徳田球一氏
☆破防法(破壊活動防止法)は、日本共産党の活動を対象として制定された
*戦後対象とされた日本共産党の活動とは、武装闘争
☆今の日本共産党の党史では”分派による跳ね上がりの冒険主義”とされている
☆武装闘争は、党中央の機関決定とソ連が牛耳る上部組織の支持を得た
☆日本共産党が正式に採用した路線だった
☆武装闘争は、"1955年の六全協で正式に終止符を打った
☆その時代の象徴だったのが徳田球一氏であった
コミンフォルムの指令
☆徳田氏自身は、武装闘争を考えていなかった戦後の当初の資料では読み取れる
☆コミンフオルムの平和革命論批判より
*朝鮮戦争が始まった翌年、日本共産党が武装闘争路線を採用した
☆コミンフオルム(ソ連共産党)の狙い
*日本共産党の武装闘争
*アメリカ軍の前進基地化していた日本国内に混乱を起こすことだった
☆これらの動きは、アメリカの情報機関が知るところだった
*治安維持を目的とした日本の再軍備が提議され、警察予備隊が設立される
☆徳田氏に率いられた日本共産党は武装闘争を実施した
*破防法はさほどの反対もなく成立した
*共産党は「山村工作隊」「中核自衛隊」などの武装組織をつくって活動した
*展望も指導者もない活動だった
血のメーデー事件
☆武装闘争は、現在の日本共産党では、″なかったこと″のように扱われている
☆実際に中核自衛隊や山村工作隊員として武装闘争に身を挺した元共産党員もいる
☆日本共産党は占領軍により公職追放(レッドパージ)を受けた
*徳田氏たち指導部は地下に潜り、「人民艦隊」と呼ばれたボロ船で中国に亡命した
*スターリンが死に、朝鮮戦争が終ってコミンフオルムの方針が変わる
*武装闘争路線は捨てられる
☆日本共産党は、六全協で徳田氏らの指導を分派行動と断定して批判し、闇に封じこめた
☆その後、共産党の実権を握った宮本顕治
野坂参三氏
☆日本共産党のシンボルだった野坂参三氏は、101歳で死去した
*共産党の機関紙『赤旗』は社会面の片隅で小さく報じた
*野坂氏は、1年前に共産党を除名されていた
*除名の理由は同志を密告したというもの
*『赤旗』は「恥ずべき行為」であると糾弾した
☆当時、モスクフのコミンテルンには世界中から共産党員が集まっていた
*日本人共産党員は、野坂参三氏と山本懸蔵が中心
*野坂氏は、ソビェト内務省人民委員会に山本懸蔵がスパイだと密告する手紙を送った
☆ソビエト市民になっていた山本
*国家反逆罪で死刑が宣告され、翌日、銃殺された
早くからあつた密告説
☆野坂氏が山本を”売った”疑惑は戦後早くから口にされていた
☆この時代のスパイの告発はほとんどノルマ化していていた
*他人を密告しなければ自分が疑われた
☆野坂氏がスターリンの大粛清を無傷で生き残ったこと自体奇跡
☆治安維持法により日本で逮捕された野坂氏
*眼病の手術で釈放され、そのまま日本を脱出してモスクフに渡っている
「何も言うことはない」
☆野坂氏がモスクフに秘かに渡った時、世話をしたのは山本懸蔵夫妻だった
*山本夫妻はソ連で悲惨な生活を過ごした
☆野坂氏は、敗戦の翌年、夫婦ともども凱旋将軍よろしく日本に帰国した
☆密告の手紙の存在が明らかになる
*共産党は13回、野坂を査問しているが、その内容は漏れてこない
☆日本共産党除名処分の決定に関して
*「何も言うことはない」として野坂氏は口をつぐんだ
*その後はマスコミの取材にも高齢を理由にして姿を現さなかった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』
左翼の人物とその事件5(徳田球一氏、野坂参三氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)
☆破防法(破壊活動防止法)は、日本共産党の活動を対象として制定された
*戦後対象とされた日本共産党の活動とは、武装闘争
☆今の日本共産党の党史では”分派による跳ね上がりの冒険主義”とされている
☆武装闘争は、党中央の機関決定とソ連が牛耳る上部組織の支持を得た
☆日本共産党が正式に採用した路線だった
☆武装闘争は、"1955年の六全協で正式に終止符を打った
☆その時代の象徴だったのが徳田球一氏であった
コミンフォルムの指令
☆徳田氏自身は、武装闘争を考えていなかった戦後の当初の資料では読み取れる
☆コミンフオルムの平和革命論批判より
*朝鮮戦争が始まった翌年、日本共産党が武装闘争路線を採用した
☆コミンフオルム(ソ連共産党)の狙い
*日本共産党の武装闘争
*アメリカ軍の前進基地化していた日本国内に混乱を起こすことだった
☆これらの動きは、アメリカの情報機関が知るところだった
