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50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

ル・コルビュジエ。

2007-04-12 01:28:19 | 美術・音楽
建築家の、ル・コルビュジエ。最近はあまりその名前を耳にしないような気がしますが、それでも、建築関係では、今もってその威光は衰えていないようです。

ル・コルビュジエ、本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)。1887-1965。スイス生まれですが、後にフランスに帰化。日本でもお馴染みのフランク・ロイド・ライト、そしてミース・ファン・デル・ローエとともに近代建築の三大巨匠といわれているそうです。鉄筋コンクリートによる住宅建築方法であるドミノシステムの考案者で、合理性をモットーとするモダニズム建築の提唱者。その活動は、建築だけでなく、都市計画、デザイン、絵画、文筆にまで及んでいます。

そのル・コルビュジエの住んだアパルトマンや両親のために建てた家を所有するとともに、彼の図面、デッサン、文章、写真などいわゆるアーカイブを保管しているのが「ル・コルビュジエ財団」。パリ16区の「ラ・ロシュ邸」内にあります。そして、そのラ・ロシュ邸が一般に公開されています。



このラ・ロシュ邸、ル・コルビュジエの友人であるスイスの銀行家で絵画のコレクターでもあったラウル・ラ・ロシュのためにル・コルビュジエが設計したもので、彼の設計思想が端的に現れています。




彼の唱える「近代建築の五原則」(ピロティ・屋上庭園・自由な平面・大きな窓・自由なファサード)を具体的に見ることができます。


また、彼の作品や仕事中の彼を撮った写真なども展示されています。


訪れた日は平日の午前中だったのですが、アメリカから建築を専攻する10人ほどの学生が訪れていました。いろいろな角度から写真を撮ったり、座り込んでスケッチをしたり、真剣な表情で、偉大なる先達、ル・コルビュジエの作品と向かい合っていました。またフランスの学生4人グループも来ていました。

高層ビルを建て、その周囲を緑地に、というル・コルビュジエの提案はパリでは受け入れられませんでしたが、多くの国々(ブラジル・アルゼンチン・スウェーデン、スイスなど)で実現されています。また、「住宅は住むための機会」という彼の考えに基づいた住まい作りもさまざまなところで実際に行なわれています。しかし、ハードからソフトへ、という流れの中で、その無機質な、合理性一辺倒のような住まい作りは、もう時代の波間に消え去ってしまったのではないかと思っていたのですが、こうして今でも訪れる学生が多いということは、『タイム』誌が20世紀最大の建築家と称したル・コルビュジエ、学ぶべきことの多い建築界の巨人であることに変わりないようです。


Fondation Le Corbusier(ル・コルビュジエ財団)
10, square du Dr.Blanche
最寄のメトロ駅:9号線のJasmin
日曜祝日休館

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デッサンの天才、パスキン展。

2007-04-07 03:26:50 | 美術・音楽
エコール・ド・パリを代表する画家の一人、パスキン(Pascin:1885-1930)の展覧会(Pascin Le magicien du reel:パスキン~現実の魔術師)が6月4日までマイヨール美術館(Musee Maillol)で行われています。



ユダヤ系スペイン人を父に、イタリア人を母にブルガリアで生まれたパスキンは、早くからその類稀なデッサン力を発揮。ウィーンで美術を学んだ後、10代ですでにミュンヘンの風刺雑誌と専属契約を結んでいました。そして、1905年、20歳でパリへ。第一次大戦中にアメリカなどへ避難したのを除いて、パリに暮らし続けました。

挿絵画家として早くから有名だったので、生活には困らなかったようです。とくに20年代の「狂乱の時代」にあっては、夜毎モンパルナス界隈に出没しては、酒と女の日々。ハンカチ王子ならぬ「モンパルナス王子」というニックネームまで頂戴していたとか。しかし、酔っていても、時に画家の鋭い視線で、狂乱に明け暮れる人々の酔態を観察。後の作品制作に生かしていたようです。飲んでも完全には酔い切れない。作家精神が目覚めてしまう・・・芸術家の苦悩かもしれないですね。


