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日々の何気ないことを、つらつらと綴っております。

西日本旅 九州・鹿児島(屋久島)編 四十四日目。

2012-02-14 21:43:22 | 西日本旅2 四国~
12月10日(土)

本編の前に補足、

僕はスマートフォンのバッテリーが少なく雪山の写真が撮れませんでした。
なので雪山の写真は、たつにいにお借りしました、ですがたつにいのデジカメもバッテリーが少なく数が少ないです。

では本編。

新高塚小屋にて起床。



深夜にガサガサと音が聞こえて多分ねずみだろうなぁと思いながら浅い眠りの中
早朝トイレに行くため外に出るとあまり景色は変わっていませんでした。

思っていたよりも雪が積もらなかったなと辺りのつもり具合を確かめながらトイレに行って
小屋に戻ってくると、たつにいもトイレに行く所でした。

荷物を片付けていると、たつにいが戻ってきて

「行けそうやね」


「ですねー」

と言うことで雪山を避けて下山する予定でしたが行ける所まで行ってみようかとなりました。

ご飯を作るために食料袋を見ると穴が開いていて散らかっていました。

そうです、ねずみです。

山小屋には、ねずみ対策のために荷物は紐にかけてくださいと注意書きがしてあった。

なので僕はそうしていたのですが、たつにいは置いたままにしていたので漁られたのでした。

前日にご飯を食べている時に、普通に出てきてあさろうとしていて、
この時期は人が居ないから、必死なんだろうと話していたのに。

残った食料で朝ごはんを作ります。

ラーメンと増えるワカメを食べて片付けて出発。

8:00 新高塚小屋出発

大丈夫そうと登り始めましたが、段々と木が低くなっていくのでそれに伴い雪が地面に降り積もりやすくなっていて
登ってすぐに一面雪景色になりました。

ゆっくりと滑らないように登って行きます。





登っていると足がどんどん冷たくなって来ました。

僕の靴は完全防水仕様ではなく、前日に水たまりに浸かっていたので濡れたままでした、
前日は動いていたので体が温まっていて問題なかったのですが、山小屋で冷えて濡れたままの靴は
動いて体が温まるより先に足の指先を冷やしていたのでした。

たつにいにその事を言うと、また濡れるのは気になるかもしれないけどお湯をかけた方がましになる
というのでお湯を焚いてかけることにしました。



お湯を段階に分けて、足を揉みながらかけてもらいます。

これで相当マシになりました。

たつにいのファインプレーに助けられ登ります。

これまでと違い少し登るごとにどんどん景色が変わっていきます。

雪が積り、階段は凍って、天気は曇天。

途中岩をロープを使って登る場所があるのですが、氷で一体になっていて、
たつにいのストックで氷を割ってロープを取り出し登りました。





鹿も登山道が歩きやすいのか、僕達の前を歩いて道案内をしてくれていました。



やがて、、、。







辺りは一変。

テレビでよく見る樹氷光景が広がっていました。

「すげーこれ北国の光景じゃないですか!」

「ほんまやな!これ屋久島って言っても信じやんで!」


開けた道にでて辺りは見回すと立派な樹氷に囲まれていました。



自然の力強さに感嘆の声を上げながら行きます。



中でも一番感動したのがこれです。



風圧の形に凍った岩です。

岩に氷の風紋が出来ていました。

凄い!凄い!来てよかった!と言い合いながら進んでいくと完全に木がなくなり低い笹などしかない場所まで行きました。

そこは絶望の地でした、階段は厚さ数センチの氷を纏っていて、斜面は急で滑落すれば死ねる高さ、
腰を低くして四つん這いで階段を登って行きますが程なくしてまたロープが凍りづけになっている岩がありました。

ストックで氷を叩きますが氷が厚すぎて割れません。

他にルートはなく。

ここで断念することにしました。

おそらく残り1.5km程の所で引き返すことにしました。

そこでとりあえずコーヒーだけ飲んで行こうとお湯を焚き始めますが、
寒さと気圧で中々沸騰しない。

20分ほどして沸騰したのてコーヒーを飲んで下りることにしました。

滑落しないように下りていきます。

新高塚小屋まで戻ってくると雪が少なく、上の方とは別物だなって話をして
一旦新高塚小屋で休憩をしました。

昼ごはんを食べて、話し合って高塚小屋まで戻ることにしました。








高塚小屋に行くと先客の荷物が置いてありました。

しかも量から推察するに5人程度と多そうです。

荷物だけで人が居なかったので、こんな雪の中どこにいったんだろうかと話しながら
縄文杉を見に行こうかと荷物を置いて縄文杉を見に行きました。

歩き出してすぐに体の軽さに感動。

めっちゃ動きやすい!今なら走れる!とか言い合いながら縄文杉に到着。

時刻は15時すぎでピークを過ぎていたので人はいませんでした。

なので貸切の縄文杉を眺めます。

やっぱり凄い存在感だな~って言い合いながら適当に話をしました。

小屋に戻るとまだ帰っていない。

その時17時前で、山のしかも曇り空なので殆ど暗闇なっていました。

僕達の推理では、インストラクター付きの団体で天候が悪いので宮之浦岳を諦めて
インストラクターだけが知っている秘密の場所に行っているのではないかと思っていたので、
遅すぎないかと少し不安になっていました。

とりあえず飯を用意していると、
程なくして男性が二人帰って来ました。

話をしてみると、
自然保護のために来ている人たちで後二人いるらしい。

普段はインストラクターもするらしいですが冬時期は階段の補修など整備をしているということでした。

世間話をしてから程なくして、じゃあお気をつけてと言ってまた暗闇に出て行きました。

それから明日の予定や今日のことを振り返ったり、日常の話をしたりしていると
別の二人が帰って来ました。

話をして、その二人もまた出ていきました。

ご飯を食べて、明日の予定も決まったので寝る準備をすることにしました。

昨日はロフトの上と下に寝たのですが、今日は下が埋まっていたので上で二人で寝ることにしました。

事前に、たつにいが、寝る方向をどうしようかと聞いてきたので、
僕は頭と足をお互い逆にして寝ましょうと言いました。

そしていざマットを引いて寝袋を出して寝る準備をすると、
何故かたつにいの頭がこちらにあります。

あれ?方向が違ったかなと思いながら自然を装って逆に変えるとたつにいも逆に。

というのを2往復して、んー・・・と考えていると。

「なんか気づかへん?」


「え?何ですか?」

「もう少ししたら気づくと思うわ」

と笑顔で言うたつにい。

僕は、間をおいてから体をもう一度逆にするとたつにいも続いて逆にしたので。

「ぁあ!そういうことですか!」

「やっと気づいた?ボケとんのに気付かんのやもん」


僕はそこで初めて気づいた体をとって、もうたつにいは~と言いながら体を逆にすると
たつにいも逆に、

「いやいやいや!」
「ははは」

とたつにいは体を逆にして、寝る体勢になってこの日は就寝。

西日本旅 九州・鹿児島(屋久島)編 四十三日目。

2012-01-27 17:51:17 | 西日本旅2 四国~
12月9日(金)

白谷雲水峡・白谷小屋にて起床。

空の様子を見るために外に出てみると曇ですが雨が止んでいたので安心して水を汲んで
小屋に戻って食パンを食べて軽くご飯を済ませて準備をして小屋を出ると、また雨が降り出していました。

一応雨具装備で出てよかった思いながら先ずは太鼓岩に向かいます。

ここで白谷雲水峡から縄文杉の全体の予定を言いますと。

一日目、昨日。宮之浦港から白谷雲水峡、楠川コースを通り白谷小屋。

二日目、今日。白谷小屋から太鼓岩を経由して辻峠、トロッコ道、大株歩道を通り縄文杉その後白谷小屋まで戻る。

三日目、明日。白谷小屋から原生林コースを通り雲水峡入り口へ、宮之浦港に戻る。


太鼓岩は白谷雲水峡の最奥にあたる場所にあって見晴らしがいい場所です。

太鼓岩に登るまでは遊歩道なので大体平坦で歩くのは楽ですが、
登る道は登山道になっていて険しく急です。

なのでスニーカーの人が何人か居ましたが、白谷雲水峡を見て回りたいならせめてハイキング用靴がいいと思います。

スニーカーで行けるのは弥生杉ぐらいです。

太鼓岩に行く途中には、もののけ姫の題材になった苔の生えた風景が広がります。

その光景にどこを見ても癒されます。

やがて太鼓岩に至る分岐点に到着、ここから十分ほど登り太鼓岩に到着です。

太鼓岩からは屋久島の山が一望できますが今日は風がものすごく強くて腰を低くしないとバランスを崩しそうでした。

姿勢を低くして景色を眺めます。

現在はまた曇に変わっていてますが晴れ間がなくどんよりとした風景だったので少し待って見ることに。

すると少しだけ晴れ間から太陽の光が差しただけで数秒でまた曇に、
止まっている間に温まった体が冷めて寒くなってきたので太鼓岩を下りることにしました。

そこから15分程かけて分岐点まで戻って来ました。


ここからが正規ルートにない道を通って縄文杉に向かいます。

正規ルートにないと言っても一般的に使われていないというだけで道はちゃんとあります。

というのも、白谷雲水峡が7時間、縄文杉が10時間掛かると言われているので
普通の人はそれぞれ分けて登るのが一般的なのです。

ただこの時期は縄文杉登山の正規ルートである荒川登山口に行くバスがないので
タクシーかガイドさんを雇って車に乗せてもらうかしかありません。

どうしようかと調べていると、

白谷雲水峡と荒川登山道を繋ぐ辻峠という道があることを発見。

これなら山小屋に泊まり宿泊代を浮かせながら一度で全て行くことで交通費を浮かせて良いことしかない、
何より、冒険心がくすぐられる。

ということで今回のコースを思いついたのでした。

9:10 辻峠・太鼓岩分岐点

辻峠を雲水峡方面から行く場合下りになるので楽に行けます。

辻峠は大きな岩がたくさんあるのと、若い杉が生えていてその間を蛇行する道があってそこに生える苔が綺麗でした。

9:45 楠分かれからトロッコ道

辻峠を抜けて楠分かれという分岐点に到着、ここから荒川登山道であるトロッコ道に出ます。

トロッコ道は、昔鉱石や伐採した木を運ぶために設けられたもので今は線路の間に木が敷かれて歩けるようなっています。

道は平坦でなだらかなので一番楽な道ですが、長いです。

僕の場合、観光センターでもらった簡易の絵地図を頼りに進んでいたので
途中から通り過ぎたのかと焦ってました。

人もまったく通らずひたすら線路を歩き、戻って確認したほうがいいかなと思っていると、
丁度人が来たので、すいませんと聞いてみると。

「縄文杉への登山道ってこっちで合ってますか?」

「ええ、入り口がすぐそこですよ」


「少し進んだら解りますか?」

「看板があるので大丈夫ですよ」


ありがとうございますとお礼をして進むと本当にすぐにありました。

距離にして10mぐらい、丁度大きくカーブしていて見えていない先にあったのでした。

10:50 大株歩道口

その分岐点からもう少しトロッコ道を進んだ所に水汲み場とトイレがあります。

今回通ったコース上にトイレは、山小屋付近か楠分かれからトロッコ道を進んだ所とここしかないので注意したほうがいいです。

水汲み場はそこら中で汲めます、水が湧いている所にはホースがパイプが出ていますがペットボトルに汲みやすいように置いてあるだけなので
基本的に流れている水は飲めるものでいいと思います、実際僕は気ままに汲んでましたがあたらなかったので。

もう一度入り口に戻ると看板があったので読んでみると。

"遅くても午前10時に出発してください"

"遅くても午後13時に縄文杉から引き返してください"

(今は・・・十一時前か、すでに一時間遅れてますね)

それで人が居なかったのか納得してペースを上げて登ることにしました。

このコースは帰りも通るので写真を控えめにして登ります。

縄文杉に至る大株歩道は今までで一番急で険しい、
ですが気持ちに余裕を持ってゆっくり進めば行ける道だと思います。

森林保護のために所々木で階段が設けられていますが、
保護が目的なので斜辺に沿って地面より浮かして作らています。

なので地面より急になってます、場所によっては下に向かって傾いている階段があって滑る危険があります。

ですが、この辺りから巨木の杉が目立ち始めて苔や川との風景が幻想的で綺麗でもあります。

11:10 ウィルソン株

ウィルソンさんが見つけたウィルソン株は大きな株で中が空洞になっていて入ることができます。

そして中から見上げた上の穴が角度によってはハートに見えるらしいですが僕には見つけれませんでした。

とりあえず出発したのが8時だったので12時を目処に縄文杉を目指して登ります。

ちなみに、昼ごはんは抜きで事前に買っておいたチョコや塩飴などを食べながら栄養補給をしています。

特にチョコと甘い飴は気持ちを和らげる意味で非常に役立ったのでおすすめです。

段々と帰ってくる人とすれ違うようになってきて軽く焦りながら登り、

やがて大きな杉が見えたのであれか!と勇んで近くまで行くと大王杉という別の杉でした。

11:50 大王杉

あとどれぐらいあるんだろうかと登って行くとやがて足場が広く組まれている場所にでて
更に進んでいくと、隅の方でお弁当を食べている二人組が居ました。

普通に道を歩いて行くと、

「山小屋で泊まるんですか!?」


「いえ、これから縄文杉を見て白谷小屋まで戻るつもりなんです」

「そうですかー」


「もしかして宮之浦岳に登るんですか?」

「登ると言うか縦走するつもりなんですよ」


「縦走!?凄いですね!」

宮之浦岳とは九州最高峰の高さ1936mを誇る山です。

日程に余裕があれば行こうと思っていたので予定から外していたのですが。

縄文杉はもうすぐですよと言うのことでじゃあ行ってきますそこを離れて、
階建を下りて行きました。

下りて少し進むと階段があってその上にはウッドデッキが伺えます。

(もしかして?)

