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50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

人間「世界遺産」。

2007-08-10 00:32:16 | 美術・音楽
人間国宝って、日本にありますよね。重要無形文化財の保持者として認定された人の通称、だそうです。そのユネスコ版、ともいえそうな写真展が、パリ7区のユネスコ本部で行なわれています。



ユネスコ本部を囲む鉄柵に展示されている写真の数々。ユネスコといえば、「世界遺産」をすぐ思い起こしてしまいますが、写真に撮られているのは建築物や自然ではなく、「人間」。さまざまな土地で生きている人々の、さまざまな表情を紹介しています。



“patrimoine vivant”(生きている遺産)と紹介があるように、文化・伝統を伝える「人間」がテーマです。生きている世界遺産・・・UNESCOは、これまで民族文化財、フォークロア、口承伝統などと呼ばれてきた無形の文化を人類共通の遺産としてとらえ、保護していくことを目的に無形遺産条約を発効させ、さらに2001年から隔年で、そうした文化遺産を「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」として発表しています。その中から代表的なものを今回、展示しているようです。無形文化財・・・日本が以前から行なってきた文化保護政策、それに近いとらえ方なのかもしれないですね。何しろ、1999年11月からユネスコの事務局長は日本人。しかも日本は予算の重要な拠出国。日本の視点が反映されてもしかるべきかも知れません。日本のシステムが国際機関の活動に生かされることは、日本人としてとてもうれしく思います。



前置きが長くなりました。ユネスコ版・人間世界遺産。写真を基に、興味を惹きそうなものをいくつか選んでご紹介しましょう。


(カンボジア)クメールの影絵芝居。雄大なシーン。アンコール・ワットなどの文化遺跡で上演されたら、さらに素晴らしいものになるのでは、と思えてきます。


(セネガル)一瞬、なまはげかと思いましたが、イニシエーションの儀式。アフリカでは、イニシエーションが各地で行われているようです。


(エジプト)楽器の演奏付きで、叙事詩を語っているところ。日本にも、一人完結ですが琵琶法師とかの伝統がありますね。


(イタリア)シシリー島での、マリオネットの上演です。外国勢力と勇敢に戦ったシシリーの人々を描いているのでしょうか。


(中国)昆曲。蘇州で生まれた伝統的歌劇で、京劇のルーツ。悠久の時の流れ、中国。文化的伝統も、しっかり受け継がれているようです。


(トンガ)戦士たちの踊り。地理的に近いせいか、ラグビー・ニュージーランド代表「オールブラックス」の試合前の踊りにそっくりですね。


(バルト三カ国)エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三カ国で、100年以上前から行なわれている民族伝統の歌と踊りのお祭りだそうです。


そして、日本からは歌舞伎。kabukiとして、国際的に有名になっています。また、能楽、人形浄瑠璃文楽も紹介され、さらに、人間国宝(Tresors nationaux vivants)という制度があるという紹介もされていました。

いかがでしたか。世界各地の、さまざまな文化とその継承。こうした人々がいてこその、伝統です。いかに伝統を守り、いかにそこから新しい文化の萌芽を生み育てていくか―――。伝統文化を守り、明日に伝える人々にはもっとスポットが当たっても良いのではないか、と思えてきます。ユネスコの活動に、拍手!! (できれば、もう少しPRを。)

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夢つづれ織り・・・ゴブラン織りギャラリー。

2007-08-07 01:49:16 | 美術・音楽
京都祇園祭・鶏鉾の見送り幕や滋賀長浜の鳳凰山見送り幕、重文に指定されているこれらの美術品、実はベルギー製のつづれ織りなんだそうです。ビックリですね。そして、つづれ織りといえば、ゴブラン織り。そのゴブラン織りのルーツは・・・そう、パリです。というわけで、今日の話題は、ゴブラン織り!