作品は実に多彩。芸術理論に依拠することを快しとせず、常に自分の「個性」の追求に努めた結果、キュビズム風あり、フォビズム風あり、表現派風あり・・・

ピカソ風あり、シャガール風あり、ロートレック風あり、エゴン・シーレ風あり、マリー・ローランサン風あり・・・いずれもが、その時々のパスキンの志向を表しているようです。しかも、いうまでもなく、どれも傑作ぞろい。

パスキン独特の技法「ナクレ」を用いて描かれた、パステル画や水彩画を髣髴とさせる透明感の中にいるモデルたちの今にも消え入りそうな儚さ、その哀愁感が、却って見るものの心にしっかりと焼き付けられるようです。

今回、油絵以上に興味を惹かれたのが、ペン、インクで描き、一部に水彩で彩色した小品の数々。

プロとしてのデビューが風刺漫画だったことも影響しているのかもしれないですが、じつに素敵な作品(イラスト的な作品)を残しています。

こうした作品に登場する両性具有の少女たち。彼女たちはパスキンの心象風景そのものだそうです。パリに暮らし、有名な画家で知人も多い。しかし、東欧系ユダヤ人、どこに行っても完全には同化できない。自己のアイデンティティはどこにあるのか。引き裂かれた心象風景が両性具有の人物になっているという説もあるようです。

子どもの心のままで大人になってしまったパスキン。社交性と冷徹な観察者の目をともに持つゆえの引き裂かれた自我。


長年の愛人だったリュシーへ、“Adieu Lucy”(さらば、リュシー)とメッセージを残して、自宅のアパルトマンで自殺。享年45歳。

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ラジオ・フランスでのコンサート。

2007-04-03 02:07:56 | 美術・音楽
4月1日、ラジオ・フランスのコンサート・ホールでバリトンのコンサートを聴いてきました。バリトン=Stephane DEGOUT(ステファン・ドゥグ)、ピアノ=Helene LUCAS(エレーヌ・リュカス)。



ラジオ・フランスの場所は、16区、セーヌ河畔のAvenue du President Kennedy(ケネディ大統領大通り)。旧ニッコー・ホテルの対面です。

(高層ビルが並ぶ対面の15区側)

午後4時開演の無料コンサート。少し早めに行って、近くのカフェでゆっくりしようと1時間ほど前に着いたのですが、もうすでに100人近い行列。さすが無料コンサート。でも、きちんとネクタイを締めた人やネクタイまではしなくてもジャケットを着た人が多く、ジーンズ派は私を含め少数でした。



演目は、グノーの『ル・ヴァロン』、デュパルクの『メロディ』、サン=サーンスの『2つのペルシアの歌』、プーランクの『バナリテ』、アーンの『メロディ』、ラヴェルの『博物誌』そしてアンコール。いずれも19世紀生まれのフランスの作曲家(アーンはベネズエラ人ですが、3歳からパリで育ち、フランスで活躍)の作品で、ロマン主義、印象主義の名曲。フランスらしいエスプリの効いた曲といわれる作品が多いのですが、歌手の表情のせいなのか、なんとなく求道的な印象がしてしまいました。それに、もともとバリトンよりテノールのほうが好きなので、なおさら違和感があったのかもしれません。


(1階の収容人員650人ほどのホールです)

また、会場内は水を打ったような静かさ、というわけではなく、咳、パンフレットのページを繰る音、曲目リストを照らすペンライトの点滅など、カジュアルな雰囲気。歌手、ピアニストには申し訳ないですが、日曜の昼下がり、天気がいいので散歩がてらちょっぴりお洒落してコンサートへ、といった感じです。1時間も並んだ割には、お気楽な雰囲気でした。でも、こうしたコンサートが頻繁に開かれるパリ。いわゆる芸術が裃を着てではなく、普段着で身近にいるところが、すごいところであり、羨ましいところです。せっかくパリにいるのですから、しっかり活用させてもらおうと思います。

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狩猟民族。

2007-03-30 01:12:31 | 美術・音楽
フランス人がいかに狩猟好きかを物語る博物館があります。“Musee de la Chasse et de la Nature”(狩猟自然博物館)。おしゃれなマレ地区にあります。



名前に「自然」と付いていますが、自然保護の意味ではなく、征服すべき対象としての自然のことなのでしょう。征服した自然を示す多くの剥製が並んでいます。


獲物を仕留めるための銃もきれいに並べて展示してあります。殆ど19世紀のものですが、きちんと手入れされており、新品のようです。銃を磨き、手入れをしながら次の猟のことを思い描いていたのかもしれないですね。

