高屋敷の十字路
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
永眠することになったその日も庭で
咲き揃っていた古木の八重桜が今朝は
逝った母を追いかけるように散り落ち。
40年ほど前引っ越しに同意してくれた
祖父に連れ添うように移植した庭木らが
芽吹いて住人が二人になったことを告げ。
百歳間近まで疾病もなく誤嚥で咽せたり
苦しまないでわが家の居室で看取ることが
できた祖父は打ち水をした夏の庭が見納め。
庭の手入れどころか家事もままならず
食べる楽しみだけになってしまった母は
喉に詰まっても大丈夫だったのに3度目は。
三人四脚の介護暮らしの日々のやりとりの
積み重ねで祖父をお手本みたいに母の死を
わが家で迎えられたらというのが願い事に。
救急車を呼んだのはいたしかたないとして
なぜ真っ先に往診医に連絡しなかったのか
救急死による警察連絡もなく看取れたのに。
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
永眠することになったその日も庭で
咲き揃っていた古木の八重桜が今朝は
逝った母を追いかけるように散り落ち。
40年ほど前引っ越しに同意してくれた
祖父に連れ添うように移植した庭木らが
芽吹いて住人が二人になったことを告げ。
百歳間近まで疾病もなく誤嚥で咽せたり
苦しまないでわが家の居室で看取ることが
できた祖父は打ち水をした夏の庭が見納め。
庭の手入れどころか家事もままならず
食べる楽しみだけになってしまった母は
喉に詰まっても大丈夫だったのに3度目は。
三人四脚の介護暮らしの日々のやりとりの
積み重ねで祖父をお手本みたいに母の死を
わが家で迎えられたらというのが願い事に。
救急車を呼んだのはいたしかたないとして
なぜ真っ先に往診医に連絡しなかったのか
救急死による警察連絡もなく看取れたのに。