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残暑お見舞い・・・




又、暑さがぶり返してきました。

長い間、ご無沙汰してましたが
皆様、お変わりございませんか?

8月17日は妹のyunさん、そして姪のY子ちゃんの誕生日でした。

そして19日は私の誕生日で、
夫にねだって、誕生日のプレゼントは
礼装用の黒い靴をもらいました。



8月17日

入院中の兄の容体があまり思わしくなく、
前日から駆けつけていたyunさんと、病院に行ったのが
お昼ごろでした。

前の日に比べ、顔色も悪く、酸素マスクをつけた兄は
肩で息をしてましたが、
まだまだ大丈夫と思っていましたのに

その日の3時43分

献身的な看護をしてた義姉、娘のY子ちゃん、
そして妹の私達に見守られながら、

穏やかに85歳の生涯を閉じました。

その日は娘のY子ちゃん、そして妹yunさんの誕生日、
忘れられない日になりました。


そして、1昨日初七日を迎え
今日はちょっと一段落・・・


ようやく、ゆっくりした気持ちでパソコンの前に座れるようになりました。



葬儀は、家族葬を・・・と生前兄がいってたので、
うちうちでの葬儀のはずでしたが
告別式まで5日間の間が空き、
町の人にも知れ渡り、多くの方が参列してくださいました。





五男三女の長男として石巻に生まれ、
疎開してた現在のところで父が始めた靴製造に携わる様になり
その道一筋で生きた、職人肌の兄でした。

社長の座を短い期間でおり、
後は夫が引き継ぎ、今は息子である甥が引き継いでいます。

明治生まれの頑固な父親のもと、かなりストレスもあったようで
一日4箱の煙草を吸っていたこともありました。

でも両親を見送った後は、義姉と仲良くゴルフに行ったり
海外旅行に出かけたり、

うち孫二人、外孫二人をとっても可愛がり
優しいお爺ちゃんとして
穏やかな日々を過ごしていました。


たばこは8年ほど前にすっぱりやめていたのですが
昨年の9月に肺がんが見つかり
治療をし、入退院を繰り返しながらも
小康を保っていましたが

今月2日に体調が急変し
入院となりました。

そして15日、こん睡状態に陥ったのです。


8月11日の夜、
兄はかなり弱っていたのに

傍についていた私に
若いころのいろんな話をしてくれました。

2時間ほどの時間でしたが、
今までの人生で、兄と、あのような会話をしたのは初めてでした。

「8時だから、もう帰るね」と言ったら
ユーモアたっぷりに
「ハイ、御苦労さん!」

兄と交わした最後の言葉です。

義姉や娘にも
感謝!感謝!の言葉を残し

本当に穏やかな最後でした。






家にありては、
夫として、父として、祖父として、
限りない慈しみを家族の上にそそぎ、

親戚にありては、
弟として、兄として、叔父として、長老として、
親戚一統を和やかにとりまとめ、

事業にありては、
経営者として、オーナーとして、
大きな度量を持って根底において会社を支え、

地域にありては、
朋友として、
心の底で許しあえる良き友人関係をつくり、

そして得も言われぬ人生の余韻を残して

私どもが等しく敬愛するあなたは
ついに旅立たれました。





一緒に仕事をした夫の
兄へのお別れの言葉の一文です。


本当に心やさしい兄でした。

仕事で葬儀に参列できなかった息子が
お焼香しながら
「信じられないなぁ・・・」

って、呟きました。

私の子供、そして孫達も可愛がってくれました。




寂しいです。







コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
謹んでお悔やみ申し上げます (風の旅人)
2011-08-25 23:56:56
激動の昭和を走り抜けた人生ですね。
昭和2年生まれだと戦争にかり出されれる年齢。
下手をすれば特攻隊に行って死んでいたかも。

青春時代は戦争とその後の混乱期。
何もない時代だっただけに、その苦労は半端じゃないはず。
今のように楽しい青春時代だったらいいけど、生きていくのが精一杯。
がむしゃらに働くしかなかっただろう。