大きな動物の剥製は単独で展示されています。



同時に展示されているタピスリーなども、図柄は動物のものです。


また、絵皿なども展示してあるのですが、それもモチーフは動物。仕留めた動物の肉を料理し、こうしたデザインの皿の上に盛って食事をしたのでしょうか。自然は征服すべき対象、動物は食べるためのもの、そう思っていないとちょっと出来ないことですね。共生という観念ではないようです。

この博物館の創設者は、フランソワ(1904-1973)・ジャクリーヌ(1913-1993)のソメール夫妻。仕留めた動物の剥製の収集家であるとともに、ビジネスで成功した資産を自然に関するメセナ活動に寄付したそうです。しかし、どんなメセナなのでしょうか・・・。

ソメール夫妻の狩猟小屋を再現しています。アフリカで大きな動物を、そしてフランス国内では野の動物(ジビエ)を撃っていたそうです。

また、1階では写真の展示も行われていました。もちろん、テーマは狩猟です。

きれいではありますが、こうした作品には賛成しかねます。

いってみれば、剥製博物館。入場料6ユーロ。それなのに来場者が多い。しかも家族連れが多い。親から子へ、子から孫へ・・・やはり狩猟好き、あるいは自然を征服した成果を見るのが大好きな人が多いのでしょう。狩猟民族の血は脈々と受け継がれているようです。

Musee de la Chasse et de la Nature
62 rue des Archives (Hotel de Mongelas:モンジュラス館)

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*3月は卒業、4月は新入学・・・そんな季節に合わせて、半年お世話になった「日記ブログランキング」は3月いっぱいで卒業させてもらおうと思います。でも、このブログは4月以降も継続しますので、出来ましたらお気に入りに入れていただくか、「人気blogランキング」(blog.with2.net:地域情報―海外―ヨーロッパ)の方からアクセスしていただければと思います。引き続きご訪問のほど、よろしくお願いします。

歴史的事件と写真~ジュ・ド・ポム

2007-03-27 02:10:12 | 美術・音楽
写真専門のギャラリー、「JEU DE PAUME」(ジュー・ド・ポム)で“L’Evenement~les images comme acteurs de l’histoire”(事件~歴史の証人としてのイメージ)という展覧会を見てきました。



写真が捉えた歴史的瞬間の数々・・・歴史に残る出来事をフレームにしっかりと捉えています。そのイメージが、人々の脳裏に焼きつき、やがて事実として認識されていく。それだけに写真のもつ力は大きく、また責任も大きいわけです。



名作といわれる写真を見ていると、歴史的瞬間に立ち会いながらもカメラマンがしっかりと構図、フレームワークを考えてシャッターを切っていることに感心してしまいます。また、対象となる「人間」への優しいまなざし、そして同時に人間の行った愚行に対する悲しみ・悲憤が強くその作品から感じられます。写真の魅力のひとつがここに息づいています。

今回紹介されている「事件」は、4つ。

クリミア戦争(1853-56)、

戦場で見せる兵士たちの人間らしい表情。また、手前の塹壕とその先にある破壊されつつある街、地平線、そして空・・・悲劇を捉えつつも美しくさえある写真が多く展示されています。

空の時代の幕開けとなった20世紀初頭(1909-11)、

飛行船で、飛行機で、初めて空を飛ぶことへの熱狂、空からの写真に感動する様子がよく伝わってきます。

人民戦線内閣による初の有給休暇による夏休み(1936)、

簡単なテントが立ち並ぶ浜辺や湖沿い。初めての有給休暇に戸惑いながらも楽しくてしようがない人々の表情が印象的です。

ベルリンの壁の崩壊(1985.11.9)、

自由への希求がついに現実となった瞬間のうれし泣き・・・忘れられない表情です。

そして、9.11(2001)、

その瞬間、そして、救助にあたった人たち、助かった人たちと家族との抱擁、犠牲となった人々への追悼・・・言葉を超えた写真の数々です。

ベルリンの壁からはカラー写真も混じりますが、事件のもつ劇的性格、その背後に潜む政治的意図やそれに振り回される庶民の悲喜劇といったものは、やはりモノクロのほうが表現しやすいのではないかと思います。カラーになると「現実」が前面に出すぎるのではないでしょうか。それとも、単に私が年なだけかもしれませんが、どうもモノクロの方に「事件性」を強く感じてしまいます。

