慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

がん免疫療法1(がんワクチン)

2020年04月17日 | 医療
がん免疫療法は「不治の病」を克服できるのか

 ☆がんに対するワクチン(がんワクチ)
 *がん細胞だけが持っていて正常細胞にはないような細胞表面分子を選ぶ
 *細胞表面分子を抗原としてワクチンを作る
 *がん患者に接種し、がん細胞に対する免疫の力を体内で呼び起こす
 *ワクチンが、がん細胞を殺す(がんワクチンは治療目的のワクチン)
 ☆免疫の力を増強してがん細胞を殺そうという試み
 *T細胞療法
 (患者からTリンパ球を取り出して、試験管内でがんに対するキラーT細胞を作る)
 (キラーT細胞を体内に戻す)
 *樹状細胞療法
 (患者の樹状細胞を取り出して、かん抗原で刺激してから体内に戻す)
 *CARーT療法
 (患者からTリンパ球を取り出して、遺伝子工学的手法で、がん抗原を認識するようにする)
 (がん細胞を攻撃できるCARーT細胞に作り変え、からだに戻す)

がんワクチンとはなにか?

我々の体では、細胞が分裂する際遺伝子変異が生じる
 ☆一定の確率で生じる遺伝子暗号の自然突然変異が、非常に低い確率だが起こる
 ☆物質が発がん物質とは
 *タバコ、紫外線、化学物質等の外的要因が加わると、遺伝子変異の確率は上がる
 ☆遺伝子の活動を調節する過程には「DNAメチル化」や「ヒストン修飾」等がある
 *異常が起こる過程をエビジェネティックな変異という
 ☆エピジェネティックな変異とは
 *遺伝子そのものには変異がないが、遺伝子の活動調節過程に変異があること
 ☆自然突然変異、エビジェネティックな変異細胞が増殖を続けるとがんになる
「免疫監視」現象
 ☆我々の体内では毎日、生理的な状態で、多くの細胞が分裂している
 *正常な状態でも、毎日、必ず一定数の変異細胞が生まれている
 *その一部ががん化する可能性がある
 ☆われわれのからだには免疫系がある
 *免疫系が、日々できてくる変異細胞をもぐら叩きのように叩いてくれる
 *がんになるのを未然に防いでいると考えられている
 ☆がん細胞にだけ存在して正常細胞には存在しない抗原
 *「がん抗原」あるいは「ネオ抗原」という
 *がん細胞が正常細胞から変異する過程で新たに作られるようになった抗原
 *「がんの目印」で、多くはタンパク質
 ☆がん細胞表面には何種類ものネオ抗原が存在します
 *そのほとんどは免疫系をあまり強く刺激できない
 ☆「免疫監視」現象
 *少数ですが、中には免疫系を強く刺激するネオ抗原が存在する
 *強いネオ抗原が存在すれば、免疫系がこれを認識してがん細胞を排除する
 ☆「免疫監視」は、完全ではない
 *がん細胞の一部は免疫系の目をすり抜けてしまう
 *免疫監視の手を逃れて生き延びてきたがん細胞
 *強い免疫反応がなかなか起こりにくい
現在使われているがんワクチン
 ☆ネオ抗原の中の一部のペプチド配列を選び出す
 *アジュバント(免疫強化物質)と混ぜるワクチンとして使っている
 ☆個人の目印であるMHC「ヒトではHLA〈ヒト白血球抗原)」
 *非常に多様性が高く、特定のペプチド配列と結合するのは一定のMHCだけ
 ☆このペプチド配列が結合できないMHCを持っている患者がいる
 *その人にはこのペプチドワクチンは効かない
 ☆ネオ抗原が患者のがん細胞の表面にたくさん存在しない場合
 *「がん免疫」が成立しても、免疫細胞はがん細胞を認識できず
 *患者は、がん細胞を排除することができない
特定のペプチドワクチンが効果を示す2条件
 ☆特定のペプチド配列が患者のMHCにうまく結合すること
 ☆患者のがん細胞表面にこのペプチド配列がたくさん存在していること
 ☆2条件が満たされないと、がんワクチンが効かない
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『免疫力を強くする』








