「高屋敷の十字路」の各ページの更新コメントならびに関連〈ニュース&トピック〉拾い読み。
高屋敷の十字路
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
年がら年中シルバーウィークでも
ゴールデンがつくと庭の草むしりや
休日のスポ少バドミントン練習など。
体育館に出向いてくる子どもらの数は
一昔前とたいして変らないが練習前の
準備から終わりの掃除まですっかり違う。
ウォーミングアップゲームで転んで
膝を打った子どもを囲んで本番練習も
そっちのけみたいなことになってしまう。
子どもらの親の世代の身体的感受性が
あふれかえる情報で欲望の箍を無くし
めったなことでひたむきになるなんて。
数年前にリレーで国立競技場で走った
子どもらもネットを挟んで前後だけでなく
左右に動くフットワークが上達できず。
盗塁が上手いスタートの足使いや
ロングボールをスローインする腕使いなど
いろいろやってみて達成感を味わえる練習を。
日本の子ども 吉本隆明(ほぼ日刊イトイ新聞)
聞き手:糸井重里
高屋敷の十字路
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
夏日の植物園に咲きそろった
野生の桜や里桜の園芸品種など
まるで春雷を聞くような眺め。
中学校の剣道部で走らされた
裏山の山桜みたいに身体に響く
花の眺めってのもあったが。
立礼から竹刀を抜き合わせる
やり直しの繰り返しは忘れず
足の運びだけは今でもできる。
花びら散る小学校の運動場で
行進の輪からつまみ出された
数人と一緒になぜか歩かされ。
骨盤が後ろに傾くほどに
胸が狭まり首がしゃがみ
窮屈そうなおふくろの姿。
あんなふうになる節々で
まともに立ち居振る舞う
身体感覚の更新作業は?