高屋敷の十字路
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
なんとなく誕生日は真夏日を予想していたのに
6月も末にようやく梅雨空に切り替わったようで
やっぱり降るべきときの雨に庭木も安らぐようだ。
ぼんやり原っぱに寝そべっていたらふとやってきた
UFOに吸い上げらるようにバースデーケーキが現れ
そんなグリーティングカードが娘から届いたりして、
乗り損ないそうになりながらもどうにか間に合ったようで
なんとかここまでやってきた家族列車の乗り心地はどうやら
アレコレ経過点で滞ったり速くなったりの浮き沈みの繰り返し。
とりわけ働きだす前に誰もが遭遇するかも知れない
さまざまな場面や季節を潜り抜けさせたりする命の糸には
就学前に母の廂から出たり入ったり遊び呆けたひと時が。
とりあえず家出するみたいな距離の取り方ができれば
なんて言ってみたって何もかも後の祭りみたいなことに
なってしまうからこそ幼年を織上げた家庭の軒下が問われる。
行き場を失った少年らの行為が伝えられる一方で
乳幼児から思春期までの一貫教育だなんていったいどんな
家庭の育ち方をしたらそんな考えが出てくるのだろう。