日々、感謝。

日々の何気ないことを、つらつらと綴っております。

西日本旅 中国・山口ー九州・福岡編 三十六日目。

2012-01-04 17:26:25 | 西日本旅2 四国~
12月2日(金)

天気良好、雲は若干多めですが白雲で青空が覗いています。

テントの中で片付けていると、ちょっといいかいと外から声をかけられ、
はいと返事をして出ようとすると、そのまま私も昔旅をしていてねと話始めたので、
えぇ。はい。と相槌を打ちながら外に出てベンチに座っているおじぃちゃんの対面のベンチに座りました。

そのまま話は続きます。

「青森の知り合いが呼ぶものだから当時は電車も高くて車で大間まで行ったんだ、
それをその知り合いに話したら北海道を一周しようって言い出してね。
あれは楽しかったなぁ、札幌よりも美瑛や釧路、あの辺の景色が良かったね」


と話を聞きながら僕の北海道での話を挟みながら、

「色々な所に行ったね最近も家族で四国を回って来ました」


四国の話やこれから幾九州の話を聞いて、

「たくさん好きな所に行って好きなように生きてきて
今もこの公園の管理を任されて嬉しい事です」


「え!?管理人さんだったんですか!?旅好きのおじぃちゃんだと思ってました」

すいませんと言うと、はははと笑ってました。

日本語が分からず日本に来る外国人や、

老後にキャンピングカーを買って家内と日本を旅するという徳島のTさん、

実際にキャンピングカーで旅をしている老夫婦、

そして70年生きてきて幸せですと言えるおじぃちゃん、

そんな人生の先輩方の考えや想いに触れて僕は今だけが旅を楽しめる時じゃないんだと確信しました。

これから僕にも家族が出来て孫が出来た頃、一人で行った所を、またその誰かと一緒に行けたら素敵だなぁと生涯旅を楽しむ心持ちが出来ました。

じゃあこんなおじいさんの話に付き合ってくれてありがとうとおじぃちゃんは去っていき、
僕は片付けをして萩市を出ました。

長門市を抜けて本日最初の目的地、角島大橋到着!

角島大橋は角島に架かる橋を含めた景色が美しいと評判の所です。

そして天候良く、大橋が見えた瞬間、やべー!と叫んでいました。

秋吉台に続き発散しきれないテンションの上がり具合、
速攻で駐車場に原付を止めて走ります!

すげー!すげー!なんだこれ!なんだこれ!
一人を良いことにひたすら発散します。

無理でした。

展望台に登り、橋と海と島と空を眺めます。

半端なく綺麗!
橋の長さとうねり具合、自然との調和が良くずっと見てられる景色でした。

ですがこの時の僕には時間がない、予定では12月6日に鹿児島県に入るはずが
12月2日まだ山口県に居る。

気持ちも冷めやらぬまま下関市に向かいます。

その前に橋を渡って反対側からも見て下関市に向かいます。

下関市に入り火の山公園で関門橋を見ながら朝飯兼昼飯の食パンを食べて。

関門人道トンネルに着くと防波堤の所で何かやっているので見に行くと、
紙芝居でした。

作品は耳なし芳一。

最後まで聞いたら関門橋のポストカードをもらいました。

どうやら地域振興のボランティアでやっているらしいです。

それから壇ノ浦合戦跡ということで、
源義経と平知盛の像があるのですが。

平知盛は船のいかりを武器にしていて、
源義経は波に乗って舞い上がってます、
そして両雄美形。

像が立った日が気になります、最近ならそれは、、、レッツパッリィ!を感じぜずには要られません。

そしてついに!

人道トンネルに入ります!

関門人道トンネルは人や二輪車が歩いて山口福岡間を行き来できるトンネルです。

通行料20円を入れて大きなエレベーターに原付を押して入ります。

地下と地上しかないボタンの地下を押してグングン下がります。
若干長いなと思う三十秒程で到着。

扉が開くとそこはエントラスのように広い空間でした。

通路はその先、原付を押して進むと片側通行のトンネルがありました。

全長780m若干V字になっているため奥は見えません。

歩いていくと結構歩行者とすれ違います。

因みに歩行者は無料です。

原付を押していきトンネルの途中に県境がありました!

山口県から福岡県に入ります!

入ったァ!遂に九州まで来たんだなぁとしみじみしながら進んでいくと、
段々と上がりになってきて原付が重い。

腰から下に力を入れて踏ん張りブレーキで下がらない様加減しながら押していきゴール!