こうした歴史的事件を追い、広く世界に伝えるカメラジャーナリストたち。その中にはロバート・キャパのようにカメラを手に命を落とした人たちもいます。生命の危険をも顧みず、写真の力を信じ、事件を追い求めているカメラマンたち。私にはまねが出来ないだけに、いっそう大きな拍手を送りたいと思います。


JEU DE PAUME
1 Place de Concorde
チュイルリー公園内で、
モネの睡蓮で有名なオランジュリー美術館と対をなす形で建っています。
www.jeudepaume.org

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異形の作家、デヴィッド・リンチ展。

2007-03-24 04:35:34 | 美術・音楽
映画監督として有名なデヴィッド・リンチ。代表作には『エレファント・マン』や『砂の惑星』『イレイザーヘッド』、そしてテレビドラマの『ツイン・ピークス』などがありますが、映画以外にも幅広い創作活動を行っています。それらの作品を一堂に集めて紹介する企画展“David Lynch – The air is on fire”がカルチエ財団現代美術館で行われています。



ジーンズやナイフ、ベルトなどの実物を使った大作アートから、ノート、メモ、ナプキンなどに描いかれたスケッチ、ドローイングなどの小品、そして短編映像まで、実に幅広い展示内容です。


館内は残念ながら撮影禁止。しかし、そこはさすが映画の巨匠、映画雑誌“Cahiers du Cinema”(カイエ・デュ・シネマ)が今回の企画展を特集していますので、その誌面から何点か紹介しましょう。


大きな作品には、リンチ独特の世界が表現されています。その中の一作に、“The eye sees, the ear hears, what ?”と書き込まれた作品があります。視聴覚を越えた、つまり現実を超越したイマジネーションの世界にこそ真実がある、そんなことを表現しているような気がします。そしてリンチのイマジネーションは、決まって異形の世界へと向かいます。首は跳び、腕はもぎ取られ、頭は腐敗し、性器には木が生える・・・独特な色彩もあいまって、『エレファント・マン』でも見られたようなリンチ・ワールドを表現しています。

(美術館は一部外から見えるようになっています)

しかし、一方のデッサンなど小品には他の作家の影響も見て取れます。リキテンシュタインの影響を受けたものも多く、またピカソの影響の見られる作品や墨絵そっくりのシリーズもあります。いろいろな影響をデッサンなどを描きながら昇華し、大作でリンチ・ワールドを創り上げているのかもしれません。


館内では、1960年代~70年代に作られた実験的短編(ルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』を想起させます)や2002年作のシリーズ・アニメが上映されていますが、そこもリンチ・ワールド。リンチのイマジネーションがくっきりと描き出されています。

なお、『カイエ・デュ・シネマ』以外にもLe Figaro(フィガロ紙)やmetro(メトロ紙)が特集で紹介していました。


こうしたPRも効いたのか、大盛況。デヴィッド・リンチの世界、フランスのアート好きを惹きつけているようです。

ところで、館内で気になったことがあります。狭いせいもあるのでしょうが、作品を見ている人の前に平気で立ってしまう人が結構いることです。しかも、決まって女性。フランスでは女性は何をやっても許される。男は文句を言わず見える場所に移動すること! でも、他人に迷惑をかけるような自分勝手でも許されるのでしょうか。フランス国内で、フランス人だけでやっているならそれでいいのでしょうが、他の地域や人々と共存するとき、フランス女性の身勝手さはフランス人全般に対する「傲慢」というイメージをさらに上塗りしてしまうのではないでしょうか。しかし、ここまで女性に寛大でいられるのは、実はフランス男の深謀遠慮なのではないか、と思える節もあります。フランスの国会議員に占める女性の比率は10%ちょっとで北欧諸国の40%前後に比べると非常に少ない。また、女性に参政権を与えたのも第二次大戦後と遅い。女性に徹底的に優しいようでいて、国や企業の重要事項は男たちで決めてしまう。そういえば家計を握っているのも男性。それらに対する不満が爆発しないよう普段は花よ蝶よとおだてておく・・・戦略に長けたフランス男性なら、これくらいの事はやりかねません(今年の大統領選挙でロワイヤル女史が当選すれば、ずいぶん変わるのでしょうが)。それでも、男女平等はタブーになっているとまで評される国、日本の女性よりは遥かに幸せかもしれませんが。