階段を登って行きます。


そして、


12:15 縄文杉到着!!

着いたなぁ。

デカイなぁ。

達成感を通りすぎて放心状態でした。


とにかく大きいです、ただ大きいだけの木ならここじゃなくても見れますが、
縄文杉は何というか、生命を感じます。

苔や靄がかった幻想的な風景の中で、ぼこぼこと隆起した肌が筋繊維に見えて、
何千年もそこで見守っていた一つの生命のような。

ここに着くまでいくつか大きな杉を見てきて、縄文杉と言ってもこれらと大差ないんじゃないかと思ってましたが
全然存在感が違いました。

はー。と縄文杉を見上げていると、ここで帰ってしまっていいのかという気持ちになりました。

そう思ったときには、足は動いていて、階段を下りて、先ほどの二人組に向かって歩いていたのでした。


さっき居た所まで戻ると、何故か抱き合った後、握手している二人。

「えっなんで抱き合ってるんですか」

「ん?彼が帰るので見送ってたんです」


「あれ?お二人で登るんじゃないですか?」

「彼は中国の留学生で安房の港で縄文杉が見に行くというので一緒に来たんです」


その彼はバイバーイと帰って行きました。

「実は縄文杉まで行ったら、このまま帰るのが勿体無くなったので宮之浦岳登ります」

「ほんとに!?ありがとう!よろしく!」


じゃあ早速作戦会議だと縄文杉から十分ほどの所にある高塚小屋を目指すことにしました。

縄文杉の所で案内をしていたガイドさんに頼んで二人の写真を撮ってもらって少し眺めます。

縄文杉はウッドデッキからしか見ることが出来ません、尚且つ進行方向が決まっていて写真を撮る場所も決まっていますが、
今はシーズンオフなのでゆっくり見れます。

後は人が沢山くる時間があります、注意書きにもあった様に昼頃までに来るのが普通なので
それ以降は人が少ないです、ピーク時はわかりませんが。

さて行こうか。と高塚小屋に向かう途中簡単に自己紹介をしあっていると、
どう呼び合おうかという話になって、

「じゃあ俺の事は、たつにいと呼んでくれ」


とこれが、たつにいとの出会いでした。

たつにいは大阪住まいでこの前まで店長をしていましが体が異常をきたし辞めて時間が開いたので屋久島に来て二週間かけて隅々迄知るつもりらしい。

学生時代にはアジアを旅していて簡単な中国語が出来るらしく、ここでもまたそういう方に出会ったことになりました。

今年はやけに海外を旅した人に出会います。

ボランティアの時に、高校卒業後、ずっとアメリカに住んでいた人。
四国お遍路中、日本に来ている外国人三人。
屋久島で、海外旅経験者大学生三人。

今までの人生で一度も出会ったことないのにいきなり出会いすぎで、
ある決心をしてから明らかに出会う機会が多くなって、

ここでもまた何かの意思を感じたのでした。

旅はその時の気持ちで千差万別だから楽しいなと思っていると
やがて高塚小屋に着きました。

高塚小屋は白谷小屋より小さくて十人程が泊まれるぐらいの広さ。

トイレは少し離れた所にあって紙はないです。
水は縄文杉まで行かないとないのでここは長居するには不便です。

扉を開けると誰も居なく、中に入っていくと、

たつにいが突然、

「これでどっちかがゲイだったら笑えるよね」


と言い出したので。

はは、僕はノーマルなので大丈夫ですよ。と返すと俺もだけどねーと返って来ました。

関西人なのでボケかと思ったのですが、突然だったので何故?と少し引っかかりました。

たつにいが地図を拡げてどうしようかとお互いの予定を照らしあわせます。

宮之浦岳に行くまでには、高塚小屋と新高塚小屋があります。

僕は事前に登山届を出していて明日の夕方16時までに宮之浦港に戻らなければいけないので
宮之浦岳に近い新高塚小屋に泊まり早朝から登り昼過ぎには戻る算段でした。

たつにいは朝縄文杉を見てから登るつもりだったので高塚小屋で泊まるつもりという言うことでした。

試行錯誤して予定を固めて行っている間にどんどん寒くなっていき、
たつにいにいたっては体を震わせて、めっちゃ寒いと言っていました。

大丈夫、大丈夫と言っていましたが、ほんとうに大丈夫なのか心配でした。

その時13時ぐらいだったのですが、すでに体感できる程時間が経つにつれ温度が下がって行きました。

途中トイレのために外に出る度に、外の木が氷を纏っていくのを見て、

二人で、やばい!と樹氷が出来ていく所見てるよ!これめっちゃ珍しんちゃう!と盛り上がってました。

まだ14時にもならないのに辺りの木が凍り始めていて、バケツの水は氷が張っていました。

それから色々話しあった結果、


先ず、明日の夕方に帰る場合、余裕が無いので登山届を出した観光センターに電話して遅れる旨と変更後の予定を話して。

今のうちに新高塚小屋まで行って次の日宮之浦岳にトライ、頂上で別れる事になりました。


屋久島の山中は電波が入らないという事だったのですが、縄文杉付近は入るらしく先ずは僕が縄文杉まで戻り連絡をしに行きます。

※電波の入り具合もメーカーによって変わる様です、ドコモは入りますが、たつにいのソフトバンクは入らないらしいです。

観光センターに電話するとコーヒーを入れてくれたおばちゃんでした。

予定変更をすることを伝えると、

「・・・宮之浦岳の頂上付近は氷が張っている可能性があるけどアイゼンとかある?」


「ないですね・・・。」

「それだったら危ないよ」


と注意を促されて、行けるところまで行って無理は絶対しませんと言って承諾してもらいました。


何度か山登りの経験があるとはいえ、素人範囲で特に雪山は初めてなので、
ここからは、緊急時用の連絡用にバッテリーを温存するため写真を諦めて電源を切ることにしました。

高塚小屋に戻り氷が張っている可能性があるかもしれないとたつにいに伝え。

無理そうなら引き返して一緒に下りる事にしました。

気温は高度が100m上がるごとに0.5度下がると言わていて、
今の高さ(1370m)で氷点下近いという事は、確実にマイナスの世界だということを覚悟して先に進むことにしました。

14:20 高塚小屋出発

高塚小屋の辺りは木が薄く風が当たりやすかったようで、
登山道のある森の中は意外と道まで氷が張っていることはありませんでした、
ただ軽く雪が積もっていました。

緊張感と共に、
幻想的な風景に雪が加わってここが現実なのかと思う程綺麗でした。

とある風景画家が、私は綺麗な風景を汚しているだけだと言う台詞がありますが、
確かに自然には叶わないと思いました。

15:12 新高塚小屋

新高塚小屋はこれまでで一番大きく、50人は泊まれそうです。

水は判りづらいですが小屋を出てトイレに行く階段の正面にいて後ろに下がっていくとあります。

トイレは外ですが紙があります。

今日はここに泊まり様子を見て明日の朝行くか戻るか判断することにしました。

この時すでにものすごく寒く。

下四枚上に五枚着て、寝袋を纏って寒かったです。

「これ夜越せるかな、無理だったら二人で肌を寄せ合わなあかんで」


「雪山で山小屋だからシチュエーションバッチリですね」

何て笑い話しをしながら結構ぎりぎりでした。

たつにいは僕と違って、ちゃんと装備を整えて事前の情報収集も完璧で、
ドライフードなども余分に持ってきていたので。

これから戻るのなら荷物は軽いほうが良いから僕とご飯を分けると言ってくれました。

僕は元々明日の分の食料しかなかったので助かりますといって甘じることにしました。

その日は、増えるワカメを入れたインスタントラーメンでした。

暖かいスープと塩分がすごく美味しかったのです。

それから適当に話をしました。

リュックの中に足を入れると防寒になるとか、
ヘッドライトにフィルムの容れ物を被せるとランタンとして使えるとか、

あとは経歴とか。

何時か分かりませんが、
もうそろそろ寝るかぁと寝ることにしました。

西日本旅 九州・鹿児島(屋久島)編 四十二日目。

2012-01-22 19:32:56 | 西日本旅2 四国~
12月8日(木)

鹿児島港を出発したとき、それなりに居た乗船客が
寝ている間に種子島を経由していて気付けば二人しか居ませんでした。

やっぱりシーズンではないんだなぁと思いながら、
屋久島につき船を下りると、どしゃ降り。

屋久島は、ひと月三十七日雨が降ると言われるぐらい雨が降っているという噂は本当でした。

さて、屋久島での目的を、

もののけ姫にでてくる森の元になった、『白谷雲水峡』、
樹齢何千年と云われる大樹、『縄文杉』、

この2つに絞り費用を浮かす事にしました。

先ずは、白谷雲水峡にある白谷小屋まで行って一泊する予定です。

屋久島の山には無人の山小屋がいくつかあって、
もちろん電気・寝具なしで水は近くに湧き水があります。

とりあえず雨が降っていたので、港にある観光センターで様子見。

白谷雲水峡は増水で渡れなくなる川が通り道にあるので、
受付の人に聞いて、大丈夫ということで止み次第行くことにしました。

待っている間、受け付けの人とお話。

屋久島の事を聞いたり宿泊場所を聞いたりしてから
椅子に座っているとコーヒーを作って持ってきてくれたり、川の情報が連絡でくると教えに来てくれたり。

シーズン中ならこんなに親身に付き合えないだろうなと思っていると、
やがて雨が止みバス停に向かったらまた降って来ましたが、

一度行く気になったら関係なのでバスに乗り込み白谷雲水峡の入り口まで行きます。¥500。

白谷雲水峡の窓口で川の増水状態について尋ねると、通る予定の道は大丈夫ということでした、

ちなみにこれが通常時と増水時の川ですと見せてもらった写真、増水時は洪水になってまして、

「これって縄とかつたって渡るんですか?」

「いえ何もないですよ、岩の上を渡ります」


「え!?足すべったらすぐ流されますよね」

「そうですねぇ過去にはひざ下まで上がって岩が見えなくなったこともありますが
岩が見えていても危ないです」


行くかは自己判断ですねと微笑で答える受付の方に、気をつけて行ってきますと言うと、

「そういえばそこの方が朝ここから縄文杉を見に行った方ですよ」


「え!?日帰りですか!?ちょっと話を聞いてきます!」

と休憩場で雨宿りをしている男の方に話を聞きました。

「あのすいません朝から縄文杉見てきたんですか?」

「はいそうですよ」


「おぉ~!凄いですね。凄い時間が掛かるって聞いたんですけど」

「そうなんですよ、僕もそう聞いてたので朝6時に出たのに結構時間が空いてしまって」


この時、大体14時ぐらいだったので往復8時間で戻ってきているという事に。

「それって十時間いってないじゃないですか早すぎじゃないですか」

「はい、急ぎすぎました」


よく見ると靴以外は軽装備でリュックも小さい、でも引き締まった体だったので慣れている人なんだと思います。

「縄文杉良かったですか?」

「ええ、来てよかった思いました」


「僕もこれから見てきます、ありがとうございました」

お気をつけてと別れて、小雨のふるなか雨装備でいざ出発。

弥生杉などは帰りに見る予定でまずは楠川コースを通り白谷小屋を最短で目指します。

いきなり大きな岩を登る道があってその下は急流が伺えます。

細心の注意をはらいながら川沿いに登って行きます。

吊り橋を渡り楠川コースから原生林コースに入ると山を登り始め、道は広めでちゃんと整備してあるので
迷うこともなく行けますが、途中に水が横切っている場所があったり木が倒れている所があって跨いだりくぐったりする所があります。

