今日4月1日をもって日高本線の鵡川~様似間は廃止となり、昨日まで列車代行バスだったバスは日高広域公共バスという転換バスへと移行した。利用者にとって使い勝手がよく、長く持続可能な形態になるのならば致し方ないのかもしれない。ただ、災害によって列車の運行が無くなったままでの廃止は、他の路線の通常の廃止とはまた違った寂しさが募る。通常は路線廃止の1年前に地元に周知するという決まりがあるので、最低でもラスト1年は写真に収めるチャンスがあるのだが、それも与えられぬままなのが悲しい。そんな事にならないためにも普段から撮影しておけよって話だけど、実際地元に住んでいると「いつでも撮れる」と思ってなかなか撮らないものだ。失って気付く大切なもの。皆さんも同じ思いにならないように普段から撮影しておきましょう。
で、昨日の日高門別からの続きです。
2007年8月26日撮影 日高門別~豊郷
2021年3月26日撮影
ちょこんとカワイイ豊郷駅の待合室。
2021年3月26日撮影
妙に色が薄くなっている駅名板。
2021年3月26日撮影
ホームから日高門別側を望む。左側の放牧地に小さく写っているのはサラブレッド。
2021年3月26日撮影
同じく清畠側を望む。駅名板の右に写っているのが待合室。
2021年3月26日撮影
ガラス面が大きいので中は明るい。
2016年9月2日撮影
そもそも日高本線がバスによる代行運転になったのは2015年1月に高波によって厚賀~大狩部間の盛土が流出したのがきっかけだったが、2016年8月の台風10号による甚大な被害がJR北海道の「路線廃止」に舵を切る決定打となってしまったのは否めない事実だろう。その甚大な被害の中でも衝撃的だったのが豊郷~清畠間の慶能舞川橋梁の流失だ。この現場を目の当たりにした時には言葉を失った。
2016年9月2日撮影
2021年3月26日撮影
上の写真とほぼ同じ位置。流失した5本のプレートガーダーは全て川の上流側に残っていて、この場所に集められていた。
2021年3月26日撮影
豊郷駅とそっくりな清畠駅。
2021年3月26日撮影
こちらは薄くなってはいないが、枠への取り付け方がちょっと雑。
2021年3月26日撮影
ホームから豊郷側を望む。
2021年3月26日撮影
同じく厚賀側を望む。
2021年3月26日撮影
こちらも明るい待合室。
2021年3月26日撮影
厚賀駅。馬産地という事で、厩舎をイメージした駅舎なのかもしれない。
2021年3月26日撮影
2021年3月26日撮影
ホームから清畠側を望む。駅舎の正面側は漢字で「厚賀駅」となっていたが、こちら側はひらがなで「あつが」と書かれている。
2021年3月26日撮影
同じく大狩部側を望む。昔は向かい側にもホームがある交換可能駅だった。
2021年3月26日撮影
待合室内部。
で、昨日の日高門別からの続きです。
2007年8月26日撮影 日高門別~豊郷
2021年3月26日撮影
ちょこんとカワイイ豊郷駅の待合室。
2021年3月26日撮影
妙に色が薄くなっている駅名板。
2021年3月26日撮影
ホームから日高門別側を望む。左側の放牧地に小さく写っているのはサラブレッド。
2021年3月26日撮影
同じく清畠側を望む。駅名板の右に写っているのが待合室。
2021年3月26日撮影
ガラス面が大きいので中は明るい。
2016年9月2日撮影
そもそも日高本線がバスによる代行運転になったのは2015年1月に高波によって厚賀~大狩部間の盛土が流出したのがきっかけだったが、2016年8月の台風10号による甚大な被害がJR北海道の「路線廃止」に舵を切る決定打となってしまったのは否めない事実だろう。その甚大な被害の中でも衝撃的だったのが豊郷~清畠間の慶能舞川橋梁の流失だ。この現場を目の当たりにした時には言葉を失った。
2016年9月2日撮影
2021年3月26日撮影
上の写真とほぼ同じ位置。流失した5本のプレートガーダーは全て川の上流側に残っていて、この場所に集められていた。
2021年3月26日撮影
豊郷駅とそっくりな清畠駅。
2021年3月26日撮影
こちらは薄くなってはいないが、枠への取り付け方がちょっと雑。
2021年3月26日撮影
ホームから豊郷側を望む。
2021年3月26日撮影
同じく厚賀側を望む。
2021年3月26日撮影
こちらも明るい待合室。
2021年3月26日撮影
厚賀駅。馬産地という事で、厩舎をイメージした駅舎なのかもしれない。
2021年3月26日撮影
2021年3月26日撮影
ホームから清畠側を望む。駅舎の正面側は漢字で「厚賀駅」となっていたが、こちら側はひらがなで「あつが」と書かれている。
2021年3月26日撮影
同じく大狩部側を望む。昔は向かい側にもホームがある交換可能駅だった。
2021年3月26日撮影
待合室内部。