がん免疫療法1(がんワクチン)
(ネットより画像引用)




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増田日本郵政新社長の改革を「郵政労組」が阻む

2020年04月17日 | 日本国内問題
かんぼに続き投資信託でも不正が発覚した

 ☆職員にノルマを押し付けた元凶は、小泉・竹中の「半端な民営化」だ
 ☆JP労組は、国内最大の単一労組
 *旧日本郵政公社労働組合(JPU)と旧全郵政が統合した20万人↑
 ☆増田社長、その組織力に怯まず全特、労組の問題に触れない場合
 ☆郵政は改革どころか自減のスピードを早めるだけ
 ☆日本郵政にはいまも旧郵政省、公社時代のぬるま湯体質が残っている

民間企業での経営経験はゼロ
 ☆日本郵政、簡易保険の不正契約に続き、投資信託販売でも不正が多数発覚
 ☆増田社長は厳しい姿勢で対応する決意を見せた
 ☆日本郵政内部からは早くも厳しい指摘が飛び交っている
 *増田氏の手腕では、沈没寸前の日本郵政を立て直すことはできない
 *多くのメディアは日本郵政の不祥事を現場の暴走と捉えている
 *実態は民営化によって生じた組織のひずみを
 *歴代経営トップが無視してきたことに元因がある
 ☆ベテラン郵政担当記者がいう
 *増田氏は、元官僚で岩手県知事や総務相を務めた”役人社長”
 *民間企業での経営経験はゼロ
 *彼が抜擢されたのは単純に”貧乏くじ”を引く人材がいないからだ
 *増田氏は、使い勝手のよさから官邸や総務省に押し切られて就任した
彼が郵政の抱える問題
 ☆郵政の最大の暗部の『三重支配』への斬り込みが必要
 *政府(総務省)、日本郵政、日本郵政グループ労働組合「JP労組&全特」
 ☆この問題に本気で向き合おうと思ったら、命がいくつあっても足りない大改革
 ☆増田氏がトップでも、旧郵政省、日本郵政公社からの「持ち上がり」組
 *日本郵便やかんぽ生命のトップを務め幅を利かせている
 ☆政府内では「増田氏の後任はしばらく見つからない」と諦めムードが広がる
 *「2~3年の期限を設けて増田氏に立て直しをさせる」ことで話が進む
 *実質的な”塩漬け”である
日本郵政とは別の指示系統で
 ☆増田社長はかんぽ生命の不正契約を1千761件と公表した
 *調査は、昨年7月から停止し、営業の再開時期は見通せないとした
 ☆政府が日本郵政株の売却期限を5年延長する方針を固めた
 ☆小泉政権で竹中氏が進めた郵政民営化は完全に行き詰まった
 ☆ゆうちょ銀でも投資信託の不適切契約が約2万件見つかっている
 *増田氏は、営業目標を見直すとした
 ☆グループの屋台骨を支える金融2社の営業自粛でさらなる収益減
 *郵便局ネットワークの維持とユニバーサルサービスが困難になる
 ☆職員を無茶なノルマで走らせられたのは、全特やJP労組があったから
 *全特や組合の存在がなければノルマ達成などできない
 ☆少々の不正があっても目標が達成できれば
 *日本郵政は見て見ぬふりをする慣習が現場にあった
旧郵政省時代のぬるま湯体質
 ☆関東地方の小規模郵便局を退職した男性がいう
 *職員にとって極めて重要なことが旧特定局長たちの裁量で決められている
 *逆にいえばノルマが達成できなければ左遷されたりする
 ☆全特は影響力を増していく
 *元全特会長の大澤誠氏日本郵便副社長となり経営に深く入り込むほど
 ☆増田社長の日本郵政を改革は、彼らの抵抗にあって潰されるのがオチ
 *増田氏は、成長戦略よリグループ内部の固め直しに全力を傾ける
 ☆郵政民営化は、竹中氏が「国民のために」と大ウソをつく
 *日本の金融資産を米国へ差し出したことがすべての元凶
 ☆国内で財政投融資として回っていたゆうちょ・かんぽの資金はストップ
 *地方は疲弊していった
 ☆小泉‐竹中路線に続く菅官房長官
 *歴代社長が全特やJP労組を利用しようと欲を出し彼らを増長させた
 ☆JRは国鉄民営化のとき、切符切りをしていた公務員社員
 *立ち食いそば屋やキオスクに異動させ民間企業の厳しさを教えた
                  (敬称略)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS3月号』