(敷地内ではソメイヨシノそっくりの花がちょうど満開でした)

話はデヴィッド・リンチから男女平等になってしまいましたが、独特のリンチ・ワールド、日本でも見れるといいですね。

Fondation Cartier pour l’art contemporain
261 boulevard Raspail
fondation.cartier.com
『デヴィッド・リンチ』展は、5月27日まで。

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広告美術館。

2007-03-20 02:55:13 | 美術・音楽
ルーブル宮のマルサン翼(リヴォリ通り)にある装飾芸術美術館の奥に広告美術館があります。

今そこで、“La photographie publicitaire en France~de Man Ray a Jean-Paul Goude”(「フランスの広告写真~マン・レイからジャン・ポール・グードまで」)という写真展が行われています。


会場です。ここは、どこ・・・ガラス扉を挟んですぐ隣の装飾芸術美術館が、これでもかこれでもかとフランスの伝統的装飾を見せているだけに、このあまりの落差にビックリです。一部崩れたレンガ、パイプの走る天井・・・ニューヨークにありそうな画廊、そんな雰囲気です。やはり、広告はアメリカ、マディソン・アヴェニューが中心なのでしょうか。フランスまで、こうした雰囲気で広告美術を展示しているのですから。

サブ・タイトルに紹介されている写真家、マン・レイ。日本でも知られたカメラマンですね。1890-1976。東欧系のアメリカ人ですが、1921年に渡仏。モンパルナスに住んで、ブランクーシをはじめ多くの芸術家たちと交友し、自身も画家、彫刻家、写真家として活躍しました。ベルエポック時代の歌手・モデルとして時代の寵児であったキキとの恋愛は有名。1925年の第1回シュルレアリスム展にはエルンスト、クレー、ミロ、ピカソらとともに参加。今はモンパルナス墓地に眠っています。国籍がどこであろうが、フランスに住みフランスで活躍すればフランス人、というのがフランス流。アメリカ人でありながら、フランス広告写真展のメーンの一人になっています。

もう一人はジャン・ポール・グード。クルマの広告でとくに実力を発揮したカメラマン、デザイナーで、やがて活躍の場をファッションデザインなどさまざまなデザインの分野に広げ、ヴィジュアル・プロデューサーとしても活躍しているようです。


どこかで見た記憶があるような、チンザノのポスターです。昔脚光を浴びたことがあり、日本でも一時チンザノは広告を積極的に行っていたようなかすかな記憶があります。


日本で使用された写真も展示されています。お分かりですか。資生堂がその広告に使った写真です。資生堂は90年代、ここ広告美術館で自社の広告の歴史を展示したことがあるそうです。やはり、製品の特徴上、フランスとのつながりが強いのでしょうね。


会場に展示された写真は、50年代から80年代にかけてフランスのカメラマンによって撮影された広告用写真。ジャーナリズムのカメラマンの作品とは明らかに異なる作品です。しかし、却ってフランスらしいエスプリが表現されていて、おしゃれだなあ、という印象を与えてくれます。しかし、そこにも歴史があり、当初は技術的な問題もあり、写真は単に商品を在るがままに見せるためだけに使われていて、イメージの部分はイラストに頼っていたとか。それが次第に写真でもイメージや商品に込めた想いを表現できるようになってきて、ようやく広告表現の主流になったそうです。

広告美術館。チケットは装飾芸術美術館と共通。チケット上は付け足しのような印象もありますが、ちょっと毛色の変わったフランスの美を観たい方にはお奨めです。

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装飾芸術美術館。

2007-03-13 01:26:52 | 美術・音楽
リヴォリ通りに面したルーブル宮のマルサン翼。ナポレオン1世時代に着工され、ナポレオン3世時代に完成したそうです。ここに、装飾芸術美術館があります。

