高屋敷の十字路
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
ここんとこウィークデーの朝起きが遅れがち
7時過ぎの「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」が面白く
寝惚けた身体を力まずに起こしてくれるようだ。
「またまたカラダのお話で」とかなんとか
抜けの良い語り口でその道の達人のコトバを
引いては身体操法のあれこれについてのお喋りが
寝そべった耳からすんなり入り込んでくる。
フォークバンドに始まりテレビドラマや映画や
舞台そのほか身体で表現する芸能界を生きる
心身のさばき方にどのような感触を得たのだろう。
見るたび瞬時に対応できるさんまの話芸や
昼の長寿番組を持ちこたえるタモリの話芸も
楽屋裏のいかなる身の処し方で保たれているか。
さまざまな動きの座としての心体がどこかで
コロンブスの卵みたいな立ち方を体得すれば
より柔軟な動きで対応できる場が広がることに。
家族の誰かの足腰が覚束なくなったり
自分もそんなことになるのが避けられない
もう空っぽとしかいいようがなくなっても
そこから吐いたり吸ったり心体が欲しがる動きが。
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
ここんとこウィークデーの朝起きが遅れがち
7時過ぎの「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」が面白く
寝惚けた身体を力まずに起こしてくれるようだ。
「またまたカラダのお話で」とかなんとか
抜けの良い語り口でその道の達人のコトバを
引いては身体操法のあれこれについてのお喋りが
寝そべった耳からすんなり入り込んでくる。
フォークバンドに始まりテレビドラマや映画や
舞台そのほか身体で表現する芸能界を生きる
心身のさばき方にどのような感触を得たのだろう。
見るたび瞬時に対応できるさんまの話芸や
昼の長寿番組を持ちこたえるタモリの話芸も
楽屋裏のいかなる身の処し方で保たれているか。
さまざまな動きの座としての心体がどこかで
コロンブスの卵みたいな立ち方を体得すれば
より柔軟な動きで対応できる場が広がることに。
家族の誰かの足腰が覚束なくなったり
自分もそんなことになるのが避けられない
もう空っぽとしかいいようがなくなっても
そこから吐いたり吸ったり心体が欲しがる動きが。