジの布でメイン・ホールの上部を覆ってみたり、絵の具入れを並べてリズム感のある美を表現したり・・・いかにもモダン・アートっぽい作品です。お陰で、有名な『弓をひくヘラクレス』(Heracles archer)や『死するケンタウロス』(Centaure mourant)も写真に撮るとこんなオレンジの世界に入ってしまいました。


musee Bourdelle
16 rue Antoine Bourdelle
75015 Paris

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「ヨーロッパ・コミックの父」展。

2007-02-16 03:13:56 | 美術・音楽
Herge(エルジェ)、本名はGeorge Remi。ベルギーのブリュッセル生まれ、1907-1983。本名の頭文字を組み合わせ(RG)、そのフランス語発音に合わせてHergeというペンネームにしたそうです。この「ヨーロッパ・コミックの父」と呼ばれるエルジェの作品展が生誕100年を記念して、ポンピドゥ・センターで行われています。


エルジェを有名にしたのは、なんといってもTINTIN(タンタン)というキャラクターです。

この主人公タンタンがスノーウィ(ミルー)を相棒に世界を駆け巡るシリーズを1929年に始めました。掲載したのは『プチ20世紀』という雑誌で、第1話は「タンタン、ソビエトへ」。この作品が大評判を得て、その後アメリカや中国、そして宇宙へまで行く全23話のシリーズになりました。

下の写真のように、多くの人に読まれた跡がはっきり見て取れる、雑誌の貴重な現物も展示されています。


また、出版された雑誌だけでなくオリジナルの原画も展示され、制作過程が分かるようになっています。


会場には、子供の頃読んだ思い出の作品に再会に来たお年寄りから、子どもに素晴らしいマンガを一度見せたいと親子で来ている人など、多くの入場客でにぎわっています。


また、エルジェが自らの作品やTINTINに託した思いを語る映像も上映され、マンガ作家・エルジェの全体像が分かるようになっています。


タンタン・シリーズをはじめ、多くの優れたマンガにより「ヨーロッパ・コミックの父」といわれるようになったエルジェ。それ以前のマンガとの違いは、ギャグではなくきちんとしたストーリー・ラインを持たせたこと、そのために参考資料を正確に読み込み、普遍性のある作品としたこと、だそうです。その結果、エルジェのファンは世界中に広がり、その一人、アンディ・ウォーホールが4枚組のポートレートを制作しています。なお、この作品はベルギーで切手に採用され、発行されています。


エルジェによってその価値を広く認められるようになったヨーロッパのマンガ。今では第9芸術(le neuvieme art)として立派に市民権を得ています。カメラの前でマンガについて語るエルジェの顔を見ながら、この人と手塚治虫が語り合ったらさぞや素敵な対談になったのではないか、と思えてきました。

日本では「日本マンガ大賞」や「アニメ文化大使」を創設し、マンガによる国際交流を図ろうという動きがあるようですし、逆にタンタン・グッズを販売するTHE TINTIN SHOPが日本にも6店あり、また取り扱い店も多くあります。マンガ、アニメによる平和な国際交流が今後いっそう増えていきそうです。

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ポートレート写真展。

2007-02-10 04:27:05 | 美術・音楽
14回目となる「写真月間」(Le Mois de la photo 2006)の一環として、“Chroniques d'un portraitiste de Gerard Rondeau”(ポートレート作家の年代記~ジェラール・ロンドー)という展覧会が昨年10月末からこの2月16日まで行われています。



ジェラール・ロンドーとは、ポートレートからルポルタージュまで、主にモノクロ写真で時代を切り取り続けている写真作家。1953年生まれ。ポートレートは、文化人・芸術家のものが中心で、Le Monde(ル・モンド紙)の依頼で撮影されたものが多くなっています。ルポルタージュとしては、ユーゴ内戦やアフリカのベナン、モロッコなどを撮影したものが知られています。

会場は、なんとリセ(高校)。超名門校として知らぬ人はいないルイ・ル・グラン高校(Lycee Louis-le Grand)の講堂です。卒業生には、モリエール、ユーゴー、ヴォルテール、ボードレール、サルトル、クローデル、セザール、ドラクロワ、ロベスピエール、ポンピドゥ、ジスカール・デスタン、ジュペ、シラクらがおり、フランスの歴史が語れるほどの有名人を輩出しています。場所はサン・ジャック通りをはさんでソルボンヌ本校の真向かい。通りに面した柵にいくつかの写真が展示されています。