福岡側も同じエントラスでした。

エレベーターで地上に出て再出発、場所が門司というのもあり福岡の端を通って大分に向かいます。

夕方であれば門司港で泊まって夜景見たりと出来たのですが、
如何せん時間がなく予報で夜に雨だったので良い所を見つけないと萩の二の舞は困るので進みました。

やがて雨が降り始めて、適当に行った山裾に神社があったので見に行くと、
本宮が小屋の中にあって十分寝れるスペースがあったので、
天の思し召しと思いそこに寝ることにしました。

一旦止んだのを見計らってご飯を食べて小屋に入り寝る体勢に入ると、
やがて風が吹いて雨が降り始めて、

小屋なので雨も風も通さないので安心して寝れることに感謝して就寝。

西日本旅 中国・山口編 三十五日目。

2012-01-04 14:23:57 | 西日本旅2 四国~
12月1日(木)

朝、目が覚めるとまだ風がテントを煽っていた。

雨は途中で止んだらしく、強風が雨水を乾かしテントは濡れていなかった。

外に出ると、これと言って被害はなさそうで周りにものなかったのが幸いしたんだと思います。

唯一、防風林の落枝が怖かったけどそれも大丈夫でした。

天気を確認すると1日雨になっていたので風が強いのもあって待機することにしました。

様子を見ながら公園で適当にしていると、やがて青空が覗き始めました。
この時雨全く降らず。

行けたんじゃね?と思いながら昼を過ぎても雨は降らず雲は黒いですが青空が除いていて、
行ってみようとなりました。

とりあえず直ぐに戻れる様に原付に乗って松下村塾を見に行きます。

松下村塾は松陰神社の境内にあります。

(個人を祀ってるって凄いな)と松陰神社でお参りをして松下村塾を見ます。

松下村塾は8畳間と10畳間からなる小屋で一年程しか開講していなかったそうですが、
その一年だけで日本の根幹を作る人たちに敬われる人物として凄い人だったんだろうと思います。

松陰神社を見終わり天気も良さそうなので拠点に戻って今度は町並みを見て歩きます。

先ずは指月城、毛利の神社があったので参拝して、
指月城を抜けて町中へ。

屋敷の並び一帯の道は電信柱やカーブミラーなどがなくなるべく当時の町並みを再現してあるので
浸りながら歩けます。

他にも自販機なども黒茶色で塗られていたり有名な会社の看板、
例えばドコモショップの赤色のロゴなども町並みに合わせて黒茶色になっていたりと、
地域が一丸となって景観保護に努めている感じが、見ていて嬉しく楽しかったです。

高杉晋作や桂小五郎の家、鍵曲という直角に折れた道などを見て指月城に戻り一周してから、城跡の脇道から行く寺跡が気になっていたので行ってみました。

ですがただの開けた場所というだけで特に何もなく、
まだ奥にあるようなので行ってみるとそこも特に何もなく、
更に奥に道があったので行ってみると、断崖絶壁に出ました。

薄曇りで断崖絶壁ってサスペンス感出しすぎだろと思いながら、
後ろに注意しつつ崖の端まで行き景色を眺めて、
脇道から海岸に降りれるようなので海岸に行くも風が強く波が荒いので
攫われたら大変だとそそくさと離れ萩の町並み散策終了!

拠点に戻りスパを食べながら、結局降らんのかいとか思い
テントに入って寝ました。

西日本旅 中国・広島ー山口編 三十四日目。

2012-01-04 12:00:25 | 西日本旅2 四国~
11月30日(水)

前回のあらすじ!

広島県も終盤、山口県の県境近くまで来た僕は日の暮れも近かったので
近くの無人の神社で野宿することにしたんだ。

そして、夜寝ていると、ちょっとすいませんと声をかけられ寝袋から頭を出すと、
そこにはライトを持った警察官が二人立っていたんだ。

僕はすぐに悟ったね、あぁなるほどね。

案の定、職務質問と立ち退きを命じられた僕は、
警察官の計らいで教えてもらった公園に行ったんだ。

しかしそこは、入り口に猫の死体が横たわりゴミが散乱し、
草むらが生い茂るとんでもない公園だった、

野宿のなるたるかが解ってないなと思いながらトイレに寝る事にしたんだ。

そして次の日!