*治安維持を目的とした日本の再軍備が提議され、警察予備隊が設立される
☆徳田氏に率いられた日本共産党は武装闘争を実施した
*破防法はさほどの反対もなく成立した
*共産党は「山村工作隊」「中核自衛隊」などの武装組織をつくって活動した
*展望も指導者もない活動だった
血のメーデー事件
☆武装闘争は、現在の日本共産党では、″なかったこと″のように扱われている
☆実際に中核自衛隊や山村工作隊員として武装闘争に身を挺した元共産党員もいる
☆日本共産党は占領軍により公職追放(レッドパージ)を受けた
*徳田氏たち指導部は地下に潜り、「人民艦隊」と呼ばれたボロ船で中国に亡命した
*スターリンが死に、朝鮮戦争が終ってコミンフオルムの方針が変わる
*武装闘争路線は捨てられる
☆日本共産党は、六全協で徳田氏らの指導を分派行動と断定して批判し、闇に封じこめた
☆その後、共産党の実権を握った宮本顕治
野坂参三氏
☆日本共産党のシンボルだった野坂参三氏は、101歳で死去した
*共産党の機関紙『赤旗』は社会面の片隅で小さく報じた
*野坂氏は、1年前に共産党を除名されていた
*除名の理由は同志を密告したというもの
*『赤旗』は「恥ずべき行為」であると糾弾した
☆当時、モスクフのコミンテルンには世界中から共産党員が集まっていた
*日本人共産党員は、野坂参三氏と山本懸蔵が中心
*野坂氏は、ソビェト内務省人民委員会に山本懸蔵がスパイだと密告する手紙を送った
☆ソビエト市民になっていた山本
*国家反逆罪で死刑が宣告され、翌日、銃殺された
早くからあつた密告説
☆野坂氏が山本を”売った”疑惑は戦後早くから口にされていた
☆この時代のスパイの告発はほとんどノルマ化していていた
*他人を密告しなければ自分が疑われた
☆野坂氏がスターリンの大粛清を無傷で生き残ったこと自体奇跡
☆治安維持法により日本で逮捕された野坂氏
*眼病の手術で釈放され、そのまま日本を脱出してモスクフに渡っている
「何も言うことはない」
☆野坂氏がモスクフに秘かに渡った時、世話をしたのは山本懸蔵夫妻だった
*山本夫妻はソ連で悲惨な生活を過ごした
☆野坂氏は、敗戦の翌年、夫婦ともども凱旋将軍よろしく日本に帰国した
☆密告の手紙の存在が明らかになる
*共産党は13回、野坂を査問しているが、その内容は漏れてこない
☆日本共産党除名処分の決定に関して
*「何も言うことはない」として野坂氏は口をつぐんだ
*その後はマスコミの取材にも高齢を理由にして姿を現さなかった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』
左翼の人物とその事件5(徳田球一氏、野坂参三氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)
いいねありがとうございます
こめんと有難うございます。
日本共産党の苦悩での路線変更の詳細
お陰様で良く理解できました。
タカちゃん様の文中にありますように
①日本人共産党員は武装闘争に消極的だった
②武装闘争に走った多くは在日朝鮮人・韓国人の
共産党員
③彼らは、朝鮮労働党・中国共産党からの秘密
指令に従って武装闘争に走っていた
成程日本共産党の歴史理解出来ました。
あくまでも私の私見ですが、歴史を見るた
国の創成期には、社会主義が効率的で
国の成熟期には、民衆は民主主義を求め
民主主義の行き過ぎが、国の衰退を招き
又社会主義を求める国家が成立する
そんな感じで思っています
ご批判多々有ると思いますが
あくまでも私見です
また、毎日新聞が帰国直後に出した、伊藤律さんに関する単行本には、そのころ国際派(=少数派)に属し、のちに除名されたり離党した日本共産党幹部の何人かが当時の状況をコメントしていますよ。志賀義雄さんとか長谷川浩さんとか。共産党を離れた立場でのコメントだけに、興味深いものがありました。
この問題を語るときに注意を払わないといけないのは、当時の最高意思決定機関の北京と、それを実行する日本の間には、物理的な制約があったということ。密航船による密使の暗記と、短波ラジオによるスローガン的な放送で、主旨を簡潔にしか伝えられなかったこと、国内を任された志田重男のかなりの歪曲解釈と暴走があったこと、を伊藤律さんが回想録の中で厳しく批判していました。
2010年代には、多くの日本人共産党員は武装闘争に消極的だったこと、実際に武装闘争に走った多くは在日朝鮮人・韓国人の共産党員だが、彼らは同時に結成されたばかりの朝鮮労働党の党員でもあり(=いわゆる二重党籍)、日本共産党からの指示というよりは、むしろ朝鮮労働党およびその背後にある中国共産党からの秘密指令に従って武装闘争に走っていたことが、明らかになってきましたよ。