高屋敷の十字路
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
見えない老境を綴りつつあるおふくろと
やがてその予備軍みたいな夫婦が一つ屋根で
ひっそり新聞を読んだりテレビで映画を観たり。
夜毎の雨が残暑をふき取ってしまいに
剥き出しの肌寒さに震えそうになって
目覚めたりしたところで秋晴れの朝が。
家庭の幸福だとか不幸だとしか言えない
倫理がらみの季節はとっくにすぎてしまって
家族の問題は生涯から瞬間にすり替えられようとも、
幼少年期から青春期そして青年期へと
子どもから親へ問題の橋を架け渡して
なんとか身体だけでも渡らせるしかない。
社会的にか家族的にか個人的にか
三つどもえのどこかに足がかりを求める
トレードオフの危なっかしさも幸不幸に。
とにかく焦らず騒がず知らん振りでも
裏で考えながら大筋を踏み外さないよう
手枷足枷ならぬ身体の矢印を生きる方向へ。
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
見えない老境を綴りつつあるおふくろと
やがてその予備軍みたいな夫婦が一つ屋根で
ひっそり新聞を読んだりテレビで映画を観たり。
夜毎の雨が残暑をふき取ってしまいに
剥き出しの肌寒さに震えそうになって
目覚めたりしたところで秋晴れの朝が。
家庭の幸福だとか不幸だとしか言えない
倫理がらみの季節はとっくにすぎてしまって
家族の問題は生涯から瞬間にすり替えられようとも、
幼少年期から青春期そして青年期へと
子どもから親へ問題の橋を架け渡して
なんとか身体だけでも渡らせるしかない。
社会的にか家族的にか個人的にか
三つどもえのどこかに足がかりを求める
トレードオフの危なっかしさも幸不幸に。
とにかく焦らず騒がず知らん振りでも
裏で考えながら大筋を踏み外さないよう
手枷足枷ならぬ身体の矢印を生きる方向へ。