トイレの独特の匂いに最初は戸惑いながら朝起きると問題なく寝れていた事に気づきました。

どうやら屋根と壁があれば何処でも寝れるスキルが開眼したようです。

と言ってもここはトイレ。

直ぐ様片付けて日の上がっていない暗いうちに出発。

少し進むと大きなステーションの駅があって何本かの道の合流地点でもあるらしく
陸橋がたくさんある、要は寝床がたくさんある。

暗くなり始めてから探すとこうなるよなぁ。

とよくあるパターンが発生してました。

それは、

暗くなってから探し始めて見つけた寝床より少し進んだ所にもっと良い寝床がある事に翌朝気付くパターン。

そんな感じで山口県に入り、
錦帯橋に到着。

錦帯橋はアーチ状の木製の橋で、橋自体もさることながらながら辺りとの景色との調和が素晴らしいです。

橋を渡っていると、時間帯が朝方だったので通学や通勤の人たちとすれ違い
今も生活の一部として利用されている所に感心しました。

橋を渡って反対側の河原に降りると、巌流ゆかりの柳という石柱が立っていました。

見に行ってみると、どうやら吉川英治著の『宮本武蔵』で、
岩国が佐々木小次郎の生まれた地で、この柳とつばめを相手に燕返しを体得したという話らしいです。

見た目は大きな柳です。

それから佐々木小次郎の像を見て紅葉谷公園に行き錦帯橋を後にして、

下松誌を抜けて防府市から上に行って県庁に到着。

山口県庁は周りが低山に囲まれていて辺りに高い建物が無いので、
秘境じみていて良い所でした。

そこからさらに上に行って、秋吉台へ。

秋吉台は日本最大のカルスト台地。

そこにたどり着くまで普通の山道で、看板が見えたときもそんなに期待してなかったのですが。

看板の指す方に曲がり、切り開かれた岩肌の道を抜けると、

そこに広がる大笹原。

あまりの壮大さに、なんじゃこれー!と叫んでしまいました。

なだらかな丘陵地帯にカルスト特有の石灰岩の白と
ひたすらに広がる笹とススキ原の黄色が視界にいっぱいでテンションが上がりっぱなしでした。

また一人では発散しきれないほどテンション上がってるなと思いながら、
駆け出します。

どうやら秋吉台を一部歩けるようなの先ずは展望台で全景を見て早速歩きに行きます。

ひたすらの笹とススキ。

そして無量大数のバッタ群。

歩いているとそこら中で跳ねまくります。

歩かなくても跳ねまくります。

バタバタと音を立てながら歩くとバタバタと飛んで退いていく。

逃げなければ見つからないのになぁと思いながら秋吉台を進みます。

広大さに感動しつつ駐車場に戻り展望台を後にして、
秋吉台を通っている道路を通り更に山口県を上に行きます。

秋吉洞という洞窟があるのですが今回はやめておきました。

これまでに幾つか洞窟に潜った経験上、一人より複数が絶対楽しい。

そして先に一人でという感覚にもならない。

よって高知の龍河洞なども今回敢えて行ってません凄く行きたかったけど!

そんな感じで後の楽しみを残しつつ原付を走らせ。

萩市に突入。

直ぐに、『道の駅萩住還』で幕末の志士達の像がお出迎え。

板垣退助や高杉晋作など有名な人達の像を見て、
資料館で吉田松陰の松下村塾の風景と教え方などをジオラマで見て予習して市街に行きます。

という事で、萩市街には有形文化財として昔の街並みを残すと共に
松下村塾や高杉晋作の家など江戸時代末期幕末の有名な人達の家などが残っている場所です。

そして例の如く歴史に疎い僕は現地で知るをもっとうに
ほぼ無知のまま萩市街に来たのでした。

朝から山口県をL字に走り黄昏時だったので散策は明日にして
寝床を探します。

そして某城跡の公園に屋根付きの休憩所があったのでそこなテントを張りました。

スパを食べてテントに入り寝る体勢に入った頃、辺りの防風林がざわつき始めて、
直ぐに雨が降り出しました。

強風と相まって屋根は何も意味もなくテントを濡らし、
風はテントを煽ります。

最悪の場合を想定して、濡れると困る寝袋はしまって、
防水性の上下を着て、荷物は全て纏めてビニール袋やレインカバーをかけて、
直ぐにでも避難できる状態にして、

強風に煽られるテントの中で、テントを張っておいて正解だったと思いながら耐えました。

雨がテントを煽ります防水性を上回ったのか布の表面が湿りだし風は収まらず、
嫌な汗をかきながら時間が過ぎていきやがて寝ていました。