大家族の長男ほど大変なものはない。
下の子供達のために自分が働くことで、何とか家族が食べられる分けだから、今のように趣味や遊びにお金を割くことも出来なかったはず。


お父さんお仕事を継いで会社を守り、後継者の義弟に任せた頃はようやく人生の楽しみが持てたことでしょう。

ワテの兄貴も昭和3年生まれでただ今闘病中。
それだけに人ごとには思えません。

家族や兄妹に見守られて感謝の言葉を残しての旅立ち、いつかは誰もがやってくるわけですが、感謝の言葉が残せるのは幸せですね。

初七日も終わって少しは落ち着きましたか。
taeさんも余り体調が芳しくないので、少しゆっくり休養してください。
お疲れが出ませんように。
合掌

 
 
 
Unknown (dream)
2011-08-26 00:44:37
更新がなかったので心配していましたがやはり旅立ちが
あったのですね。ご冥福をお祈り申し上げます。
taeさんもゆっくり静養され疲れをとってくださいね。
 
 
 
Unknown (yun)
2011-08-26 06:36:54
taeさん、お疲れ様でした・・・

何もお手伝い出来ない私が
これだけ疲れがでたのですから
近くにいてTさんと全面的なバックアップ
さぞや疲れが~と心配しています。
心労の程、お察しします。

お姉さんやYちゃん、K君にとっても
Tやtaeさんの存在が大変心強かったことでしょう~

春先のtaeさんの体調など全く考えられないほどの
回復振り~驚きましたよ!
私より体力バッチリ!
頼りになりますね^^

今後も高齢のお姉さんの力になってあげてね^^
宜しくーです。
本当にお疲れ様でした。
 
 
 
御愁傷様でした (yurino)
2011-08-26 08:52:48
もしかしたらと思っていましたが・・・
お疲れさまでした。

心からお悔やみ申しあげます。

お義姉様、さぞかしがっかりなさっていらっしゃることでしょう。
でも、立派な後継者もお在りだし、心おきなく天国に召されたことでしょう。
ある意味、羨ましいお兄様ですよね。

taeさんも、お身体大切に。
どうぞ、気を落とされませんように。
 
 
 
風の旅人さんへ (tae)
2011-08-26 12:54:36
コメント、有難うございます。
おっしゃる通り、
戦前のこと、そして戦争経験のことを、
亡くなる少し前、よく話していました。
不思議に最近の震災のことは話題に出ませんでした。

大勢の兄弟のいる長男、そして会社の後継者でしたから
人知れぬ苦労が沢山あったかと思います。
父が亡くなってからは、年々、穏やかになり
近年はカラオケや人と会うのを楽しみしてるような
兄でした。

無口な兄で、心配かけまいとしていたのか、
病気の辛さは口にしませんでした。

でも、姉、そして娘の献身的な介護を受けて
本当に幸せな兄だったと思います。
 
 
 
dreamさんへ (tae)
2011-08-26 14:53:17
コメント、ありがとうございます。
覚悟はしていたものの、やはりさびしですね。
皆に見守られて旅発ち、
幸せな兄だったと思います。

ちょっと疲れましたが、私は大丈夫です。
 
 
 
yunさんへ (tae)
2011-08-26 15:00:53
yunさんこそ、遠いところを行ったり来たりで
大変だったことでしょう。最後の時、yunさんがいてくれて、本当に助かりました。
毎日実家には顔を出していますが、
お焼香の方がおいでになり、姉は休む暇もないようです。
出来る限り、手伝おうと思っています。
甥や姪とじっくり話すこともでき、
貴重な時間を兄が与えてくれたと感謝しています。
残されたもので、これからも頑張らなくちゃ・・・ですね。