今年5月「ゴブラン織りギャラリー」が13区にオープンしました。



ゴブラン織り・・・この名前の由来は・・・

15世紀頃、パリに住むゴブラン氏の作るつづれ織りが大変な人気を博した。それ以降、ゴブラン家は、つづれ織りの職人一家として代々その技術を大切にしてきたそうです。そして、時は下って17世紀。負けず嫌いな太陽王・ルイ14世はつづれ織りにおいても先行するフランドル地方に追いつけ、追い越せ! そこで、その財務総監として豪腕を振るっていたコルベールが1667年、ゴブラン家の工房を王立ゴブラン製作所とし、更なる発展のためにその保護育成に乗り出す。このゴブラン製作所で作られる素晴らしい織り物の数々・・・その名に因んで、いつの間にかつづれ織りをゴブラン織りと総称するようになったそうです。



ギャラリーは、三つのコーナーからなっています。

入ってすぐの部屋は、最近10年ほどの間に織られたゴブラン織りの展示室です。

伝統的絵柄から、このような斬新なデザインへ、ずいぶん変化してきているようですね。用途も、敷物や壁掛けから家具の一部、クッション、バッグなど、多くの場所で使われるようになってきているようです。

開館記念に展示されているこれらの品々、展示の後は大統領官邸、首相官邸や各省庁で実際に使われることになっているとか。インタビューなどの際、テレビで見かけることもあるかもしれないですね。

上の階へ階段を登ると、そこには1607年アンリ4世のために織られたというタピスリーの傑作『アルテミズのタピスリー』が展示されています。


重厚・華麗にして気品のあるタピスリーで、眺めていても溜息が出るほど素晴らしいのですが、それらのデザイン画も展示されていて、比較することができるようになっています。



羊毛・絹・銀糸・金糸で織り上げられた傑作。どれだけの時間をかけて、どれだけの想いを込めて、織り上げられたことでしょう。

画家が描いたオリジナルを下絵師が実寸大に描いていく。この段階でいかに細部まで詳細に描くかが大切だそうです。なお、紋章などだけでなく、ギリシャ神話やキリスト教の場面などにも題材をとったつづれ織り。ラファエロやルーベンスも織物用に作品を描いたそうです。

最後のコーナーに展示されているのは、17-18世紀に作られた美術品の数々です。いずれも時の権力者のために作られた作品で、当時の最高の職人たちによって作られたもの。

(ルイ18世の玉座の間の衝立)


(Nはおなじみナポレオン1世のマーク)

昔、熟練した職人でも1メートル四方を織り上げるのに1年もかかったといわれるゴブラン織り。その手間のかかる作業からフランス革命後一時衰退したそうですが、見事復活。今でも、モビリエ・ナショナル(国有動産管理局)の保護の下、過去の作品の修復、新たな染色技術の追求、そして新しい作品作り・・・ゴブラン織りの伝統の継承と発展がしっかりと行われています。その活動の詳細は、正面の階段下、ビデオで紹介されています。若い人も多く、世代から世代へ、しっかりと継承されていく様を見ることができます。こうして、文化や技能は生き続けていくのでしょうね。


Galerie des Gobelins(ゴブラン織りギャラリー)
42 Avenue des Gobelins
12:30~18:30
(月曜休館)

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蓮っ葉だなんて、誰がいったの?

2007-07-30 01:05:34 | 美術・音楽
どんなに跳ね返りだろうと、蓮っ葉だと言われようと、自分さえしっかりしていれば、大丈夫・・・え、何のことかって? 皆さんの若い頃の話・・・ではもちろんなく、今日のテーマは、ハス。蓮。そう、睡蓮です。

睡蓮と言えば、あえて言うまでもなく、モネ。クロード・モネ。ジベルニーの家を訪れた方も多いのではないでしょうか。そのモネの家は昨年ご紹介しました。今日ご紹介するのは、オランジュリー美術館の睡蓮。な~んだ、見ちゃったよ、という方はさらに多いでしょうね。

(おなじみ、モネの睡蓮)