さくさく登って行くと、がさっ!という音にびっくりしてそっちを見るとヤクシカが居ました。

ヤクシカは体が小さくて大人でも1m少しぐらいで色が濃い茶色なので、木立の中にいると迷彩になって動くまでわかりません。

ただ人を見慣れているのか、襲ってくることも逃げることもないので、思う存分見ることができます。

やがて問題の川に来ましたが、増水した気配はなく普通に渡って、
くぐり杉という根っこの下をくぐれる杉を通り白谷小屋到着。

白谷小屋は広く30人ぐらいは寝れそう。
造りはコンクリでトイレがあります、紙もあり。
水は入り口からまっすぐ進んだすぐに、どばどばと流れ出ている湧き水があります。

とりあえず水を汲んで飲んでみます、

「うめぇえ!」

一人なので声に出しました。

ここで補足、僕は水に対して拘りがあります。

日常の主な飲み物は水で、売られている水は試飲をして飲み比べをしたりします。

中でも湧き水は、その土地の味を知るという意味で楽しみなもので、
この旅でもそうですが湧き水ポイントがあるととりあえず味を確かめます。

そんな中でも屋久島の水は一番美味い。

喉越しと味と飲みやすさこの水で生きられたら全てが美味くなるだろうと思います。

こんな所で最高の水に出会ったことに感動しながら山小屋に入ると。

僕一人みたいなので荷物を適当に置いて、レインウェアを机にかけて
日が落ちきる前にご飯を作って食べて、陽が沈むと完全な暗闇になっていました。

窓を開けてみると、ガサガサと音がします。

鹿だな、と自己完結して。

明日に備えて雨が止むといいんだけど思いながら寝ました。

西日本旅 九州・鹿児島編 四十一日目。

2012-01-18 15:19:07 | 西日本旅2 四国~
12月7日(水)

準備の日。

早朝、片付けとご飯を済ませ、一度鹿児島市を離れて、

体を清めるため温泉博士片手に、温泉『あったろう』へ。

あったろうはオープンしたばかりで綺麗な建物、
温泉は、浴場が2つとサウナ。

開店に合わせて行って独り占めでした。

疲れを癒し、鹿児島市に入り海岸線を目指していると、
観覧車を見つけてその方に行くと鹿児島中央駅がありました。

この旅を始めて気づいた事、意外と観覧車付きの駅はある。

因みに三重では名古屋の栄駅が有名ではないでしょうか。

観覧車の正体を突き止め海岸線の方に行くと、
道沿いに出入りの激しいお店を見つけて寄ってみました。

そこは、『現金問屋 あけぼの』思惑通り安い!

食料を買い込む予定だったのでここで買うことにしました。

中でも500グラム98円の乾燥スパが安い。

ウェイパーがなかったのでワンロンという同種の調味料。
86円6切れの食パンなどを買ってお店を出て、

鹿児島県庁を見てフェリー乗り場へ。

しかしそこにあったのは、ターミナルではなくコンテナでした。

中に入り手続きをします、

手続きの紙に、往復の日時を書く欄があって予定は9日だってので
9日と書いて一応、この日を過ぎると券は買い直しですかときくと、
往復の割引は無いので決まっていなければ片道だけでいいですよと言うことで、
行きの券券だけ買い時間まで待機。

これから歩きになるので要る荷物を纏めて原付を置いていきます。

やがて乗船時間になり乗船。

船はフェリー『ハイビスカス』。

行き先は屋久島です。

西日本旅の一番の目的、それは屋久島、縄文杉登山。

出発した頃は、鹿児島県は南国だからと思っていただけに、
旅中屋久島の事を調べていて、屋久島には一年の季節があり雪が降ることが発覚。

そのサイトによると12月からシーズンオフに入ると書いてあった。

シーズンオフと云えば、富士山が思い浮かんだ、
冬の富士山は夏は別物の高難易度山に変わる。

もちろん雪が積もるからで、装備も全く違うものになる。

そして僕に冬登山装備なんてない。

焦った僕は先ず屋久島観光センターに電話、
詳しい話を聞くとシーズンオフで入山禁止になることはないが
アイゼン等、雪山の装備がなければ危険という事でした。

そして電話をした11月下旬現在は降雪の情報はないという。

それからはフェリーの日時と気候を見ながら急いで鹿児島まで走るようになったわけである。

其の甲斐有って降雪までに屋久島に上陸出来る事に相成った訳です。

これから種子島経由で13時間の航路を行き愈屋久島に上陸です!

西日本旅 九州・宮崎ー鹿児島 編 四十日目。

2012-01-18 13:55:00 | 西日本旅2 四国~
12月6日(火)

予定では鹿児島に入る日。

道の駅『日向』にて起床。

広島県からずっと急いできたので何とか鹿児島を射程圏に入れ、
気温が温暖ということもあり、ここで少し荷物を整理して余裕を持って出ることに。

ボチボチと※ご飯を作りながら片付けをします。

※ ここで中途補足。僕のご飯とは乾燥スパゲッテイの事で、これを茹でて調味料を入れて食べる素パスタが主食です。

日記の中で、スパ、ご飯等で出てくるのはこれの事です。


さて片付けをしてご飯を食べていると、
オジサンが、兄ちゃん昨日鍋を外に出しとったやろ?外に出しとくと盗まれるで、俺もな~

と話しをしました。

大分出身の方で、時々車中泊で旅に出ているらしいです。

九州の気候を聞いてみると、海から温かい風が流れてくるから宮崎県が一番温暖らしく、
鹿児島、特に鹿児島市方面は寒いそうな。

九州は温暖だろうというスタートから、意外と寒いことに気付き、
宮崎より下は温暖だろう、から現状が暖かい方という、
自身の南下と共に南国のイメージも南下している。

果たして南国はあるのだろうか。


おじさんと別れ出発。

国道十号線を走って宮崎市に入り宮崎県庁に到着!

門の前に警備員が立っていたので、庁舎の写真を撮っていいですかと聞くと、
どうぞ撮ってください!と気持ちよく答えてくれたので門の前で全景をとっていると、

中に入ってもらっていいですよ!もっと近くで撮ってください!と
いうことで近くで撮って、ありがとうございました宮崎県庁を後にして更に南下。

途中、道の駅『フェニックス』という名称に惹かれて行ってみると、
フェニックスという木のことでした。

そういえば地元にフェニックス通りという並木通りがあるのを思い出しました。

フェニックスは高い崖の上を走っている道にあるので、
そこからの景色が綺麗です。

高台から海を見ると、珍しい岩礁地帯を見つけて近くで見ようと思い階段を降りていきます。

その岩礁は岩が斜めにきり立っていて形は⊿な感じです。

⊿⊿⊿⊿⊿⊿⊿が沖と水平に続いています。

沖から来た波が、岩と岩の両脇から隙間を通り押し寄せてきた波が途中でぶつかる
という珍しい光景を見つつ。

沖に釣り人がいるのを発見して沖まで行こうと岩礁を渡り始めました。

渡っていくと途中に1メートル程幅がある場所があって、
飛べば行けるけどリュックがあるし足場が斜めで危ないかなと思いながら
幅の狭い所を探して斜めの足場を横に進んでいた時でした、

ズルッ!

(お?おぉ!)

次の瞬間、僕は海に立っていました。

岩礁の水場は浅く膝下ぐらいで、足を滑らした僕は下半身を犠牲に荷物を守ったのでした。

そして、奇譚のなくなった僕はリュックを岩礁に置いて
ザブザブと1メートルの幅を渡り、行けるところまで行くと釣り人の居る所は更に向こうでゴムボートで行き来しているようだったので諦めて岩礁を見てリュックを回収して道の駅まで戻りました。

結局3回滑りました。

幸い晴れなので下着だけ着替えて後は自然乾燥することにしてトイレに向かうと丁度ライダーの人が居たので、すいません。と濡れた姿を撮ってもらって少し話しをして、出発。

おもわぬハプニングで時間を取られ鹿児島県に向かいます。

日南市で祇園神社という天然の洞穴に祀られた神社を見つけて、
中に入って行ってお参りをして出てきて入り口を見ている音が反響していることに気付きました。

海の近くなので波の音が洞窟で反響で聴こえてくるのでした。

(すげぇ、天然のサラウンドスピーカーだ)

立派な洞窟に感嘆しつつ海岸線を離れて鹿児島県へ。

そこからはひたすら走ります。

鹿児島県に入り、霧島連山を横目に走り桜島を望みながら鹿児島市に到着!

鹿児島市は都会で路面電車も走っていて人の多さに若干引きつつ、寝床を探し、
フェリー乗り場のポートエリアで寝ることにしました。

テントを張っていると下のザラザラしたのが砂ではない事に気付きました。

ずっと黒い砂だと思っていたソレは火山灰で、そうなってくると
そこら中火山灰が降り注いでいることに。

桜島を見ると煙を延々と上げていますが、こちらには向いていない。

風向きによっては大変な事になるんだろうなと思いながらご飯を食べて明日に備えて就寝。

なんとか12月6日に鹿児島市に入ることが出来、気温も上々(宮崎よりは寒い)で、
遂に愈明日から、この西日本旅の発端にして本懐、
これを成すために急いで来たアル挑戦が始まります!!

西日本旅 九州・熊本-宮崎 編 三十九日目。

2012-01-16 23:11:16 | 西日本旅2 四国~
12月5日(月)

(寒い、これは死ねる・・・)

命の危険を感じる寒さに体をあっためなければ死ぬと思った僕は寝袋から出て外を確認すると、

道路標識の温度が0度を表示指定しました。

(これが0度か・・・)

0度は余裕そう・・・そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。

体温を上げる一番効率が良いのは体を動かすこと、ということで黒川温泉を散策します。

時間は朝4時あたりは真っ暗でひとけはなく、

突然の便意に応える公衆トイレもあいてなく。


まぁどこかにあるだろうと楽観的に歩いていても全然見当たらない、攻め立てる便意。

これはいけないとバス停に戻り原付に乗ってどっちに行くか考えました、
今この時一刻を争う時、人間の尊厳を守るための選択。

数キロ離れたところにあるパーキングエリア、一方にある24時間ではないコンビニ。

どちらも周りに山しかなくそこで出来なければ終りに近い。

(どっちに行くか・・・コンビニだ!)

最悪コンビニが開いてなかったとしてもそこから数キロで町中に出る、それでいこう!

コンビニに向かって原付を走らせると、やはり電気が点いていない。

(やっぱり開いていない・・・あれ?あのおばぁちゃん入っていったぞ?)

中に入っていったおばぁちゃんを伺うため中を覗くと人が居ました。

すいません!トイレ貸し下さい!と扉を開けると、

そのテンションとは裏腹に、どうぞ~というおばぁちゃん。

そして事無きを得た僕はお礼を言ってコンビニを出ました。

黒川温泉街に戻って続きをゆっくりと見て次に向かうため阿蘇市に入った時、

(は!?朝霧の風景を忘れていた!)

と昨日地元の人にすすめてもらったことを思い出しながら阿蘇市を抜けて阿蘇山に向かいます。

阿蘇山を迂回するように走って行って反対側にある草千里に来ました。

名の通り草原が千里拡がっているのではないかという広大な草原風景がそこにあります。

何度目かの内心やっべー発動。

切り立つ阿蘇山広がる草原湿原がサバンナを彷彿とさせます。これは釧路湿原以来!

道沿いは観光客が沢山居てゆっくり見れない、しかも草原の中に入っていいようだ。


行くしかあるメェ!

最初はゆっくり歩いて平然を装い、ある程度道から離れたら駆け出します。

(うおー!うおー!)重いリュックを揺らしながら息を上げて走り小高い山の上に立ち周りを一望。

自然を果て無く雄大だ。
一生を使って世界を肌で感じていけたら素晴らしいだろうなぁ。

でもそれでは子孫を繁栄出来ないからどちらを選ぶしかないな、答えは出てるけども。

帰りはゆっくり戻ります。

というのも草原は牧場になっていて普通に糞が落ちていました。

行きも飛び跳ねながら躱してきたのでした。

道路まで戻ってきて阿蘇山に向かいます。

阿蘇山山頂付近まで来るとゲートがあります。

阿蘇山は活火山なので危険なときは通行止めになるようです。

今日は・・・通れず!!!