1905年に開館されたそうですが、90年代半ばから10年かけて改修が施され、2006年9月15日にリニューアル・オープンしました。

展示されているのは、まさに装飾品。家具・絵画・置物・照明・食器・その他室内装飾の数々。フランスの主に貴族・上流家庭で使われたり飾られたりした装飾品を時代別に、テーマ別に陳列しています。一部屋そっくり再現したり、同じ種類の品を一列に並べてみたり、展示方法にもアイデアを絞っています。


これは、15世紀末の部屋を再現したそうです。500年以上も前ですが、このような寝室で息んでいたのですね。お部屋拝見などをしてしまうと、時を越えて、急に親近感がわいてきてしまいます。ただ、全体に暗いですね。蝋燭だけのほの暗さ。部屋をあまり明るくしないのは長い伝統なのでしょうね。


時代が下ると、絵画や時計などが装飾品に加わります。調度品の素材も木から大理石や金属に変わってきています。


異国情緒趣味になると、このような部屋に住んだりしたようです。こうした部屋で何を考えていたのでしょうか。


現代になると、住まいの中はこうなります。国際化というか、どこの国にもありそうなインテリアですね。新築マンションのモデルルームとか住宅展示場の一室のようにも見えてしまいます。個性がなくなったようで、寂しい気もします。でも、これが「今」なのでしょうね。


これは、スペイン・アンダルシア地方の城にあった16世紀の木製レリーフで、ヘラクレスの生涯を描いているそうです。装飾美術館の倉庫で長い間忘れ去られていたそうですが、修復時に再発見され、今では大切に展示されています。何しろ大量の装飾品、専門家でも忘れてしまうことがあるようです。


寄木細工を中心に木製家具がたくさん展示されています。その細部にまで高い完成度を発揮している職人の腕は、素晴らしいものです。ただ、この展示を観た瞬間には、まるで書架に飾られた稀覯本のように思えてしまいました。


素晴らしい椅子なのでしょうが、こういう展示方法をされてしまうと、ホームセンターとかのインテリアショップに並んだフランス風ごてごてデザインの椅子に見えてしまいます。見る側の生活観の反映なのかもしれませんが・・・。


これは、美しい。香水瓶を中心にガラス製の小物をきれいに並べてあります。

9,000㎡の広い館内に、およそ6,000点の装飾美術品が展示されています。フランスの人々の暮らしに寄り添った装飾品の数々・・・木製品、ガラス製品、金銀細工、陶器、磁器・・・フランス製のもの、イタリア製、スペインから来たもの・・・ルネッサンス様式、ナンシー派、アール・ヌーヴォー、ポスト・モダーン・・・暮らしに近いところにある装飾品だけに、その時代、その国の人々の「美」に対する感覚がより鮮明に現れているような気がします。

18世紀の哲学者ディドロが「趣味(センス)とは繰り返し経験することにより得られるもので、それによって本物、よいものが見極められるようになる。しかも美に対して瞬時に生き生きと感動できるようになる」と言っています。装飾芸術美術館に展示された多くの作品の中に、フランスのセンス・趣味を見出すことも私たちのセンスを磨く手助けになるかも知れません。

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アズナブール、緊急情報。

2007-03-04 19:52:34 | 美術・音楽
4日のサーカスと5日の新たな話題の間に、ひとつ急ぎの情報をお届けします。


(4・5日付のle Mondeの別刷りです)

3月5日(月)、rfi(ラジオ・フランス・インターナショナル)というラジオ局が一日中シャルル・アズナブールの曲を流し続けます。この局(聴取者数、世界で4,500万人だそうです)、インターネットで聴くことができます。
www.rfi.fr
日本とフランスの時差が8時間。ですから、日本時間5日朝8時以降、多分アズナブールの曲がたっぷりと聴けると思います(開始がフランス時間の朝の場合は数時間お待ちください)。

どうして、これほどのことをやるかというと・・・フランスにおけるアルメニア年に当たっており、アルメニアの文化がいろいろと紹介されています。そして、アルメニア系のフランス人といえば、シャルル・アズナブール。昨年シラク大統領がアルメニアを訪問した際には首都のエレバンでアズナブールのコンサートが行われましたし、今年オペラ・ガルニエで行ったコンサートには、アルメニアの大統領も出席しています。

