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北条時行(鎌倉3回奪回)

2021年09月03日 | 歴史
🌸北条時行(鎌倉3回奪回)

北条時行のプロフィール
 ☆鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の遺児
 ☆北条時行、中先代の乱
 *北条氏復興のため、鎌倉幕府の残党を糾合し乱を引き起こす
 *足利直義を破り鎌倉を奪還するが、20日で尊氏に逐われた
 ☆北条時行と南北朝の内乱
 *後醍醐天皇から朝敵を赦免されて南朝方の武将として戦った
 *2度目となる鎌倉奪還に成功
 ☆北条時行は、顕家の遠征軍に随行し土岐頼遠を破った
 *遠征軍は和泉国で行われた石津の戦いで執事高師直に大敗
 *遠征軍の長の顕家は敗死したが時行は生き残った
 ☆時行は再び義興らと共に武蔵野合戦で戦う
 *初代鎌倉公方足利基氏を破って3度目の鎌倉奪還を果たした
 *この奪還も短期間に終わり、逃走を続ける
 ☆翌年、足利方に捕らえられ、鎌倉龍ノ口で処刑された

鎌倉幕府滅亡(高氏(尊氏)が後醍醐方に離反)
 ☆鎌倉幕府と後醍醐天皇の戦いである元弘の乱が発生
 ☆武家の名門足利氏の当主である高氏(尊氏)が後醍醐方に離反した
 *六波羅探題(鎌倉幕府の西国監視機関)が壊滅
 ☆新田義貞による鎌倉攻めが行われた
 *時行の父高時、北条一門の多くが自害し鎌倉幕府は滅亡した
 *時行は難を逃れていた
 ☆幼い時行は、諏訪氏の本拠地である信濃国に渡る
 *諏訪大社を奉じる諏訪神党のもとにかくまわれた
 ☆兄の邦時(万寿丸)は、新田方に捕縛されて処刑されている

時行3回の挙兵、鎌倉奪還
 ☆時行は、親政に不満を持つ勢力や北条氏残党を束ねる
 ☆信濃国から、諏訪神党らに擁立されて挙兵した(中先代の乱)
 *時行は鎌倉に入り、武家にとっての旧都の奪還を成功させた
 ☆時行に逐われた足利直義
 *鎌倉を脱出する直前、鎌倉に幽閉されていた護良親王を殺害している
 *護良は後醍醐天皇の皇子で、元弘の乱の殊勲者の一人

北条時行の最期
 ☆逃走・潜伏を続けた時行は足利方に捕らえられ処刑された
 ☆北条時行は、享年は20代半
 ☆鎌倉幕府滅亡後も北条氏が長く戦い続けることができた理由
 *足利氏への復讐にかける北条一門の闘志
 *幕府滅亡後も「先代一族」と称された北条氏の権威を利用した側
 *双方の利害が一致したことが最大の理由
                                               (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、NHKBS「英雄たちの選択」「WIKIPEDIA」










北条時行(鎌倉3回奪回)
「英雄たちの選択」テレビ画面他より画像引用)

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