有毒ガス発生中の第一次警戒らしく車のみ入れるということでした。

阿蘇山上神社でお参りをして遠くから山頂から上がる煙を見て阿蘇山を下りました。
実際その辺りでも臭っていたので長居すると危ないかもとか思ってました。

阿蘇山を下りて宮崎県に入ると、それまでの寒さに耐え凌いでいた気温とは打って変わって暖かくなって来ました。

殆ど進んでないのにこんなに気温が変わるものなのか。暖かいことにこしたことはない!と揚々と走り、次の目的地、高千穂に到着。

高千穂神社でお参りにして高千穂峡に行きます。

高千穂峡に着くと、話好きの犬の散歩中のおじぃちゃんに話しかけられ少しお話。

写真のスポットを聞いたり、二年前の夏に青森から来ている大学生が居てねー等話をして別れて高千穂峡を見ます。

高千穂峡は高千穂の有名な滝がある所でパワースポットらしいです。

確かに自然の中の穏やか雰囲気が良かったです、ただ人多すぎでした。

ゆっくり眺めようにも道が狭く人が多いから立ち止まるとマナー悪いみたいな目で見られるのは忍びなかったです。
自然っていうのはゆっくり見るもので、ぱーっと来て通り過ぎるものじゃないでしょ。

なので人の流れにのって行ったり来たりしながら滝の風景を眺めてました。

どうやら滝付近をボートで漕げるようでカップルが一隻漕いで滝を近くで眺めてました。

カップルとか家族連れと自然の風景って幸せな感じがします。

良いなーと思いながら高千穂峡を出て天岩戸神社に向かいます。

この天の岩戸伝説は三重にもあって真偽を確かめるため見て置かなければいけない!

神社に行ってみると天の岩戸を聖域のため人目に触れることはないらしい。

すぐ近くに天安河原という岩戸に隠れた天照の気を惹くため騒いだという河原を見に行くことにしました。

階段と長いスロープを下りて行って川沿いに岩肌を進んでいくと、あまりの光景に、なんだこれ!と人が居るのに声を荒らげてしまいました。


そこは河原から洞穴のあたり一面に石が積まれていて、それが殆ど隙間なく敷き詰まっている光景でした。

地獄に落ちた人が石をひたすら積んでは鬼に崩される刑の石積みがなされていたような光景。

あまりに異様すぎて神聖と言うよりは畏怖を感じました。

道以外はほぼ石積みの間を進み神社でお参りをして、丁度奥でカメラを携えた人が居たのでこの石積みの正体を聞いていみると

願掛けらしいです。

更にあと情報で多くの石を高く積むと良いらしいです。

なので僕も挑戦しました。

何とか5、6個川の淵の岩に積んで戻ってくるとまだカメラマンが居たので積んできましたぁと言うと

そうかいとその後少し話ていると、なんとこの人、人が居ない風景を撮りたいがために5時間ここに居るらしい。

頑張ってください!と別れを告げて高千穂を出て宮崎県の海岸線に出るため走っていると、ショッピングカートを押した人が歩道を歩いているのを見つけ

すぐUターンしてアタック!

「すいません!洗濯どうしてますか?」

突然話しかけられ戸惑いながら、そうですねーと答えてくれて
少し身の上話を聞きました。

ショッピングカートの人は横浜から10ヶ月かけて完全歩き旅をしている人で、
お遍路も登山するお寺はカートを置いて登りカートを取りに下りてから次に行くという遠回りのルート通り
しかもテント無しの完全野宿、防寒はやはりダンボール。

色々話していると前日泊まらしてもらった家が旅人好きの人でもし良かったらと住所を教えてもらいました。

別れ際に、これから高千穂ですかと聞くと、そうですね高千穂を見てまた延岡の方に戻ろうと思ってます。

その距離約50km。

簡単に言うな~流石だなと思いながら、また何処かでと別れました。

海岸線に出て適当に南下しているとやがて小倉ヶ浜有料道路の料金所に当たってしまい通れないので戻って橋をわたってすぐの所を軽トラが曲がっていったので
道があるのか確かめると下に降りていく道があったので試しに行ってみると砂浜がありました。

拓けた砂浜で景色が良かったので原付から下りて近くまで見に行くと違和感がしました。

なんだろうと景色を見ながら考えていると、

ザーザーと波の音が鳴っています。

ザーザーと。

ザーザーザーザー。

(・・・・は!?引いていない!)



そう違和感の正体、それは波が引かずにずっとこちらに迫ってきているからでした。

普通波は砂浜に辿り着いたらその後引いていってまた押してを繰り返してますがこの場所の波は徐々にですがひたすら押してきている。

(何これ!めっちゃ怖い!)


ざー、ざーと一定の音を鳴らしながら波が徐々に押してきます、おそらく潮が満ちる時と合わさって起こる現象なんだと思いますが、
辺りに地元の人が居なかったので確かめることが出来ず。

どこまで押し寄せてくるのかと観察しいると、川と合流する付近では波が逆流していたり、細かな波が重なりあって綺麗な水紋が出来ていたり。

幻想的な風景がたくさん見れました。

満ちるところまで見たかったのですが日が落ちかけていて海辺が真っ暗になりだしたので、身の危険と寝床を見つけていない危機感で名残惜しくその場を去り更に南下。


道の駅『日向』で寝ることにしてご飯を食べながら、気づけば快適な気温になっているなぁと思いながら安心して寝袋に入りこの日は就寝。

西日本旅 九州・大分ー熊本編 三十八日目。

2012-01-13 17:05:56 | 西日本旅2 四国~
12月4日(日)

12月6日迄に鹿児島県入りを果たさなければいけない僕は焦っていた、
それは雪が積もって行けなくなる可能性のある阿蘇周辺の景色を
見つつ鹿児島県に入らなければいけないからだ。

そして今日が要の日、今日どれだけの範囲をこなすかで阿蘇を堪能しつつ
明後日には鹿児島というプランが完遂できる。

ということで日が上らぬ暗い内から出発、
しかし物凄い霧で辺り5メートルほどしか見えていない、
しかもめがねに水滴が付いていって視界が悪くなる一方でスピードを緩めて進みます。

辺りが明るくなってきて霧が晴れてきた頃、
由布院・金鱗湖に到着。

金鱗湖はお湯の湖で、朝方温度差で湯気が立ち幻想的な風景が見れます。

次は大分市に向かいます。

途中朝日で黄金に輝く黄色の笹畑に感激して幾分眺めて再出発。

別府を通り大分市へ、市内で県庁を見て山に戻ります。

そして九重夢大吊橋へ。

しかし有料だったので遠巻きに眺めて、九重連山を越えるためやまなみハイウェイを行きます。

ここからは大自然の応酬。

やまなみハイウェイからスカイパークあざみ台、大観峰と広大な自然の中を通る道路を通り
菊池渓谷に到着。

菊池渓谷は渓谷を川に沿って散策路を自然を見ながら歩くことができます。

名水100選に選ばれているだけあって水が透き通っていて綺麗で、湿度が多いのかコケが多く緑の景色が良かったです。

ミルクロードから道を反れてある道を行くと丁度頂上から写真を撮っている人が居たので原付を停めて僕も写真を撮るがてらあいさつをして少し話しました。

ここは通称『ラピュタの道』。

切り立つ崖に沿うように道が通っていて標高がそれなりに高いのでそこからの景色はさながら天空から地上を見ている様。


ただあくまで通称、
頂上付近の岩に手彫りで書かれた名前は『ラピュダの道』。

(著作権対策かな?)


そんな感じで阿蘇市の方と話していると、

朝方は阿蘇市が霧に包まれて、ココから見る景色が幻想でおすすめと言うことでした。

それは良いと丁度黒川温泉で泊まる予定の僕は明日朝見ようよ思い写真も撮ってその場を去りました。

ラピュダの道を下りて阿蘇市を通り大観峰を登って黒川温泉に行きます。

そして日が落ち始めて段々と寒くなりはじめ指先をかじかませながら『夢の湯』へ。

温泉博士でお湯に浸かりコインランドリーに行って洗濯をしながらご飯を食べて今日の寝床へ。

今日の寝床は黒川温泉!

黒川温泉は温泉街になっていて古風な造りの温泉が立ちならぶ処である。

勿論旅館もある。


今日の寝床は黒川温泉である。







今日の寝床は黒川温泉・・・・・のバス停である。

屋根があって壁もある、そしてわらぶき屋根風になっている素敵な寝床だぜ。

しかもバスが昼から夕方の運行でゆっくり出来る。

しかし日の暮れからどんどん温度は下がり続け湯で温まった体も冷めて、
一応最防寒装備で寝ることにしました。

靴下2下4上5首1頭1と寝袋に包まり就寝。

西日本旅 九州・福岡ー大分編 三十七日目。

2012-01-09 20:39:25 | 西日本旅2 四国~
12月3日(土)

とある神社にて起床。

雨雲は夜の内に過ぎたのか、曇天で風は穏やか。

予報を見てみると一日中雨になっていたので萩の事もあり、
待機することにして朝御飯を食べて片付けをすると、
晴れ間が覗いてきたので少し進むことにしました。

県境を超えて大分県に入ると直ぐに雨が降り出して
近くのイーオンで雨宿り。

雨が止んだのを見計らい出るとすぐに降ってきました。

今度は雨宿りする場所がなかったのでそのまま走っていると、
虹を発見鬱積した気持ちが少し晴れて進むと、
やがて雨もやみ観光客の団体が道を横断していました。

何だろうと観光客が歩いてきている方を見ると、
岩壁のなかを歩いてきています。

正確には岩壁の中に道があって窓のような部分から中が伺えて、
人や車が通っているのが見えました。

面白そうなものがある!と少し進んだパーキングエリアに原付を停めると、
丁度説明の看板があったので見に行きます。

それによると『青の洞門』と言って、
昔、岩壁を行く険しい道がありそれを見かねたお坊さんがノミと槌だけで手彫りで掘った穴らしいです。

まだ続きます。

30年かかって掘り抜き、その後は通る人からお金をとっていたとされ、
最初の有料道路ではないかと興味が持たれています。

と言うことらしいです。

ツッコミ所満載のオチでした。

洞門に向かい歩いていくと、オランダ橋という看板があったのですが行ってみました。

やがて綺麗な石造りの橋が見えました。

耶馬溪橋、通称オランダ橋は日本一の長さの石造りの橋らしく、
同じタイプが長崎にあってそれがオランダ橋と呼ばれている事から、
ここのもそう呼んでいるみたいです。

そして青の洞門!

どうやら手彫りの部分はあまり残っておらず、
岩壁ないをはしっている道路は模して作られたものなようです。

洞門は道路の下にあって脇から階段で下ります。

思っていたよりも綺麗で広く、
一人ずつなら片側通行で問題なく高さもあります。

感心しているとすぐに階段があって上ると道路の反対側でした。

もっと見たいなぁと出てすぐ横の岩を見ると隙間が開いていたので覗いてみると、
道らしいのがありました。

その隙間からは入れないので道路を進むと入れそうな隙間があったので入ってみると、
奥に穴がありますが崩れていて入れませんでした。

道路に戻り歩道を進みます。

また階段があったので入っていくと、
掘り間違えをしたという角とあかりを取り入れるための明かり窓がありました。

そこから少し進むと反対側に出ました。

北道を戻るのも何なので、道沿いに周ろうと歩いていくと山道を発見!

『競秀峽めぐり』という看板があって説明によると、
岩壁が険しいので洞門を掘ったという話の岩壁を行くコースみたいです。

しかも、岩壁を鎖伝いに行く場所があるようで行くしかない!
と言うことで探勝道を通って戻ることにしました。

山道を登り展望台に出ました。

切り立った岩壁の上からなので見晴らしが良く景色は良いですが、
小雨が降っていたので空模様が残念でした。

それから、恵比寿岩からの景色を臨み更に進むと、
段々岩肌が目立つようになってきました。

岩を削って作った階段を登り、次にあったのは鬼面岩。

しかし何処にあるか判らず看板正面の道のような道を行くと、
岸壁の上を登るように進み枝をはねのけて登っていくと途中で、ような道もなくなりました。

鬼面岩何処、と思いながら来た道まで戻り進みます。

すると一際窪んだ岩肌の中に本堂がありました。

上手いこと岩肌の凹凸に合わせて土台が組まれているので
さながら投入堂のようでした。

さすがにほぼ垂直の岩壁に建っているわけではないですが。

近くに案内の看板が!