でも、オランジュリーの睡蓮、今日の主役はモネではなく、キリリ。きりりと身を引き締めて、お読みください(な~んて、苦しい駄洒落)。


オランジュリー美術館脇の芝生。そこにある、白いまるで十字架のようにも見える一群の創作物。この作者が、彫刻家のキリリです。

作品名は“Grand commandement blanc”、文化大臣の依頼で制作されたもので、1986年の作品です。

Alain Kirili(アラン・キリリ)、1946年パリ生まれ。19歳のときにアメリカ旅行をして以来、パリとニューヨークを往復しながら創作活動を行っています。1972年はじめての個展もパリとニューヨークで開く。78年にはインドを旅し、その精神世界から大いなる刺激を受ける。79年には、ニューヨークの近代美術館によって、初めて作品が買い上げられる。80年、上の写真にある“Commendement”シリーズの創作開始。92年からは、ジャズミュージシャンとのコラボを。2003年には、アフリカ・マリを訪れ、新しい手法などを試みる。

コンセプチュアル・アートからスタートし、ヘブライ文字、インドの精神世界、ジャズの影響を受け、コンテンポラリーでありながらプリミティブな印象も加わった独自な世界を創りだしている彫刻家です。

このキリリが今、オランジュリーで行っている作品展が、“Kirili et Les Nympheas”(『キリリと睡蓮』展)。


小さい頃からモネが好きだったというキリリ。

(キリリが憧れたモネの睡蓮)

モネの睡蓮にインスピレーションを受けた作品を作り出しました。

これらの彫刻作品、初めてカラー・コンクリートを素材にした作品だそうです。60を過ぎてもまだ新しいことに挑戦。さすが芸術家です。

モネへのオマージュ。


平面の作品も制作しています。キリリの睡蓮。


そして、モネの睡蓮。


それぞれの個性は異なっていても、これだけの作品に描かれれば、睡蓮も幸せもの。蓮っ葉といわれようと、なんと言われようと、芸術作品のテーマになっているのですから、立派なものです。

(モネの睡蓮のアップ)
睡蓮という言葉からモネを思い出すとき、頭の片隅にでもキリリの名を思い出してもらえると、このブログを書いた甲斐があったというものです。

『キリリと睡蓮』展
オランジュリー美術館
・火曜休み・12:30~19:00
・9月17日まで
キリリの作品をじっくりご覧になりたい方は・・・
http://www.kirili.com/

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「ウィージー」を知っていますか。

2007-07-19 00:35:52 | 美術・音楽
私の職業は「殺人」・・・こう言ったウィージー。彼を知っていますか。今日の話題は、ミステリー・・・かどうかは、読んでのお楽しみ!

ウィージー、もちろんWiFiではありません。しかも、これはコード・ネーム。これでは、ますますミステリー・・・彼が出没したのは、マンハッタン。特に、ローワー・イースト・サイド、ハーレム、ブロードウェイ、コニー・アイランド・・・ますます、ですね。彼の行くところ、必ずといっていいほど、死体あり・・・さて、ウィージーの正体は?

ウィージー、アルファベットではWeegee。アメリカ人。1899-1968。本名、ウジェル・H・フェリグ(Usher Fellig)。さて、その正体は・・・フォトジャーナリスト、つまり報道カメラマン! どうして「殺人」が職業かというと、彼が扱ったのは主に殺人、火事など、血がついてまわる事件だったから。殊に、彼の写真2点を買い取った雑誌“Time”の支払い明細に、「二つの殺人=35ドル」(two murders 35$)と書かれていたので、それ以降、俺の職業は殺人、などと言っていたそうです。

そのウィージーの写真展が、マイヨール美術館(Musee Maillol)で開催されています。



ウィージーは、愛車シボレーにカメラ機材はもちろん、着替えや食料まで積み込んで、いつでも現場に行けるようにしていたそうです。しかも、警察無線まで積んでいたので、傍受しては現場へ一目散。時には警察よりも早いくらいで、警察から事件現場を言い当てる占い板でも持っているのか、とからかわれたそうですが、当時、占い板が“ouija board”といわれ、そのouija(ウィージャ)からWeegee(ウィージー)というコードネームならぬニックネームになったそうです。



