太陽日記

北海道移住10年を機に、日記をこちらに引っ越しました。気が向いた時にひっそりと更新します(笑)

日高本線その5

2021-04-03 13:44:04 | 日記

2008年4月9日撮影 節婦~新冠
 判官館の展望台から望む新冠市街と日高本線。


2006年9月21日撮影 節婦~新冠
 2006年に発売された「北海道鉄道撮影地ガイドBEST60+2」の表紙に使われた写真。奥に見えるのは羊蹄山。


2004年12月4日撮影 節婦~新冠
 薄暮の新冠川橋梁を渡るキハ40。川面には2羽の白鳥が。


2010年4月17日撮影 節婦~新冠
 判官館を貫くトンネルの向こうからキハ40が顔をのぞかせる。


2010年4月17日撮影 節婦~新冠


2010年5月2日撮影 節婦~新冠
 GWの時期のお楽しみ。


2013年11月6日撮影 節婦~新冠


2021年3月26日撮影
 1999年に建て替えられた現在の駅舎は町所有の建物で、正面側には「出会いと憩いのセンター」と書かれていて「新冠駅」の表示が無い。


2021年3月26日撮影
 ホーム側には新冠の表示があるが、鍵がかかっていたり階段にはロープが張ってあって立ち入れなかった。向かい側の私有地から許可を得て撮影。


2021年3月26日撮影
 この駅名板は駅舎側から撮影したものだが、画像検索したところ裏面のホーム側も同じデザインのようだ。


2021年3月26日撮影
 ホームに立ち入れなかったので近くの踏切から節婦側を望む。


2021年3月26日撮影
 同じく静内側を望む。奥に見えるのはレ・コード館の展望台、優駿の塔


2021年3月26日撮影
 待合室の様子。


2012年7月14日撮影 新冠~静内
 にいかっぷふるさと祭りの夜。踏切は車両通行止めとなり、道路上にはお神輿が鎮座している。この後、俵担ぎリレーが始まる。


2021年3月27日撮影
 日高本線最大にして唯一の駅員(委託ではないJRの職員という意味)常駐駅の静内駅。


2021年3月27日撮影


2021年3月27日撮影
 ホームにはちゃんと入場券を購入して入場。


2021年3月27日撮影
 強風で飛んでしまったのか老朽化で撤去したのか分からないが、屋根が無くなっていた。列車は来ないので問題は無いのだろうが。
 これまでにUPした記事でも、以前に撮影した駅の写真にはあったのに最近撮影した駅の写真には無くなっているモノがある。ホーロー製のひらがなで標記した縦型の駅名看板だ。鵡川駅にはあったのにそれ以外では見なくなってしまったので、もしかしたら列車運休後に盗難を恐れて撤去したのかもしれない。もしそうだとしたら悲しいことだ。あの看板が良かったのに。すると、2月に静内駅に立ち寄った時に名刺交換をさせてもらった駅舎内の観光情報センターの事務局長さんが「あの看板を復活させたい」とおっしゃっていた。さすがに予算や納期などの都合で印刷したものを貼り付けた板状のモノだったが、お別れモードを盛り上げるアイテムとして設置されていた。マニア的には「フォントがちょっと違うんだよなぁ」とは思うけど、そんな事を言ってはイケマセン!


2021年3月27日撮影
 ホームから新冠側を望む。以前は車両の夜間停泊などもあって構内には引き込み線が複数あった。構内を照らす照明塔がその証。奥には機関区の支所もあったようだ。


2021年3月27日撮影
 同じく東静内側を望む。


1995年5月7日撮影
 初めて日高本線に乗りに来た時の写真。国鉄時代からの古い駅舎が写っている。


1995年5月7日撮影
 26年前の写真だ。


2021年3月27日撮影
 今の駅舎内窓口付近の様子。


2021年3月27日撮影
 向かって右に駅そば、左に観光情報センターがある待合室の様子。


2021年3月27日撮影
 新冠側から静内駅全景を望む。
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日高本線その4

2021-04-02 16:56:19 | 日記
 今日ご紹介する区間は撮り鉄ポイントでもあるので写真点数が多いです。ただ廃止される駅の写真を並べるだけではつまらないので。

2006年3月6日撮影 厚賀~大狩部


2006年6月26日撮影 厚賀~大狩部
 1996年、当時はキハ130が日高本線専用で走っていたが、そのうちの1両が脱線転覆事故で廃車となり、その補充として1997年に1両だけ製造されたのがこの写真に写っているキハ160だ。この写真を撮った翌2007年にはハイブリッド動力の試験車両に改造された。1両だけなので撮影するチャンスは少なく、この他に1回撮れたけど結局「バリ順」の写真は1枚も撮れなかった。


2006年3月6日撮影 厚賀~大狩部
 ここからが日高本線の車窓風景のハイライトと言える区間。


2006年3月6日撮影 厚賀~大狩部


2012年2月11日撮影 厚賀~大狩部


2012年2月11日撮影 厚賀~大狩部


2010年5月5日撮影 厚賀~大狩部
 この当時は毎年GWには札幌からの直通列車「快速優駿浪漫号」が運行され、ニセコエクスプレスの車両が充当されていた。この頃はファイターズラッピング仕様だった。また、ここは昔から有名な撮影ポイントではあるのだけれど、牧草地を突っ切って行かなければならない。ホントは夏の時期も撮影したかったけど、牧草地はただの草っぱらではない。牧場にとっては家畜の餌となる牧草を育てる大事な畑なのだ。実はココ、知り合いの牧場の牧草地ではあるのだけれど、牧草が青々と茂っている時期には遠慮して入らなかったのだ。通常牧草は年に2~3回刈り取るので、その直後であれば行けないことも無いけど、結局タイミングが合わないまま廃線となってしまった。また、鵡川~様似間が長期運休となるきっかけとなった2015年1月の高波による盛土流出の被害が出たのは恐らくこの辺り。


