慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

卑弥呼『古事記』『日本書紀』に登場しない何故?

2022年10月21日 | 歴史
🌸卑弥呼『古事記』『日本書紀』に登場しない何故?

 ☆邪馬台国と卑弥呼に関する情報中国の史書『三国志』『後漢書』等に
 *わずかに記述があるだけ
 ☆日本の『古事記』『日本書紀』には情報が書かれていない
 ☆邪馬台国に関するほとんどの情報
 *『三国志』の中に書かれた「魏志倭人伝」に由来している

畿内説VS九州説、大論争に決着はつくのか?
 ☆邪馬台国は「魏志倭人伝」によると
 *沖縄の先、太平洋の海の上に到着してしまう
 *邪馬台国の正確な場所はわかっていない
 ☆邪馬台国の所在地論争現在も決着ついていない
 *江戸時代の新井白石が畿内説
 (畿内説、邪馬台国が後に栄えた大和朝廷とつながっていること)
 *本居宣長が九州説を唱えたことから始まった
 (九州説は「漢委奴国王」の金印が福岡で発見されていること)

卑弥呼、壱与(邪馬台国で「女王統治」が続いた)
 ☆「魏志倭人伝」による卑弥呼の実像
 *邪馬台国を統治するシャーマンだった
 *高齢で独身、女王となってからは宮に籠もり
 *彼女の姿を見たものはほとんどいないと書かれていた
 *弟がいて、彼が卑弥呼を手伝っていたようだ
 ☆卑弥呼ははじめて大使を魏には派遣している
 *卑弥呼は女王として君臨していた
 *卑弥呼は10年位、魏と数度交流していた
 *倭からは米や布、奴隷などを送り
 *魏からは金印や銅鏡百枚などの膨大な品を賜わっている
 *倭と魏はそれなりに友好関係を築いていたようだ
 ☆卑弥呼の死後、邪馬台国では男王が立つが
 *内乱となり千人あまりが死んだ
 *卑弥呼の親族だった13歳の少女・壱与が女王となる
 *女王により国は治まったという
 ☆壱与もまた魏に使者を送っている記録がある

日本史″空白の150年”の間に何が起きたのか
 ☆卑弥呼の正体は、大和政権の神功皇后ではないか?
 *神功皇后は、妊婦ながら朝鮮半島に出兵したという
 ☆卑弥呼は、熊襲(大和政権に抵抗した一族)の女族長ではないか?
 ☆日本はこの後、5世紀に人るまで150年間
 *中国の歴史書にその名が記されることはなかった
 *日本国内でもその間の記述がある史書がない
 *3世紀中頃から5世紀までの約150年間、空白の歴史
 ☆5世紀、倭国に「讃・珍・済・興・武」の5人の大王が現われる
 *その間に邪馬台国は歴史の中に消えてしまった
                     (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史・意外な話』




卑弥呼『古事記』『日本書紀』に登場しない何故?
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 苦しみを癒すのに必要なのは... | トップ | 安倍元首相「国葬」巡る一部... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事