中には、哲学者、ジャック・デリダのガラス越しの写真や、

ファッションデザイナー、ジャン・ポール・ゴティエのロンドーにしては珍しいカラーのポートレート(左の写真)もあります。

柵にかけてある他の写真のモデルもみな文化人・芸術家なのですが、私が知らないだけです。残念。

会場は、通りからも少し覗けるようになっています。入場無料。リセの校舎といっても、なんらチェックもなく、本当に自由に入場できます。荒れる高校がフランスでも問題化していますが、さすが名門校、部外者の入場が自由ということは、さしたる問題も起きていないようです。


パネル展示しただけの会場ですが、そこに並んだ多くの「顔」からは、時代を切り開いた文化人・芸術家ならではの気概、そして背後に作品には表れないその人生が垣間見えるようです。ヨーロッパでは古くから肖像画が多く残されています。そこにはそのモデルの人生が、人となりが見事に描き出されています。その写真版が、ジェラール・ロンドーのポートレート写真ということなのでしょう。


アメリカの作家・エッセイスト、Susan Sontag(スーザン・ソンタグ)です。(印刷物からの複写)

映画監督のJim Jarmusch(ジム・ジャームッシュ)。(印刷物からの複写)

画家のRoy Lichtenstein(ロイ・リキテンシュタイン)。(印刷物からの複写)


その作品からは、「時代」の鼓動が聞こえてきます。「一瞬」が「永遠」に変わるさまが見えてきます。見る人によって再構築されるモデルの「人生」が読み取れます。そして、そこにはとりもなおさずジェラール・ロンドーの人生を見つめる透徹した目、人を見抜く鋭くそれでいてやさしい目が光っています。文化人・芸術家の人生を白日の下に晒してしまう写真は同時に、その写真を撮った人の内面をも表してしまうようです。そして、そのやさしさがあったからこそ、ジェラール・ロンドーに撮られる事を歓迎した人も多かったのでしょう。

ポートレート写真・・・撮る人と撮られる人の、その一瞬に人生をかけた内面の戦いがきらっと光っているようです。

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イヴ・クライン展

2007-02-06 01:30:27 | 美術・音楽

作品を単色で制作するモノクロニズムの代表的作家であるイヴ・クライン(Yves Klein)の展覧会をポンピドゥ・センターで見てきました。タイトルは、“Corps, Couleur, Immateriel”(身体、色、非物質)。1928年に南仏で生まれ、1962年に34歳の若さでこの世を去ったクラインが残した世界とは・・・


「インターナショナル・クライン・ブルー」といわれる独特の青の顔料を作り出し(特許も取得)、その青一色の作品を多く残しています。カンバスに塗った作品、顔料をしみこませた海綿を用いた作品。その色は、宇宙の神秘的なエネルギーを象徴しており、最も非物質的な存在を表している色だそうです。

しかし、その青だけでなく、赤、ローズ、金、オレンジを用いた単色の作品も残しています。

彼がはじめて単色の作品を出品したのは1955年。作品が理解されるのにはやはり数年かかったそうです。

クラインを有名にしているもうひとつの作品群。それは「人体測定」といわれるシリーズ。

これらの作品の制作過程は・・・カラダ中に顔料を塗ったヌードモデルたちにカンバスにぴったりと張り付いてもらう。あるいは、カンバスの上で、右へ左へとまるで胃のレントゲン撮影時のように回転してもらう。そうして出来上がったのがこのシリーズの作品です。まるで魚拓。それもそのはず、ヒントは日本で仕入れたようです。クラインは子供の頃から柔道を習っており、1952年には日本に柔道留学。講道館で四段を取得。この段位は当時としては欧米人の最高位だったそうです。この日本滞在中に見た魚拓とか相撲取りの手形が、トリノにある聖遺骸布とともに制作のヒントになったといわれています。

こうした柔道の本まで出版しているほどですが、ヨーロッパ柔道連盟に講道館四段を認めてもらえず、柔道の道を諦めたそうです。そして、芸術の道へ。

また、「人体測定」シリーズの制作過程自体もパフォーマンスとして残しています。自らの曲を演奏するオーケストラを正装で指揮しながら、モデルたちにどのようにカンバスの上で転がるかを指示。その様子をフィルムに残しています。これはもう、立派なパフォーマンス・アートですね。ただ、こうしたパフォーマンスを映画『世界残酷物語』のスタッフに頼まれ撮影させたところ、ヨーロッパの堕落を表現するパートに使われてしまい、それを見たショックのあまり心臓発作を起こし、生まれてくる子供の誕生を待たずに34歳でこの世に別れを告げてしまったとも言われています。

パフォーマンスといえば、「空虚」展(Le Vide)。青の顔料で制作した招待状を送り、会場までの道々にも青の作品を置いておいた。それなのに、会場は空っぽ。会場の外に青は拡散し、会場内で青は不可視化、つまり非物質化した、ということを表現しているそうです。これも一種のパフォーマンス・アートといえるのではないでしょうか。