会場に展示されているのは、殺人現場のモノクロ写真。ギャングの抗争などが多いのですが、きちんとした身なりの人たちが頭から、あるいは腹から、また全身から血を流して倒れています。仰向けに、うつぶせに・・・発見者がわきに佇んでいる写真、死亡を確認するためにライトを目に当てている写真、鑑識が指紋を採取している写真・・・



また、火事現場の写真。火に包まれた高層ビル、自分は逃げ出せたが、娘と孫が火に巻かれるのをどうすることもできずに見上げている老婦人。幾多の修羅場を潜り抜けたウィージーも思わずもらい泣き・・・涙に曇る目で、それでもシャッターは切り続けた・・・

はたまた、着飾って出かけた二人の麗婦人。その二人をすごい形相で睨みつける、酔った貧しい老婦人。富める者と貧しき者・・・



週末のコニー・アイランド。当時のニューヨーク近郊の海辺のリゾート。家族と、恋人と、楽しい休日。しかし、ここにしか行けない人が多かったのか、まさに芋の子を洗うような混みよう。でも、まだ休日が取れるだけよかったのかもしれない・・・

ハローウィンを楽しむ、ハーレムの黒人たち。しかし、その笑顔のすぐ近くで、殺人事件。あるいは、ギャング同士の抗争・・・



被写体のいる前景と暗い背景とのコントラストが極端で、事件性、物語性をいやがうえにも掻きたてます。ウィージーの写真が、「人生と死亡とヒューマン・ドラマ」といわれる所以かもしれません。ウォーホールやキューブリックに影響を与えたというのも肯けますね。たんに殺人現場を写真に収めただけではなく、その背後にあるその人物の人生を見る者に思い描かせるような写真。もはや口を開くことのない、死体。どのような人生だったのか・・・それは、まさに、ミステリー。

ミステリーに戻ったところで、お後がよろしいようで。

“Weegee”(「ウィージー展」)
10月15日までの開催(火曜・祝日休館)
ウィージーの写真をアップでご覧になりたい方は・・・
http://museum.icp.org/museum/collections/special/weegee/

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鉄は熱いうちに・・・アート編

2007-07-05 01:52:24 | 美術・音楽
ポンピドゥー・センターのホールに、異様な物体が吊り下げらています。

しかも、これらの物体、突然、ストンと落下。一気に落下します。そして、ゆっくりゆっくりと元の位置に戻ってきます。しかもすべてのオブジェが別々に、一つ一つタイミングをずらして落下しては、また登ってくる。


いったいなんだろうと目を凝らしてみると、どうも体のパーツのようです。足があり、手があります。頭があり、女性のバストがあり、そして全身のものもあります。光る素材なので、見えにくいですが、赤と黒の物体は、確かのカラダの各部のようです。それらがストン、ストンと落下しては、また元の位置に戻り、一定の時間で、またストン。


下のフロアを見ると、またまた異様な物体が。

クッションの合間から覗く、まるで人の手のような黒い物体。助けを求めているようにも見えます。しかも、そうした物体の間を縫うように、クッションが一つ、まわり続けています。

そのクッションの上には、人形のようなものが乗っています。どうも、このクッションの動きに合わせて、吊り下げられている大きな物体が落下したり、元の位置に戻ったりしているようです。

さて、これはどうした展示なのでしょうか。場所がポンピドゥー・センターですから、何か意味のあることをやっているのでしょう・・・見つけました!

Annette Messager(アネット・メッサジェ)の作品なんですね。子どもギャラリーの“Detours d’Objets”(オブジェの回帰)。

アネット・メッサジェといえば、一見かわいらしいぬいぐるみや人形などを使いながら、実は人間の深層心理を抉り出す作家で、2005年のヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞しているそうです。

こうした作品を、何の穢れもないような子どもたちが無邪気に見ては、はしゃいでいます。でも、その子どもたちの心の奥底には実はおどろおどろしいものも潜んでいるのかもしれない・・・意地悪、わがまま、性への好奇心・・・魔物が生息する世界・・・