増田日本郵政新社長の改革を「郵政労組」が阻む
(『THEMIS3月号』記事より画像)




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「日本書紀」以降の天皇1(42~45代)

2020年04月17日 | 天皇論
時代によって変わった天皇の役割と歴史

 ☆8世紀には天皇を中心とした律令国家体制が完成
 *天皇は国政を動かす専制君主
 ☆律令体制が限界を迎え、皇族や貴族の王朝国家の時代へと移行する
 *朝廷では藤原摂関家が台頭
 *天皇は彼らによって担がれる存在となり、平安時代後期には院政が始まる
 ☆鎌倉幕府が開かれても、天皇と朝廷の権威は健在だった
 *天皇と朝廷の権威は、承久の乱を機に揺らぎ始めた
 *一時期、後醍醐天皇が権威の回復をはかった
 ☆応仁の乱後、天皇と朝廷の権威は完全に地に堕ちてしまった
 ☆織田信長や豊臣秀吉の尽力で朝廷の権威は再び回復
 ☆江戸幕府による朝廷の統制を経て、幕末期に尊王論が高まっていく
 ☆戦後、日本国憲法によって天皇は国民の「象徴」となる

42代文武天皇(大宝律令制定・遣唐使の再開)
 ☆草壁皇子の子で、持統天皇の孫
 ☆持統天皇から位を譲られて即位し、「大宝律令」を完成させた
 ☆唐との関係修復にも乗り出し、遣唐使を再開させた
 ☆25歳の若さで崩御し、第1皇子の首皇子(聖武天皇)は幼かった
 ☆文武の母が即位して元明天皇となった
第43代元明天皇(平城京への遷都)
 ☆天智天皇の皇女で、草壁皇子と結婚して3人の子を産んだ
 ☆首皇子(聖武天皇)が成人するまでの中継ぎの女帝
 ☆藤原不比等を重用し、和同開称の鋳造や平城京への遷都
 ☆『古事記』『風土記』の完成など、さまざまな事業を実行に移した
 ☆娘に天皇の位を譲った
第44代元正天皇(独身の女性天皇)
 ☆草壁皇子の第1皇女で、母の元明天皇から位を譲られて即位
 ☆独身で即位した女性天皇
 ☆藤原不比等らにより養老律令が編纂された
 ☆首皇子に天皇の位を譲った
第45代聖武天皇(仏教に救いを求める)
 ☆元明天皇の第一皇子で、元正天皇から皇位を譲られる
 *治世初期は皇族の長屋王が政権を担っていた
 *長屋王は、謀反の疑いをかけられて自害する
 ☆藤原不比等の4人の子が政治を動かし、再び藤原氏の時代が到来した
 ☆天然痘の大流行で、4兄弟は相次いで病没し、旧皇族の橘諸兄が台頭
 ☆藤原氏の復権を図った藤原広嗣が九州で反乱を起こす
 ☆聖武天皇は、次々と都を遷したが、災害や疫病は一向に収まらなかった
 ☆聖武天皇は、仏教に救いを求め、国分寺建立、慮舎那仏像造立の詔を発した
 ☆聖武天皇は、娘(孝謙天皇)に皇位を譲る
 ☆男性天皇では、初の太上天皇となった
 ☆東大寺に完成した慮舎那仏像の開眼供養が行われた
 ☆崩御後、聖武天皇ゆかりの品は、正倉院倉庫に納められた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』




「日本書紀」以降の天皇1(42~45代)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像)



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