そして、最もよく知られたパフォーマンスは、今回の展覧会のカタログやポスターに使われている『空虚への跳躍』(Saut dans le vide)。自ら虚空へと飛び出しています。


作品はもちろん、会場に展示されている作品以外の品々(手紙、デッサン、設計図、写真など)を見るにつけ、イヴ・クラインは画家というよりはパフォーマンス・アートの巨匠、あるいは芸術思索者といったほうがいいような気がします。とてもカンバスの中に納まるような個性ではありません。芸術を、宇宙の神秘を、そして人生を解き明かそうと疾走したのかもしれません。

出口に彼の言葉が紹介されていました。「私は芸術を超えたい、感性を超越したい、そして人生を越えて行きたい。有限でありながら、無窮。終わりもなければ始まりもない。そして、虚無と一体と化したい。」

存在の虚空へと飛び出していってしまったイヴ・クライン。しかし、その作品は時を越えてしっかりと残っています。

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フランス版・歌手長者番付。

2007-01-25 01:55:03 | 美術・音楽

22日付のLe Figaro(フィガロ紙)の経済面です。「歌手の2007年ヒットチャート」という見出しですが、歌手の収入ランキングと2006ミュージックシーンの回顧が紹介されています。

話題は3項目。

①若手の台頭とベテランの奮闘
上記写真に登場している(左から:Diam's、Benabar、Anais、Olivia Ruiz)をはじめ、20代・30代の若手が収入面でも上位に顔を出すようになって来たそうです。こうした若手の台頭はミュージックシーンを活性化する上で非常に重要だ、という関係者の声が紹介されています。しかしその一方で、Johnny HallydayやMylene Farmerのようなベテランも新曲を出したり、コンサート・ツアーを行ったりと奮闘し、収入面ではこの二人がトップの座を守りました。


これがトップ・テンなのですが、確かに63歳のJohnny Hallydayが875万ユーロ(約13億5,625万円)でダントツの1位。節税のためスイスへ移住しようとしていることは先日ご紹介しましたが、どうもスイス政府は今年から居住外国人に対する課税システムを変更することを検討しているそうです。Johnny Hallydayの移住騒動が思わぬ結果をもたらしそうで、今まで節税の恩恵に浴していたスイス在住の多くのF1レーサーや俳優たちにとっては、いいとばっちりになりそうです。なお、3位以下には20代・30代の若手が並んでいますが、その中にあって8位にランクされた46歳のYannick Noahが根強いファン層を抱え、相変わらずの健闘を見せています。

②CD売り上げの減少
これはフランスだけでなく、世界中どこも同じ傾向なのでしょうが、CDの売り上げがこの4年で40%も減少したそうです。今ほど音楽が人々に聴かれている時代もない、といわれるほどであるにも関わらず、CDの売り上げが大きく減少している・・・理由は、インターネット上での違法コピー。こうした状況に、EMIは対抗策を発表したようですが、SONYやユニバーサルがどういう手を打ってきますか。一方、こうした傾向ににんまりしているのが、インターネット・プロバイダーや電話事業者だそうです。肯けますね。なお、コンサートは活況を呈しており、多くのコンサートが満員の聴衆で埋まっているそうです。

③イェイェやなつかしの音楽の復活
曲は聴いたことがあるけれど、どんな人が歌っているのか知らない、そんな音楽をオリジナルの歌手で聞いてみたい、という若い人たちの要望と、中高年のノスタルジーとがあいまって、イェイェや70-80年代の歌手が復活しています。昨年にはミシェル・デルペシュがコンサートなどの活動で60万ユーロ(約9,300万円)の収入をあげたそうですし、今年は、ミシェル・ポルナレフが活動を再開するそうで、これは大統領選挙、ラグビーのワールドカップと並んで2007年の三大出来事になる、と音楽関係者は期待をこめて言っているそうです。


ここに紹介されているのは、今年更なる飛躍が期待されている若手の歌手たちです。誰が大きく伸びてくるでしょうか。また、なつかしの曲も聞くチャンスが多くありそうですから、フランチポップスにも今まで以上に聞き耳を傾けてみたいと思います。

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ギメ美術館。

2007-01-23 00:58:59 | 美術・音楽
エッフェル塔からもそれほど遠くない、イエナ橋の近くに「国立ギメ東洋美術館」があります。ヨーロッパの東洋美術の中心になっているという、充実したコレクションです。


リヨンの実業家、エミール・ギメ(Emile Guimet : 1836-1918)が1876年の世界一周の折に集めてきた美術品を中心に、1879年からリヨンで公開。1889年にはパリに移り、その後1928年には国立美術館に。その後、内容の充実を図り、2001年にはリニュアル・オープン。