"帯岩(鎖渡し)へ約200m"

愈か!と思いながら進んでいくと、また本堂がありました。

ここも凹凸に合わせて土台が組んでありました。

お参りをして進みます。

やがて下りはじめて、あれ帯岩はと思いながら下っていくと、

"帯岩方面通行禁止"

OH....

仕方なく下っていくとパーキングエリアに出ました。

こちら側の入り口には、

"土砂崩れのため帯岩方面には行けません"

(何故向こう側には書かない!)

確かに僕が入った方は途中の案内に出口と書かれていて、
逆に進んでいるっぽいけど人も来ないし良いかぁと思ってました。

名残惜しいので下から鎖渡しを見て青の洞門を離れます。

ここ耶馬溪(やばけい)は珍しい密集地帯。

何が密集しているかと言うと、
私事ですが、景色、お風呂、湧き水と後は寝床があればこの辺で全て賄えるという寸法。

お風呂は時間制限が無いので先に湧き水と寝床を探してから残りの時間お風呂に浸かることにしました。

湧き水は水代を浮かせる上で大切な水源、しかもその土地によって風味が違う。

日常飲料が水の僕は、その辺にも風土を感じれてます。

ネットでどの土地に湧き水があるのか調べて後は現地だよりで探します。

新耶馬溪にあるというわを求めて近くまで行き、
交通整理の警備員に聞いてみると解らないと言うこと、
近くのもみじの湯という銭湯の外で涼んでいた人に聞いてみると
地元の者じゃないから解らない、すまないねぇと言うことで、
中の人に聞こうと入っていくと、掃除のおばちゃんが玄関口に居たので聞いてみると、

湧き水っていうとアレのことかねぇとご存知の様子!

詳しく場所を聞いてソコに行くとありました。

浄水層の隣の蛇口から水が出ていました。

水を補給して温泉、とろろの湯に向かいます。

とろろの湯は集落の最奥にあって見た目は民家風食事も提供しているようで、
知らなければ温泉目的で来る人は居なさそうです。

食事処と書かれた暖簾をくぐり小径を進み、今日のおすすめのボードを見て
本当に温泉があるのか不安になりながらお店に入ると、
そこから右に渡り廊下があってそこが温泉でした。

すいませーんと声を掛けて出てきたおばちゃんに温泉博士を出して
判子を押してもらい温泉に行きます。

この判子はお店によっては名前と絵の入った判子があったりもしますが、
大体は事務用の簡単な判子なのでラリー感覚にはならないかもしれません。

ともあれお風呂。

とろろの湯と言うだけあってお湯がとろとろ内湯と露天、五右衛門とありましたが、
外にある露天風呂と五右衛門は温めだったので内湯に浸かっていました。

休憩を挟んで二回入り、とろろの湯を後に。

近辺で目星をつけた寝床が神社で近くでお店で野宿していた人が居たか聞くと前例がないらしく、
道の向こう側の家が神主さんだから聞いてみるといいよという話を、
水を汲んで温泉に向かっている途中にしていました。

しかしその時は留守だったので、温泉に入り時間を開けてもう一度訪ねると居ました。

事情を説明して野宿をしていいか尋ねると、
主人(神主さん)が留守で私には何とも言えないと言うことでした、
いつ頃帰られるか聞くと判らないけど遅くなるらしいので諦めて進むことにしました。

とりあえず進行方向に進んで行くと温泉やお店が立ち並ぶ通りに出ました、
どうやらこの辺の景色が綺麗なようです。

しかしこの時、16時40分。

日の暮が近く寝場所も見つかっていない上に山の中。

どうするか。

うん、行こう。

新耶馬溪の景色を見ることにしました。

原付を停めてお店街の裏側に回ると川がありそこから散策路に入ります、

きり立つ岩壁と紅葉、川とお店立ち並ぶ景色を見ながら散策路を歩いていくと、
この先危険!と書かれた看板があるのですが普通に子供連れの親子が帰ってきたりしているので行ってみると普通に紅葉が綺麗な並木がありました。

皆はここで折り返していましたが奥が有りそうなので行ってみると、
お墓がひとつ建っているだけで行き止まりでした。

どの辺が危険?と戻ろうとしてよく見てみるとお墓の石塀の傍に鉄板で簡易の橋渡しがしてありました。

行ってみると川沿いに細い道が上に上がっているのを発見、
しかし何処にどれぐらいの距離かが書いてなかったので時間の都合上辞めました、
折り返して散策路を一周してラストスパート。

何とか山を抜けて町に出ようと、ひたすら走り
道の駅童話の里くすで寝る事にしました。

道の駅で寝ると言うか道の駅自体愛媛県の多々羅しまなみ公園以来実に10日ぶりに見ました。

道の駅の安心感は異常です、特に山の中。

旅がしやすくなるので道の駅はこれからもどんどん増やして行ってもらいたいところです。

御飯を食べて寝袋に入り、寝る体勢になって日記を打ちます。

日記を打ちながら、今日のことを振り返って、

朝は一日待機で何しようかなぁなんて思っていたのに、

結局雨の中敢行して、虹を見て、
岸壁に登って鎖渡しに行けなくて、
人に尋ねながら何とか湧き水を汲んで、
山中の集落の最奥の秘湯の様な銭湯に浸かって、
寝床確保のために2度訪問するも断られて、
時間ないのに紅葉見て、
でも安心できる寝床見つけて。

待機するどころか一日中動き回っていて満足している自分がいて、

そう言うことがあるから旅が好きで、
それが一生出来る事を今回の旅の出会いで知った僕はこれからが楽しみでしょうがない。

そんなことを考えながらこの日は就寝。

西日本旅 中国・山口ー九州・福岡編 三十六日目。

2012-01-04 17:26:25 | 西日本旅2 四国~
12月2日(金)

天気良好、雲は若干多めですが白雲で青空が覗いています。

テントの中で片付けていると、ちょっといいかいと外から声をかけられ、
はいと返事をして出ようとすると、そのまま私も昔旅をしていてねと話始めたので、
えぇ。はい。と相槌を打ちながら外に出てベンチに座っているおじぃちゃんの対面のベンチに座りました。

そのまま話は続きます。

「青森の知り合いが呼ぶものだから当時は電車も高くて車で大間まで行ったんだ、
それをその知り合いに話したら北海道を一周しようって言い出してね。
あれは楽しかったなぁ、札幌よりも美瑛や釧路、あの辺の景色が良かったね」


と話を聞きながら僕の北海道での話を挟みながら、

「色々な所に行ったね最近も家族で四国を回って来ました」


四国の話やこれから幾九州の話を聞いて、

「たくさん好きな所に行って好きなように生きてきて
今もこの公園の管理を任されて嬉しい事です」


「え!?管理人さんだったんですか!?旅好きのおじぃちゃんだと思ってました」

すいませんと言うと、はははと笑ってました。

日本語が分からず日本に来る外国人や、

老後にキャンピングカーを買って家内と日本を旅するという徳島のTさん、

実際にキャンピングカーで旅をしている老夫婦、

そして70年生きてきて幸せですと言えるおじぃちゃん、

そんな人生の先輩方の考えや想いに触れて僕は今だけが旅を楽しめる時じゃないんだと確信しました。

これから僕にも家族が出来て孫が出来た頃、一人で行った所を、またその誰かと一緒に行けたら素敵だなぁと生涯旅を楽しむ心持ちが出来ました。

じゃあこんなおじいさんの話に付き合ってくれてありがとうとおじぃちゃんは去っていき、
僕は片付けをして萩市を出ました。

長門市を抜けて本日最初の目的地、角島大橋到着!

角島大橋は角島に架かる橋を含めた景色が美しいと評判の所です。

そして天候良く、大橋が見えた瞬間、やべー!と叫んでいました。

秋吉台に続き発散しきれないテンションの上がり具合、
速攻で駐車場に原付を止めて走ります!

すげー!すげー!なんだこれ!なんだこれ!
一人を良いことにひたすら発散します。

無理でした。

展望台に登り、橋と海と島と空を眺めます。

半端なく綺麗!
橋の長さとうねり具合、自然との調和が良くずっと見てられる景色でした。

ですがこの時の僕には時間がない、予定では12月6日に鹿児島県に入るはずが
12月2日まだ山口県に居る。

気持ちも冷めやらぬまま下関市に向かいます。

その前に橋を渡って反対側からも見て下関市に向かいます。

下関市に入り火の山公園で関門橋を見ながら朝飯兼昼飯の食パンを食べて。

関門人道トンネルに着くと防波堤の所で何かやっているので見に行くと、
紙芝居でした。

作品は耳なし芳一。

最後まで聞いたら関門橋のポストカードをもらいました。

どうやら地域振興のボランティアでやっているらしいです。

それから壇ノ浦合戦跡ということで、
源義経と平知盛の像があるのですが。

平知盛は船のいかりを武器にしていて、
源義経は波に乗って舞い上がってます、
そして両雄美形。

像が立った日が気になります、最近ならそれは、、、レッツパッリィ!を感じぜずには要られません。

そしてついに!

人道トンネルに入ります!

関門人道トンネルは人や二輪車が歩いて山口福岡間を行き来できるトンネルです。

通行料20円を入れて大きなエレベーターに原付を押して入ります。

地下と地上しかないボタンの地下を押してグングン下がります。
若干長いなと思う三十秒程で到着。

扉が開くとそこはエントラスのように広い空間でした。

通路はその先、原付を押して進むと片側通行のトンネルがありました。

全長780m若干V字になっているため奥は見えません。

歩いていくと結構歩行者とすれ違います。

因みに歩行者は無料です。

原付を押していきトンネルの途中に県境がありました!

山口県から福岡県に入ります!

入ったァ!遂に九州まで来たんだなぁとしみじみしながら進んでいくと、
段々と上がりになってきて原付が重い。

腰から下に力を入れて踏ん張りブレーキで下がらない様加減しながら押していきゴール!

福岡側も同じエントラスでした。

エレベーターで地上に出て再出発、場所が門司というのもあり福岡の端を通って大分に向かいます。

夕方であれば門司港で泊まって夜景見たりと出来たのですが、
如何せん時間がなく予報で夜に雨だったので良い所を見つけないと萩の二の舞は困るので進みました。

やがて雨が降り始めて、適当に行った山裾に神社があったので見に行くと、
本宮が小屋の中にあって十分寝れるスペースがあったので、
天の思し召しと思いそこに寝ることにしました。

一旦止んだのを見計らってご飯を食べて小屋に入り寝る体勢に入ると、
やがて風が吹いて雨が降り始めて、

小屋なので雨も風も通さないので安心して寝れることに感謝して就寝。

西日本旅 中国・山口編 三十五日目。

2012-01-04 14:23:57 | 西日本旅2 四国~
12月1日(木)

朝、目が覚めるとまだ風がテントを煽っていた。

雨は途中で止んだらしく、強風が雨水を乾かしテントは濡れていなかった。

外に出ると、これと言って被害はなさそうで周りにものなかったのが幸いしたんだと思います。

唯一、防風林の落枝が怖かったけどそれも大丈夫でした。

天気を確認すると1日雨になっていたので風が強いのもあって待機することにしました。

様子を見ながら公園で適当にしていると、やがて青空が覗き始めました。
この時雨全く降らず。

行けたんじゃね?と思いながら昼を過ぎても雨は降らず雲は黒いですが青空が除いていて、
行ってみようとなりました。

とりあえず直ぐに戻れる様に原付に乗って松下村塾を見に行きます。

松下村塾は松陰神社の境内にあります。

(個人を祀ってるって凄いな)と松陰神社でお参りをして松下村塾を見ます。

松下村塾は8畳間と10畳間からなる小屋で一年程しか開講していなかったそうですが、
その一年だけで日本の根幹を作る人たちに敬われる人物として凄い人だったんだろうと思います。

松陰神社を見終わり天気も良さそうなので拠点に戻って今度は町並みを見て歩きます。

先ずは指月城、毛利の神社があったので参拝して、
指月城を抜けて町中へ。

屋敷の並び一帯の道は電信柱やカーブミラーなどがなくなるべく当時の町並みを再現してあるので
浸りながら歩けます。

他にも自販機なども黒茶色で塗られていたり有名な会社の看板、
例えばドコモショップの赤色のロゴなども町並みに合わせて黒茶色になっていたりと、
地域が一丸となって景観保護に努めている感じが、見ていて嬉しく楽しかったです。

高杉晋作や桂小五郎の家、鍵曲という直角に折れた道などを見て指月城に戻り一周してから、城跡の脇道から行く寺跡が気になっていたので行ってみました。

ですがただの開けた場所というだけで特に何もなく、
まだ奥にあるようなので行ってみるとそこも特に何もなく、
更に奥に道があったので行ってみると、断崖絶壁に出ました。

薄曇りで断崖絶壁ってサスペンス感出しすぎだろと思いながら、
後ろに注意しつつ崖の端まで行き景色を眺めて、
脇道から海岸に降りれるようなので海岸に行くも風が強く波が荒いので
攫われたら大変だとそそくさと離れ萩の町並み散策終了!