大人はそんなことを深読みしてしまいますが、子どもたちは実に天真爛漫。キャッキャ、キャッキャ、笑い声を上げながら周囲を走り回っています。作家にどのような意図があろうと、またその意図を理解していようといなかろうと、新しいアートに小さいときから直に触れていれば、少なくとも美的センスはおのずと磨かれるというものではないでしょうか。


鉄は熱いうちに打て! 芸術センスにもいえるのでしょうね。ここに来ている子供たちが羨ましく思えてしまいます。

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郵便配達夫・シュヴァルの夢。

2007-06-27 00:56:50 | 美術・音楽
Ferdinand Cheval・・・フェルディナン・シュヴァル(1836―1924)。彼がいだいた夢とは、そして彼が実現した夢とは・・・

リヨン近郊、ドローム県にあるオートリーヴ(Hauterives)という小さな村に住むシュヴァルが郵便配達夫になったのは、彼が31歳のとき。毎日33kmもの道のりを、郵便を配達しながら歩いていました。



転機は、1879年4月のある日・・・いつものように郵便配達をしていると、彼は何かに躓いてしまう。そこに彼が見つけたのは、奇妙な形をした、それでいてこの世のものとも思えぬ美しい石。ハンカチに丁寧に包むと、大切に家まで持ち帰ったそうです。その日から、シュヴァルは道々、変わった石、美しい石を見つけては持ち帰り始めました。



石が集まってくると、それを用いて、夢の建物を作ろうと決意。郵便配達を続けながら、朝な夕なに石を積み上げては、夢に描く建物を創り上げていきました。まずは、窪地を掘り、セメントで動物を作り、石で滝を作りました。2年がかりでひとまず完成。その出来映えに自ら驚嘆。さらに大きなものを作ろうと、制作を継続。

しかし、その一見グロテスクなつくりから、近所からは非難の声があがり、白い目で見られることに。しかし、他の都市や外国からの訪問者の励ましに力を得、1912年に巨大な建造物として完成するまで、実に33年、一途に制作を続けました。



植物や動物が大切な要素になっていますが、それ以外にヒンドゥの寺院、聖マリーの洞窟、エジプト風のモニュメントなどを加え、シュヴァルのイマジネーションの赴くまま、自由奔放な制作物になっています。



制作途中の1904年には、この建造物を“Palais Ideal”(理想宮)と名づけました。郵便配達夫・シュヴァルの理想宮。一般人の常識からはかけ離れた建造物であり、創造のパワーあふれるシュヴァルの理想宮は、シュールレアリストをはじめ多くの芸術家たちの関心の的となりました。


シュールレアリズムの中心人物、アンドレ・ブルトンもここを訪れ、賞賛しています(人物との対比で、この建造物の大きさを想像してください)。


ピカソは南仏に行く際には必ずといっていいほどここを訪れ、1937年には、ノートに12枚のデッサンを描き、シュヴァルへの賛歌としています。


カメラマンたちにとっても興趣を呼び起こす対象で、ドワノーも多くの写真を残しています。

1969年には、時の文化大臣、アンドレ・マルローがこれほどの素朴建造物はないとその価値を認め、国の歴史的建造物に指定。シュールレアリストやこの建造物を賞賛する人々の見方が正しかったことを証明しています。


後に切手のデザインにもなった郵便配達夫・シュヴァルの夢を紹介しているのが、9月1日まで郵便博物館で開催されている“le Facteur Cheval”(「郵便配達夫・シュヴァル」展)。

会場には、上の写真で紹介した理想宮のモックアップ(ミニチュア)や多くの芸術家の賛辞(作品)が200点以上も展示されています。


夢を、夢の実現を・・・多くの人には理解されなくても、本物を見極めることのできる人たちにさえ理解されれば、それをパワーに、夢の実現をめざして、わき目もふらず・・・そんな人生がありました。そしてその結晶の理想宮が、「夢の力」を見るものの目に強烈に印象付けてくれます。


Musee de La Poste
34 boulevard de Vaugirard
(日曜・祝日休館)
www.museedelaposte.fr

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新企画展“MONUMENTA”

