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「血統」「宦官」「万世一系の天皇家?」「妻の身分」

2024年01月29日 | 歴史
🌸『源氏物語」の時代は恋愛至上主義(2)

『要旨』
 ☆日本と中国に見る「血統」に対するこだわりの違い
 *皇室の典侍をはじめとする女官
 *簡単に天皇以外の男たちと、関係を持っていた
 *「万世一系の天皇家?」との疑問もでてくる
 *中国の皇帝の場合とにかく血筋を大切にした
 *美女3千人がいる後宮は男子禁制
 *勤務する男子の場合、生殖器を切られた宦官として仕えた
 ☆日本の場合は血統のこだわりは中国ほど強くなかった
 *『源氏物語』では一般人である光源氏と中宮である藤壺の官
 *密通してできた子、後の天皇・冷泉帝になる様子が描かれている
 ☆「源氏物語」での天皇の妻の身分
 *皇后⇔中宮→女御→更衣
 ☆『源氏物語』その主たる題材は「愛憎」
 *男性と女性の間での恋愛や憎しみや悲しみが、赤裸々に描かれた作品
 *平安時代は、男女関係が政治関係を大きく左右した
 ☆一条天皇時代「天皇の子どもを誰が生むかで」権力構造決まった時代
 *摂関政治の特徴
 *どんな人が天皇であっても構わないし、お飾りでも構わない
 ☆それを体現したのが、江戸時代の徳川幕府
 *徳川家康は「将軍はバカで良い」と割り切り
 *三代将軍の家光以降は、無才で問題のある人間でも
 *長子が跡を継ぐと決めてしまった

⛳日本と中国に見る「血統」に対するこだわりの違い
 ☆典侍をはじめとする女官
 *簡単に天皇以外の男たちと、関係を持っていた
 *子どもが生まれた場合は、その子は誰の子なのか?
 *「万世一系の天皇家?」との疑問もでてくる
 *平安時代の日本、野暮なことを言わないのが原則だった
 ☆中国の皇帝の場合とにかく血筋を大切にした
 *美女3千人がいる後宮は男子禁制です
 *勤務する男子の場合、生殖器を切られた宦官として仕えた
 *「史記」を記載した司馬遷も、男性根を宮刑で切り落とされている
 *司馬遷も男性根を切り落とされた事をバネに
 *『史記』という大作を書き残したと言われている
 *明の鄭和、七つの海を渡り歩いた提督でが、彼も宦官でした
 *自ら男根を切り、皇帝に忠誠を誓い出世を目指す人もいた

日本の場合は血統のこだわりは中国ほど強くなかった
 ☆宦官制度のようなものはなく
 *天皇の周囲に侍る女性たちはかなリオープンなもの
 ☆『源氏物語』では一般人である光源氏と中宮である藤壺の官
 *密通してできた子、後の天皇・冷泉帝になる様子が描かれている
 ☆光源氏は、天皇には非常に愛された息子であるが
 *源氏という姓を与えられ、臣籍降下している
 *一般人であり、源頼朝や平清盛と立場は同じです
 ☆一般人の子が天皇になるなどという話
 *本来ならば不敬であると文句を言われてもおかしくない
 ☆当時の人々は「万世一系」などという考え方
 *あまり重視していなかったのかもしれない

「源氏物語」での天皇の妻の身分
 ☆天皇の妻には序列がある
 *正妻となるのが皇后、もしくは中官
 (なぜ、二つも呼び方があるのか?)
 *中官を復活させたのが、藤原道長

 ☆当時の天皇である一条天皇には、藤原定子という皇后がいた
 *藤原道長は自分の娘の彰子を一条天皇の元に入内させた
 *その際、天皇の正妻を表す身分として使い始めた
 ☆皇后、中官の次に高い身分
 *摂政関白や太政大臣の娘から選ばれるのが女御
 *実家の身分が大納言以下の女性たち、更衣という身分が与えらた
 ☆『源氏物語』の光源氏の母である桐壺の官は、更衣でした
 *更衣はあまり身分が高くはなかったので
 *彼女は天皇の籠愛を受けたせいで周囲のいじめに遭い、死んでしまう
 ☆源氏の君は、父の天皇に愛されながらも
 *母の身分が低かったがゆえに皇族から外れ、臣籍降下された
 ☆成長した源氏が、母の面影を追って出会ったのが藤壷の宮
 *彼女は先帝の娘という非常に身分の高い女性
 *女御という立場で後官に入り、桐壺帝の妃になる
 ☆天皇の正妻である皇后が子どもを産み
 *その子が天皇になると皇太后となる
 *祖母になると大皇太后と呼ばれる
 ☆今上上皇の奥様であられる美聟子様も
 *本来は皇太后と呼ばれるべきなのだが
 *現代、皇太后の名称を使わないので、上皇后と呼ばれる

『源氏物語』の時代に、恋愛が重視され
 ☆『源氏物語』その主たる題材は、「愛憎」
 *男性と女性の間での恋愛や憎しみや悲しみが、赤裸々に描かれた作品
 ☆平安時代にこの物語が生まれたのは
 *男女の恋愛が大きく政治に影響を与える時代だったから
 ☆政治は、基本的にはシステムで動くもの
 *「ドロドロとした人間関係が影響するわけがない」
 *「恋愛で政治が変わるわけがない」などと言われているが
 ☆平安時代は男女関係が政治関係を大きく左右した

『源氏物語』が生まれた一条天皇の時代
 ☆藤原氏の内部で大きな権力闘争が起こっていた
 *対立は、藤原定子の兄藤原伊周と藤原彰子の父藤原道長
 *決め手は、どちらの女性が天皇により多く愛してもらい
 *早く子をなすことができるのかだった
 ☆「天皇の子どもを誰が生むかで」権力構造決まった時代
 *摂関政治の特徴
 *どんな人が天皇であっても本来は構わないし、お飾りでも構わない
 ☆それを体現したのが、江戸時代の徳川幕府
 *徳川家康は「将軍はバカで良い」と割り切り
 *三代将軍の家光以降は、無才で問題のある人間であっても
 *長子が跡を継ぐと決めてしまった
 ☆実際、徳川家の家臣たちがしっかりとトップを支えていたので
 *将軍はお飾りでも全く構いませんでした
 ☆藤原氏の摂関政治においては
 *誰が天皇の寵愛を受けるか、そして誰が天皇の子どもを先に産むか
 *男女の交わりが、政治の行方を決める最大の比重を占めていた
 ☆藤原氏で「自分がナンバーワンになりたい」権力欲が強い人
 *天皇の妻にするにする年ごろの娘がいることが、最大の武器
 *その家に娘が生まれると、息子より、一族は喜んだ
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『愛憎の日本史』






「血統」「宦官」「万世一系の天皇家?」「妻の身分」
(ネットより画像引用)

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