拠点に戻りスパを食べながら、結局降らんのかいとか思い
テントに入って寝ました。

西日本旅 中国・広島ー山口編 三十四日目。

2012-01-04 12:00:25 | 西日本旅2 四国~
11月30日(水)

前回のあらすじ!

広島県も終盤、山口県の県境近くまで来た僕は日の暮れも近かったので
近くの無人の神社で野宿することにしたんだ。

そして、夜寝ていると、ちょっとすいませんと声をかけられ寝袋から頭を出すと、
そこにはライトを持った警察官が二人立っていたんだ。

僕はすぐに悟ったね、あぁなるほどね。

案の定、職務質問と立ち退きを命じられた僕は、
警察官の計らいで教えてもらった公園に行ったんだ。

しかしそこは、入り口に猫の死体が横たわりゴミが散乱し、
草むらが生い茂るとんでもない公園だった、

野宿のなるたるかが解ってないなと思いながらトイレに寝る事にしたんだ。

そして次の日!




トイレの独特の匂いに最初は戸惑いながら朝起きると問題なく寝れていた事に気づきました。

どうやら屋根と壁があれば何処でも寝れるスキルが開眼したようです。

と言ってもここはトイレ。

直ぐ様片付けて日の上がっていない暗いうちに出発。

少し進むと大きなステーションの駅があって何本かの道の合流地点でもあるらしく
陸橋がたくさんある、要は寝床がたくさんある。

暗くなり始めてから探すとこうなるよなぁ。

とよくあるパターンが発生してました。

それは、

暗くなってから探し始めて見つけた寝床より少し進んだ所にもっと良い寝床がある事に翌朝気付くパターン。

そんな感じで山口県に入り、
錦帯橋に到着。

錦帯橋はアーチ状の木製の橋で、橋自体もさることながらながら辺りとの景色との調和が素晴らしいです。

橋を渡っていると、時間帯が朝方だったので通学や通勤の人たちとすれ違い
今も生活の一部として利用されている所に感心しました。

橋を渡って反対側の河原に降りると、巌流ゆかりの柳という石柱が立っていました。

見に行ってみると、どうやら吉川英治著の『宮本武蔵』で、
岩国が佐々木小次郎の生まれた地で、この柳とつばめを相手に燕返しを体得したという話らしいです。

見た目は大きな柳です。

それから佐々木小次郎の像を見て紅葉谷公園に行き錦帯橋を後にして、

下松誌を抜けて防府市から上に行って県庁に到着。

山口県庁は周りが低山に囲まれていて辺りに高い建物が無いので、
秘境じみていて良い所でした。

そこからさらに上に行って、秋吉台へ。

秋吉台は日本最大のカルスト台地。

そこにたどり着くまで普通の山道で、看板が見えたときもそんなに期待してなかったのですが。

看板の指す方に曲がり、切り開かれた岩肌の道を抜けると、

そこに広がる大笹原。

あまりの壮大さに、なんじゃこれー!と叫んでしまいました。

なだらかな丘陵地帯にカルスト特有の石灰岩の白と
ひたすらに広がる笹とススキ原の黄色が視界にいっぱいでテンションが上がりっぱなしでした。

また一人では発散しきれないほどテンション上がってるなと思いながら、
駆け出します。

どうやら秋吉台を一部歩けるようなの先ずは展望台で全景を見て早速歩きに行きます。

ひたすらの笹とススキ。

そして無量大数のバッタ群。

歩いているとそこら中で跳ねまくります。

歩かなくても跳ねまくります。

バタバタと音を立てながら歩くとバタバタと飛んで退いていく。

逃げなければ見つからないのになぁと思いながら秋吉台を進みます。

広大さに感動しつつ駐車場に戻り展望台を後にして、
秋吉台を通っている道路を通り更に山口県を上に行きます。

秋吉洞という洞窟があるのですが今回はやめておきました。

これまでに幾つか洞窟に潜った経験上、一人より複数が絶対楽しい。

そして先に一人でという感覚にもならない。

よって高知の龍河洞なども今回敢えて行ってません凄く行きたかったけど!

そんな感じで後の楽しみを残しつつ原付を走らせ。

萩市に突入。

直ぐに、『道の駅萩住還』で幕末の志士達の像がお出迎え。

板垣退助や高杉晋作など有名な人達の像を見て、
資料館で吉田松陰の松下村塾の風景と教え方などをジオラマで見て予習して市街に行きます。

という事で、萩市街には有形文化財として昔の街並みを残すと共に
松下村塾や高杉晋作の家など江戸時代末期幕末の有名な人達の家などが残っている場所です。

そして例の如く歴史に疎い僕は現地で知るをもっとうに
ほぼ無知のまま萩市街に来たのでした。

朝から山口県をL字に走り黄昏時だったので散策は明日にして
寝床を探します。

そして某城跡の公園に屋根付きの休憩所があったのでそこなテントを張りました。

スパを食べてテントに入り寝る体勢に入った頃、辺りの防風林がざわつき始めて、
直ぐに雨が降り出しました。

強風と相まって屋根は何も意味もなくテントを濡らし、
風はテントを煽ります。

最悪の場合を想定して、濡れると困る寝袋はしまって、
防水性の上下を着て、荷物は全て纏めてビニール袋やレインカバーをかけて、
直ぐにでも避難できる状態にして、

強風に煽られるテントの中で、テントを張っておいて正解だったと思いながら耐えました。

雨がテントを煽ります防水性を上回ったのか布の表面が湿りだし風は収まらず、
嫌な汗をかきながら時間が過ぎていきやがて寝ていました。

西日本旅 中国・広島編 三十三日目。

2012-01-01 21:21:03 | 西日本旅2 四国~
11月29(火)

安登駅の待合室にて起床。

片付けをしていると始発待ちのおじいさんが、
こんな所で寝たんか、寒なかったかと少しお話しをして。

始発に乗り込むおじいさんを見送り、
日が上らぬ内から出発。

順調に進み明るみ始めた頃、呉市に着きました。

駐車場を探して市内を走り、図書館の駐車場に置かしてもらい、
まず朝ご飯を食べようと近くの河川敷公園まで歩いていくと、
何やら人だかりが出来ています。

見に行ってみると、川の縁に落ちいてる鉄製の格子を拾い上げ様としているようでしたが、
近くに降りる場所がなく高さも三四メートルあるので試行錯誤している所でした。

以上が、欄干から見ていたおじさんの話です。

兄ちゃん若いから手届くやろ!

これも同じおじさんの話です。

上手い返しが思い浮かばず歯痒かったです。

格子が乗っているのが人一人がどうにか出来る幅なので、
一人のおじさんが、格子に引っ掛けようと
即席のひっかけをつけた縄を投げますが隙間が無いのでひっかからず試行錯誤していて、
周りの何人かがどうしようかと様子を見ながら考えていたので、僕も一緒に考えていると、

やっぱ兄ちゃんが手を伸ばして!

「いやぁ伸びません、すいません」(歯痒い)

するとおばちゃんが物干し竿を持ってきておじさんに渡し、
それでずらして隙間を作り、引っ掛け付きの縄を投げると、

引っ掛かりました!

おぉー!と歓声が上がり無事蓋を回収、よかったよかったとみんな散り散りに去って行きました。

良いものが見れたなぁと思いながら朝ご飯を食べて、
先ずはターミナルに行ってパンフレットを見て周る場所を探して、出発。

呉市といえば海上自衛隊の拠点があり、其の昔は戦艦大和が造船され海軍の拠点でもありました。

そして今でも造船が盛んで海上自衛隊の士官学校などが点在しています。

海上自衛隊関係の建物を見ながら、
現役の潜水艦を生で見れるという、アレイからすこじまに向かいます。

途中、沢山のマリーンを見る事ができます。

青が基調の制服なので爽やかな印象です。

そこかしこに居て一つの町みたいになってるなぁとか思っていると潜水艦を発見!

50メートル程向こうに浮いているので潜水艦の上のほうが見えるだけですが、
他にも海上自衛隊の船があって見たりしながら来た道を戻り、
戦艦大和が建造された工場(現在も運営中)を見晴台から見て。

東郷平八郎の旧宅を見て美術館通りを通るっていると、
海上自衛隊音楽隊と書かれた建物からラッパの音が聞こえてきて、
美術館通りのモダンな造りとあわさって雰囲気が最高でした。

締めに大和ミュージアムに行くと、

"本日は休館日です"

(なん・・・だと・・・?)

じゃあ、実際に使われていた潜水艦をそのまま資料館にした
てつのくじらを!

(なん・・・だと・・・?)


どちらも休館日!


その後、大和の左前半分を実寸大で表現した海浜公園で休憩して
図書館まで買える途中に本屋によってあるものを探しましたがありませんでした。

昼ごはんをスーパーで買って広場で食べて
呉市を出ました。

途中、あるものを探してツタヤに入ると、ありました!

あるものとは、『温泉博士』の事です。

温泉博士は月刊雑誌で、その名の通り温泉の本なのですがその本にある温泉手形が目的です。

温泉手形は毎月全国の所定の温泉がタダで入れるというもので、
450円なので2つ行けば元が取れます。

貧乏旅の心強い見方です、是非持ち歩いて欲しい一品。

温泉博士を手に入れて広島市向かいます。

平和公園に原付を置いて歩いて県庁を見に行きます。

原爆ドーム、広島平和記念資料館、宮島は以前に見ているので今回は行きませんでした。

でも原爆ドームは通り道にあったので見て行くと、やはり凄い人だかり。

そして異様な雰囲気。

原爆ドーム、広島平和記念資料館は一度は見ておいたほうが良いと思います。

其れから県庁を見て原付まで戻ってきて行ける所まで行って、とある神社を見つけて、

道路に面しているけど裏に回れば隠れるし無人のようだから良いかとそこに寝袋で寝ることにしました。

飯を食べて寝袋入り寝る体制に入ると、この神社、意外と人が参拝にくる。

道路すぐに本宮と賽銭箱があるからか、散歩の人や下校中の学生なんかがお参りをしていきます。

地元では有名な神社なのかなぁと思いながら寝ました。

しかしすぐ、

もしもしすいません。

寝てる所申し訳ないけどね。

これ僕に言ってるなと顔を出すと、

おまわりさん二人エンカウント。

話を聞くと、この辺りはは浮浪者の一斉退去をした地域らしくパトロールを強化していて
ここで野宿をしてもらっては困るという事でした。

そう言うパターンもあるのかと思いながら片付けていると、

急がなくていいからと言ってくれるあたりに優しさを感じます。

実際これで、1都1道1府2県職質を受けましたが一度も手荒に扱われたことはないです。

むしろ、危ないよとかそんな遠い所からとこ身の上話を聞いてくれます。

そんな感じで話していると、あそこの公園なら時々テントで寝ている人が居ますねともう一人に話していて、
あぁあそこなぁ、兄ちゃんここからなぁ~とその公園を教えてもらい、
もしかしたら他の警察が通るかもしれんけど。

いえ!ありがとうございます!と、お礼を言って、

お騒がせしてスイマセンでした。

気をつけてな。

と公園に向かいます。

そしてその公園、鬱蒼とした草むらとトイレが建っているだけの管理されていない公園でした。

しかも入れ口に猫の死体が横たわっててゴミも散乱している。

テントを張る場所がなかったので仕方なくトイレに寝袋で寝ました

西日本旅 中国・広島編 三十二日目。

2011-12-27 12:05:17 | 西日本旅2 四国~
11月28日(月)

大久野島にて起床。

一周四キロほどの小さな無人島なので荷物を片付けて置いて歩きます。

無人島といっても休暇村があるので施設内には人が居ますが、それ以外は誰も居なかったです、
居たら恐いです。

歩き始めると早速奴等が目を光らせます。

奴等とは、うさぎの事で大久野島は、うさぎ島として有名なのです。
このうさぎがめちゃめちゃいる、島中で百は軽く上回るぐらい見たので、
うさぎ好きには堪らない島でしょう。

