尾崎豊
尾崎豊(横浜アリーナ)
『復活 尾崎豊 YOKOHAMA ARENA 1991.5.20』散策
尾崎豊のカリスマ性を、スクリーン越しにでも強く感じました
カリスマ性の定義『人々を引きつけたり信服させる、人格上の特質や魅力を示します』
*ルックス良く、歌も上手で、演奏も出来、人生の悩み、人の弱みを自分の経験を通じて歌詞にしている
*特に若者の苦悩・その解決策を歌っている
宗教においてカリスマは、秩序を維持・破壊し新たな秩序を創造する性格を持ちます
*尾崎豊の歌は、若者には、『お経』になると思います
*歌の歌詞は、不明瞭で、神秘性で訴える宗教の密教的要素を感じました(?)
最後に舞台を去るとき、両手を広げて『皆様に愛を捧げたい』との言葉は、まさに教祖でした
映画の構成も上手く、最後に意味深い言葉は、観ている者が考えます
『YOU CAN NOT MISS.』
26歳でこの世を去った尾崎豊、死から20年
ファンとしては、スクリーンに向けて「尾崎ー!」や「ありがとうーッ!」と声をかけたかったです
若者の代弁者、教祖です
彼の言葉、歌詞は非行や校内暴力が横行していた時代に救いの教祖でした
フィルムコンサート開催を希望する署名は10万人以上にものぼりました
スクリーンから伝わってくるカリスマ性
横浜アリーナの1万7000人を、最後まで引きつけ続け、死後20年経ってもカリスマ性に引き込まれます
覚せい剤事件からの復帰を誓った曲『太陽の破片』と、挫折からの再起を恋人に決意する曲『シェリー』
の迫力には圧倒されました
あまり尾崎のことを知らないという人にも、鑑賞する価値が有ると思います
以前好きで尾崎豊の歌載せたので添付します
僕が僕であるために
尾崎 豊
僕が僕であるために、いつも自分を見失いかけている
何か探しながら、君を見つめて思う
好きなんだってこと、いつも笑顔が溢れてた
いつも君が溢れてた
僕が僕であるために、自分が自分であるために
愛や夜を求めてる、君が君であるために
身体が身体であるために、いつも求める何かを
だけど季節を越している、早足で過ぎていく
僕を見つめて思う、無駄も大事も無いこと
だけど愛が永遠に、だけど時が永遠にあるように
僕が僕があるために、君が君であるために
どんなものでも捨てられる、夜が夜であるために
ネオンがネオンであるために、どんなものでも求められる
だから僕であるために、だから君であるために
だから夜である為に、だから身体であるために
だから自分であるために、僕はどこまでも行く
僕が僕であるために