1階には、東南アジアとインドの美術品。カンボジア・クメール文化の素晴らしさがひときわ目を惹きます。アンコール・ワットやアンコール・トムのものもあります。さすが旧宗主国。いろいろ持って来ているようです。


2階には、チベット、ネパール、ガンダーラ、中国の美術品。ガンダーラの仏像は顔が西洋人です。人の往来が昔から盛んにあったのでしょうね。


3階には中国、韓国、日本の美術品。歌麿を中心に充実した浮世絵のコレクションがあります。

駆け足で見ても3時間。実に膨大な美術品の数々です。よくぞこれだけ集めた、と感心してしまいます。こちらの美術館は、ここだけでなく、作品点数が多い。しっかり見ようと思ったら、1日でも足りない。もちろんルーブルなどは1週間とも言われていますが、とにかく時間に余裕を持たせて行きたいものです。休日の午前中に入館し、夕方までゆっくり鑑賞している人が多くいます。長時間いれば、当然おなかもすくし、喉も乾く。美術館にレストランやカフェがしっかり整備されているのもこうした事情によるのかもしれませんね。

それに、どの美術館でも思うのですが、展示方法がアートしています。実にうまい展示の仕方をしています。壁に凹凸を付けたり、スペースをうまく使ったり・・・美術品に負けないセンスが感じられる展示、設計の美術館が多く、それを見るのも楽しみの一つです。


そして、この日も2組いたのですが、学芸員による学生たちへの説明。奥に見える集団がその1組ですが、みんな熱心にメモを取っていました。小さいときから、多くの優れた美術品に直接触れることができるわけですから、センスも磨かれるのでしょう。こうして伝統は継承されていくのでしょうね。

入場料6ユーロ、特別展も見ると7.5ユーロ。火曜日が休館日です。詳しくは、www.guimet.frでも見れます(フランス語)。

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ダッペール美術館。

2007-01-19 02:25:33 | 美術・音楽
パリ16区の閑静な住宅街にアフリカ美術を集めたダッペール美術館があります。


入り口なのですが、全体の雰囲気といい、美術館のロゴマークといい、なんとなく日本的ですね。旧街道にある呉服店とか和装小物の店あるいは和菓子の店、といった感じですよね。入場券のチケットの半券にも同じロゴマークが印刷されているのですが、それを見て日本のマークじゃないのかと言っているフランス人もいました。鳥居に見えるのかもしれないですね。

さて、肝心の収蔵品ですが、ガボン、トーゴ、カメルーン、マリ、コンゴなどサハラ以南のアフリカから集めた作品を、いかにもフランスらしいおしゃれな展示方法で見せてくれています。


木彫りの作品、さまざまな仮面、装飾の美しい武器などが2フロアーにきれいに展示されています。さすがアフリカに近いヨーロッパ、そしてアフリカ諸国の旧宗主国が多いヨーロッパ、アフリカンアートを豊富に所蔵しているようです。


ただ欲をいえば、もう少し素朴な展示方法で見せてほしい・・・アフリカ美術のもつ荒削りで素朴だけれど心の奥に届いてくる感動、大地の歌といったものが、あまりにも繊細な展示では、伝わりにくくなっているような気がします。ニューヨークのメトロポリタン美術館の何気ない展示のほうが、アフリカ美術の持つ素朴な強さが素直に伝わってくるような気もします。

とはいえ、映像を使った説明や、巫女によるinitiationを紹介するドキュメンタリーなど、わかりやすい展示工夫は評価されると思います。

また、たまたま訪れた日には、トーゴのマリオネット劇団の上演がありました。

3人組で、マリオネットに歌・演奏を組み合わせたものなのですが、ウサギと亀の人形がメインで出てきて、テーマは才能より努力が大切! 日本にもありますね、この話。同じような話が世界の多くの地域にあるのでしょうね。思わぬ発見でした。会場のホールは、多くの家族連れでいっぱいでした。

日本からはあまりに遠いアフリカ。せっかく近くにいる間に、アフリカの文化に触れるチャンスをできるだけもちたいと思います。

なお、ダッペール美術館を運営するのは、17世紀のオランダの人文主義者で、“Description de l’Afrique”(アフリカの描写)という出版物を残しているOlfert Dapperを記念して名づけられたダッペール財団です。1983年にアムステルダムで設立され、1986年にパリでサハラ以南のアフリカ美術を紹介する美術館として開館。2000年に今の場所に移ったそうです。


ダッペール美術館:35 rue Paul Valery
(www.dapper.com.fr)

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