こいつらが人慣れしていて凄く現金な奴等で、
人を見つけると森の中からでも、離れた所からでも何処からでも寄ってきます。

うさぎ目的の人は、藁を買ってきてあげるらしいのですが、
僕は違うので餌をくれないのがわかるとそっぽを向いて走り去ります。

時計回りに船着場からキャンプ場を抜け灯台に登り休暇村を通って
テニス場を脇を通り、やっと目的の一つを発見、

それが、毒ガス貯蔵庫跡です。

何故こんなものがあるかと言うと、

大久野島は戦時中に毒ガス製造工場として機能していたからです。

毒ガス工場が出来る前は普通の島だったのが国営の工場が出来たと当時の島民は喜び
何を作っているか分からずに働いてたそうです。

そして軍の重要拠点として島は地図から消されました。

敗戦後、アメリカにより毒ガス関連のものは、火炎放射器で焼くか海に沈め処理しましたが、建物だけは残して今に至るようです。

それが毒ガス島とも呼ばれる所以です。

なので今でも島全体で各所にその痕跡を見ることが出来ます。

※写真は帰宅後載せます。

貯蔵タンク跡は壁が黒くなっていて火炎放射器で焼いたススらしいです。

そこから少し進むと火薬庫があります。

火薬庫は防空壕みたいに土中に隠れるようになっている穴蔵という感じ、
中は光が届かず暗くなっているので恐いです。

次は北部砲台跡を見ます。

北部砲台跡までの道が、岩肌を切り抜いて作った感じで、
当時はココを兵隊が走ったりしてたんだろうなと思いながら歩きました。

北部砲台跡から登り中部砲台跡に行きます。

頂上の中部砲台は50メートル程の兵舎があって、
中は火薬庫と同じ様な作りでした。

それから頂上に登り別の道を下りて発電所跡へ。

発電所跡は当時の島の電力を補うと共に毒の生成工場でもありました。

今は廃墟となっていますが、その大きさから圧巻です。

島を一周したので、毒ガス資料館を見に行きます。

毒ガス資料館は、毒ガス工場建設前から敗戦による毒ガス工場廃止までの年表と、
当時のガスマスクや薬の製造方法等を展示してあります。

そして、相当えぐいです。

特に毒ガスを浴びた人や工場で働いていた人の後遺症の写真は、
注意書きをしておかないと子どもはトラウマになると思います。

戦争を考えると言うより、えぐさが先行して集中出来ませんでした。

資料館を出て研究所跡、南部砲台跡と見て港に戻り大久野島を出ます。

忠海に戻り原付に乗って進み、途中竹原の町並みを見る為に道の駅に寄ってみると。

『た・ま・ゆ・ら』

(・・・うん、もう驚かない!へぇ、たまゆらの舞台なのか)

大きなたまゆらの垂れ幕が掛かってました。

竹原は江戸時代に商人の町として栄え、今でも保存区域として当時の面影を残す場所です。

白塗りの土壁や瓦屋根、土間や吹き抜けの天井などに色のくすぶりを見て時代を感じて次に行きます。

適当に進み、日が暮れてきたので安登の周辺で寝床を探します。

駅に行ってみると、周辺地図で手頃な場所を探していると、
隣の看板に"日本一短い県道です!"と書いてありました。

何と駅から国道に出る県道が日本最短の10mらしいですが、
横断歩道が通っているので実際にはほぼ駅前ロータリーから国道に見えます。

偶然の発見に喜びつつめぼしい場所があったので行ってみるも山中の公園なので中々見つからず日も暮れて辺りは真っ暗になり山の中を闇雲に探すのは危ないと判断して安登駅に戻りました。

幸い安登駅は無人駅なのでここで寝ることにしました。

ここで無人駅での野宿の暗黙のルール。

終電まで寝転がらない。

始発までに出る。

安登駅の終電は23時台始発は5時台。

(結構遅くまで運行してるんだな)

僕の今の就寝時間は、20時ー21時~5時ー6時なので朝は良いけど夜が辛い。

とりあえず椅子に座る格好で寝ながら、うつらうつらとして、
終電と同時に寝ました。

無人駅と侮っていたんですが結構利用者が多く遠く離れたこんな場所でも皆生きてるんだなぁと思いながら落ちて行きました。



西日本旅 中国・広島編 三十一日目。

2011-12-22 07:18:15 | 西日本旅2 四国~
11月27日(日)

朝、各々に朝ごはんの用意をしながら寝床の片付けをします。

僕が片付けを終え、スパが出来上がった頃、ガンちゃんはリュックから荷物を全て出していました。

全部出さないと纏まらないんだよーまだ掛かるから先に食べていいよということで、
先に頂き、食器の片付けをして荷物を纏めて行く準備が整いました。

ガンちゃんは未だに纏め中。

毎日1時間半から2時間かかるんだそうだ。

片付けを見ながら、これは何ですか?とか気になる物を聞いたりしながら
纏まっていくのを見守り、やっとガンちゃんも朝ごはん。

ガンちゃんの朝ごはんは食パンにマヨネーズをかけて挟むマヨサンドでした。

「それで足りるんですか?」

「うん、足らなければ、もっと食うけど」


ついでなので歯磨きしたりヒゲ剃ったりしてる間に、ガンちゃん昨日買った6枚入り平らげてました。

お互い準備が整い、今日はガンちゃんも尾道を出る予定なので荷物を持っていきます。

大きなリュックを、うおー!と叫びながら背負い出発です。

今日は昨日行けなかった浄土寺奥の院を目指す道すがら町並みを見て歩く行程。

千光寺を見て、猫の細道という猫のオブジェが所々に有る道を通り、
お寺を巡りながら浄土寺に到着。

境内に入るとみっつぐらいの子どもが鳩に餌をあげていたんですが、

よく見るとあげて無いぞ!子どもの持っている餌袋めがけてハトが襲っている!

その傍にいるお父さんの肩に鳩が乗っているのに、全く気にしていないし。

なんだこの図面白い!とガンちゃんの方を向くと、
トイレに向かってました。

待つこと数分、いやーお待たせ行こうかと奥の院を目指します。

浄土寺は町中にあるのですが奥の院は山の上にあるので、ここからが本番。

人気のないところにリュックを置いて、
雑談をしながら登っていきます。

道は特に傾斜もなく状態も悪くないのでハイキング感覚で行けました。

所々拓けている場所で景色を眺めながら登り到着!

ガンちゃん曰く少し靄がかってて見えづらいらしいですが、
充分綺麗でした!

昨日登った高見山も見えました。

後はのんびり景色を見ながら、
これから行く屋久島の事や旅の秘訣、出来事等を教えてもらって、
これ以上居ると、また一泊しないといけなくなるねーという事で下山し
リュックを回収、原付の所まで行く途中、

お腹空きませんか?と最後に飛龍に行きたいと思い言ってみると、

うーん食パン食べたしなぁとしぶっていたのでその話はそこまでにして、
原付に着き荷物を原付仕様にして出発の準備が整うと、

開いてたら行こうか、もしかしたら夕方からしか開いてないかもしれないから
というガンちゃんの誘いで昼ごはんを一緒に食べに行きます。

飛龍に行ってみるとちゃんと開いてました。

ガラッと扉を開ける、ご夫婦の食事中。

どうぞーと促され、食事中すいませんと席に座り、
なれてるから大丈夫よーと言うことでした。

今回は、唐揚げ定食(700円)を注文。

しかし出てきたのが炒飯で、ん?と思い

あの・・唐揚げ定食・・・と言うと

え!?ラーメン定食って聞こえたわ二人(夫婦)で間違えてたねーごめんなさーい。

ま、まぁ!ラーメン定食と悩んでたので大丈夫です!

急遽ラーメン定食をいただくことになりましたが、
出てきたラーメンがチャーシュー多めになってましたうまうま。

そして、ガンちゃんとの別れ。

またどこかで会いましょう!と握手をして別れました。

昨日の歩きで足に豆が出来ながら歩き続けて久しぶりの原付は楽でした、
でも歩き旅もありだなぁと思ったりしました。

世捨て人ガンちゃん、またどこかで会えると良いです。

さて!一人に戻った僕は海岸線を走り尾道とは別のフェリー乗り場に向かいます!

ひたすら走り、忠海フェリー乗り場に到着!

受付の人に聞くと時間があるようなので、
近くのスーパーに食料を買いに行くと、

マヨネーズ500グラム 208円(5点以上お買上げに限り)

これって5点以上買わないとこの値段じゃないですか?と店員さんに聞くと、
昨日の売り出しだけど単品でいいですよ。

ホントですか!?ありがとうございます!

田舎は柔軟な商売が良いです!

フェリー乗り場に戻って券を買って待ちます。

小型高速船に乗り込み、揺られる事10分、島到着!


そこは"大久野島"。

知っている人は知っているこの島は、戦時中、地図から消された島として有名です。

島についたのが夕方だったので、そういうのは後にして、
先ず寝床を探そうと島に上陸すると、奴等の来襲を受けました!

クレークレーと奴らは執拗に僕を追いかけてきます。

何も持ってないことを示唆しながらなんとかその場を離れますが、
行く先でも、あちらこちらで奴らの視線が僕を刺します。

気を許せばすぐにでも集団で襲ってくるでしょう。

何とか手頃な場所を見つけて、寝床を確保しご飯を済ませ、
辺りの確認のために少し歩き、

今日は早々にテントに篭り寝ることにしました。

西日本旅 中国・広島編 三十日目。

2011-12-21 15:57:54 | 西日本旅2 四国~
11月26日(土)

トイレの軒下にて目覚めた僕は早々に片付けをして出発しました。

朝日が登り明るくなっていく町を原付を置く場所を探しながら走ります。

しかし、尾道の町並は家や建物が敷き詰まり建っているので中々見つからない。

途中トイレに行こうとローソンに寄ると、

(けいおんフェア、またやってるのか景品は、、、!?)


なんとクリアファイル。

丁度、パンフレットやレシートを纏めて入れておくためのクリアファイルが欲しいと思っていたので、


実用的観点から必要経費として手に入れないといけない。


と言うことで対象商品を確認しました。

けいおんフェアは対象商品を二つ買うと一枚景品が貰えると言うもので、
前回の団扇は100円タブレット二つだったので今回もそうしようと探すと、
タブレット210円。

420円でクリアファイルを手にいれました。

柄はもちろんりっちゃん!

それと店員さんがこれもどうぞと、前回の団扇の澪をくれました。

(店員さん分かってて澪なのか?それなら律×紬のが)
ありがとうございますと戴きました。

さて引き続き原付の置き場を探しますが、見当たらず尾道駅前の駐輪場に置くことにしました。

そして、尾道散策開始!

尾道の街並みは海と山に挟まれた山肌にあるので急な坂と、
そこにひしめき合う家々が織りなす路地や路地裏が魅力です。

さっそく尾道駅から、すぐの踏切を渡り坂を登り頂上を目指します。

登り始めればもう尾道の町並みになります。

階段と幅の狭いみちに車は通れず原付がやっとなので、
ゆっくりと堪能しながら行きます。

そして途中に、尾道に来てからずっと上の方に窺えていたお城に来ました。

尾道の下で寝床や駐車場所に奔走している時ずっと見えていたこのお城、
やっと近くまで来たぞと正面に回ると、

なんと門が閉まっている。

それも本日休みとかでなく蔦が巻き付き錆びている
これは数日の休みじゃないぜ、いややってないよね。

完全に潰れていました。

中を窺って見た感じ、おそらく以前は城の中から尾道の展望が出来た事でしょう。

がっくりしつつ探訪続行です。

すると、

(!?良さ気な東屋発見!)

