慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「江戸の功臣、明治の賊臣」西郷隆盛

2018年01月05日 | 歴史上の人物
NHK大河ドラマ今年のテーマ、明治維新の立役者西郷隆盛

西郷隆盛「江戸の功臣」
 ☆薩摩藩の下級武士であった西郷隆盛
 ☆藩主・島津斉彬の目にとまり抜擢され、重要な役職に就く
 ☆斉彬が失脚した際、主君に忠誠を誓った西郷は心中を図るも生き残り島流しされた
 ☆その後、再び騒動を起こし2度目の島流しにまで遭う
 ☆そこで生まれたのが「敬天愛人」という思想(西郷の人間像を形成した思想)
 ☆江戸幕府を倒し、天皇親政による明治という新体制を樹立した功労者
西郷隆盛「明治の賊臣」
 ☆鹿児島に創設した私学校の生徒に担がれて「西南戦争」を起こし賊臣となった
 ☆明治天皇は、西郷自決の知らせを受けたとき「西郷を殺せとはいわなかった」と無念の涙を流した
 ☆「大日本帝国憲法」が発布されると、天皇は西郷を西南戦争以前の「正三位」に復位させた
 (賊臣という汚名から解き放ったのである)
西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」(西郷の島流し時代に形成された思想)
 ☆お天道様に見られても恥ずかしくない行いをせよ
 ☆どんな人にも分け隔てなく誠意をもって接すること
 ☆天は見ている、1人のときも行いを慎むこと
西郷隆盛はなぜ東北の庄内地方で愛されているのか?
 ☆新政府軍に立ち向かった幕末“最強”の庄内藩
 ☆「本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿様に」酒田の本間家は「日本一の大地主」
 ☆戊辰戦争で、最後迄戦った庄内藩の敗戦に対して、西郷は寛大対応をした
西郷隆盛はなぜ西南戦争をおこしたのか?
 ☆本人は政府軍と戦争をする為に私学校を設立したのでは無い
 ☆政府の要人達は「維新で身分を失った全国の不平士族が放棄」を懸念した
 ☆政府は、西郷の暗殺部隊の藩内への侵入させ「政府非道」の見聞を広めた
 ☆政府は薩摩にある弾薬庫の移動を行い、若い私学校生徒達が騒動を起こす
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、BS11『尾上松也の謎解き歴史ミステリー』『プレジデントオンライン』他






















「江戸の功臣、明治の賊臣」西郷隆盛(『尾上松也の謎解き歴史ミステリー』より画像引用)

 

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人生忙しいわりに儲からないのが一番?

2018年01月05日 | 人生訓
人生を楽しくする3つ方法
 忙しい状態である 
 ☆人間は忙しいのが一番で、暇な状態が最も苦痛
 ☆2割が「つきあい」など対人的に忙しく、8割は「もの」を相手にしているので忙しいのが一番
 (対人関係が中心だと、こじれてきて疲れるし、ものだけを相手にしていると寂しくなる)
その割にはお金が入らない
 ☆働いてお金が入りすぎると、働きたくなりと暇になる
 ☆暇になると本人も気づかないうちに不満が溜まっていく
不満や言い争いが少ない

日本人の思想の変化
日本人が「お金は多い方がよい」と考えるようになつたのは明治時代以後です
 ☆幕末迄、日本では大商人だけが、金儲けに夢中になっていた
 ☆人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きていた
 ☆労働それ自体が、最も純粋で激しい情熱をかきてる楽しみとなっていた
 ☆職人は自分の作るものに情熱を傾けた(仕事にどれくらいの日数を要したかは問題ではない)
 ☆満足できる程度に完成したときに、その仕事から解放される
 ☆現在は、西洋文明の悪いところを選び取り、良いところを捨てて生活をしている
 ☆それに気づかず苦しんでいる
私たちが「頑張る」のは、自分のためだと思っている
 ☆人間は「自分のため」には頑張る力が出ず、「人のため」なら力が出る
 ☆人間は、私たちが考えているほどには「個人」が独立しているのではない
 ☆人間は、「集団」で生活する動物なので、群をなす動物と同じである
 ☆私たち人間は一人ではすぐ寂しくなる
「誰のために頑張る」かが最大のポイント
 ☆「子供、家族のため」は、容易に頑張れる
 (「損得」とか「役割分担」という感覚を越えている)
 ☆勉強して、良い成績を取れば、自分の人生がある程度よくなることは分かっている
 ☆それだけでは「頑張ること」はできない
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『武田邦彦 科学的人生論』


忙しいわりに儲からないのが一番(人生)(ネットより画像引用)

人間には子供の頃から何となく常識として頭に入っているものがある
自分が成長してきたり、環境が変化するとそれが調和しなくなることがある
「何か変だ」「何か面白くない」「俺の人生はこんなものではない?」と思うようになる
充実した生活を送れなくなる

人生は楽しい方がよい
「どうしたら楽しい生活を送れる」のだろうか?
思い浮かぶのは「何にもしないで寝ていれば天丼からお金が振ってくる」ということだろう
実はそれは人生を一番つまらなくさせている
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伊達宗勝(悪政者・悪役)

2018年01月05日 | 歴史上の人物
江戸時代の3大お家騒動(伊達騒動、加賀騒動、黒田騒動)

伊達宗勝は伊達騒動の悪玉とされた人物
 ☆仙台藩3代藩主・綱宗は、酒癖・素行が悪く引退に端を発する
 (家臣が幕府に働きかけ、綱宗は逼塞の下命を受けた)
 ☆藩主の地位を追われた綱宗に代わり、長男亀千代が幼くして後を継いだ
 ☆伊達宗勝は、幼君の後見の立場を利用して権勢をむさぼり藩を危機に立たせた
 (自らの意のままに動く家臣団を形成し、専制体制を整えていった)
藩内では宗勝派と反対派による勢力争い
 ☆伊達宗重は、宗勝の専横を幕府に上訴
 ☆宗勝派の原田が、宗重を殺害する刃傷事件が発生した
 ☆事件の責任を問われた宗勝は、土佐へ配流となり改易となつた
奥州の大藩である仙台藩の騒動
 ☆当時の大衆の興味もひき、歌舞伎狂言の題材にもなった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本史”悪役”100人(世界文化社)』


伊達宗勝(悪政者・悪役)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)

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