2007-06-20 00:41:54 | 美術・音楽
今年から、現代アートとの新しい出会いがまたひとつ増えました。名づけて“MONUMENTA”。毎年一人ずつ、世界的に名の知れた作家の作品を、グラン・パレで展示することになりました。ガラスと鉄の傘の下で、どのような「今」が発表されることでしょうか。グラン・パレの空間に提示される作家の視点、もっとも新鮮なアートの息吹―――。


2007年、その杮落としに選ばれたのが、Anselm Kiefer(アンゼルム・キーファー)。1945年生まれ、戦後ドイツを代表するアーティストで、10年以上前からアトリエを南仏に構えて、制作に励んでいます。


会場に入ると、まず目に飛び込んでくるのが、ご覧の破壊されたコンクリートの建造物。現代文明のもろさ、文明をも滅ぼしてしまう人間のおろかさ・・・そのようなことを訴えているような気がしてなりません。また、ここには、ドイツの歴史、ことに第二次大戦時におけるドイツの行為という歴史も色濃く反映されているのかもしれません。ナチスの残虐行為から決して目を背けず、そこから警鐘を鳴らし続けているというキーファーならではの歴史観も現れているのでしょう。


もう1点の大作では、崩壊寸前の建造物から、ひまわりが何本も不気味に伸びています。人間が自らの手で破壊してしまう現代文明の終焉、“tournesol”、太陽を向くひまわりまでもが冷たい金属の種しか持ちえない未来。もはや太陽は地球を照らさず、水は涸れ果てる。自然を破壊した文明が滅びたとき、もはやこの地上には無機質な金属の瓦礫が残るばかり・・・キーファーの歴史観はもちろんですが、同時に自然破壊への警鐘も表現されていると私には思えてなりません。


キャンバスに絵の具で絵を描くかわりに、さまざまな素材によって自らの思想・哲学・歴史観を表現しようとするキーファー。今回は、やしの葉を用いた作品を展示しています。横たわるやしの木の前に、ペンキで塗られたやしの葉がガラスのケースに入っています。干からびた大地と枯れたやしの葉。やはり、現代人の干からびた精神状況を象徴しているのでしょうか。

南仏・バルジャック地方(昔々、ノストラダムスが住んでいたという地域)にあるキーファーのアトリエはもと工場だったところで、周囲からさまざまな自然の素材、人工の素材を集めてきては制作に活用しているそうです。色も絵の具の代わりにそうした素材を使い、たとえば赤は「さび」で。また、下地には鉛やわら、砂なども用いられているそうです。特に鉛は、錬金術を連想させるそうで、よく使っているとか。


これも廃棄物を活用した作品で、“voyage au bout de la nuit”(夜の果てへの曳航)というタイトルが付けられています。さまざまな産業廃棄物で母なる地球を痛めつけている現代社会。はたして、どこへ向かって進んでいるのでしょうか。


「本」はキーファーが好んで使うテーマだそうで、空間的な想像、時を越えた理解の根源だそうです。その本の内蔵する知恵はたとえ鉛になろうと、ガラスの破片が象徴するナチスによる戦争を超え、あるいは物質文明の終焉においても、その価値を維持し続けるのかもしれません。


未来へとつながる遥かな道でしょうか。あるいは「今」へ進んできた人類の歴史としての道なのでしょうか。しかし、いずれにせよ、この作品の下の部分には・・・

人間が横たわり、その心臓は体を離れ、空中に漂っています。人類は今まで何を行い、これから何を行なおうとしているのでしょうか。心をなくし、累々たる屍を越えて・・・


これは宇宙。新表現主義者といわれるキーファーは自らの作品を評して、「人が宇宙の中で快適にいられる場を再創造、再構築する試みだ。自らを元気づけ、安心させることができるように。そう、あたかも夜空を見上げて大熊座や乙女座を探すように」と言っています。今回の展示会のタイトルは、“Chute d'etoiles”(星々の降臨)。果たして、希望の星はどこに降り立つのでしょうか。どうやって、豊かな明日を思い描くことができるのでしょうか。夏休みの重い宿題を出されたような気になってしまいます。でも、避けて通れない問題です。地球と人類の、過去・現在・未来・・・