ということで、アルメニアとフランスを結ぶ架け橋がアズナブール。しかも、ピアフの伝記映画がヒットしている最中であり、且つ、かつての大スター、ミシェル・ポルナレフが34年ぶりに2日、コンサートを開いたというタイミングもあり、ここは、アズナブール特集を、となったのではないでしょうか。

いずれにせよ、アズナブールの曲をすべての番組で流すと言っています。お好きな方はぜひ。

マルモッタン・モネ美術館。

2007-03-03 04:35:07 | 美術・音楽
パリ16区、ブローニュの森のすぐそばに、Musee Marmottan Monet(マルモッタン・モネ美術館)があります。印象派の語源ともいえる、モネの“Impression, Soleil levant”(印象、日の出)があることで有名ですね。

もともとは貴族の狩猟用の館だったのですが、ジュール・マルモッタンが取得し、息子の・歴史家ポール・マルモッタンが引き継いだ邸宅です。ポール・マルモッタン夫婦が蒐集したコレクションをもとに、その後、モネの息子ミシェルなどから寄贈された多くの印象派の作品とともに、一般に公開されています。


絵画のコレクションはもちろんですが、フランス上流階級がどのような住まいに暮らしていたかも覗け、なかなか興味深い美術館になっています。


ここは撮影禁止の上、各部屋のコーナーにしっかり監視用カメラが設置されています。そこで、モネに関しては、廊下に展示されている本人使用のパレットでその絵に思いを馳せていただきたいと思います。


さて、今回訪れたのには、モネの絵以外にもうひとつの理由があります。

“Les Estampes Japonaises de Claude Monet”(「クロード・モネの浮世絵コレクション」展)が行われていたからです。二月までの予定でしたが、人気が高く3月18日まで延長されています。

モネがはじめて浮世絵を見たのは、オランダの雑貨屋だったとか。その技術の高さと美的センスに感銘を受けたモネは、1871年以降浮世絵のコレクションに夢中になったそうです。最終的には200点以上を蒐集。これらの浮世絵もモネの遺族によって1966年にマルモッタン美術館に寄贈されています。


階上の特別展入り口には『北斎漫画』が展示されています。これらの作品こそ、浮世絵と印象派との出会い。1865年、フランス人画家のブラックモンが陶器の包み紙に使われていた北斎漫画に興味を示し、友人などに見せていたのが印象派の画家たちにも広がったとか。浮世絵の印象派への影響は、ロダン美術館にあるゴッホの『タンギー爺さん』を始め多くの作品に見て取ることが出来ますね。「漫画」は古くから日本とフランスの文化の架け橋になっていたようです。


今回の作品展には北斎の作品が多く展示されています。有名な、赤富士とも言われる『凱風快晴』や、

『神奈川沖浪裏』などモネの鑑識眼の高さを物語るコレクションです。もちろん、歌麿や広重の作品も眼にすることが出来ます。

また、源氏絵や日清・日露の戦勝を描いた作者不詳の絵なども展示されています。


これらの展示を見ていて気づいたことが一つあります。

HIROSHIGE Utagawa。フランスでは苗字を大文字で、名前は最初のアルファベット以外は小文字で書くことになっています。従って、この表示では苗字が広重、名が歌川になってしまいます。広重歌川。すべての作品の表示でこのように苗字と名が逆になっていました。どうしてでしょうか。考えられるのは、日本が気を使い、欧米では名前が最初に来るのでそれに合わせてHiroshige Utagawaと表記。それを見たフランス側が頭を使って日本では最初に苗字が来るからHiroshigeが苗字に違いない、HIROSHIGEと表記しよう、となってしまった。あるいは、どちらも気も頭も使わず、日本流にUtagawa Hiroshigeのまま送り、受け取った側もフランス流に最初のUtagawaが名前、後ろのHiroshigeが苗字と判断して、HIROSHIGEになった。

どうでもいいことを推測してしまいましたが、名前と苗字、文化が違うと難しいですね。ソルボンヌの教師の中にはどう呼んでほしいか、最初に生徒の希望を言わせる人もいます。名前がいいのか、苗字がいいのか、両方がいいのか、あるいは敬称を付けてほしいのか・・・

現実生活においては文化の違いは面倒なことも多いですが、その違いが思わぬ新しい文化を生んだりすることもある。異文化交流・・・面白いものです。

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