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世界史(オスマン帝国の誕生)

2017年06月14日 | 歴史
ヨーロッパにも進出したオスマン帝国

軍事力と統治制度に優れるオスマン帝国が領土を拡大し、ヨーロッパにも侵攻
領土を拡大し、地中海を制したオスマン帝国
アナトリアで興ったオスマン=トルコは、バルカン半島へ進出
ビザンチン帝国から奪ったアドリアノープルを首都とした
ポリスの戦いでキリスト教勢力を破ってドナウ川以南を征服
アンカラの戦いでティムール帝国に敗れ、一時衰退した
 ☆ティムール帝国が衰退すると、勢力を盛り返しビザンチン帝国を減亡させる
コンスタンティノープルをイスタンブルと改称して首都とした
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『世界史(成美堂)』




オスマン帝国(世界史(成美堂)記事より画像引用)

スレイマン1世の時代に、オスマン帝国は最盛期を迎える
第9代スルタン(支配者)のセリム1世
 ☆シリスエジプトを征服し、聖地メッカ、メディナを版図におさめる
 ☆聖地の保護者ならびにスンニ派イスラーム教の擁護者としての権威を確立した
スレイマン1世時代は、ハンガリー領有しプレヴエザの海戦で勝利をおさめる
 ☆地中海の制海権を握った

オスマン帝国を支えた統治制度と社会のしくみ
強大な権力を有するスルタンを頂点として、整備された官僚制度をもつ中央集権国家
軍政官や騎士には、税を徴項できる領地が与えられる軍事封土制をとる
キリスト教徒の子弟をイスラーム教に改宗させる
常備歩兵軍に編成するなどの施策で、強大な軍事力を支えた。
帝国内にはキリスト教徒やユダヤ教徒も多数いた
 ☆オスマン帝国は異教徒には寛容
ミツッレトという宗教ごとの共同体を構成させ、納税の義務を課すなどする
信仰・言語の自由のほか、裁判権も認めていた
帝国内では多民族・多宗教の平和共存が実現した




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