MONUMENTA 2007
~Anselm kiefer~
・Chute d'etoiles・
7月8日まで
グラン・パレにて

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18世紀のアートに出会う。

2007-06-15 00:57:58 | 美術・音楽
いまや閉鎖されている老舗デパート「サマリテーヌ」の創業者、Ernest Cognacq(エルネスト・コニャック:1839-1928)。

1870年に創業、富豪となったコニャックは1895年、妻のMarie-Louise Jay(マリ=ルイーズ・ジェイ)と共に美術品の蒐集を始めました。その偏愛の対象は、18世紀の作品。多くの美術品を蒐集したコニャックは、ごく一部を養子に残した以外はすべてをパリ市に遺贈。彼の遺言に従い、彼と妻の名を冠した「コニャック・ジェイ美術館」として、1929年にオープンされました。デパートのすぐ脇に設立され、デラックス・サマリテーヌとも呼ばれていましたが、1990年12月からは、マレ地区にあるドノン館に場所を移して公開されています。このドノン館は16世紀末に立てられた由緒ある建物で、時の試練を経た作品を展示するにはまたとない場所となっています。


孤児として育ち、また実子に恵まれなかったコニャックが美術作品を収集する際にテーマとしたのは、「家庭生活と子ども」。そして、美術史を振り返る時、画家たちが子どもに興味を持ち、作品に描き始めたのが18世紀。そこで、18世紀のフランス美術品を中心に集めるようになったそうです。しかも、デパートの創業者、その蒐集する美術品には、化粧品、家具などから日用品まで、仕事柄が反映されている作品も多くあります。


パリジャンたちの愛用品、あるいはその日常を描いた絵画・・・非常にバラエティに富んだ作品群です。

展示方法も、当時の暮らしぶりを髣髴とさせるものです。

もちろん興味に任せて、ドイツの陶磁器やイギリスの絵画なども蒐集されています。


そして、中国の美術品もそのコレクションには含まれています。


18世紀を中心とした美術品。その個性豊かな作品と、歴史の重みを実感させる建物の中で対面する。見つめている内に、時を経ても、今のパリの生活とどこか合い通うものが見えてくるかもしれません。コニャック・ジェイ美術館、パリの美的センスの系譜に出会う場所です。


“Musee Cognacq-Jay”
~Musee du XVIIIe siecle de la ville de Paris~
月曜休館・入場無料
8, rue Elzevir
メトロ1号線St.Paulから徒歩5分
www.paris.fr/musees/cognacq_jay

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上院による美術展。

2007-06-08 01:18:25 | 美術・音楽
“Artsenat2007”(上院美術展2007)・・・フランス上院が晩春から初夏にかけてリュクサンブールで展開するアートの展示会。8回目の今年のテーマは、“Femme y es-tu?”(女性よ、お前はそこにいるのか)。45人のアーティストが「女性」のアイデンティティを模索し、その答えとして創造した作品が展示されています。



女神であり、時に女王、庶民の女になり、売春婦であることもある。ひとつの歴史を作ってきた「女性」、その存在を求めて・・・その神秘、息吹、思考、価値、パワー、たくらみが、アーティストたちの手により、さまざま形で表現されています。