2021年3月26日撮影
 大狩部駅へは国道下のこのトンネルを通って行かなければならない。


2021年3月26日撮影
 きらめく海と待合室と駅名板が見えてきた。


2021年3月26日撮影
 ホームから厚賀側を望む。節婦側は撮り忘れた(^_^;


2021年3月26日撮影
 何故かわりと新しめな駅名板。


2006年6月26日撮影
 初めてこの駅に来た時はこんな感じだった。


2021年3月26日撮影
 コンクリートブロック作りの待合室は窓も無く、昼間でもちょっと入りづらい雰囲気だ。


2021年3月26日撮影
 スピーカーらしき箱は完全に鳥の巣になっていた(笑)


2021年3月26日撮影
 2016年の台風10号の災害以降、この駅を訪れるのがツラくてホントはあまり来たくなかったけど、最後に全駅を記録するために訪れた。


2021年3月26日撮影
 訪れるのがツライ理由はホームから見えるこの光景。


2008年8月18日撮影
 同じ場所。天気が荒れているわけじゃなくても普通にコレくらいの波しぶきが打ち上る場所なのだ。でも、内陸部に線路を敷設するには、いくつもの河岸段丘を上り下りせねばならず、100年近く前の鉄道技術では平坦な海岸線に線路を敷くしかなかったのだろう。


2021年3月26日撮影
 三角屋根の小ぶりな待合室がカワイイ節婦駅。


2021年3月26日撮影


2021年3月26日撮影
 ホームから大狩部側を望む。


2021年3月26日撮影
 同じく新冠側を望む。


2021年3月26日撮影
 少なくとも10年前にはこの待合室になっていたけど、10年たってもすごく綺麗。


2006年6月26日撮影
 初めて訪れた時は、車掌車を利用したいわゆるダルマ駅だった。


2006年6月26日撮影
 内部はこんな感じ。


2021年3月26日撮影
 背後では日高自動車道の建設が進んでいる。新しい道路は税金でドンドン造るし、災害で被害を受けたら税金ですぐ直す。鉄道は被害を受けても法律で鉄道事業者が自分で直さなければならない。鉄道用地だって立派な日本の国土だ。その国土が台風や高波で被害を受けているのだから、国が率先して修復するべきだと思う。公共交通機関って何だろう?
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日高本線その3

2021-04-01 18:07:34 | 日記
 今日4月1日をもって日高本線の鵡川~様似間は廃止となり、昨日まで列車代行バスだったバスは日高広域公共バスという転換バスへと移行した。利用者にとって使い勝手がよく、長く持続可能な形態になるのならば致し方ないのかもしれない。ただ、災害によって列車の運行が無くなったままでの廃止は、他の路線の通常の廃止とはまた違った寂しさが募る。通常は路線廃止の1年前に地元に周知するという決まりがあるので、最低でもラスト1年は写真に収めるチャンスがあるのだが、それも与えられぬままなのが悲しい。そんな事にならないためにも普段から撮影しておけよって話だけど、実際地元に住んでいると「いつでも撮れる」と思ってなかなか撮らないものだ。失って気付く大切なもの。皆さんも同じ思いにならないように普段から撮影しておきましょう。
 で、昨日の日高門別からの続きです。

2007年8月26日撮影 日高門別~豊郷


2021年3月26日撮影
 ちょこんとカワイイ豊郷駅の待合室。


2021年3月26日撮影
 妙に色が薄くなっている駅名板。


2021年3月26日撮影
 ホームから日高門別側を望む。左側の放牧地に小さく写っているのはサラブレッド。


2021年3月26日撮影
 同じく清畠側を望む。駅名板の右に写っているのが待合室。


2021年3月26日撮影
 ガラス面が大きいので中は明るい。


2016年9月2日撮影
 そもそも日高本線がバスによる代行運転になったのは2015年1月に高波によって厚賀~大狩部間の盛土が流出したのがきっかけだったが、2016年8月の台風10号による甚大な被害がJR北海道の「路線廃止」に舵を切る決定打となってしまったのは否めない事実だろう。その甚大な被害の中でも衝撃的だったのが豊郷~清畠間の慶能舞川橋梁の流失だ。この現場を目の当たりにした時には言葉を失った。


2016年9月2日撮影


2021年3月26日撮影
 上の写真とほぼ同じ位置。流失した5本のプレートガーダーは全て川の上流側に残っていて、この場所に集められていた。


2021年3月26日撮影
 豊郷駅とそっくりな清畠駅。


2021年3月26日撮影
 こちらは薄くなってはいないが、枠への取り付け方がちょっと雑。


2021年3月26日撮影
 ホームから豊郷側を望む。


2021年3月26日撮影
 同じく厚賀側を望む。


2021年3月26日撮影
 こちらも明るい待合室。


2021年3月26日撮影
 厚賀駅。馬産地という事で、厩舎をイメージした駅舎なのかもしれない。


2021年3月26日撮影


2021年3月26日撮影
 ホームから清畠側を望む。駅舎の正面側は漢字で「厚賀駅」となっていたが、こちら側はひらがなで「あつが」と書かれている。


2021年3月26日撮影
 同じく大狩部側を望む。昔は向かい側にもホームがある交換可能駅だった。


2021年3月26日撮影
 待合室内部。
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