トイレが併設され、すごく広いです、
お姉さんが言っていたのはココの事だったのかなと思いつつ更に登っていくと、
上の方に普通サイズの東屋がありました。

(あれ?あれって)

そのまま登っていき、東屋のある広場に出て、

(やっぱり、そうっぽいなぁ)と東屋に行き、

「ここで野宿したんですか?」と訊ねると、

はいそうですよーと荷物をまとめながら顔を上げて、
僕の風体を見て、おや?あなたも?となり少しお話をしました。

お互い経緯を教えあった頃、
良ければアノ山に登りに行きませんか!?と尾道の向かい側の向島を指さしています。

「昨日浄土寺奥の院から見た景色が綺麗だったので、
向こうから見たらまたいい景色が見れるのでは思って今日行こうと思っていたんですよ!」


僕は、元々気ままな旅で予定は無いようなものなので行きましょうか!と答え
通称がんちゃんに同行することになりました。
 
がんちゃんは、旅歴5年のベテランヒッチハイカーで、
昨日尾道に着いて町並みを散策して、今日は向島から尾道の町並みを眺める予定だったそうです。

もう少し待って下さいねーと荷物を片付けを再開するガンちゃん。

そのリュックがデカイしパンパン。

もうだいたい片付けていて紐を絞める段階だったので
中身は分かりませんがとにかくデカイ。

50㍑のリュックに更にバンドと紐で周りに付けてリュックの原型を成していません、
背負えるナニかです。

全てが入ってるからねーと本人談。

さて、行こうか。と遍路で使っていた金剛杖と日常で使うような小さなリュックを背負いながら言うガンちゃん。

大丈夫ですかと問うと、こんな重くて汚いの誰も持ってかないよ、今までも大丈夫だったし
とあっけらかんと歩いていく。

内心、確かにと思いながら後を追います。

「尾道の町並みを見るって言ってたけど特定の場所はないんだよね?」


「そうですね、適当に見て歩こうと思ってました」

じゃあ有名所だけでいいかぁと千光寺を見て下ります。

途中、猫発見!

そう尾道の町並みのもうひとつの魅力、猫がたくさん。

※写真は帰ってから貼ります、かしこ。

人慣れしているネコに癒されながら階段を降りていくと線路に出ました。

(あれ!?はや!最短ルートやん!)

まぁ今日の目的は山登りだしねと思いながら、渡船場に向かいます。

渡船場に着くと人が一杯居て、
船が一般の交通機関として機能しているのが凄いなぁと感心しながら乗船。

五分程で到着。

船が早いのではなく距離が短いんです、百メートルぐらいの幅で、川って言われても信じる感じです。

向島に着き、このまま歩いていけば観光センターがあったはずだからそこで登山道を聞こう
と言うことでした。

そこは正確には市民センターで、地元の人も知ってるでしょと中に入って関係者っぽいお姉さんに聞くとよく分からないらしい、
すると椅子に座っていたおじさんが登山道はあそこしかないよと教えてくれて、
更にガンちゃんが経緯を話すと、また別のおじさんも入って、
世間話をし始めて、僕は傍で、

凄いなぁと感心してました。

と言うことで、ガンちゃんが下調べしていた登山道しかないらしくソコに向かうことにしました。

途中も歩きながら旅の秘訣や経験談を聞きながら進み、
高見山の看板を曲がり上り坂になってくると、
ガンちゃんがおじさん疲れたわ車来たらヒッチハイクしてみよと言い始めました。

「軽いですね!?こんな普通の道で捕まります?」

「だって登山道まであとどれだけしか解らないしねー、
この先は山しか無いから高見山の方に行く可能性が高いから乗せてくれる可能性も高いよ」


と言いながら歩いていると早速後ろから車の走ってくる音が聞こえたので、
ガンちゃんが後ろを向いて手をブンブン振ると運転手は何だろう?とコッチを見ながら通り過ぎて行きました。

ダメだったか、おじさん一人が一番乗せてくれる確率が高いんだけどなーと、
また歩き始めてすぐまた車が、
すかさず二人でブンブン振ると、

おじさんが何だろう?とコッチを見ながら、

今度は停まってくれた!

すかさずガンちゃんが交渉に入る。

あまり好感触じゃない感じだったので無理かなと思っていると、

「~なので高見山に行くなら登山道の方まで乗せてもらいたいんですが」


「・・・あー、良いよ。」


(!?え!?良いの!?)

「高見山の方には行かないから分かれ道までだけど」


ありがたいです、失礼しますと後部座席に乗り込む二人。

そして初ヒッチハイク!

いや~僕は東京でこの子は三重から来てるので地理に疎くてーとガンちゃんが世間話を始め、俺も大阪から来てるからあまり詳しくないけどと運転手さん。

そうなんですかー!と盛り上がりかけた頃、
着いたよと車が停まりました。

ありがとうございました!とお礼を言って車は去って行きました。

「・・・これ二三百しか進んでなくない?」


「・・・そうですねー」

「これだったら歩いても変わらないじゃん!」


ヒッチハイク初めてだったので良い体験でしたよ!とフォローしながら登ります。

どこかで登山道に出るだろうと道路を歩いていき結局頂上に着いてしまい、
二人で、あれー?とか思いながらもう少し上にある展望台を目指します。

どうやら昔は栄えていたようで、
今はもう錆びて壊れているゴンドラが展望台まで延びていました。

「昔はそれだけ人が来てたんですかね」

「そうだねー」


「あそこなんて木がゴンドラに当たってますよ!どれぐらい前なんだろ」

うーんと二人で考えながら登っていくと、ここでやっと山道に逸れる道を見つけてそちらに行きます。

少し登ると、ゴンドラの駅がありました。

もうボロボロで管理されている気配はありません。

こういうの興味ない?と駅を見に行くガンちゃん、
興味あります!と後ろをついて行きます。

崩れないか確認しながら中に入ると駅の為に拓けてあるので良い景色でした。

綺麗ですねー隠れ名所じゃないですか?

そうだねー。

なんて話しながら駅を後にして、展望台到着!
早速、尾道の方を見ると!


「・・・見えないですね」

「・・・見えないね」


何とN○Kの電波塔が邪魔で尾道の方が見えない。

「なんかごめんね」


「いやいや!来たことに意味がありますから!」
と尾道の方は諦めて因島方面の景色を眺めていました。

適当に雑談したり景色を眺めたりして高見山を下りることにしました。

行き通った同じ道を下りて行くと散歩のおじさんが登ってきたので、
他に下りる道があるかガンちゃんが訊ねると、
洋ランセンターの方に行く道があるから案内するよ。とまた登ることになりました。

尾道の景色を見に来たのに展望台から見えなかったと言う話をすると、
尾道ならここから見えますよ。と道路のカーブを指差すおじさん。

見に行ってみると良く見えました。

こっちのが良く見えるけどやっぱり遠いねーとガンちゃん。

そうなんです、電波塔の脇からのぞき込んで少し見た時見えるけど遠くて小さ過ぎない?って話てたんです。

結論、遠くまで来すぎた。

気を取り直して、おじさんの案内で登山道に向かいます。

道中、おじさんと世間話。

向島出身の方で、転勤族で各地を転々としていたそうで、
北海道でもう転勤は無いと思い家を買ったら、向島に戻って来るように言われ、
単身赴任で北海道から来ているという人でした。

人生思い通りにはいかんよと笑いながら言うおじさんを見て、
笑えるなら其れも面白いなと思いました。

やっぱり人生は楽しんだ者勝ちだ。

やがて分岐点について、地図の看板を指差しながら、この道をこう言ったら~と説明してくれますが
よく分からない。

最終的におじさんが、だ、大丈夫だから!行けば分かるから!
と念を押され、

「「じゃあ行ってみます」」

「お気をつけて!」

とおじさんと別れました。

おじさんに言われた道を行く、

「おじさん最後の方投げやりでしたね」

「うん、まぁ下って行けばいいって言ってたから」


その通りに行こうと道を下っていくと、
何故かホテルに出てしまいました。

「あれ?ホテルがありますけど潰れてますね」

「本当に?ちょっとトイレするわ」


ホテルに入る門の手前の草むらでトイレをしだすガンちゃん。

僕はホテルの様子を見るため門を潜って、
結構大きいですよと喋りながら歩を進めていくと。


ガチャッ!


(!?え!?)

その場で制止。
風で扉が開いたのかなと思いながら
音の正体を探りますがよく分からない。

しかしよく見ると生い茂った草むらに隠れ、
当時の管理室のような建物が門の脇に建っていて、

その扉が少しだけ開いているのを視界の端で捉えながら、
(やっぱり風で開いたんだな)と扉の方に視線をやると。


バタンッ!!


(!?!?、?!?)

そのまま僕は何も言わず門の方に戻ると、
様を終えたガンちゃんが門を潜る所でした。

「いやー年取ると近くなってダメだねー」


「ここ、先住民が居ますね」

え?何それ!と笑いながらホテルの方に歩いて行くガンちゃん。

僕はついていきながら、さっきの出来事を説明。

音がしたので確認すると扉があってそっちに視線をやった途端、
タイミングよく不自然に扉が閉まった。

と其処まで話したときには管理室を通り過ぎてホテルの入り口まで来ていて、

「で?どの扉?」


「あれです」と後の管理室を指差す自分。

あーまぁ大丈夫でしょ、そういう人は警戒心強いから人前には出て来ないよ
と言いながらホテルに入って行きます。

そう言うものかなぁと後ろに警戒しながら僕も続きます。

バリケードも何もなく物が結構残っていたので
潰れた後って、放ったらかしなのか?と思いながら進んでいくと、

明らかに人の住んでいる形跡が所々にあります。

ガンちゃんは、アメニティ用品が欲しかったらしく、
無さそうだからもういいかとホテルを出ました。

登山道が結局わからず来た道路を戻り、
浄土寺奥の院の景色が良いから是非見てほしいと言うことで、
浄土寺に近い、大橋を渡り尾道に戻ります。

尾道に戻った時には夕暮れで、
日が落ちると山道は危ないと判断して今日は辞めて
ガンちゃんおすすめの中華飯店に行く事にしました。

その前に食料を買いたいからとスーパーに行って、
先に用事を済ませた僕がベンチに座っていると、

「そのシートは便利かね?」

とおばちゃんに話しかけられました。

シートとは、レジャー用のアルミシートの事で、
リュックに付けてあるのでそれを見て話しかけてきたようです。

「便利ですねーある程度の凹凸なら和らげてくれるので」

「ほうかい、気にはなってたんじゃがどうなんかなと思っとってな」


アルミシートの利便性を伝えると、
兄さん寝る所どうしてるの?と聞かれ、
公園とかで寝袋で寝てます。

寒くない?

寒いですけど工夫して大丈夫な様にしてます。

と話しながら内心、もしかしてと思ってたんですが、
じゃあ頑張ってーと去って行きました。

入れ替わりにガンちゃんがスーパーから出てきて、

「おばちゃんと話てたね、どうしたの?」


「いや~アルミシートに興味があるからって言うのです話をしてたんですが
寒いけど泊まる所どうしてるのって話になりまして、もしかしたら泊まらしてくれる話になるのかなと期待してしまいました」

「あっはっはっ、それは"御四国病"だね!」


「間違いないです」

御四国病、それは四国にのみ蔓延している奇病。
遍路さんにのみ感染する特異性をもち
発病すると人の好意には際限がない様な感覚に陥る。

四国にはお遍路さんに対して接待、つまりもてなす風習があるので、
遍路をしていると数多の好意を戴けます。

それが抜けずにいると勘違いするよって事ですね。

さて、買い物も済んだのでご飯を食べに行きます。

この時、飯抜きで8時間ほど歩いていて、
お腹がすき過ぎていました。

待ちかねたガンちゃんおすすめの中華飯店『飛龍』に到着!

席はカウンターのみで、夫婦で経営していてアットホーム感の漂うお店。

僕は、尾道ラーメン定食(600円)を注文。

ガンちゃんの話によるとお客さんによって量を変えるらしく、
その話しの時にさりげに普通ぐらいで良いですけどねーと言っておいたので
ラーメン1杯と、半より多め炒飯が出てきて、これで600円安いな!そしてうまい!

因みにがんちゃんは、中華丼とラーメンで、中華丼は皿に溢れるばかりでした(500円)。

食事を済ませ、寝床の話になって、
手頃の東屋ありましたよ。 じゃあそこで。という流れで、

僕は一度原付に戻り調理器具等を持って一緒に登ります。

多分こっちの方だよというがんちゃんの案内で進んでいくと行き止まりに。

リアルロープレ(RPG)みたいで楽しいですね!なんて言いながら適当に進んでいても一向に着かない、

とそこに通行人が!

すぐさま話しかけ、正規ルートを聞き無事攻略。

お互い寝床を確保して、小さな飲み会をしました。

が、僕は"約束されし下戸"。

乾杯をして話をしながら、ちびちびと飲んで1時間前して確認すると1センチも減ってない。

飲めないなら言ってよーと言われ、喉乾いてたし疲れてたのでいけるかと思ったんですが無理でしたと言いながら殆ど捨てました。

勿体無いけど無理なものは無理でした。

そしてお互いテントに入り長かった1日が終わったのでした。