会場は、3ヶ所。まずは、オランジュリー。といってもオランジュリー美術館ではなく、上院の裏にある元温室を利用した展示スペース。

さまざまな表現方法による女性像がカンヴァスの中に提示されています。

抽象画、具象画、コラージュ、そして立体・・・

上院オランジュリーでの公開は6月17日までです。

2番目の会場は、リュクサンブール公園の上院よりの一帯。12人の彫刻家たちによる女性像の展示です。

ブロンズ像あり、木彫あり・・・

ここは、9月23日まで。

そして、3番目の会場は、同じリュクサンブール公園内ですが、池の周囲に立つ「フランスの女王像」を活用した10人のアーティストによる作品。

既存の像を囲むようにして、それぞれの女性の個性をモダンに表現しています。

1600年にアンリ4世に嫁いだマリー・ド・メディシスはその富と権力を象徴するかのようなデザインのオートクチュールを身にまとっています。

枯葉をまとって、悲しそうに佇むのは、14世紀に生きた、詩人ペトラルカのミューズ、ロール・ド・ノーヴ。

歴史上に確かな足跡を残した女性たちのイメージを詩情豊かに表現しています。

リュクサンブール公園の一角に建つフランス上院。伝統的に文化・芸術の振興・擁護に努めています。さすがは文化の国。国を挙げて文化へ敬意を表し、大切にしているようです。そして、このようなイベントを目の当たりにすれば、文化大国としてこの国が多くの人々の羨望の的となっているのも無理はないと思えてきます。

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「レンブラントと新エルサレム」展。

2007-06-07 00:13:00 | 美術・音楽
去年がレンブラントの生誕400周年に当たるため、昨年からいろいろな企画展が行われています。その一環として今、“Rembrandt et la Nouvelle Jerusalem”という展覧会が行われています。


事前にPRもしっかり行なわれていました。会場は、Musee d'art et d'histoire du Judaisme(ユダヤ教美術歴史博物館)。厳重なチェックを受けて中庭に入ると、そこにはドレフュス大尉(いわゆるドレフュス事件の冤罪被害者)の像が立っています。

博物館には常設展示としてユダヤ教関連のさまざまな品々が展示され、その奥に特別展会場があります。


レンブラント(Rembrandt Harmenszoon van Rijn:1606-1669)。『夜警』などでおなじみの17世紀オランダ黄金期の画家。「光の画家」とか「光と影の魔術師」、あるいは聖書や神話に由来する主題の作品を多く描いたところから「物語画家」とも言われています。裕福な商人たちの肖像画も描き、高級住宅地にも住んでいたようですが、浪費癖から、妻と息子に先立たれた晩年は困窮し、最後は共同墓地に埋葬されたとか。

会場には、油彩、エッチング、銅版画、デッサンなど190点が展示されています。

中にはレンブラント工房作のものも含まれていますが、レンブラントの芸術をしっかり見ることができます。


この企画展は、キュレーターがユダヤ教美術歴史博物館ですので、当然ユダヤ教に関する視点での作品蒐集・展示になっています。それは・・・アムステルダムのユダヤ人、その歴史の中のレンブラント。

解説は、アムステルダムへ移り住んだユダヤ人の歴史から始まります。1492年、レコンキスタ(失地回復運動)を成功させたスペインは国内に住むユダヤ人30万人を国外追放。追われたユダヤ人たちは隣国のポルトガルへ。そこではカトリック教徒としての生活を余儀なくされる。しかし、1536年の異端審問開始により、当時宗教的自由の地といわれていたオランダへ逃れ、定住したアムステルダムで金融・商業関係で成功をおさめる。そして、その財力でシナゴーグ建設や、ヘブライ語・ラテン語での出版など知的活動を開始し、オランダの黄金期を形成することになる・・・「新エルサレム」とも呼ばれる17世紀のアムステルダム、そこでラビを始め多くのユダヤ人を描いたレンブラント。彼がユダヤ人を描き続けた理由とは・・・

古いですが4月14-15日付のLe Monde(ル・モンド紙)にも紹介されているように、レンブラントにとってはユダヤ人を描くこと自体が目的だったわけではなく、自らの思想、考えといったことを具現化する手段の一つとして肖像画も描いていた。ただその依頼者に裕福なユダヤ人が多かった、ということのようです。自らの情熱、人間の心理、人間のつくる社会・・・それらがレンブラントの興味の対象であったそうで、つまり、ある時代のある街に暮らす人々を描き、そしてそこに普遍的価値を表現しようとした。その普遍的価値ゆえに時代を超え、今もなお評価され続けていると言えるそうです。


Musee d'art et d'histoire du Judaisme
71, rue du Temple(土曜休館)
「レンブラントと新エルサレム」展は7月1日まで

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