 
 
 
yurinoさんへ (tae)
2011-08-26 15:10:52
コメントありがとうございます。
しおりママのおばあちゃまの葬儀があり、そしてお盆、
娘家族が帰ってきたりで、ちょっと忙しく過ごしていました。
兄の事が気がかりで、気持が落ちつかず・・・
でも夜、二晩ほど付き添うこともでき、最後の二日間は
妹と一緒に付き添えて、よかったです。

寂しいけど、幸せな兄でした。
心配事、苦しいことも一杯あったでしょうが、
なにも口にせず、静かに旅発ちました。

姉は疲れも見せず、とても気丈夫です。
私の方が駄目・・ですね。
 
 
 
ご愁傷さまでした (夢子)
2011-08-26 20:38:43
 taeさん、お兄様が旅立たれたのですね。
ご愁傷さまでした。
私の父は、大正15年生まれなので、
同じくらいだったのですね。
父は、もう30年も前に他界してしまいました。

悲しみはジワジワと押し寄せます。
どうか体調を崩されませんようお気をつけください。
ご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
 
夢子さんへ (tae)
2011-08-26 21:59:39
コメント、ありがとうございます。
私の姉が大正15年なんですよ。
長兄も姉も親といってもおかしくない年齢なんです。
兄弟の中で、私が一番身近に住んでいますので、
逢う機会も多く、
これから寂しくなりますね。

少し疲れましたが、だいぶ回復してきました。
朝晩、大分涼しくなり
助かりますね。
 
 
 
お疲れ様です (ひらりん)
2011-08-27 16:53:50
お兄様とはずいぶん年が離れているのは存じてましたが、家業の先輩でもいらっしゃったのですね。
(私の父も対象15年生まれです)
taeさんがしっかり後を継がれたので、安心だったことでしょう。
お年とはいえ、やはり、淋しいものはありますが、残った者が元気に毎日を過ごすことが何よりの供養なんでしょうね。
少し暑さがぶり返して、私も体力出ず、大人しくこもっております。
 
 
 
ひらりんさんへ (tae)
2011-08-27 21:49:27
コメントありがとうございます。
一番上の兄なので、結構年は離れてます。
夫が兄の後を継いでくれ、今はその兄の子(甥)が4代目です。
小さな会社ですが、よくまあつぶれずにここまできたものと、改めて感心しています。
心配なことは山ほどあったとおもいますが、最後に話したとき(息子に任せてあるから)って言ってました。
近間にいましたし、いつも茶の間にデンとしてましたので、その姿を見ることができなくなったのが、さびしいですね。
ひらりんさん、夏バテですか?
きっと忙しすぎたのですね。ゆっくり休んで秋に備えてください。
 
 
 
taeさんへ (eko)
2011-08-28 11:34:14
taeさんご無沙汰しております。
お兄様が旅立たれたそうで、心よりご冥福をお祈りいたします。
さぞおさびしい事とお察しいたします。

私の夫も、兄上様より2歳上、陸軍将校で終戦を新庄で迎えたそうです。戦後新たに人生を立て直し、生きてきました。兄上様同様、当時の人たちの、御苦労は並大抵では無かったでしょうね。

剣道7段、鍛えた夫も、最近衰えてきました。
なかなか、想像でき無いし、準備も、覚悟もありませんが、近くなったことは日々感じている、この頃です。
taeさんも、どうぞお身体を大切になさってください。
 
 
 
ekoさんへ (tae)
2011-08-29 06:47:07
ekoさん、コメントありがとうございます。
人一倍健康に気遣ってた父の歳より、
6歳も長く生きた健康には全く無頓着な兄でした。
亡くなる数日前、いろんなことを私に話してくれましたが、その内容は戦争前後の苦労話ばかりでした。

ekoさんのご主人さまも同じようなご苦労なさったのですね。

3年あまりの闘病生活でしたが、姉は今のところ
寂しがってる様子もなく、自分が先でなくよかった・・と、ほっとしたような様子です。
姉の年齢(80歳)ぐらいになると、
そんな思いになるのかもしれませんね。
 
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